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リュシーは、日に日に正常な状態でいられる時間が短くなっていくレオンと戦士のために、あるものを作っていた。


薬草に高濃度のポーションを染み込ませ、乾燥させた特製の葉巻。


それを吸っている間だけは、二人の意識は驚くほど鮮明になった。


自分が何を考えているのか。


仲間が何を話しているのか。


目の前にあるものが何なのか。


それらを、再び正常な人間として認識することができる。


だからこそ、それは旅に欠かせないものとなった。


しかし同時に、その葉巻は二人の精神を壊す手助けもしていた。


正常であることは、今の彼らにとって苦痛そのものだったからだ。


狂ってしまえば、何も考えずに済む。


目の前の惨状も。


自分たちが食べているものも。


自分自身の身体が少しずつ壊れていくことさえも。


だが葉巻を吸えば、それらすべてが“逃げ場のない現実”として突きつけられる。


だから二人は、苦しみながらも葉巻を吸い続けた。


そして、少しずつその本数が増えていった。


――思い出したくない現実を、思い出すために。


――それでも正気でいなければならないという、罰のために。


「……これも、食わなきゃならないんだよな」


焚き火の前で、レオンは手元の肉を見つめていた。


それは魔物の肉だった。


以前なら、こんなものを口に入れるなど考えもしなかった。


だが今は違う。


腹が減れば食べる。


食べなければ死ぬ。


ただ、それだけだ。


レオンは肉を口に運び、ゆっくりと咀嚼する。


そのたびに、同じ疑問が頭をよぎった。


――俺と、この魔物の違いは何だったんだろう。


人間だから食べられる側なのか。


魔物だから食べる側なのか。


それとも、ただ強い方が弱い方を食べているだけなのか。


「弱肉強食だ」


レオンは呟いた。


「何もおかしくない。……そうだ。何も」


そう思わなければ、すぐにでも狂ってしまいそうだった。


だが彼の中には、もう一つ“思い出してしまう現実”があった。


――アナを守れなかったこと。


――そして、ディアに流された嘘に乗せられ、アナを疑い、孤立させたこと。


その結果として、アナは一度“人として扱われない側”に落とされた。


その記憶は、葉巻を吸うたびに鮮明になる。


だからレオンは、さらに葉巻を吸う。


忘れるためではない。


“忘れられない自分”を保つために。


そんな中でも、レオンがかろうじて理性を保っていられる理由が二つだけあった。


一つは、自分が犯した罪への罪悪感。


そしてもう一つは――アナへの恋慕だった。


だがその“恋慕”は、救いであると同時に、最も危険な執着でもあった。


アナは、かつて自分が守れなかった存在であり、同時に“唯一自分を人間に繋ぎ止める証拠”でもあった。


だからレオンは、アナの隣に座る。


ただ、それだけだった。


アナは何も言わない。


ただ静かに食事を続ける。


その横顔を見ているだけで、レオンの胸に張り付いた黒いものが、ほんの少しだけ薄くなる気がした。


――この人だけは、守らなければならない。


それは贖罪であり、執着であり、唯一の自己正当化だった。


かつて自分が傷つけた少女。


自分を憎んでもおかしくない少女。


それでも、彼女は自分の隣にいる。


その事実だけが、レオンの“理性の最後の支柱”だった。


だからこそ、その支柱を脅かす存在――ディアへの視線は、日に日に変質していった。


単なる嫌悪ではない。


“原因への怒り”だった。


アナを貶めたのはディアだ。


だが同時に、レオン自身もその嘘を見抜けなかった。


むしろ信じ、流され、結果としてアナを追い詰めた。


その事実がある限り、怒りは必ず自分にも向かう。


だからこそ、その怒りは“外側”に固定される必要があった。


ディアはそんなレオンの視線に気付いていた。


だからこそ、何とか彼の機嫌を取ろうとする。


「レオン……私……」


「触るな」


伸ばした手を振り払われ、ディアは地面に転がった。


その動作は、もはや感情ではなく“反射”に近かった。


レオンの中では、ディアはすでに「過去の誤ちの象徴」として固定されている。


「お前はアナのことを、旅の秩序を乱す淫売だと言っていたな」


その言葉は、単なる罵倒ではない。


“その言葉を信じてしまった自分”への確認でもあった。


「……っ」


ディアは言葉を失う。


彼女が過去に放った言葉は、確かにその場の嫉妬と焦りから出たものだった。


だがそれは同時に、レオンの判断を歪める“材料”になった。


「だが、毎晩男を求めていたお前の方が、よっぽどそう見える」


それは、かつて自分自身もディアと関係を持っていた事実を、無意識に“切り離そうとする言葉”でもあった。


レオンはそれを理解している。


だからこそ、葉巻の本数が増えていく。


忘れたい。


自分が犯した過ちを。


アナを裏切ったことを。


ディアと関係を持ったことを。


何もかも。


けれど、葉巻を吸うほど鮮明に思い出してしまう。


――だから、また吸う。


その循環は、もはや依存ではなく“自己懲罰”だった。


アナは、壊れていくレオンを悲しい目で見ていた。


それでも。


壊れながらも、時折見せる優しさがあった。


昔と変わらない温もりがあった。


夜。


いつものように母親の夢を見て、アナがうなされていると。


「……大丈夫だ」


そっと頭を撫でる手がある。


その手の温もりに、アナは目を覚ます。


そこにいるのはレオンだった。


その行為は、彼にとって“唯一の償いの形”だった。


守れなかった過去の代わりに、今守れるものを守る。


それだけが、彼を人間に繋ぎ止めていた。


アナは何も言えなかった。


ただ、その手に頬を寄せる。


誰かに優しくされた記憶など、ほとんどなかった。


だからこそ。


レオンの優しさは、アナにとって太陽のようだった。


壊れかけた太陽でも。


その光に、もう一度惹かれてしまうほどに。



ある晩のことだった。


ディアと戦士がいつものようにまぐわっている所へ


「来い」


とレオンが割って入った。


ディアはその瞬間、自分がついに“清算される側”に回ったことを理解した。


「レオン……?」


「お前は、どうしてアナを貶めた?」


裸のままのディアを、半ば引きずり歩いていく。


それは、すでに答えを知っている問いだった。


だがレオンにとって重要なのは“理由”ではない。


“自分がそれを許せるかどうか”だった。


「わ、私は……!」


「答えろ」


その圧力は、過去の罪と現在の恐怖が混ざったものだった。


「レオンのことが好きだったから!」


ディアは泣きながら叫んだ。


「レオンと上手くいきそうだったアナが妬ましかったの!」


その言葉は、ある意味で“真実”だった。


だが同時に、最も許されない形の真実でもあった。


レオンはしばらく黙っていた。


そして、冷たく言った。


「そうか」


その声には、何の感情もなかった。


「なら、お前は今、アナよりずっと醜いな」


それは比較ではない。


“過去のアナを貶めた言葉の回収”だった。


「アナは、生きるために自分の身体を売るしかなかった」


レオンはディアを見下ろす。


「お前は違う」


その言葉が、ディアの“逃げ道”をすべて塞いだ。


「俺に近づき、俺を利用し、戦士の気持ちまで利用した」


それは、レオン自身が“利用された側”であると同時に、“利用されたと信じたかった側”でもあることの告白だった。


「自分が何をしたのか分かっているのか?」


ディアは答えられなかった。


レオンは川へ向かって歩き始める。


その背中には、過去の罪と現在の狂気が重なっていた。


「アナが神殿で聖水を浴びせられたことを知っているな?」


「……」


「お前が吹き込んだせいだ」


この一言で、レオンの中の“因果関係”は完成する。


アナが傷ついた原因。


自分が壊れた原因。


すべてがディアに収束する。


それは事実の一部であり、同時に“精神を保つための構造”でもあった。


川辺に着く。


「なら、同じ思いをしてもらおう」


ディアの顔から血の気が引いた。


「待って――」


次の瞬間、レオンはディアの頭を水へ押し込んだ。


それは復讐ではない。


“過去の再現”だった。


アナが受けた屈辱を、同じ形で再生することでしか、レオンは自分の中の歪みを処理できなかった。


「――っ!」


激しく手足をばたつかせる。


しかし、レオンは手を離さない。


やがてディアの身体から力が抜けかけたところで、ようやく水面へ引き上げた。


「……っ、げほっ! ごほっ!」


「もう一回」


それは怒りではなく、“儀式の継続”だった。


三度繰り返されたそれは、罰であると同時に、レオン自身の精神の均衡を保つための行為でもあった。


ディアは地面に倒れ、激しく咳き込んだ。


「次はこれだ」


レオンは地面に落ちていた石を拾う。


「お前はアナに石を投げさせたな」


その言葉は、過去の“群衆の行為”を一人に集約するものだった。


「やめて……」


「同じことをしてやる」


石が飛んだ。


それは単なる暴力ではなく、“過去の再演”だった。


やがてディアの身体にはいくつもの痣が浮かび、顔にも血が流れた。


「あと、宿にも泊まれなくしたな」


レオンは淡々と言う。


それは制裁ではなく、“社会からの排除の再現”だった。


「これから毎晩、テントには入るな。野営地の外で一人で寝ろ」


そして、ディアの左手を掴む。


「これは――」


嫌な予感がした。


「俺の私怨と逆恨みだ」


その言葉は、唯一の“正直な告白”だった。


「お前さえいなければ、俺はアナを裏切ることも、お前と関係を持つこともなかった」


それは責任転嫁であり、同時に自己告発でもある。


「違……」


「違わない」


そして。


鈍い音が響いた。


ディアの小指が不自然な方向へ折れ曲がる。


それは罰であり、同時に“関係の断絶の象徴”だった。


凄まじい悲鳴がした。


そして、ディアは焦点の合わない目で裸のままそこにうずくまり、ブツブツと独り言を言い始めた。


ディアの精神は易々と壊れたのであった。


「今後一切、アナと俺に治癒以外で近づくな」


レオンはそれだけ告げると、ディアをその場に残して野営地へ戻っていった。


戦士が複雑そうな顔で彼を見る。


「……ちょっと、やりすぎじゃねぇか?」


その問いは、正義ではなく“現実認識”だった。


「そうか?」


レオンは焚き火を見つめながら答えた。


「俺は殺したかった」


その言葉は、衝動ではなく“抑え込まれた結論”だった。


「それを我慢したんだ。むしろ褒めてくれ」


戦士はため息を吐き、ディアが戻ってこないことを確認すると見張りについた。


レオンは横になった。


明日もまた、魔王城へ向かわなければならない。


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