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本日13時にもう1話投稿します
旅が進むにつれて、レオンはアナという少女から目を離せなくなっていった。
最初は、ただ腕の立つシーフだと思っていた。
貧民街で育ち、盗みを生業としていた少女。前侯爵に買われ、後妻として迎えられたという複雑な身の上を持つ女。
けれど、共に旅をする時間が増えるほど、レオンはその認識が間違っていたことを知っていった。
アナは、強かった。
町で買い物をすれば、店主と巧みに言葉を交わし、こちらが損をしないように値段を引き下げる。
「この値段なら買うわ。これ以上なら別の店に行くけど?」
そう言って笑うアナを見て、レオンは何度感心したことか。
その笑顔は軽やかで、何も恐れていないように見えた。けれどレオンは、その奥にほんのわずかな緊張が張りつめていることに気づいていた。交渉が終わった瞬間、ふっと肩の力が抜ける、その一瞬だけが本当の彼女の呼吸のように思えた。
だが、彼女の強さは自分のためだけではなかった。
ある町で、貴族の馬車が道端にいた孤児へ突っ込んだことがあった。
誰もが悲鳴を上げる中、真っ先に飛び出したのはアナだった。
少女を抱きかかえ、身を投げ出すようにして馬車を避けた。
その瞬間の彼女の顔は、恐怖ではなく“当然”という静けさに満ちていた。迷いがなかった。自分が傷つく可能性すら、計算の外に置いているようだった。
当然、貴族は激怒した。
「無礼者! 平民風情が我が馬車の前に飛び出すとは!」
「申し訳ありません。でも、あの子を轢いてしまったら大変でしたから」
その声は落ち着いていたが、指先だけがわずかに震えていた。レオンはそれに気づいていた。怒りではない。恐怖でもない。ただ、“間に合ったかどうか”だけを確かめるような震えだった。
「私の馬車を止めたことが問題なのだ!」
怒鳴られても、アナは怯まなかった。
それどころか、相手の怒りを巧みに受け流し、最後には謝罪を引き出してしまった。
その一部始終を、少し離れた場所で見ていた者がいる。
聖女ディアだった。
彼女は笑っていなかった。
ただ、祈るように組んだ指先だけが、わずかに白くなるほど力を込められていた。
(……今の、反応が早すぎる)
その違和感は、小さな棘のように胸に残った。
レオンは、アナの横顔を見ていた。
強くて、賢くて、優しい。
けれど――その強さは、何かを守るために削り出された刃のようで、触れれば自分の方が傷つく気がした。
そして、その“刃”にレオンが近づくほど、ディアの視線は鋭さを増していく。
夜になれば、アナの強さが嘘のように消えることがあった。
野営中、レオンが偶然目を覚ました夜。
焚き火の向こうで眠るアナが、小さく身じろぎしていた。
火の揺らめきが彼女の頬に影を落とし、その表情は昼間の鋭さとはまるで別人だった。守るために張りつめていたものが、眠りの中でほどけている。
「……お母さん……」
その声は、風に溶けるほど小さかった。
そして、閉じた瞼から一筋の涙が流れた。
「……ごめんなさい……」
何に対しての謝罪なのか、レオンには分からなかった。ただ、その言葉が“生きていることそのもの”に向けられているように思えて、胸が締めつけられた。
昼間の冷静さと、夜の崩れた姿。
昼間は誰よりも強い少女が、眠っている時だけは、まるで捨てられた子供のようだった。
その姿を見たレオンは、
守りたい。
そう思った。
けれど同時に、胸の奥に別の感情が生まれていることにも気づいてしまった。
それが恋だと自覚するまで、そう時間はかからなかった。
しかし、そんなレオンの変化を面白く思わない者がいた。
聖女ディアである。
「レオン、……私の髪飾りなんだけど」
ある日、ディアは悲しそうな顔で言った。
「さっきまで持っていたのに、なくなってしまって……」
その声は震えていたが、視線だけは確かにアナへ向けられていた。
「もしかして……アナが?」
その瞬間、空気が変わった。
アナの胸の奥が冷たくなる。
“またか”という諦めと、“やっぱりそう見られる”という痛み。
だが今回は、それだけではなかった。
ディアの視線には、以前よりも明確な“確かめる意志”があった。
(疑ってるんじゃない)
(見てる)
(私を)
「私が盗んだって言いたいの?」
声は平静を装っていたが、自分でも分かるほど乾いていた。
「だって、アナは昔、盗みをしていたんでしょう?」
その言葉に、空気が凍った。
過去が現在に追いついてくる感覚。
そしてその瞬間、ディアの視線が一瞬だけレオンへと向く。
“どう反応するか”を見ている目だった。
アナは気づかないふりをした。
「……昔の話ね」
それ以上言えば、崩れてしまいそうだった。
「でも、手癖って簡単には直らないって言うし」
その言葉は、アナに向けられているようでいて、同時にレオンにも向けられていた。
(アナを信じるの?)
無言の問い。
レオンの表情が変わる。
「ディア」
低い声。
それは怒りというより、“確認”だった。
「アナを疑うなら証拠を出して」
その言葉に、ディアの瞳がわずかに揺れた。
(守るのね)
「証拠がないなら、もう言わないで」
その一言で、場は終わった。
だが終わったのは“会話”だけだった。
ディアの中では、むしろ始まっていた。
(レオンはあの女を庇う)
(理由もなく)
その“理由のなさ”が、彼女にとって最も不自然だった。
それからも、物がなくなることは続いた。
小さなナイフ。
保存食。
布袋。
そして決まって、アナに視線が集まる。
そのたびにディアは何も言わない。
ただ、少しだけ遅れて“悲しそうに”目を伏せる。
その沈黙が、何より雄弁だった。
リュシーはとうに愛想を尽かしていた。
「くだらない」
そう吐き捨てると、魔物の討伐と必要最低限の野営以外では、一人で行動するようになっていった。
戦士だけは、そんな二人の間で苦しんでいた。
レオンを慕うディアが、日に日に醜い一面をさらけ出していく。
それを見るたび、戦士の心は削られていった。
そして何より苦しんでいたのはアナだった。
自分は元娼婦。
今もなお、前侯爵に買われた身。
そんな自分が、王子であり勇者でもあるレオンの隣に立っていいはずがない。
まして、聖女であるディアが彼を慕っている。
自分など、選ばれるはずがない。
そう思うことでしか、自分を保てなかった。
だが最近、その“前提”が揺らぎ始めている。
アナが男から向けられてきたものは、いつだって欲望だった。
優しい言葉を掛けられることはあっても、その言葉の先にあるのは決まって同じものだった。
だからこそ。
レオンが自分に向ける感情を、アナは理解できなかった。
怖かった。
その“怖さ”は、拒絶される恐怖ではない。
受け入れられてしまうことへの恐怖だった。
そして同時に、ディアの視線がそれを“許さないもの”として見ていることにも、薄々気づき始めていた。
ある日のこと。
町での買い物を終え、宿へ戻った一行は、それぞれの部屋へ散っていった。
レオンが一人になったことを確認すると、アナはその扉を叩いた。
「アナ?」
扉が開く。
「少し、話したいの」
「もちろん。入って」
その“当然”という響きが、アナには眩しすぎた。
扉が閉じる。
「レオンは私が好きなの?」
レオンは少し恥ずかしそうに首をかいた。
「そうだよ。君の芯の強さや、たまに見せる壊れそうな表情を見て、守りたいと思うようになったんだ。変かな?」
答える代わりに、アナはスルスルと恥ずかしげもなく服を脱いで行き、驚きに固まるレオンの下半身へと手を伸ばした。
そういうのではないから、と一度は拒んだレオンであったが、そこは高位貴族向けの娼館の元ナンバーワンである。
戸惑うレオンの唇に自身のそれを重ねると、貪るように口付けを交わし、レオンの手を自身の胸へと誘う。そうしている間にも、レオンの下半身をまさぐる手を緩めることはしない。
とうとうレオンは我慢が出来なくなって、そのまま貪るようにアナを抱いた。
全てが終わったあと、アナは
「これで満足したかしら?」
と言って部屋を去っていった。
レオンは、誘われたとはいえ自身が最低な行いをしてしまったことに気付き、落ち込み、最低な気分になった。
愛を知らないあの少女には、好きだといえばあのような行為しか無かったのに、自身の身勝手な想いのせいでなんてことをさせてしまったのだろうか。
恥じらいも愛情もなく、自分の体をただ必要とされたからと言うだけの理由で差し出したアナをとても不憫に感じた。
しかし、こんなに気分が悪いのはアナのせいだと責任転嫁し、次の日からレオンは自身を慕ってくるディアと主に行動を共にしていく。
物語は、静かに歪み始めていた。
旅は続く。
魔王城は、まだ遠い。
だがすでに一行の中では、魔王とは別の“崩壊”が始まっていた。




