中編
前編から4年後のスタートです。
宜しくお願いいたします。
「フローリア様、ご存知? マイアテル先生の代わりに、新しい語学の先生がいらっしゃるらしいわ」
「あら、本当ですの?」
昼休みのベンチで隣に腰をおろした途端、ユリアナ・ドーヴィル子爵令嬢が口を開いた。
学院での最初の三年を終え、その後も学院に残った数少ない令嬢の同志だ。
フローリアは語学や歴史を学ぶため、ユリアナは音楽の才を認められ、学院の音楽教師に引き留められた形だ。
素晴らしいハープシコードの奏者で、劇場でも披露することがある腕前なので、実家の子爵家も彼女のことを応援しているらしい。
ユリアナは落ち着いた性格なのだが、師事している音楽教師が噂付きなのだとかで、いつも何かしら仕入れた情報をフローリアにも教えてくれる。
「マイアテル先生は、デビアナへ研究旅行に行かれるのですって」
興味もなさそうに、そっけなくユリアナはそう云った。
ユリアナには興味のないことだが、フローリアが関係しているから教えてくれたのだろう。
デビアナは北方にある遊牧の民が多い小国だが、歴史は古く、古語を話す人々も少数いるらしい。
語学教師のマイアテルは、以前からデビアナに古語の研究に行きたいと云っていた。
云っていたけれども———
フローリアも語学には並々ならぬ興味を持って、マイアテル先生に師事していたのだ。
多くの言葉を知っていれば家庭教師としても有利だし、貿易を家業としている貴族と縁ができれば、国の外へ出ることも夢ではないかもしれない。
またこれは学院に入学して知ったことだが、王城の女官として働く女性も増えてきたそうだ。
父親を説き伏せるのは難しそうだが、フローリアは選択肢が増えたことに先行きの明るさを感じていた。
もちろん自国をはじめ、近隣諸国の歴史や地理などの勉強も怠らず、日々研鑽を積んでいる。
「新しい先生はどなたなのかしら……」
自然と、フローリアの口から呟きが漏れた。
語学の嗜好は偏りがちだったが、マイアテル先生は優秀な言語学者だ。
最終学年にさしかかった身としては、総仕上げの意味でさらに貪欲にマイアテル先生から学べるだけ学ぼう、と思っていたのに。
「アークシェルズ嬢」
名を呼ばれて声のする方を見ると、件のマイアテルが近づいてくるところだった。
マイアテルのすぐ後ろからもう一人近づいてくる人物に気がついて、フローリアの瞳が大きく見開かれる。
「会えて良かった。知っているかもしれないけど、私はデビアナへ研究旅行に行くことになってね」
フローリアたちの前で立ち止まると、マイアテルはいきなり本題を切り出した。
研究旅行に行くことが余程嬉しいのか、満面の笑みを浮かべている。
しかも、フローリアの隣にいるユリアナのことは丸無視だ。
マイアテルは伯爵家の三男だと聞いているが、少々変わったところのある学者肌の人物だった……。
「それで君に私の後任を紹介しようと……あれ、どうしたの?アークシェルズ嬢?」
フローリアの様子に漸く気がついたマイアテルの言葉に、彼女は我に返った。
ユリアナもフローリアの横顔を見つめて、口を出したものか逡巡しているようだった。
「あ…いえ。何でもありません…」
気まず気に視線を俯けるフローリアと自分の隣に並んだ人物を見比べ、マイアテルは意味あり気な視線を隣に投げた。
けれど泰然と佇んでいるその人物が、マイアテルに促すように視線を送ると、彼はコホンと一つ咳払いをすると再び口を開いた。
「アークシェルズ嬢、私の後任を紹介するよ。フランツだ。彼はある意味、私より君の指導に適任だよ。彼はサマルト語が堪能だからね」
サマルトは、ここコルレイニ王国の東の端に国境を接する国で、隣国の言語を全て制覇したいフローリアが最後に挑戦している言語なのだ。
もっと何か話を続けたそうなマイアテルより一歩前に進み出て、その人物は真っ直ぐにフローリアを見つめた。
「初めまして。マイアテル先生の後任のフランツです、アークシェルズ嬢」
そう云いつつ僅かに頬を綻ばせたその顔を、フローリアが忘れるはずはなかった。
フローリアを見つめる濃いブラウンの瞳も、以前とは違ってすっきりと切り揃えられたアッシュブラウンの髪も。
以前に会っていた時も大変整った顔立ちをしていたが、暫く会わない間により精悍になり、落ち着いた大人の雰囲気を纏わせている。
「フランツ…先生。フローリア・アークシェルズでございます。どうぞ、宜しくお願い致します」
フローリアが、日頃の淑女教育に今ほど感謝したことはない。
心がどんなに動揺していても、笑顔を貼り付け、震えそうになる声も何とか震えずに挨拶の言葉が反射的に出てくるのだから。
フローリアの挨拶に満足気に頷くと、マイアテルはさらに口を開いた。
「実は、フランツと僕は学友だったんだ。彼になら、安心して君の勉強も任せられるよ、アークシェルズ嬢」
「学友……」
ぽつり、とフローリアが呟いた言葉は、誰にも気が付かれなかったようだった。
———やはり……フランツ様は、学院にいらしていたのだわ。
以前の、学院をよく知っている口ぶりからそうかもしれない…と感じていたフローリアだったが、今のマイアテルの言葉で裏付けられた形だ。
フランツが云った通り、学院には博識な教師が多くいて、フローリアは学院に入学して改めて学ぶ楽しさを味わっているのだった。
放っておくとまだ喋り出しそうなマイアテルより先に、フランツがフローリアの視線を捉えて話し出した。
「アークシェル嬢は、サマルト語を話せるようになりたいのかい?」
「はい」
「それは楽しみだ」
そう云って微笑んだフランツの表情に、フローリアの心臓が勝手に踊り出す。
この会話に大した意味はない。
ただ、これから生徒になる自分に話題を提供しているだけ。
フランツが自分とのことを覚えているかすら怪しい———
判ってはいても、もう二度と会えないと思っていたフランツとの突然の再会は、フローリアには嬉しい以上の、どこか擽ったいような感情が揺り起こされたのだった。
だが———
フランツはやはり自分のことを覚えていないのではないか……という思いを、日を過ごすうちにフローリアは深くしていた。
語学の授業は、選択した言語により時間割が異なる。
フローリアの選択したサマルト語を話す国、サマルト公国はここコルレイニ王国と敵対してる訳ではないが、王都に近い隣国トレメント王国ほど親しい付き合いがない。
そのことを反映してか、サマルト語を選択した学生は多くなかった。
その数約十名。
第一王女が留学の末に輿入れすることになった、人気のトレメント語の半分以下だ。
フローリアは学園に入学した最初のうちにトレメント語を選択して、自由に操れるようになっていた。
サマルト語の授業では、さすがにその言語を選択する学生だけに熱心な者が多く、フランツに積極的に質問する学生が多かった。
彼は平等に学生たちに接し、フローリアにも笑顔で接するものの、彼女を以前から知っているような素振りは微塵もない。
トレメント語もフランツが担当して教えていて、フローリアは彼が多くの学生に囲まれて談笑してる場面にもよく出くわしていた。
その中の女学生のうちの幾人かは頬を染め、目を輝かせてフランツの話に聴き入っている。
その姿を見ると、フローリアは心臓をきゅっと掴まれたような心地になってしまう。
なぜそうなってしまうのかを考えることも拒絶して、彼女は次第にフランツの周りから足が遠のいてしまうのだった。
その日は特別やらなければならない課題もなく、放課後のフローリアの足は校舎の裏庭へと向かった。
裏庭と云っても少し行くと木々が繁り、森という大きさではないものの、実家の裏の森を小さくしたような雰囲気の場所で、フローリアは気に入って時折訪れていた。
ここで育てている木々や草花は、学院が種の管理をしている。
その世話をする担当の教員や庭師が出入りをする他は、学生たちもあまり寄りつかない静かな環境というのもフローリアにとっては寛げる場所となっていた。
フローリアは緩やかな足取りで、木々の香りを胸いっぱいに吸い込みながら歩いていると———
「!!」
声もなく足を止め、フローリアは大きく目を見開いた。
低木の茂みで見えなかったが、その向こうに見知った人物がいたのだ。
「やあ、アークシェルズ嬢」
画帖を広げているその人は、まるで昨日会った友人に話しかけるような口調で、ふわりと微笑った。
「フランツ…先生」
フローリアに名前を呼ばれた相手は、応えるように口角を上げると、自分が腰掛けている敷物の上を軽く叩いた。
坐って、という合図だろうか。
フローリアから視線を逸らさずに、フランツが敷物の上に坐るのを促すように再び彼の隣を軽く叩く。
観念したフローリアは、少し間を空けて敷物の上に腰を下ろした。
口を開こうとしたフローリアに、フランツが人差し指を唇に当ててそれを制する。
動きを止めたフローリアの耳に、懐かしい鳴き声が聴こえてきた。
「…オリワブル……?」
口の形だけでフランツに問いかけると、彼が笑顔で頷いた。
この場所でオリワブルを見かけることは滅多になかった。
きっとあの鳥は、アークシェルズの領地に生息する鳥なのだろうとフローリアは思っていたのに。
ツィーク、ツィーク、ツィーク、ピチチチチチチ……。
二人で耳を澄ませてオリワブルの鳴き声を聴いていて、フローリアはおやと思った。
鳴き方が、領地で聞いていたものと微妙に違う。
「鳴き方が……」
呟くように口にしたフローリアの顔を見たフランツは、声を顰めて云った。
「気がついたんだね。あのオリワブルは、アークシェルズ領の亜種かもしれない」
「亜種?」
「尾羽に白い線が入っているんだ」
そう云われて鳥の方へ視線を向けても、もうそこにはオリワブルはいなかった。
とうに鳴きやんで飛んでいってしまったようだ。
「ほら、こんな風に———」
フランツは画帖のページをめくり、オリワブルのスケッチを描き出した。
フローリアの知っているオリワブルは、草のような緑色に尾の先に黒い線が入っている。
しかし、フランツの描いているその鳥は、黒い線の他に白い線が尾羽に混じっていた。
これがたった今、二人が見たオリワブルだという。
そこでフローリアはふと気がついた。
フランツは、アークシェルズ領のオリワブルを覚えているのだ。
つまり、ひょっとしてアークシェルズ領でのことも———?
目を見開いて固まったフローリアの心を読んだように、フランツは表情を緩めて静かに云った。
「もちろん、君のことも覚えているよ、フローリア」
「! ……でも、初めまして、って———」
確かにフランツはそう云ったのだ。
それにその後の彼の態度にも自分を見知っていたと感じられるものはなく、忘れられているのだと思って悲しかった。
「あの場で、詮索されるのは悪手だからね」
謝るように眦を下げるフランツに、フローリアはそれ以上何も云えなくなってしまった。
確かに彼のいうことももっともだったから。
あの場でフランツと知り合いだと知れたとして、どうやって知り合ったかと説明するのは、もっと子どものころだったとはいえ、伯爵令嬢のフローリアにとって聞こえは良くない。
恐らくフローリアの立場を理解して、あの場で初対面のフリをしたフランツの判断は正しいのだ。
正しいけれども———
「あ、そうだ」
フローリアの思考はそこで中断された。
フランツは画帖に目を落として、それから意味ありげにフローリアに視線を向けた。
「これのことは、誰にも云わないでくれる?」
彼の長い指が、軽くトントンと画帖を叩く。
そういえば、以前にもそんなことを云われた…とフローリアは気がついた。
先ほどのオリワブルもそうだけれど、生き生きと描かれた絵が詰まっているに違いない画帖なのに、何故かフランツはそれを隠したがるのだ。
初めて会った時は、それを生業にしているのではないかと思うほどの絵の腕前だと思った。
あの時は曖昧にはぐらかされてしまったけれど……。
「———フランツ先生は、画家さんではなかったのですね……」
あの時の答えを得たように思い、画帖に視線を落としてフローリアは呟いた。
ふと視線を上げると、驚いたように僅かに目を見開いた濃いブラウンの瞳が見返している。
「あ…父の知り合いだと仰っていたので、以前にお会いした時は何か父に描くように頼まれていたのかと———」
「ああ、そういえば」
フローリアを遮って、今思い出したという風にフランツが言葉を挟んだ。
目を瞬かせているフローリアに、小さく「ごめん」と謝ってフランツは続ける。
「君のお父上には、描いた絵をお渡ししたよ」
「絵を…?」
頷いた相手に、つい興味が勝って質問が口をつく。
「何の絵を描かれたのですか?」
素描画だったら屋敷に飾られることはないだろうが、彼が父に渡したとしたら、きっとちゃんとした絵のはずだ。
けれど、彼の絵は屋敷には飾られていない。
飾られていたら、きっと自分は気がついたはずだ。
その質問は相手の意表をついたらしい。
明らかにフローリアから視線を逸らして、しきりに髪をかきあげている。
「それは……」
「それは?」
ウサギか鳥か、森の木々や花たちか、はたまたアークシェルズ領の景勝地か、フランツが描いたなら素晴らしい絵だろうと期待を込めてフローリアは彼を見た。
「内緒だ」
「え?」
意外な答えに、フローリアは間の抜けた声が出た。
「だから…内緒だ」
眦を下げてフランツは繰り返した。
云われた言葉が理解できないかのように、フローリアはその言葉を口の中で転がす。
「内緒……」
「今はまだ。そのうち……話すよ」
フランツは、心なしか耳がほんのり赤くなっている。
フローリアは何か彼が照れるようなことを云っただろうか、と心の中で首を傾げた。
*****
それからというもの、フローリアの足は何かと学院の裏庭へと向かった。
特に天気の良い放課後は、フランツがそこで画帖を広げていることが多い。
もともと領地の屋敷の裏にある森に似た雰囲気が気に入っていた場所だったが、今や昔のように一緒に時を過ごす気心の知れた相手がいるのだ。
良家の子女が男性と二人きりでいるなど、本来ははしたないことと見なされるものの、フローリアは屋外なのだから密室ではないし大丈夫、と自分に言い訳をしていた。
裏庭に植えられている植物は、本来種の保存のために人の手が入っているはずなのだが、不思議とフローリアが裏庭にいる間に人影は見かけなかった。
「うん? どうした?」
ある時、フローリアの視線を追ってフランツが裏庭の奥に視線をやった。
そこには、赤い屋根のこぢんまりとした四阿があった。
「せっかくの四阿だから、お茶ができないかしらと思って———」
木々の香りのする風に吹かれながら、あの四阿でお茶などできたらどんなに心地よいかしら———
少し前から赤い屋根が視界に入る度に、フローリアはついそう考えてしまっていた。
しかし実家の屋敷とは違い、侍女もおらずお湯も調達できない場所でお茶をいただくのは難しい。
「できるよ」
即答したフランツを、フローリアは驚いて振り返った。
「え?」
「トレメントに居た時に、お湯を保温できる水筒と木でできたカップを手に入れたんだ。お湯は学院の厨房から貰えばいいし、茶葉は僕が用意するよ」
「それならば、私はお茶菓子をご用意しますね」
フランツが明言したことはなかったが、以前の別れ際の言葉からきっと外国へ行っていたのだろうとフローリアは想像していた。
それがトレメント王国だったと、さらりと云われたことになる。
しかし貴族令嬢らしく、フローリアはそれを聞き流して話を進めた。
どうしてトレメントに行くことになったかなど、フローリアは聞ける立場にない。
次に会った時は、言葉通りにお茶の入った水筒と木製のカップ、それにお揃いの柄の小皿が入ったバスケットを携えてフランツは現れた。
フローリアも茶菓子を入れた箱型の包みを抱えている。
「かわいい…!」
木でできたカップと聞いていたから、ただ木をくり抜いただけのものと思っていたけれど、滑らかに磨かれて絵付けもされているカップとそろいの柄の小皿は、むしろ女性に喜ばれそうな可愛さでフランツのような男性の持ち物とも思えない。
———詮索してはダメ。
そう思うのに、きっとこれを選んだのは女性だろうという気がフローリアはしていた。
「気に入ったのなら良かった。姉が勝手に選んだものだから、使う機会もないものと思っていたが……意外なところで役に立つものだな」
「……お姉さま…?」
フランツの口から漏れる初めての家族の話に、ついフローリアが聞き返してしまった。
だが気分を害した風もなく、フランツは「ああ」と頷く。
「姉といっても、僕たちは双子なんだ。ほんの数分早く生まれただけで、姉貴風を吹かせる世話焼きの姉だ」
「仲が良いのですね」
目を細めて姉のことを語るフランツはどこか嬉しそうで、言葉とは裏腹な感情が見て取れる。
フローリアの言葉に、彼は照れたように微かに笑った。
「実は彼女には世話になりっ放しでね。だから、彼女がトレメントに行くことになった時は、自分から志願して付いて行った。トレメント語は僕の方が達者だったから」
「お姉さまは今どちらに…?」
ちらりとフローリアを見やり、フランツはそのまま木のカップに視線を落とす。
「トレメントに残ることになった」
「……それは申し訳ないことをお聞きしました」
すまなそうに眦を下げたフローリアに、フランツは軽く首を振った。
「いいんだ。彼女は今、幸せなんだから」
「そう…なのですか?」
「ああ。だから、心配はしていない」
穏やかな視線を向けられて、フローリアはそれが真実なのだと感じた。
ならば良かった、と安堵する。
にこりとフローリアがフランツに微笑いかければ、彼はなぜかフイッと視線を逸らした。
口元を覆う彼の左手が思いの外大きく感じて、フローリアはどきりとする。
思い出したように、フランツはカップにお茶を注ぎ入れた。
フローリアも持参した茶菓子を包みから取り出す。
茶菓子は、ナッツとフルーツがふんだんに入ったパウンドケーキだった。
ケーキにはアイシングがされ、「森の宝石」と呼ばれるナッツが散らされている。
フローリアは切り分けられているパウンドケーキを小皿に乗せて、小さなフォークを添えた。
フランツがケーキをひとくち口に運ぶのを目の隅で確認しつつ、フローリアも目の前のお茶をひとくち飲んだ。
口の中に芳醇な香りが広がる。
彼が用意したのは、よほど品質の良いお茶に違いない。
「旨い」
軽く目を見開いて呟くフランツに、フローリアはそっと息を吐いた。
良かった。気に入ってくれたようだ。
「これはどこの店のものかな?」
もうひとくち、今度は大きくフォークで切った欠片を口に入れながらフランツがフローリアに問いかけた。
恐らく、何気なく口に出た疑問だったのだろう。
けれどどう答えたものか、フローリアはしばし沈黙する。
「フローリア?」
答えを促されて、フローリアは漸くおずおずと口を開いた。
「あの…売っているものではないのです」
「…?」
訝しげなフランツに、意を決して告げる。
「食堂の厨房をお借りして、私が作りました」
今度は判り易く、フランツは大きく目を見開いた。
そのまま、フォークに刺したケーキの欠片をまじまじと見つめる。
「これを……君が…?」
俯き加減にこくこくと頷くフローリアに、フランツは破顔した。
「それはすごい」
そう云われて、今度はフローリアが目を瞠った。
「あの…責めないのですか?」
「責める? なぜ?」
「貴族令嬢がお菓子を作るなど……はしたないと…」
フローリアの声がだんだんと小さくなる。
お菓子作りも、好奇心旺盛なフローリアが実家の料理長にせがんで作り方をいくつか教えてもらったものだ。
そのこと自体は自分でも気に入っているし、両親から咎められることもなく、むしろ彼女が作った茶菓子は喜んでお茶の時に供されたものだった。
けれど学院に入学して周りの貴族令嬢たちと話すようになると、貴族の令嬢が自分でお菓子作りをするなどありえないことなのだと知った。
なので、彼女たちには話していない。
話す前に知れて良かった、と思ったものだった。
それでも、時々お菓子を焼きたくなって、少しずつ食堂の料理人たちと仲良くなり、ある時勇気を出してお菓子作りのために厨房を貸して欲しい、と彼らにお願いしてみた。
彼らは驚きつつも顔を見合わせ、忙しい時間でなければと承諾してくれた。
初めてナッツ入りのクッキーを焼いた時、お礼も兼ねて彼らに振る舞うと、それからは喜んで厨房を貸してもらえるようになったのだった。
自分の息抜きのためにもフローリアは時々お菓子を作るようになったけれど、それは料理人たちとフローリアの秘密だった———つい、今し方までは。
フランツは平民だから気にしないかも知れないと思いつつ、やはりこういう時自分は貴族令嬢なのだと自覚してしまい、つい声が萎んでしまう。
フランツと隔たりを感じることも悲しかった。
俯きがちになったフローリアに、ふと笑う気配がして視線を上げる。
「……君には驚かされるな」
優しい濃いブラウンの瞳がこちらを見返していた。
「あの…?」
「茶菓子を作る才能もあったとは。しかも、こんなに旨いものを」
フォークに刺したままのケーキの欠片をちらりと見て、フランツはフローリアに視線を戻す。
本当に褒められているのだと理解して、フローリアは安堵する……と同時に、手放しでの褒め言葉に急に恥ずかしくなった。
じわじわと頬が赤くなるのが判り、隠すように両手を頬に当てる。
「有難うございます…」
こちらを見つめる視線に耐えられなくなり、フローリアは目を伏せるようにして漸く小声で云った。
学院は、入学から必須が3年、その後特科と称してあと2年学べる設定です。
特科に進む令嬢は本当に少なく、それぞれ目的を持って学ぶ女性ばかりなので、自然と横の繋がりが強くなります。




