29
大広間には、国内外の王侯貴族が集まっていた。
前侯爵を殺した勇者レオンを裁くために。
王族。公爵。侯爵。伯爵。各国の使者。
そのすべてが、ただ一人を見ていた。
――勇者レオン。
だがレオンは、その視線を真正面から受け止めていた。
背筋は伸びている。だが指先だけが、わずかに震えている。
そして、笑った。
「……何だよ、その顔」
乾いた声だった。
「俺を裁きたいんだろ?」
沈黙。
誰も頷かない。誰も否定しない。
レオンは葉巻を指で回す。まだ火はついていない。
乾いた音だけが響く。
「勇者が貴族を殺した」
「裁判もせずに処刑した」
「王侯貴族の権威を踏みにじった」
レオンはその言葉を、唇だけでなぞった。
「そう言いたいんだろ?」
誰も答えない。
レオンは息を吸った。浅く。
「いいぜ」
声が落ちる。
「好きに言えよ」
肩の力が一瞬だけ抜ける。
だが次の瞬間、目が変わった。
「その前に聞け」
葉巻を持つ指が止まる。
「お前ら、俺たちが魔王城までどうやって行ったと思ってる?」
空気が凍る。
「勇者がいた」
「聖女がいた」
「魔法使いがいた」
「戦士がいた」
「シーフがいた」
指を折るように、淡々と並べる。
「それで?」
レオンは笑った。
「仲間と力を合わせて、魔王を倒しました?」
鼻で笑う。
「違う」
声が一段低くなる。
「そんな綺麗な話じゃねえ」
「魔王城に辿り着くまでに、俺たちは全員壊れた」
レオンは続ける。
「戦士はな」
「昔から死にたがってた」
「奴隷だった」
「殺されるために戦わされて、犯され続けてきた」
「何度も壊されて、それでも生き残ってきた」
拳がゆっくり握られる。
「旅に出てから、それが全部戻ってきた」
「夜は震えてた」
「眠れないと、自分の身体を抱いてた」
「それでも戦った」
短く吐き捨てるように言う。
「でもな」
声が落ちる。
「魔王城から帰った後、毎日だ」
「殺してくれって叫んでる」
「どうして生き返らせたって」
レオンの喉が鳴る。
「俺は救ったつもりだった」
「でも違った」
次の名前が落ちる。
「リュシー」
空気が変わる。
「魔法使いだ」
「天才だった」
「何度も助けてくれた」
「でも魔王城で、全部失った」
「四肢も」
「顔の半分も」
「頭蓋骨まで」
ざわめきが消える。
「今は金属で脳を固定してる」
「それで生きてる」
「いや」
レオンは笑った。
「生かされてる」
指が震える。
「リュシーは言ってる」
「殺してくれって」
「こんな身体じゃ、愛する婚約者と生きられないって」
「だから死なせてくれって」
次の名前。
「ディア」
「聖女だ」
「神に選ばれた女だ」
「でもな」
「旅の途中で壊れた」
「人型の魔物達に犯されて、強い催淫剤を使われた後遺症で男なしでは生きていけない体になった」
「毎日苦しんでる」
「死にたいって言ってる」
レオンは笑った。
「聖女がだぞ?」
「神に祈ってるんだ」
「自分を殺してくれってな」
沈黙。
レオンは葉巻を回す。
「それでも進んだ」
「魔王を倒すために」
「でもな」
一拍。
「魔王城に行くまでに、俺たちが何をしたと思う?」
「食ったんだよ」
「人型の魔物を」
「生きたまま捕まえて」
「生きたまま肉を削いで食った」
「ディアは壊れるまで魔物の肉を食べることが出来なくて、どんどん弱った」
「でも、食わなきゃ死ぬ」
「だから削いだ」
「切った」
「食った」
「今でも夢に出る」
「血の匂いも」
「悲鳴も」
「全部だ」
一拍。
「それでも食った」
「生きるために」
「そして魔王城に着いた」
「俺以外、全員肉塊にされた」
空気が凍る。
「戦士も」
「リュシーも」
「ディアも」
「アナも」
沈黙。
「骨も肉もぐちゃぐちゃだった」
「人間の形なんてなかった」
「俺だけが残った」
「それでも置いて帰れなかった」
「抱えて帰った」
「蘇生した」
「三ヶ月かかった」
「ようやく戻した」
そこで、レオンは笑った。
「そしたらな」
「全員、死なせてくれって叫び始めた」
「昼も夜もだ」
「どうして生き返らせたって」
「なぜ殺さなかったって」
レオンの肩が震える。
「なあ」
視線が上がる。
「俺は何をすれば正解だった?」
誰も答えない。
「置いて帰ればよかったか?」
「殺せばよかったか?」
「蘇生しなければよかったか?」
「分からねえよ」
「今でも分からねえ」
「俺だって壊れてる」
「ポーションがなきゃ立てねえ」
「飲まなきゃ狂う」
「人間じゃいられねえ」
短く笑う。
「これが勇者だ」
誰も笑わない。
レオンは葉巻を見た。
「……失礼」
火をつける。
吸う。
吐く。
少しだけ、呼吸が整う。
「これは普通の葉巻じゃない」
「リュシーが作った」
「ポーション入りだ」
「俺が壊れないようにってな」
「……もういないけどな」
煙が揺れる。
「それでも残ってる」
「だから吸ってる」
「これがなきゃ、俺も終わる」
そして、レオンの声が変わる。
低く、鋭く、熱を帯びる。
「で」
「アナだ」
空気が張り詰める。
「前侯爵は言った」
「金で買った女だってな」
「俺の所有物だってな」
レオンの目が細くなる。
「ふざけるな」
「ふざけるなよ」
声が落ちる。
「アナは物じゃねえ」
「人間だ」
「生きてる女だ」
拳が震える。
「俺が愛した女だ」
「魔王よりも苦しんで」
「それでも生きて」
「世界を救った女だ」
レオンは一歩前に出る。
「それを」
「所有物?」
「金で買った?」
「ふざけんな」
声が割れる。
「ふざけんなって言ってんだよ」
広間が完全に静止する。
レオンは息を吐く。
「俺たちは壊れてる」
「でもな」
「それでも人間だ」
視線が鋭くなる。
「人間を物扱いする理由にはならねえ」
「アナはアナだ」
一拍。
「俺のものじゃねえ」
「誰のものでもねえ」
沈黙。
レオンは最後に、静かに言った。
「……それともう一つだ」
声が低く沈む。
「お前ら、知ってたんだろ」
空気が揺れる。
「勇者と魔王の戦いが」
「神々の盤上遊戯だってことを」
沈黙。
王族の一人がわずかに動く。
レオンはそれを見逃さない。
「知ってたな」
「全部」
「俺たちが死ぬのも」
「壊れるのも」
「最初から決まってたってことも」
声が冷える。
「それでも何も言わずに送り出した」
一拍。
「見てただけだ」
「神の遊びを」
「盤の上の駒を」
拳が震える。
「俺たちが何人壊れても」
「何人死にたがっても」
「お前らは見てただけだ」
「それで今さら」
「正義面して俺を裁く?」
レオンは笑った。
「ふざけんなよ」
「一番ふざけてるのはお前らだ」
広間は、誰一人として動けなかった。
ただ、壊れた勇者の怒りと――
神の遊戯を知りながら黙っていた者たちへの、静かな断罪だけがそこにあった。




