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勇者レオン。


その名が後に世界中へ知れ渡ることになる青年は、隣国の第三王子として生まれた。


もっとも、彼の存在を知る者は王国の中でも決して多くはなかった。


レオンの母親は、王宮に仕える一人のメイドだった。


子爵家の三女。


王族と縁を結べるような家柄でもなく、王の寵愛を受けるような後ろ盾もない。


ある日、国王がただ気まぐれに手を出した。


それだけだった。


そして、その一度の関係から生まれたのがレオンだった。


「……王子が増えるのですか?」


その報告を受けた王妃は、しばらく黙っていたという。


自分が産んだ王子たち。


そして側妃たちが産んだ王子たち。


彼らはいずれも、王族の象徴とされる金髪碧眼を持っていた。


ところが。


「男児の髪は?」


「金色でございます」


「瞳は?」


「青くございます」


その瞬間。


王妃の表情が変わった。


「……そう」


母親が誰であろうと。


後ろ盾がなかろうと。


第三王子という肩書を持ち。


王族の色まで受け継いだ子供。


それは、王妃にとって決して無視できる存在ではなかった。


ましてや、母親はただのメイド。


何の政治的な力も持たない。


王妃は考えた。


ならば、王子として利用されることも、王位争いの火種になることも、そもそも、王都の貴族たちに存在を知られることすら避ければいい。


「離宮へ」


そう命じられた。


「母子ともに、そこで暮らさせなさい」


「しかし……」


「王子として最低限の教育だけは与えます。それ以外は必要ありません」


そして、レオンと母親は、王宮の外れにある離宮へと移された。


そこから二人の世界は始まった。


離宮は広かった。


だが、広いだけだった。


外へ出ることは許されない。


王都へ行くことも、他の王族と交流することも、貴族と顔を合わせることも禁じられていた。


門の外には、常に衛兵が立っていた。


「この子を決して離宮の外へ出してはなりません」


そう厳命されていたからだ。


幼いレオンは、それが幽閉だとは知らなかった。


ただ、自分には母がいる。


それだけで幸せだった。


「レオン」


母が呼ぶ。


「はい、お母様」


「こっちへおいで」


レオンが駆け寄る。


母は身体が弱かった。


レオンを産んでから、身体を壊してしまったのだ。


ベッドから起き上がれない日も多い。


それでも、体調が良い日には


「今日は、お庭に行きましょうか」


そう言って、レオンの手を取った。


離宮の庭。


大きな木の下に置かれたベンチ。


そこに二人で並んで座る。


風が吹けば、木の葉が揺れる。


母は空を見上げながら、いろいろな話を聞かせてくれた。


王都の話。


自分が幼かった頃の話。


母親の故郷の話。


まだ見ぬ街の話。


そして、


「いつか、外へ出られたらいいわね」


「はい!」


レオンは笑った。


「僕、お母様をいろんなところへ連れていきます!」


「まあ」


母が嬉しそうに笑う。


「どこへ連れて行ってくれるの?」


「ええと……」


幼いレオンは一生懸命考える。


「海!」


「海?」


「はい! お母様は見たことがありますか?」


「ありませんよ」


「じゃあ、僕が連れていきます!」


母は笑った。


「楽しみね」


そして、レオンを抱きしめる。


「私の愛しい天使ちゃん」


「……天使ちゃん?」


「そうよ」


「僕、天使なの?」


「ええ。お母様の大切な天使ちゃん」


レオンは、その言葉が大好きだった。


「もう一回言って!」


「ふふっ」


母は笑う。


「私の愛しい天使ちゃん」


「えへへ……」


それだけで一日中幸せだった。


閉ざされた離宮の中。


外の世界を知らない少年にとって、母の存在こそが世界のすべてだった。


それでも、王子である以上最低限の教育は必要だった。


教師が離宮へやってくる。


礼儀作法。


歴史。


政治。


読み書き。


そして剣術。


「殿下は、剣がお得意ですな」


「本当?」


「ええ」


木剣を握ったレオンは。


驚くほど飲み込みが早かった。


剣を振る。


踏み込む。


相手の動きを読む。


身体能力にも恵まれていた。


何より負けず嫌いだった。


「もう一度お願いします!」


「殿下、今日はもう十分かと」


「まだできます!」


「ですが……」


「もう一度!」


教師が苦笑する。


「分かりました」


剣を交える。


レオンは夢中になった。


いつしか、剣術はレオンの一番得意なものになっていた。


そして、彼には夢があった。


「お母様」


ある日、庭のベンチでレオンは母に言った。


「僕、大きくなったら騎士になります」


「騎士?」


「はい!」


「どうして?」


「騎士になれば、外へ出られるでしょう?」


母が少しだけ目を見開いた。


「……そうね」


「それで、お母様も一緒に連れて行きます」


レオンは胸を張った。


「二人で自由に暮らすんです!」


母はしばらく黙って。


やがて、優しく微笑んだ。


「ええ」


レオンの髪を撫でる。


「楽しみにしているわ。私の天使ちゃん」


その約束がレオンの生きる理由になった。


だが、レオンが十八歳になった頃、離宮の空気が変わった。


いつもより多くの人間が行き交う。


教師たちも落ち着かない。


衛兵たちも何かを話している。


「何かあったのですか?」


尋ねても、誰も答えてくれない。


そんなある日。


「魔王が現れたらしい」


教師がぽつりと漏らした。


「魔王?」


「そして、それに対抗する聖女も現れたそうです」


レオンは首を傾げた。


魔王。


聖女。


どちらも自分には関係のない話だった。


自分は離宮から出ない。


母と二人で暮らす。


いつか騎士になって。


母を連れて自由になる。


それだけだった。


その日の午後。


「レオン殿下」


離宮に、見慣れない近衛騎士が現れるまでは。


「国王陛下がお呼びです」


「……父上が?」


その言葉に、レオンは固まった。


父。


国王。


産まれてから十八年間。


一度も。


一度も会ったことがない。


声すら聞いたことがない。


そんな男が自分を呼んでいる。


「何の用でしょうか?」


「それは陛下から直接お聞きください」


レオンは母の部屋へ向かった。


「お母様」


「どうしたの?」


「父上が、僕を呼んでいるそうです」


母の顔から、一瞬だけ血の気が引いた。


しかし、すぐに微笑む。


「……そう」


「行ってきます」


「ええ」


母はレオンの手を握った。


「気をつけてね」


「大丈夫です」


レオンは笑った。


「すぐ帰ってきます」


そして、生まれて初めて離宮の外へ出た。


広い王宮。


多くの人間。


美しい廊下。


巨大な謁見の間。


すべてがレオンにとって初めて見るものだった。


やがて、玉座の前で待たされる。


しばらくして、扉が開いた。


「国王陛下のお成りです!」


現れた男を見て、レオンは息を呑んだ。


四十代後半ほど。


美丈夫だった。


そして。


金色の髪。


青い瞳。


自分と同じ色。


「……」


レオンはすぐに膝をついた。


「面を上げよ」


初めて聞く父の声。


レオンは顔を上げた。


国王は、まるで珍しいものを見るようにレオンを見つめていた。


「神託が下った」


「……はい」


「魔王が復活した」


国王の声は重かった。


「そして、神託によって勇者に選ばれたのがお前だ」


「……僕が?」


「そうだ」


レオンは言葉を失った。


勇者。


魔王討伐。


あまりにも現実離れした話だった。


「行ってくれるな」


王の言葉は、問いではなかった。


王命だった。


レオンは唇を噛む。


怖い。


母を置いてなど行きたくない。


しかし、ここで拒否すれば母はどうなる?


レオンは顔を上げた。


「……一つ」


声が震える。


「条件がございます」


王が眉を動かす。


「申してみよ」


レオンは拳を握った。


「魔王討伐の暁には」


まっすぐ父を見る。


「母と二人で、自由に暮らすことをお約束いただけますならば――是非、行かせていただきます」


謁見の間に沈黙が落ちる。


王は、しばらくレオンを見つめた。


「許可する」


「……!」


「お前たちには、誰からも手を出させぬようにすると誓おう」


レオンは深く頭を下げた。


「ありがたきお言葉にございます」


これで母と自由に暮らせる。


その未来が手に入る。


ならば。


魔王だろうと何だろうと討ってみせる。


そう思った。


こうして、レオンは旅立つことになった。


大々的な軍勢はつけられなかった。


離宮に幽閉されていた第三王子。


その存在を知る者は少ない。


王もまた、勇者として必要な最低限の人員だけを用意した。


わずかな護衛。


必要な物資。


そして。


隣国へ向かうための馬車。


出発の日、レオンは最後に母の前へ立った。


「お母様」


「……レオン」


母は笑っていた。


けれど、目には涙が浮かんでいる。


「必ず帰ってきます」


「ええ」


「その時は」


レオンは笑った。


「一緒に海を見に行きましょう」


母は涙を拭った。


「楽しみにしているわ」


「約束ですよ」


「ええ。約束」


母はレオンを抱きしめる。


「私の愛しい天使ちゃん」


「……はい」


その言葉を胸に刻み、レオンは母の腕から離れた。


そして振り返らずに歩き出した。


十八年間。


閉ざされていた離宮を出て、初めて外の世界へ。


勇者として、魔王を討つために。


そして、母と二人で自由に生きる未来を手に入れるために。


レオンは隣国へ向かう旅に出た。


この時の彼は


自分が世界を救う英雄になることも


旅の仲間たちと、かけがえのない絆を結ぶことも


そして


その仲間たちと共に、二度と忘れられない地獄を見ることになることも


想像すらしていなかった。

リュシーの婚約者のセルジュは、隣国の第三王子として育ちましたが、隠されていた本当の第三王子レオンの存在が公になったことで、第四王子となります。

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