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遅くなりました!
ひと言だけでも感想頂けますと励みになります!
最初に異変が現れたのは、戦士だった。
勇者パーティーの中で、最も傷を負うのは彼だ。
魔物の爪を受け、牙を受け、時には仲間を庇って自ら攻撃を受ける。
そして傷つくたびに、聖女ディアの回復魔法だけでは足りない部分をポーションで補っていた。
最初は、何もおかしくなかった。
ポーションを飲めば傷は塞がる。
多少の疲労は残っても、次の戦闘には支障がない。
だから誰も気に留めなかった。
ある日、戦士が剣を磨いていた時だった。
「……あれ?」
柄を握る右手が、小刻みに震えている。
戦士は手を開いた。
震えは止まった。
「……疲れてんのかな」
それだけだった。
連日の戦闘。
ろくに眠れない野営。
仲間との関係が悪化していることによる精神的な疲労。
原因など、いくらでも思いついた。
だから気にしなかった。
しかし、それから数日。
今度は思考が途切れるようになった。
「この道を……右……いや、左……?」
「戦士?」
「……ああ。悪い。何でもない」
言葉を話している途中で、自分が何を言おうとしていたのか分からなくなる。
夜になると、意味のない言葉を呟いていることもあった。
それでも戦士はポーションを飲んだ。
傷が癒えれば戦える。
戦えるなら、役に立てる。
そう思っていた。
そして、次に異変が現れたのはレオンだった。
「……今日の敵は……三匹……いや、五……?」
「レオン?」
リュシーが振り返る。
レオンは何もない場所を見つめながら、ぶつぶつと呟いていた。
「違う……違うな。あいつは……俺を見てる……」
「何を言っているんです?」
「……え?」
レオンが顔を上げる。
焦点の合わない目だった。
そして自分の手を見る。
「……震えてる」
指先が、戦士と同じように小刻みに震えていた。
リュシーはその瞬間、ようやく理解した。
「……まさか」
戦士が常用しているポーション。
そして、最近になってレオンも戦闘後に必ず飲むようになっていた。
リュシーは二人のポーションの使用量を思い出し、顔を青ざめさせた。
「ポーションの……副作用」
「副作用?」
レオンが聞き返す。
「ポーションは本来、傷を治すための薬よ。多少使う程度なら問題ないわ」
リュシーは震える声で続けた。
「でも、常用すると話は別よ」
ポーションは万能の薬ではない。
身体の治癒力を強制的に引き上げ、傷を塞ぐ。
その負担を魔力や生命力だけでなく、精神にも蓄積させる。
長期間にわたって大量に使用すれば、依存性が生まれる。
やがて薬なしでは戦えなくなり、幻覚や妄想、感情の不安定化、思考障害まで引き起こす。
「じゃあ……飲むのをやめればいいんだな」
レオンが言った。
リュシーは答えなかった。
「……リュシー?」
「それができれば、苦労はしないわ」
「どういう意味だ?」
「今の私たちには、ポーションが必要なんです」
魔王討伐の旅は、あまりにも過酷だった。
一日に何度も魔物と戦う。
傷を負えば、翌日までに癒さなければならない。
ディアの治癒魔法は強力だった。
しかし、聖女とはいえ無限の魔力を持っているわけではない。
むしろディアの魔力量は、聖女としては決して多い方ではなかった。
ポーションで治せる傷なら、彼女は魔力を温存する。
本当に致命的な傷を負った時のために。
その判断自体は、間違っていなかった。
ただ。
「……もう、身体がポーションを求めている」
リュシーは呟いた。
戦士は黙っていた。
レオンも黙っていた。
二人とも、それが何を意味するのか分かっていた。
それでも、次の戦闘が来ればポーションを飲む。
飲まなければ戦えないから。
戦えなければ仲間が死ぬから。
そして、ある夜。
見張りの組み合わせが決まった。
「レオンとアナでいいでしょう」
リュシーの言葉に、レオンが一瞬だけアナを見る。
アナは何も言わず頷いた。
焚き火を挟んで、二人だけになる。
しばらく沈黙が続いた。
レオンは何度か口を開きかけて、閉じる。
手が震えていた。
「……アナ」
「何?」
「話をしてくれないか」
「話?」
「ああ」
レオンは自分の手を押さえた。
「最近、頭がおかしくなる」
その言葉にアナの表情が変わった。
「おかしくなる?」
「考えていることが、途中で分からなくなる。何かが見えることもある」
「……そう」
アナはそれ以上、怖がるようなことを言わなかった。
ただ隣に座った。
「何を話せばいい?」
「何でもいい」
レオンは苦しそうに笑った。
「アナの話が聞きたい」
「私の?」
「ああ」
「……面白くないわよ」
「それでもいい」
アナは少し考えた。
そして、淡々と話し始めた。
自分が生まれた家のこと。
母に愛されなかったこと。
幼い頃から「淫売」と呼ばれていたこと。
家を追い出されたこと。
盗みをしながら生きていたこと。
そして、貧民街で生きることすら難しくなったある日、偶然娼館に拾われたこと。
「そこで働いていた時に、前侯爵様に気に入られたの」
アナの声には、恨みも悲しみもなかった。
ただ事実を並べているだけだった。
「侯爵様は私を買ったわ」
「……買った?」
「ええ」
アナは焚き火を見る。
「嫁という形にはしたけれど、実際には愛玩物ね」
レオンの顔が歪んだ。
「……そんな」
「私にとっては、今までと大して変わらなかったわ」
アナは微笑む。
「生きるために身体を使う。それだけだったもの」
レオンは何も言えなかった。
「だから私には、身体くらいしか価値がないの」
その言葉に、レオンの心臓が大きく跳ねた。
「私が差し出せるのは身体くらいで、他には何もないから」
「……違う」
レオンは反射的に否定した。
「何が?」
「アナには……もっと……」
そこまで言って、言葉が止まる。
もっと何だ。
優しさ?
強さ?
知恵?
それとも――。
レオンの脳裏に、あの日の夜が蘇った。
自分とアナが身体を重ねた翌朝。
アナは静かに笑っていた。
そして、こう言った。
『これで満足したかしら?』
あの時のレオンは、それを誘惑の言葉だと思った。
自分を誘惑し、身体を差し出して、男を繋ぎ止めようとしているのだと。
だから距離を取った。
ディアと過ごすようになった。
アナに対する噂を聞いた時も、否定しなかった。
むしろ。
信じたかった。
信じてしまえば楽だったからだ。
アナは淫乱な女なのだと。
自分を誘惑しただけなのだと。
そう思えば、自分が彼女を傷つけた罪悪感から逃げられた。
だが違った。
『これで満足したかしら?』
あれは誘惑ではなかった。
諦めだった。
私は身体しか差し出せない。
だから、これであなたの望みは終わったでしょう。
それだけだった。
「……俺は」
レオンの手が震える。
「俺は……なんてことを……」
「レオン?」
「俺は……最低だ」
頭を抱える。
「あの夜のことを……俺は……」
吐き気がした。
自分が嫌になった。
アナが自分に身体を差し出した。
その翌日から、自分は彼女を遠ざけた。
そしてディアと毎晩過ごした。
聖女が流した噂を信じた。
何も知らない彼女を、淫乱な女だと思った。
いや。
そう思おうとした。
自分が傷つかないために。
「……ごめん」
絞り出した声。
アナは驚いたようにレオンを見る。
「どうして謝るの?」
「俺は……」
言葉が続かない。
アナはしばらくレオンを見つめた後、微笑んだ。
「いいのよ」
「よくない!」
思わず声を荒らげる。
「よくないんだ、アナ!」
レオンの目に涙が浮かんだ。
「俺は、お前を傷つけた」
「……」
「何も知らなかった。お前がどうしてあんなことを言ったのかも知らずに……」
アナは何も言わない。
「それなのに俺は、お前から逃げた」
「レオン」
「お前が悪いと思えば、俺は楽だったんだ」
その言葉に、アナの目がわずかに揺れた。
「……そう」
「本当に……ごめん」
長い沈黙。
やがてアナは、いつもの笑顔を浮かべた。
「謝らなくていいわ」
「でも――」
「もう終わったことだもの」
その優しさが、レオンには何より苦しかった。
どうして。
どうしてこの人は、こんなにも優しいのだ。
自分なら、こんなことをされたら許せない。
なのにアナは許してしまう。
まるで、自分が傷つけられることに慣れきっているかのように。
レオンの胸の奥で、消えかけていた感情が再び燃え始めた。
それが恋だと気付くまで、時間はかからなかった。
だが同時に、別の感情も生まれた。
恐怖だった。
自分がアナを好きになっていいのか。
これだけ傷つけておいて。
今さら彼女を求めるなんて、都合が良すぎるのではないか。
「……俺は」
レオンは拳を握った。
「お前を――」
言葉が途切れる。
その瞬間。
「……あれ?」
レオンが首を傾げた。
何を言おうとしていたのか分からなくなった。
「レオン?」
「いや……なんでもない」
手が震える。
視界の端で、何かが動いた。
「……魔物?」
「どこ?」
「いや……違う」
レオンは額を押さえた。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
さっきまで抱いていた罪悪感も。
アナへの想いも。
自分が彼女を求める資格があるのかという葛藤も。
すべてが、霧の向こうへ遠ざかっていく。
ただ一つだけ残った。
アナがここにいる。
それだけだった。
そして翌朝。
レオンはポーションを飲んだ。
戦士も飲んだ。
二人とも、それなしでは戦えなくなり始めていた。
身体は薬を求める。
飲まなければ手が震える。
飲まなければ頭が霞む。
飲まなければ、幻覚が見える。
飲まなければ、戦えない。
だから飲む。
飲んで、戦う。
戦って、傷つく。
傷つけば、また飲む。
それはもう治療ではなかった。
依存だった。
やがて戦士は、誰もいない場所で誰かと会話するようになった。
レオンは、存在しない魔物を斬ろうと剣を抜くようになった。
それでも二人は戦い続けた。
ポーションを飲み続けた。
リュシーは何度も止めようとした。
「これ以上飲んだら、本当に戻れなくなるわ!」
しかし二人は聞かなかった。
「飲まなきゃ戦えない」
「仲間を守らないと」
それが二人にとっての正しさだった。
そして皮肉なことに、ポーションによって蝕まれていくほど、二人は正常な判断から遠ざかっていった。
戦士は、自分が誰かに必要とされていると思い込むことで、壊れかけた心を支えた。
レオンは、アナへの想いだけを鮮明に残し、それ以外の感情を少しずつ失っていった。
罪悪感も。
葛藤も。
恐怖も。
そして、いつしかレオンの中には一つの感情だけが残った。
アナを失いたくない。
それだけだった。
だが、その感情さえも本当に自分の意思なのか。
薬によって歪められた心が生み出した妄執なのか。
もう、レオン自身にも分からなくなっていた。




