第4話 VSフォルトゥナ
桐生がオープンチャンネルで声を飛ばしてきた。
「三億の装甲だ。お前のジャンク拳じゃ、かすり傷もつかねえよ」
煌は答えなかった。代わりに、フォルトゥナの機体を注意深く観察する。
厚い。とにかく厚い装甲だ。
継ぎ目という継ぎ目が精密に噛み合い、隙間がほとんど見えない。完璧な防御——少なくとも、表面上は。
——試合開始。
煌は素早く仕掛けた。灰猫の俊敏性を活かし、一気に距離を詰める。猫のような低姿勢から跳躍し、フォルトゥナの側面に回り込んで拳を叩き込んだ。
硬い。岩を殴ったような手応え。灰猫の拳が装甲に弾かれ、衝撃が操縦桿を通じて煌の腕に伝わる。
フォルトゥナは微動だにしなかった。衝撃を感じてすらいないかのように、悠然と構えている。
煌は旋回した。背面に回り込み、もう一撃。肩を狙い、腰を狙い、膝を狙う。猫が獲物を探るように、低く速く、フォルトゥナの周囲を駆け回りながら打撃を繰り返す。
どこを叩いても、同じだった。重厚な装甲がすべてを受け止める。死角がない。弱点がない。
桐生が笑った。
「無駄だ。好きなだけ殴れ」
その言葉通りだった。灰猫の速さでは圧倒しているのに、攻撃が一切通らない。一回戦で感じた「攻撃力不足」が、ここではもっと深刻な問題として煌の前に立ちはだかった。
——そして、フォルトゥナが動き始めた。
ジリジリと。一歩、また一歩。白銀の巨体が、ゆっくりと前進してくる。壁のように迫る圧力。
煌は左に跳んだ。だがフォルトゥナが体を寄せ、左を塞ぐ。右に跳ぶ。右も塞がれる。速さでは灰猫が上だが、フォルトゥナは全方位を守りながら前進できる。どこに動いても、結局は少しずつ後退させられていく。
桐生の得意戦術——「鳥籠戦法」。相手をバトルエリアの角に追い込み、逃げ場をなくしてから仕留める。
気づけば、灰猫はバトルエリアの隅に追い詰められていた。
背後は壁。横も壁。前にはフォルトゥナの白銀の壁。三方を塞がれた袋小路。
観客が息を呑む。
「もう逃げ場がない——!」
煌は歯を食いしばった。殴っても効かない。逃げても追い込まれる。時間が経てば体力が尽きる。
——だが、まだだ。
猫のような低姿勢の横跳びで、フォルトゥナの脇をすり抜けた。壁際からの脱出。だが状況は変わらない。殴れない。壊せない。
煌は方針を変えた。殴るのをやめた。
代わりに——フォルトゥナの周囲を、ぐるぐると回り始めた。
猫が獲物の周りを旋回するように、低く、速く。攻撃ではない。観察だ。
フォルトゥナの周囲を何周も旋回しながら、煌は「整備士の目」で機体の細部を読み取っていく。装甲の継ぎ目。関節の構造。排気口の位置と——数。
桐生が苛立った。
「チョロチョロと……いつまで逃げるつもりだ!」
フォルトゥナが灰猫を追って旋回を始めた。重い巨体が回転する。灰猫を捕らえようと、桐生が出力を上げる。
その時——服の内側で、テンがわずかに身じろぎした。
煌のゴーグルに薄い光が一瞬だけ走る。テンの投影だ。
フォルトゥナの背面に、装甲の継ぎ目に隠れた小さな排気口が浮かび上がる。
そしてもう一つ、肩の装甲と胴体の接合部の奥にも。テンが示す熱分布のイメージが、フォルトゥナの内部構造を透かして見せた。
(排熱口が——少ない。あまりにも少ない)
煌の目が見開かれた。
装甲を厚くしすぎている。隙間がほとんどないということは、内部の熱が逃げる場所もほとんどないということだ。防御を極めた代償——排熱設計が犠牲になっている。
通常の戦闘ペースなら問題ないだろう。だが——
(こいつを全力で動かし続ければ——!)
煌の動きが変わった。灰猫が再びフォルトゥナの周囲を旋回する。だが今度は意図が違う。
わざと近づいて挑発し、拳をちらつかせ、フォルトゥナに追わせる。灰猫の不規則な機動に翻弄され、フォルトゥナが全力で旋回を繰り返す。出力が上がるたびに、密閉された装甲の内部に熱が溜まっていく。
桐生がモニターの温度計に目を走らせた。
「——馬鹿な。もう……?」
警告灯が一つ、二つと点灯し始めた。機体が微かに異常振動する。
「まだだ——こんなポンコツに——!」
桐生が叫んだ。だがフォルトゥナは応えなかった。安全装置が出力を制限し始め、動きが鈍る。そして——コックピットに緊急排出警告が点灯した。
機体内部の温度が危険域に達し、パイロット保護のための脱出シーケンスが自動起動した。コックピットハッチが爆発的に開き、桐生の体が射出される。
——試合終了。
観客席が騒然となった。三億円の装甲が、一発の拳も受けずに沈んだ。
(完璧な防御。だが完璧すぎたんだ。守りに全てを注いだ分、内側が犠牲になってた)
煌はコックピットの中で静かにそう思った。
(機体には——息をする隙間がいるんだ)
テンが胸元で小さく「キュッ」と鳴いた。煌はテンの頭をそっと撫でた。
「お前のおかげだ」
観客席がどよめいていた。防御力最強と言われた機体が、ジャンク機を前にして自滅した。三億円の装甲に守られたはずのパイロットが、空に射出されて宙を舞った光景に、アリーナ中が言葉を失っている。
*
二回戦が終わり、控え室に戻った煌は灰猫の点検を始めた。
拳の関節部を確認する。フォルトゥナの装甲を何度も殴った衝撃で、指の駆動部に微かなガタつきが出ていた。
(こいつじゃ……硬い装甲には傷一つつけられない)
攻撃力の不足。一回戦から引きずっている課題だ。弱点を見つけて突くか、相手の自滅を誘うか——それ以外に勝つ方法がない。だが次の相手に、そんな甘い手が通じるだろうか。
足音がした。振り返ると、鉄心が立っていた。
祖父の手には、布に包まれた小さなパーツがあった。
「煌。お前の機体に足りないものは——爪だ」
鉄心が布を開いた。そこにあったのは、灰猫の右手の指先に装着する薄い金属パーツ。鈍く光る表面には、職人の手作業でしか生み出せない繊細な刃紋が走っている。
「猫は獲物を仕留める時、爪を出す。お前はずっと——爪を隠したまま殴ってたんだ」
煌が手に取り、目を見開いた。
「これ……フォルトゥナと同じ素材じゃないか。チタン複合材——」
「ああ。あの装甲を見て思い出した。昔、試作段階で少量だけ手に入れたことがある。ずっと加工法を研究してた。削る、叩く、焼き入れる——どの手順なら、この素材が一番鋭くなるか」
鉄心の太い指が、爪装甲の刃先をそっと撫でた。
「ようやく、形にできた」
煌は爪装甲を灰猫の右手に取り付けた。継ぎ接ぎだらけの指先に、薄い金属の爪が重なる。見た目は灰猫のジャンクパーツに紛れて目立たない——だが触れれば、その硬度が桁違いであることがわかる。
「使い方はお前が決めろ。ただし——一撃に懸けろ。猫の爪は、出すのは一瞬だ」
煌は静かに頷いた。テンが胸元で「キュッ」と小さく鳴いた。
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三回戦 vs 老兵
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三回戦。対戦相手の名前が表示された瞬間、会場の空気が変わった。
鷹取誠一郎、五十五歳。通称「老兵」。
三十年のキャリアを持つ元軍人。かつて実戦で機体を操り、紛争地帯から生還した経歴を持つ伝説的なパイロットだった。引退後はロボット闘技の世界に転じ、若手の壁として幾度も大会に出場している。
アリーナに姿を現した鷹取の機体「鉄騎」は、派手さのない濃緑色の中量級バランス型。
無駄な装飾は一切なく、すべてが実用のために研ぎ澄まされていた。三十年間、同じ機体をメンテナンスし続けた「人馬一体」の究極形だ。
煌は、鉄騎を一目見た瞬間、悟った。
弱点が——見えない。
整備不良も、設計の綻びもない。三十年の経験で磨き上げられた機体には、隙がなかった。
これまでの戦い方が、通用しない相手。それが——「老兵」だった。




