最終話
大広間には、異様な沈黙が広がっていた。
玉座の前に立つレオンを、国内外の王侯貴族たちが見つめている。
誰も、口を開こうとはしなかった。
先ほどまで、彼らはレオンを責めていた。
前侯爵を殺したこと。
裁判を経ず、貴族を手にかけたこと。
勇者という立場を利用して、王国の法を踏みにじったこと。
だが、レオンが魔王討伐の旅で何を見て、何を経験し、仲間たちがどのような姿になったのかを語り終えた今となっては、誰一人として言葉を発することができなかった。
レオンはゆっくりと広間を見渡した。
「……じゃあ、聞くぞ」
その声は低かった。
「前侯爵を殺したことに、まだ異議がある奴は手を上げろ」
沈黙。
誰も動かない。
レオンはもう一度言った。
「聞こえなかったか?」
誰も手を上げない。
「前侯爵を殺した俺を断罪したい奴は?」
静寂だけが返ってくる。
レオンはしばらく全員を眺めていた。
そして。
「……そうか」
小さく頷いた。
「じゃあ、これで断罪は終わりだな」
その瞬間。
レオンの表情が変わった。
「ここからは――」
一歩、前へ出る。
「俺がお前たちを断罪する番だ」
大広間に緊張が走った。
「お前らは知らなかったわけじゃないよな?」
誰も答えない。
「魔王討伐が、ただの戦争じゃないことを」
「勇者が魔王を倒せば世界が救われる、そんな単純な話じゃないことを」
レオンは冷たく笑った。
「神々の盤上遊戯だ」
その言葉に、何人かの顔色が変わった。
「魔王も」
「勇者も」
「聖女も」
「俺たちの仲間も」
「全部、神々が盤上に並べた駒だ」
「それを知っていた奴が、この中にいるよな?」
誰も動かない。
「俺たちを魔王討伐へ送り出した」
「俺たちが死ぬかもしれないと知っていた」
「仲間が壊れるかもしれないと知っていた」
「それどころか、俺たちが神々の遊戯の駒だと知っていた」
レオンの声が低く響く。
「それでも、お前らは俺たちを送り出した」
「正しいと思うか?」
沈黙。
「俺たちがどうなっても?」
沈黙。
「肉塊になっても?」
沈黙。
「死んでも?」
沈黙。
「死にたくなるほど苦しんでも?」
誰も答えない。
レオンは目を細めた。
「じゃあ、聞き方を変える」
「魔王討伐が、神々の盤上遊戯だと知っていた奴は手を上げろ」
誰も動かなかった。
数秒。
十秒。
それでも誰も手を上げない。
レオンは静かに笑った。
「そうか」
そして。
「じゃあ、俺が数える」
その瞬間。
一人の老人が、恐る恐る手を上げた。
王族だった。
それを見た別の男も。
さらに一人。
また一人。
公爵家の人間。
王族。
古くから王家に仕えてきた一部の貴族。
彼らが、恐る恐る手を上げていく。
大広間に上がった手は、決して多くなかった。
しかし。
レオンには十分だった。
「……なるほど」
レオンは呟いた。
「お前らか」
誰かが弁明しようとした。
「レオン殿、これは――」
「黙れ」
レオンの声が響いた。
「お前らは知っていた」
「俺たちが駒だと知っていた」
「それでも送り出した」
「俺たちがどんな目に遭うかも知らずに」
「いや」
レオンは首を振った。
「違うな」
「知っていたんだ」
「それでも、送り出した」
一人の王族が震える声で言った。
「国のためだった……」
「国のため?」
レオンは笑った。
「じゃあ、国のためなら人間を捨て駒にしていいんだな?」
「違――」
剣が抜かれた。
次の瞬間。
広間に赤い飛沫が散った。
一人。
また一人。
レオンは止まらなかった。
手を上げた者を、一人残らず殺していく。
王族も。
公爵も。
高位貴族も。
誰一人として例外はなかった。
「ひっ!」
その光景を見ていた第三王女ローゼマリアの口から、短い悲鳴が漏れた。
父親が目の前で殺された。
ローゼマリアは震えながら後ずさる。
レオンが彼女を見る。
「ローゼマリア」
「ひっ……」
「どうした?」
「お、お父様を……」
「そうだ」
レオンは血に濡れた剣を見下ろした。
「殺した」
ローゼマリアは震えていた。
「これが間違ってるなんて――」
レオンは大広間にいる全員を見渡した。
「言わないよな?」
誰も答えない。
「誰か言えよ」
「俺が間違ってるって」
沈黙。
「前侯爵を殺した俺を責めた時みたいに、俺を責めてみろよ」
誰も声を上げない。
「……そうか」
レオンはゆっくりと剣を下ろした。
「じゃあ、これは正しいことでいいんだな?」
誰も答えない。
「異論はないんだな?」
それでも。
誰も声を上げなかった。
レオンは静かに頷いた。
「分かった」
レオンはアナを連れて、自国へと戻った。
自国の王族は、父王、王妃、兄弟を殺したため、もうレオンしか残っていなかった。
魔王を倒した勇者レオンは、自国の王となった。
王なんて器じゃないからと、セルジュに王位を継ぐように言ったが、彼は愛するリュシーを支え、少しでも治すための研究をしたいからと固辞した。
王になって最初にしたことは、玉座に座ることではなかった。
王国の地下牢へ向かうことだった。
そこには、かつての仲間たちがいた。
戦士。
リュシー。
ディア。
彼らは皆、蘇生された。
けれど、生きることを望んではいなかった。
「お願いだから……殺してくれ」
戦士が呟く。
「もう、疲れた……」
リュシーが呟く。
「私は……生きていても……」
ディアが涙を流す。
レオンは彼らを地下牢から出した。
「ここには置かない」
「……じゃあ、どこへ?」
「王城だ」
「王城……?」
「ああ」
レオンは彼らを、それぞれ客室へ運ばせた。
地下牢ではない。
窓のある部屋。
柔らかな寝具。
暖かな食事。
そして、専属のメイドをつけた。
彼らは自死しないために鎖で繋がれていて、自分で身の回りのことをできないため、メイドが世話をする。
身体を清潔に保つ。
食事を運ぶ。
必要な薬を用意する。
眠れない夜には、そばにいる。
それでも。
「お願いだから殺してくれ」
戦士は言う。
「こんな身体で生きていたくない」
リュシーも言う。
「どうして私を生かすの……?」
ディアも言う。
「もう死なせて……」
「レオン……お願い」
何度も。
何度も。
同じ言葉を繰り返す。
レオンは、そのたびに答える。
「嫌だ」
それだけだった。
「俺は、お前たちを殺さない」
「でも……」
「嫌だ」
「お願い……」
「嫌だ」
レオンは彼らの命を奪わなかった。
それが正しいのかは、分からない。
生きることが救いなのかも分からない。
魔王を倒したことで世界が救われたのかも、今となっては分からない。
ただ。
レオンはもう、仲間たちを死なせることだけはしなかった。
そして、アナは王妃となった。
かつて、自分は穢れていると思っていた少女。
前侯爵に所有物として扱われ、自分には幸せになる資格がないと思っていた少女。
そんな彼女を、レオンは自分の隣に置いた。
王妃の椅子に座らせた。
そして、何度でも言った。
「お前は物じゃない」
「俺の所有物でもない」
「お前はアナだ」
「俺が愛している女だ」
アナはそのたびに泣いた。
それでも、少しずつ笑えるようになった。
王城の一室。
レオンは窓辺に立っていた。
手には、一本の葉巻。
リュシーが残してくれた、高濃度のポーション入りの葉巻だった。
火をつける。
ゆっくりと煙を吐き出す。
「……リュシー」
返事はない。
「戦士」
返事はない。
「ディア」
返事はない。
それでも、彼らは生きている。
アナも生きている。
自分も生きている。
それだけが、今のレオンに残されたものだった。
窓の外には、平和になった王都が広がっている。
魔王はもういない。
戦争も終わった。
世界は救われた。
けれど。
勇者の物語としては、あまりにも歪んだ結末だった。
英雄は王になった。
愛した女は王妃になった。
死にたがる仲間たちは、王城で生かされ続けている。
そしてレオン自身もまた、ポーションと、失った者たちの記憶に縋りながら生きている。
幸せなのか。
それは誰にも分からない。
ただ。
ある夜。
アナがレオンの隣に座った。
「ねえ、レオン」
「ん?」
「私たち……幸せなのかな」
レオンは少しだけ考えた。
そして。
「分からない」
正直に答えた。
「でも」
アナの手を握る。
「明日も一緒にいよう」
アナはしばらく黙っていた。
やがて。
小さく笑った。
「……うん」
二人は窓の外を見る。
夜空には、無数の星が浮かんでいた。
それが神々の盤上から見下ろす視線なのか。
それとも、ただの星なのか。
レオンにはもう、どうでもよかった。
神々が何を考えていようと。
世界が彼らを英雄と呼ぼうと。
罪人と呼ぼうと。
もう、誰かの駒になるつもりはない。
レオンはアナの手を握り直した。
「……俺たちは、俺たちの人生を生きよう」
「うん」
その言葉を最後に。
勇者レオンの物語は、静かに幕を閉じた。




