後編
宜しくお願いいたします。
「…それで、何故君は、そんなに一生懸命他国の文化や言葉を学んでいるの?」
夏の間は涼しい木陰を作ってくれていた裏庭の木々たちも葉を落とし、四阿のお茶もそろそろ寒さの限界だ。
今日も目の前に木製のカップと、皿の上にはフローリアが焼いた、お馴染みのナッツとベリーのクッキーが並べられている。
夏の間に摘んだベリーを厨房で保管させてもらっていたが、今回のクッキーでその在庫も無くなった。
今度街に出て、干したナッツやベリーを仕入れておかないと…と心の中で算段していたフローリアの思考が止まった。
そういえば、今質問された話題は今までに話したことがない。
「外国に…」
「うん?」
「外国に行ってみたいのです……」
思いのほか、小さな声になってしまった。
貴族の、特に令嬢が国の外に出る機会などそうそうない。
何を云い出すのか…と呆れられないだろうか———
「へえ…」
けれど、フランツは興味を持ったように身を乗り出してきた。
「どうして外国へ行きたいの?」
今まで誰にも話したことがなかった夢。
両親にさえ、話したら反対されそうでそっと育んできた夢を、この人になら話してもいいだろうか———
きっとこの人なら、笑わずに聞いてくれるだろう。
不思議な確信がフローリアにはあった。
「八歳下の弟がいるのです」
唐突に自分のことを語り始めたフローリアにも動じず、フランツは「うん、それで?」と先を促してくる。
「それまで私、お転婆で…。今でもそうですけど、あまり貴族令嬢らしくない自覚があって。弟が生まれるまでは、私に婿をとって家を継がせると云われてきたのですけど、アレン——弟です——が生まれてからは、急にお淑やかにと云われて……」
黙って聞く姿勢のフランツにちらりと視線を送り、気がついたように慌ててフローリアは手を振る。
「あ、弟が嫌いなわけではないのです!むしろ可愛いし、あの子ならアークシェルズの家を盛り立てていってくれると思っています。でも———」
ここで言葉を切り、フローリアは溜息を吐く。
「お淑やかな貴族令嬢にはなれそうもないし、そうなると結婚も難しいかもしれない、と思っていて———それなら、自分は何をやりたいかと考えたら、外国に行ってみたいと思ったのです。海を見てみたいし、南の国には砂漠があると知りました。行って、この目で確かめたいのです」
目をきらきらさせて語るフローリアは、僅かに目を見開いてこちらを見ているフランツに気がつき、途端に眦を下げた。
「あ…呆れられてしまったでしょうか……」
目を瞬き、首を振ったフランツは、フローリアに向けてにっこり笑った。
その瞳が心なしか甘い———
「いや、いいね。うん、とってもいいと思うよ。でも、外国に行くあてはあるの?」
ほんのり頬が熱くなったフローリアは、ちょっと恨めしげにフランツを見る。
そんな瞳を向けられて、勘違いしない令嬢がいるだろうか———
自分のような、どこからも婚約の申し入れのない———もしあったら、父親から打診されているだろう———令嬢が、例え平民だとしても、大人で見目麗しく、その上語学だけでなく博識なフランツに好かれていると考えるのは自惚れが過ぎる。
実際、フランツは語学のみならず、近隣各国の歴史や政治情勢にまで詳しく、フローリアはいつももっとずっとフランツの話を聞いていたい、と知識欲を掻き立てられているのだ。
だが、もっともなフランツの問いに、フローリアは曖昧に微笑んだ。
「はじめは、外国と貿易をしている貴族の家の家庭教師になれたら…と思っていました。でも学院に入って、王城で女官として働く道もあると知ったので、今は迷っています……」
「家庭教師や女官でなくても、外国に行く機会があったら行ってみたい?」
意外な質問をフランツにされて、フローリアは目を瞬いた。
「それはもちろん!でも、そんな機会はありませんわ」
「ははっ!それはいい」
フローリアが即答するのに、フランツは声をあげて笑った。
何がいいのかさっぱり判らない彼女は、上機嫌なフランツに眦を下げる。
「時に」
急に真面目な顔をしたフランツが、ついっと身を乗り出した。
「勉強熱心なアークシェルズ嬢、君に頼みたいことがあるんだが…」
「…?」
つまり、フランツの提案は、自分の研究室で資料を探して整えたり、書き物の手伝いをして欲しい、ということだった。
一も二もなく承知して案内された彼の研究室に、フローリアは定期的に通うようになった。
お茶も彼の研究室で引き継がれ、フローリアはせっせと茶菓子を作っては持参した。
フランツの研究室に案内されてすぐに、フローリアは気がついたことがあった。
(この部屋…!)
建物の奥まったところにあり、裏庭が一望できるのだ。
ひょっとして、私が裏庭にいた時も……?
フランツに見られていたかも知れない…と思うと気恥ずかしくなる。
「どうしたの?」
フランツに声をかけられて、フローリアは裏庭に面した窓からスッと視線を外した。
「別に…」
わざとフランツの方を見ずに、先ほど彼に頼まれて図書室から運んで来た語学書を言語ごとに振り分け始めたので、彼がフローリアの見ていた先に目を遣ってから、目を細めて彼女を見たことには気が付かなかった。
フランツの研究室に通って冬が過ぎ、また暖かな日差しが戻ってきたころ。
フローリアは、きっと裏庭では寒すぎるのでフランツが彼の研究室に呼んでくれたことに漸く気がついた。
フランツが窓の外に目を遣って、温かくなってきたからまた四阿でお茶でもしようか、と彼女に微笑みかけた時、突然ああ、そうだったのか…と判った気がしたのだ。
研究室で彼と過ごす時間は穏やかで、一緒にいることが自然だと感じられるような心地良さだった。
フランツはいつも、ほんの少しだけ研究室のドアを開けておく。
彼は何も云わなかったけれど、奥まった部屋とはいえ、いやそういう場所だからこその、伯爵令嬢であるフローリアへの配慮だった。
ただ見ない振りをしてきた気持ちは、もはや無視できないほど大きくなりつつある……。
学院の卒業まであと少し。
フローリアは家庭教師よりも、王城の女官試験を受けるべきか…と悩んでいた。
調べてみると、女官も能力さえあれば外交省の職員として働けると知ったからだ。
ほうっと溜息をついて、お茶を飲んでいたカップを机に戻す。
あの木製のカップだ。
このカップでお茶をいただくのもあと少し———
書き物をしているフランツの気配を感じながら、フローリアはぼんやりと窓の外へ目を遣った。
こんなに近くにいるのに、絶対に埋まらない溝をフランツとの間に感じてしまう。
つきりと胸が痛み、涙が浮かびそうになる。
このまま永遠に時間が止まってしまえばいいのに———
机から顔を上げ、寂しげなフローリアの横顔にそっと視線を向けると、フランツは眦を下げた。
が、彼女はそんなことには気が付かず、視線を裏庭に彷徨わせた。
転機は突然やってきた。
フローリアがこっそり受けた女官試験に無事合格し、その結果を持って女官になりたいという旨の手紙を領地にいる父親のアークシェルズ伯爵に送ると、想像もしなかった返事が返ってきたのだ。
その日、四阿に遅れてやってきたフローリアは顔色が悪く、見るからに元気がなかった。
「どうしたの?」
「いえ、別に……」
フローリアの様子に驚いたように声をかけたフランツにも、伏目がちに答えるだけ。
心ここにあらず、といった様子のフローリアは、いつも茶菓子を入れている箱をテーブルに置き、フランツの向かいに腰をかけた。
ふとその目が、用意されている木製のカップへと吸い寄せられる。
と————
みるみるうちにフローリアの瞳に涙が盛り上がり、ポロポロと頬を伝っていく。
「フローリア…」
アークシェルズ嬢、と普段は云っているフランツも、いつもとはあまりに違うフローリアについ名前で呼びかけた。
しかしフローリアはそんなことには気がつかない。
本当は泣くつもりなどなかったけれど、慣れ親しんだ木のカップももう見ることはないのだと思うと駄目だった……。
「父に手紙を書きました。王城の女官として働きたいと…」
ハンカチで拭っても拭っても、涙はあとから溢れてくる。
フランツは黙って彼女の話を聞くことにしたようだ。
テーブルの上で彼の手が固く握られ、白くなっている。
「気持ちは判ると云ってくれました。できることなら、叶えてやりたいと。けれど……」
ここでフローリアは涙の伝う顔を上げ、はじめてフランツの瞳に視線を合わせた。
微笑おうとして失敗し、フローリアの顔が歪む。
「わたくし、婚約するそうです。断れない相手だと……そう、手紙にありました」
「フローリア…僕は———」
思い詰めたようにフランツが口を開こうとすると、フローリアが首を振りフランツの言葉を制した。
フランツが続ける言葉を探しているうちに、フローリアが先に告げた言葉に、彼の動きが止まる。
「フランツ先生、お慕いしています。それだけお伝えしたかった。……でも、もうここには参りません」
フランツの目を見てそれだけ云うと、フローリアはすっと立ち上がり美しく膝を折ると、次の瞬間には駆け出すように四阿をあとにした。
四阿に残ったフランツは、フローリアが去ると魔法が解けたように深い溜息を吐き、彼女に触れたい衝動を自制するために握りしめていた両手を漸く弛緩させた。
「フローリア……卒業まで、あと四日だ………」
*****
卒業式の日は、よく晴れた気持ちの良い日和となった。
午前中は卒業式で、午後から支度に入り、夜は卒業を祝う舞踏会が王城の広間で行われる。
これは学院で優秀な人材の育成に力を入れているという、国の姿勢を示すためのものであり、貴族・平民を問わず、学院の卒業生と教師なら誰でも参加できる。
卒業生に王族がいない限り、王族は顔を見せることはない。
いわば王城の広間を学院に開放した形となり、こういう機会でもないと王城に足を踏み入れることのない平民はもちろん、学院最後の思い出に、と卒業生はほぼ全員参加する舞踏会なのだ。
王家や高位貴族から寄付された衣装の貸出し制度は、平民のみならず下級貴族の令嬢たちにも好評だった。
この日はせっかくの晴れの日なのだから、それに最後の日なのだから、一つ一つを心に刻んで過ごそうと決め、フローリアは卒業式に臨んだ。
卒業式の会場でフランツを遠目に一目見て瞳が潤みそうになり、フローリアはできるだけ彼を視界から外すようにして過ごした。
だから、フローリアを見つけたフランツの瞳が一瞬輝き、それから眦をさげて彼が彼女を見つめて続けていたことにはフローリアは気がつかなかった。
無事に卒業式を終え、劇場との専属契約を結んだユリアナとも再会の約束をして、フローリアはアークシェルズ家のタウンハウスへ舞踏会の支度をしに向かおうとすると、タウンハウスで待機しているはずのネリーが近づいてきた。
「ネリー……どうして?」
主人の前で軽く膝を折ると、ネリーはにっこり微笑んだ。
「お嬢さま、今日のお支度はこちらでございます」
どうして、と疑問に思う間もなく、そのまま馬車に乗せられた。
馬車には見知らぬ侍従が同乗していて、目礼だけされたが相手は名乗らない。
ネリーが隣にいるものの、第三者がいるので話もできぬままどこへ向かうのかと思っていたら、王城の一室へ案内された。
そこには、ネリー以外にも数人の侍女が待っていた。
どれも知らない顔だ。
少なくとも、アークシェルズ家の侍女ではない。
その中でも年嵩の侍女が一歩進み出て、フローリアに膝を折った。
「テルマと申します。今宵の舞踏会のお支度は、私どももお手伝いさせていただきます」
「あの…っ」
どういうことなのか聞こうとするより早く、「お時間がありませんのでこちらへ」と浴室へ連れて行かれる。
文字通り頭の先から爪の先まできれいに洗われ、磨かれ、髪の先まで丁寧にブラッシングされ、髪はそのまま複雑な形に結い上げられた。
もとより白いフローリアの肌は、しっとりと透明感が増し、薄く化粧を施しただけで侍女たちから溜息が漏れた。
「これは…?」
自分が着るつもりだった赤いドレスではなく、薄い生地が何枚も重ねられたグレイッシュブルーの上品なドレスに、フローリアは狼狽えた。
「こちらは、お嬢さまのご婚約者様から贈られたドレスです。今宵はぜひ、このドレスをお召しになっていただきたいと」
テルマがにこやかに微笑って広げて見せたドレスは、グレイッシュブルーの生地に、銀色の糸で繊細な刺繍と美しい真珠がいくつも縫い留められている。
フローリアの父は、婚約者の名前を教えてはくれなかった。
けれど、「きっとお前は幸せになれるよ」と父からの手紙には書いてあった。
父が認めている相手なら、きっと悪いようにはならないはず。
ちらりとネリーに視線を向けると、彼女は満面の笑みで頷いていた。
今はそれを信じるしかない———
微笑おうとした顔は眦が下がってしまったけれど、フローリアは覚悟を決めた。
貴族令嬢として、自分は今までとても自由に過ごさせてもらったのだ。
そろそろ責務をしっかり果たさなければいけない。
これも婚約者から贈られた大振りの金剛石のペンダントとイヤリングのセットを身につけ、フローリアの支度が整ったのを待っていたように、彼女のいる部屋がノックされた。
今夜の舞踏会は一人で参加しようと思っていたものの、きっとそうはならないのだろう。
侍女の一人が対応に出て、続くようにテルマもドアのところで二、三言話すと、ネリー以外の侍女を促してテルマたちは部屋から出ていく。
代わりに入ってきた人物を見て、フローリアは目を瞠った。
黒に近い濃紺のフロックコートは夜会の正装だ。
金糸で美しい刺繍が施してあるそのフロックコートを着こなしている人物に、フローリアは見覚えがあるような気がした。
「フラン……いえ………」
名前を口に出そうとして…その人物の色合いが———やんごとない身分の人々のそれであることに気がついて言葉を飲み込む。
目が合ったその人物は、一瞬惚けたように固まり、そこから微動だにせず立ち止まったまま。
その場の空気がピシリと固まる。
ややあって、後ろに控えていた侍従が何ごとかその人に囁いた。
先ほど馬車に一緒に乗ってきた侍従だ。
はっと我に返ったようにぴくりと動き、その人はゆっくりとこちらへ向かって足を踏み出した。
フローリアも詰めていた息をそっと吐く。
何故この場所にこのお方が———
いや、ここにいるということはつまり———
そうは思っても、全く現実味を感じられない。
何より気になるのは、見れば見るほど相手はフローリアの思い人にそっくりだった———髪と目の色を除いては。
相手はフローリアの正面に来ると、長身の身を屈めた。
「フローリア・アークシェルズ嬢、エドワルド・フランツ・デ・コルレイニです」
それは、この国の第二王子の名だ。
彼は彼女の手を取り、そっと指先に口付ける。
フローリアもその色合いから、相手が誰かは予想がついていた。
王族の特徴である銀の髪と青い瞳、そして年齢からすると恐らくこの国の第二王子殿下であると。
だがその殿下は、巷の噂では王城内の離宮に引きこもっておいでのはずだった。
エドワルドはそのまま上目遣いに彼女を見上げ、口角を上げた。
「君のフランツだよ、フローリア」
「フランツ先生……!」
もしかして……とは思ったものの、思わず小声ながら叫ぶような云い方になってしまった。
目を見開いたままのフローリアに、相手の眦が下がる。
「学院で再会してから、この時をずっと待っていた」
「待っていた…?」
思わず言葉尻を捕まえたフローリアは、僅かに首を傾げた。
「今朝、君は卒業した。だから、もう先生じゃない」
彼女の質問に答えるでもなく、そうフローリアに向かって微笑むと、エドワルドは離さずにいた彼女の指先に再び愛しげに口付けた。
フローリアの顔がじんわりと赤くなっていく。
「まずは、謝罪を。出自を知られないために髪と瞳の色を変えていたとはいえ、君を欺いたことになる」
「いえ、とんでもございません、殿下…!」
慌てて返事をしたフローリアを見つめるエドワルドから笑顔が消え、僅かに眉間に皺が寄る。
フローリアからすれば、謝罪など必要ないことだ。
王子が学院の講師をするなど、騒ぎの原因にしかならない。
何かの意図があってエドワルド殿下が学院にいる必要があるのならば、変装するのは賢明な判断だ。
「許してくれるかい?」
手を握られたまま、整った顔が思いのほかフローリアの近くにある。
その瞳はブルーグレー。
いつも見慣れていたアッシュブラウンの髪は、紫がかった銀色だ。
瞳の色は変わっても、彼女のよく知る穏やかで優しい瞳がこちらを見返している。
「私の許しなど……」
必要ではございません、と云おうとして視線を落としたフローリアは、朧げに思っていたことが確信に変わる。
目に入った、自分が身につけているドレスを見下ろしたのだ。
まさに今、目の前にいる人物の瞳の色を写したかのような色———
「先……殿下、ひょっとして———」
彼女の表情で、エドワルドも彼女が何を思ったのか瞬時に理解したようだ。
エドワルドは形の良い眉を片方上げる。
「君の父君が断れない、君の婚約者は誰だと思う?」
そのまま、すっとその場で腰を落としたエドワルドは、フローリアの手を取り彼女の目を真っ直ぐに見上げた。
大きく見開かれた彼女の瞳を見上げ、エドワルドの瞳が愛しげに細められる。
「フローリア・アークシェルズ嬢、君を心から愛している。私と結婚してください」
手を取られていない方の手を口に当て、フローリアは息を呑んだ。
エドワルドが婚約者ということが本当なら、求婚の言葉など必要ない。
然るべき婚約期間を経て、結婚するのみだ。
なのにエドワルドは、敢えて求婚の言葉をくれた。
フローリアの瞳からは、涙が溢れ出す。
「わたくしで良いのなら…」
しかし、フローリアの口からは自信なさげな言葉が溢れた。
平民だとばかり思っていたフランツへの思いは、裏庭で会うようになってから日に日に大きくなっていくばかりだった。
身分の違いや自分の志もあり、添える訳がないと思っていた人だ。
それが実は王族で、しかも婚約者だとは———
エドワルドはすっくと立ち上がり、顔を近づけてフローリアの瞳を覗き込んだ。
フローリアの手を握っているのと反対の手が、するりと彼女の頬を撫でる。
愛しげに、優しく。
「君がいいんだ。それに…」
エドワルドの瞳が細められる。
「私の妻となれば、外国に行かなければいけない機会は多くある」
驚いたように目を瞠ったフローリアに、エドワルドは悪戯が成功した子どものような笑顔を向けてきた。
「遊学していたこともあって、外交を担当することになっているんだ。外国語が堪能な妻なら申し分ない」
「殿下…」
途端に憮然とした表情になったエドワルドに、何か不敬なことを云っただろうか…とフローリアは内心ヒヤリとする。
「“殿下”は禁止だ。君には名前で呼ばれたい。それに…」
そこで愉快そうに、エドワルドはくすっと笑った。
「先日、君の気持ちは聞いたから、もう逃さないよ」
途端に、フローリアの頬が赤く染まる。
そうだった……彼を婚約者のエドワルドとは知らず、「フランツ先生」に好きだと云い逃げしてきてしまったのだった。
*****
ほどなくして、エドワルド・フランツ・デ・コルレイニ第二王子殿下が正式に臣下に下り、公爵位を賜ること、フローリア・アークシェルズ伯爵令嬢との婚約が整ったことが王家から発表された。
王城内の離宮に引き篭もり、存在が忘れられたようになっていた第二王子に関する発表に世間は驚愕した。
しかも、いつの間にか王子殿下はトレメント王国他、他国に遊学していて、その経験を生かし外交に力を注ぐという。
先ごろ辺境伯令嬢と結婚式を挙げた、隣国トレメント王国第三王子ケイン・フレデリク・トレメント殿下とも親しく、ケイン王子は先の王弟である公爵家に入ることになっているそうだ。
エドワルドはトレメント王国にいたころにケイン王子とも親しくなり、互いに外交に携わる役回りということで、今後ますます両国の絆が深まることが期待されている、と王家からの発表に付け加えられている。
婚約から一年後に結婚式を挙げたエドワルドとフローリアは公爵位を賜り、サフォストロ公爵として正式に臣下に下った。
夫婦の仲睦まじさはよく人々の口にのぼるほどで、共に各国の語学と文化に造詣が深い公爵夫妻は二男二女をもうけつつ、近隣諸国との交渉や交流に力を注いで各国を飛び回った。
しかし休日や休暇となると、公爵一家は妻の実家や山の上の山荘などに出かけ、エドワルドが風景や動植物以外にも、妻や子ども達の絵を画帖に書き溜めていたことを知る者はそう多くない。
アークシェルズ伯爵家の森を走り回る子どもたちを画帖に書き留める銀色の髪の男の側には、いつも描き込まれる絵を熱心に見つめるミルクティーブラウンの髪の妻が寄り添っていたという。
もちろん、その森にはたいてい、オリワブルの鳴き声が響いていた。
了
お読みくださり、有難うございました。
いくつか番外編を書こうと思っていますので、お待ちいただけると嬉しいです。^-^




