19
魔王城まで、あと少し。
長く続いた旅も終わりが見え始めていた。
しかし、魔王城へと続く最後の道には、勇者一行にとって最後の難関とも呼べる場所が存在していた。
切り立った岩山。
その谷間に広がる、巨大な竜の巣。
ブレイドドラゴンの生息地である。
「……いるな」
岩陰から顔を覗かせたレオンが、低い声で呟いた。
次の瞬間だった。
轟音とともに巨大な影が舞い上がる。
翼を広げれば大地を覆い尽くすほどの巨体。
鋭い牙。
刃物のような鱗。
そして、燃えるような瞳。
ブレイドドラゴン。
魔物とは違う。
人間にも、魔物にも属さない。
遥か昔からこの地に生き、ただ己の力だけを頼りに生きてきた、孤高の存在だった。
「来るぞ!」
レオンが叫んだ。
ドラゴンの口元が赤く輝く。
「散れ!」
直後、灼熱のブレスが放たれた。
大地が爆ぜる。
岩肌が赤く焼け、凄まじい熱風が一行の身体を吹き飛ばした。
レオンは転がりながら炎を避け、すぐさま立ち上がる。
「くそっ……!」
聖剣を構え、ドラゴンへと駆け出した。
「おおおおっ!」
渾身の力で斬りつける。
だが。
ギィィン!
金属を叩いたような音が響いただけだった。
ドラゴンの鱗に浅い傷が刻まれる。
「やっぱり、効きが悪い……!」
聖剣は魔物を斬るための武器だ。
魔物ではないドラゴンには、その力が十分に通じない。
それでもレオンは攻撃を止めなかった。
一撃。
二撃。
三撃。
少しずつ。
ほんの少しずつ、ドラゴンの体力を削っていく。
「レオン、左!」
アナの声が飛んだ。
「分かってる!」
横から迫っていた巨大な爪を、レオンは紙一重で躱す。
その瞬間、アナがドラゴンの背後へ回り込んだ。
「こっちよ!」
短剣を投げる。
刃はドラゴンの鱗に弾かれたが、それでも注意を引くことには成功した。
ドラゴンがアナへと首を向ける。
「今!」
レオンが踏み込んだ。
その間にも、戦士は別の場所で必死にディアを守っていた。
「ディア、下がれ!」
しかし、ディアは動かなかった。
虚空を見つめ、何かを呟いている。
戦士は舌打ちすると、彼女の前に立った。
巨大な爪が振り下ろされる。
「ぐっ……!」
盾が大きく軋んだ。
「この程度で……!」
戦士は歯を食いしばり、ディアを庇い続けた。
その間、リュシーは後方で一人、魔法の詠唱を続けていた。
「……大気に眠る魔力よ」
長い詠唱。
極大魔法。
完成までに必要な時間は長い。
だからこそ、残る四人は死に物狂いでドラゴンの注意を逸らしていた。
レオンが斬り込む。
アナが死角へ回る。
戦士が攻撃を受け止める。
そしてリュシーが詠唱する。
「もう少し……」
リュシーの額から汗が流れ落ちる。
魔力が膨れ上がっていく。
その瞬間だった。
ドラゴンが動きを止めた。
「……?」
リュシーが顔を上げる。
巨大な瞳が、自分を見ていた。
「まずい!」
レオンが叫ぶ。
ドラゴンは、魔力の流れを察知したのだ。
その口が大きく開く。
「リュシー!」
戦士が走った。
同時に、ドラゴンの口から灼熱の炎が噴き出した。
「――完成!」
リュシーが叫ぶ。
極大魔法が完成した。
しかし。
ブレスもまた、リュシーへと到達した。
「リュシー!」
戦士が必死に手を伸ばす。
あと一歩。
あと、ほんの一歩だった。
「――っ!」
炎がリュシーを飲み込んだ。
「リュシー!」
戦士の叫び声が響く。
炎が消えたあと。
そこに倒れていたのは、見る影もないリュシーだった。
両手。
両足。
その全てが焼け落ちている。
そして、美しかった顔の半分も炎に焼かれ、皮膚が失われていた。
「……あ……」
戦士の顔から血の気が引く。
アナも、レオンも言葉を失った。
その時、リュシーが最後に完成させた極大魔法が発動した。
轟音。
巨大な魔法陣が地面を覆う。
ブレイドドラゴンの巨体が魔力に包まれ、その動きを完全に封じ込めていく。
やがて。
巨竜は完全に動きを止めた。
勝った。
間違いなく勝った。
それなのに。
誰一人として喜ぶことができなかった。
「リュシーに治癒を!」
戦士が叫ぶ。
「ディア!」
振り返る。
だが。
「…………」
ディアは何も反応しなかった。
地面に座り込み、虚空を見つめている。
口元から涎が垂れていた。
「おい、ディア!」
戦士が肩を掴む。
それでも、反応はない。
「……治癒を……使ってくれ……」
レオンの声が震えた。
「リュシーが……」
ディアは何も答えない。
レオンは、その姿を見つめた。
そして、理解してしまった。
「……俺のせいだ」
自分がディアを壊した。
あの夜、怒りに任せて彼女を傷つけた。
その結果、今、仲間が重傷を負っている。
「俺が……」
レオンは拳を握りしめた。
「俺がディアを壊したから……」
もし、あの時。
もし自分がもっと冷静だったなら。
今、リュシーは治癒を受けられた。
そう考えると、胸が張り裂けそうだった。
だが、幸いにもリュシーの傷には一つだけ救いがあった。
焼け落ちた傷だったため、出血はほとんどない。
感染症の心配も少ない。
命そのものは、まだ助かる。
「リュシー!」
激痛に耐えきれず、リュシーが身体を震わせる。
「痛い……!」
その声に、アナが駆け寄った。
「リュシー、これを飲んで!」
強力なポーションを口元へ運ぶ。
リュシーは震える唇でそれを飲み込んだ。
しばらくすると、激しい痛みが少しずつ引いていく。
「……はぁ……」
荒い息を吐く。
ようやく意識がはっきりした。
そして。
自分の身体を見た。
「…………」
何も言えない。
右手がない。
左手もない。
両足もない。
そして、顔の半分から皮膚が失われている。
「……そう」
リュシーは小さく呟いた。
「私……こんなになったんだ」
アナが何かを言おうとした。
けれど、言葉が出てこない。
リュシーは自分の身体を見つめた。
「手足は……魔法の義手と義足があるから……」
この世界では、失った手足を補う魔道具が存在する。
見た目も本物とほとんど変わらない。
魔法使いであるリュシーなら、義手や義足がなくても魔法を使うこと自体はできる。
だから。
戦えないわけではない。
死んだわけでもない。
それでも。
「……これで、どうやって魔王を倒しに行けっていうの?」
誰も答えられなかった。
魔王城は、もう目の前なのだ。
ここまで来た。
何人もの仲間を失い。
自分たち自身も壊れながら。
それでも、ようやく辿り着こうとしていた。
なのに。
あと少しというところで、仲間の一人が戦うための身体を失った。
レオンは俯いた。
戦士は拳を握りしめた。
アナは唇を噛みしめ、リュシーの身体を支え続けた。
四人の胸に、同じ絶望が沈んでいく。
――本当に、これで魔王を倒せるのか。
誰も口にはしなかった。
だが、その疑問は全員の心にあった。
ただ一人。
ディアだけは、別の絶望に沈んでいた。
彼女は自分の顔を撫でる。
その指先に触れたのは、以前のような柔らかな皮膚ではなかった。
焼けただれた皮膚。
失われた美貌。
「……こんな顔じゃ……」
小さな声が漏れる。
誰にも聞こえない。
「こんな顔じゃ……セルジュと……」
その先を、言葉にすることができなかった。
魔王を倒せたとしても。
英雄になれたとしても。
聖女として国へ帰れたとしても。
こんな顔になってしまった自分を、セルジュが愛してくれるはずがない。
そう思ってしまった。
そして、ディアは誰にも気付かれないまま、一人でさらに深い絶望へと沈んでいった。
魔王城は、もうすぐそこだった。
それなのに勇者一行は、勝利の喜びを一片も感じることができなかった。




