24
勇者レオンは、夢を見ていた。
魔王を討ち果たした。
その報せとともに自国の王都へ凱旋したレオンを、最初に出迎えてくれたのは母だった。
「おかえりなさい、レオン」
「……母上」
離宮に閉じ込められていた幼い頃から、ずっと恋しかった人。
王族でありながら、政争の道具になることを恐れられ、母と二人、離宮に監禁されるようにして育った。
外の世界を知らない。友もいない。ただ母だけが、レオンにとって世界のすべてだった。
だから、母の笑顔を見るだけで胸がいっぱいになる。
「よく帰ってきましたね」
「……ただいま」
レオンは母を抱きしめた。
そして、レオンの後ろに立っていた少女へ視線を向ける。
少し警戒するようにこちらを見つめる瞳。
けれど、その口元には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。
「アナ……」
愛する少女。
仲間として旅をして、何度も命を預け合って、いつしか、かけがえのない存在になったシーフ。
レオンはアナの手を取った。
アナが笑う。その笑顔が愛おしくて、レオンも笑った。
魔王を倒した功績によって、レオンには公爵位が与えられた。王族としての立場もあり、巨大な屋敷を与えられた。
けれど、そんなものはどうでもよかった。
母がいる。アナがいる。それだけでいい。
三人で食卓を囲む。
「レオン、ぼうっとしてないで食べなさい」
「うん」
「アナも、そんなにレオンばかり見ていないで」
「えっ……」
「ふふ」
母が笑う。アナが顔を赤くする。
そんな光景を見ながら、レオンは思った。
――幸せだ。
これ以上、何を望む必要があるだろう。
母と愛する女性、二人に囲まれて暮らす毎日。
魔王を倒した英雄として称賛される必要もない。
王位などいらない。ただ、この生活が続けばいい。永遠に。心からそう願った。
その瞬間だった。
――ぱきん。
何かが割れる音がした。
「……え?」
世界に亀裂が入った。
母の笑顔が崩れる。アナの姿が霞む。
温かな食卓が消えていく。
「待ってくれ……」
手を伸ばすが、届かない。
「母上!」
「レオン……」
「アナ!」
二人の声が遠ざかっていく。
そして、世界は闇に包まれた。
「――違う」
レオンは呟いた。
「こんな未来……あり得ない」
暗闇の中から、別の光景が浮かび上がる。
大量の空になったポーション瓶。
その中央で、レオンが震えている。
手が震える。
身体が震える。
頭の中が焼けるように痛い。
理性が剥がれていく。
「……ポーションを」
一本。
また一本。
飲み干す。
飲まなければ、自分が自分でなくなる。
魔王との戦いで負った傷。暴走。
そして、それらを抑えるために過剰な量のポーションを摂取し続けた結果。
レオンは、ポーションなしではまともに理性を保てない身体になっていた。
「……僕が……」
膝をつく。
「こんな状態で、母上とアナと三人で幸せに暮らせるわけがない」
夢の中で見た幸せな食卓が、遠ざかる。
そして、次に浮かび上がったのは――アナだった。
「レオン……」
あの夜。
アナが自分に身を捧げてくれた。
何も持たなかった少女が。
ずっと自分を想ってくれていた少女が、自分を受け入れてくれた。
なのに、レオンはその優しさを信じられなかった。
アナの過去を知らなかった。
彼女がどんな場所で生きてきたのか。
どれほど傷ついていたのか。
何も知らなかった。
ただ、彼女が自分に身体を委ねたという事実だけを見て――勝手に決めつけた。
――この女は、男に身体を売ることに慣れているのだ。
そんな、あまりにも身勝手で残酷な誤解をした。
「……僕は……」
レオンは頭を抱えた。
その後、自分はアナを遠ざけた。
冷たく突き放した。
彼女がどんな顔をしていたのか、どれほど傷ついていたのか、考えようともしなかった。
そして、アナから目を背けるように、聖女ディアと身体を重ねた。
一度ではない。何度も。
アナがどんな気持ちでそれを見ていたのか、考えれば分かったはずなのに。
「……僕は、何をしていたんだ」
答えは返ってこない。
やがて、アナの過去を知った。
母親から虐待され、捨てられ、生きるために盗みを働き、高級娼館で身体を売り、前侯爵に身請けされ、妻となった。
そんな過去。
それを知った瞬間、レオンの中で何かが崩れた。
――アナは、そんな人生を生きてきたのか。
――それなのに僕は。
彼女を。
自分を好きになってくれた少女を、自分が愛していた少女を、自分から遠ざけた。
「……馬鹿だ」
レオンは笑った。乾いた笑いだった。
「僕は、本当に……馬鹿だ」
そして何より恐ろしいことに、アナへの想いは消えていなかった。
むしろ、再び燃え上がった。
以前よりも強く、以前よりも深く、アナを見るだけで胸が痛む。
彼女が笑えば嬉しい。悲しそうにしていれば苦しい。誰かと話していれば嫉妬する。
そして、アナも再び自分を慕ってくれている。そのことに、レオンは気づいていた。
だからこそ苦しかった。
「……僕は、君を幸せにできるのか?」
答えは出ない。
一度、彼女を傷つけた。自分から遠ざけた。
彼女の過去を知らなかったとはいえ、その罪は消えない。謝ったところで、傷つけた事実はなくならない。
それでも――。
「僕は、君を愛している」
その気持ちだけは嘘ではなかった。
だが、夢はさらに暗くなった。
次に現れたのは、魔王討伐の旅の記憶。
血。悲鳴。肉を裂く音。
人の姿をしていた。
人間と同じように話し。
怯え。
命乞いをした。
それでも、人間ではなく魔物だった。
だから殺した。
そして――食べた。
生きたまま。
レオンの喉が鳴る。
「……やめろ」
目を逸らす。けれど映像は消えない。
自分の手。自分の口。自分がしてしまったこと。
「僕は……」
震える声が漏れる。
「なんの罪もない、人型の魔物を……」
生きたまま解体した。食べた。
あのときは、生きるためだった。仲間を守るためだった。そう言い訳することはできる。
けれど、それでも。あの魔物たちは、生きていた。命があった。恐怖を感じていた。
死にたくないと願っていた。
そして自分は、それを奪った。
「僕は……幸せになっていいのか?」
暗闇の中で、レオンは一人呟いた。
「母上と暮らしていいのか」
「アナを愛していいのか」
「笑っていいのか」
「幸せになって……いいのか」
答えは出ない。
レオンは膝を抱えた。英雄と呼ばれた男とは思えないほど、小さく身体を丸める。
「僕には、そんな資格がない」
母に愛されて育った。
愛する人にも出会った。
魔王を倒した。
なのに。自分の手は汚れている。
アナを傷つけた。ディアと身体を重ねた。命を奪った。
そして今も、ポーションに縋らなければ理性すら保てない。
「こんな僕が……」
涙が落ちる。
「幸せになっていいわけがない」
「それでも」
「母上のために、生きて帰らなければ」
瞬間、目が覚めた。
魔王と目が合う。
「ほう、お前は魔法を打ち破ったか」
楽しそうな、興味深そうな声だった。
辺りには、4つの肉塊が転がっていた。
それが今まで旅を共にしてきた仲間だちだと一瞬で理解すると、レオンは立ち上がった。
「俺は、幸せになってはいけない人間なのかもしれない。」
「だけど、仲間をこんなにしたお前を許せるわけがない。」
レオンは立ち上がる。
「神々の盤上遊戯だって?そんなの関係ない」
「俺は、俺の犯した罪を背負って、お前を殺す!」
聖剣を手に取ったレオンは、凄まじい勢いで魔王へと肉薄する。
レオンの放った渾身の一撃は、魔王に易々と受け止められた。
それから何度も攻撃を仕掛けるが、レオンが消耗していくだけであった。




