第34話 月影のペンダントと奇跡の脱出
煌は駆け寄り、痩せ細った鉄心の肩をしっかりと両手で支えた。
「立てるか、じいさん。脱出ルートへ急ぐぞ。ナターシャが外で待っててくれてる」
「待て、煌」
鉄心が立ち止まり、孫の顔をじっと正面から見つめた。その鋭い瞳の奥に、深い悔恨と愛情が滲んでいた。
「テンのことは……聞いたのか」
「ああ」
煌は穏やかに笑って頷いた。
「父さんと母さんが、ずっとテンの中にいてくれたこと。……寂しくて泣きそうだった十二年間、ずっと俺のそばにいて見守ってくれたんだって知って、すごく嬉しかったよ」
鉄心の胸元で、テンが「きゅう」と小さく鼻を鳴らした。
「隠していて、すまなかったな。お前を危険に巻き込みたくなかった」
「謝るなよ、じいさん。じいさんが俺を守るために、どれだけ苦しんでくれたか……今なら全部わかるから。それに、テンが俺の大切な家族だってことは、最初からずっと知ってたよ」
鉄心は静かに目を閉じ、深く息を吐き出した。それから、皺だらけの温かい掌を煌の頭の上にぽんと置いた。
「お前は……本当に立派に育った。誰が何と言おうと、お前はわしの生涯の最高傑作だ」
「……じいさん」
不器用な職人である祖父の、魂からの言葉に、煌の胸が熱く震えた。
*
だが、脱出の道は決して平坦ではなかった。
研究所の敷地外、崩壊したゲートを潜り抜けた瞬間、夜闇を切り裂くように巨大な白銀の機影が立ちはだかった。
白銀の装甲に金糸で描かれた帝国の双頭鷲——アルベルト・フォン・ヴァイス将軍の専用特別仕様機だった。その放つ圧倒的な重圧感は、先ほどのティターンとも異なる、帝国の権力と冷徹な軍威そのものを体現していた。
「ここまでだ、東亜連邦の鼠ども」
拡声器から響く冷酷な声。だが、病に蝕まれたヴァイスの機体操作には、わずかな反応の遅れが見て取れた。それでも、満身創痍の継承者と生身の鉄心では、太刀打ちできる相手ではない。
「くそっ……こんなところで……!」
「煌、お祖父さんを連れて逃げなさい!」
ナターシャの支援機が猛烈な勢いで割り込み、ヴァイスの巨神の前に立ちはだかった。
「私が食い止める! 早く行きなさい!」
「ナターシャ!」
ヴァイスの機体が冷酷に腕を振り上げる。圧倒的な火力でナターシャの機体を粉砕しようとした——まさに、その刹那だった。
雲間から差し込んだ月光が、ハッチを開いて周囲を警戒していたナターシャの胸元を、青白く照らし出した。
きらり、と銀色の光が瞬く。
月の形をした、古びたロケットペンダント。
ヴァイスの操縦桿を握る手が、雷に打たれたように凍りついた。
(……あ、れは……)
コックピットの高倍率モニターに拡大表示された、銀髪の少女の横顔。
亡き妻リーナの面影を色濃く残す、意志の強い目元。そして、世界に二つと存在しない、妻が生き別れた娘に遺したはずの銀の半月——。
ヴァイスの目から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出た。白い軍用手袋がぐっしょりと濡れていく。
『閣下! 何をなさっているのですか、速やかに敵機を撃破命令を!』
部下からの通信が怒号となってコックピットに飛び交う。
だが、ヴァイスは震える声で、絞り出すように言い放った。
「……全機、戦闘を停止せよ。撤収だ」
『閣下!? なぜです! 敵は目の前に——』
「命令だ! 撤収しろ……ッ!」
そこには将軍としての威厳も、帝国軍人としての矜持もなかった。ただ、一人の父親としての痛切な叫びが、夜気に響き渡っていた。
帝国軍の機体が困惑しながらも後退していく。
「ナターシャ、何をしてる! 行くぞ!」
煌の叫び声に、ナターシャは我に返った。だが、走りながらも、先ほどモニター越しに交錯した敵将の瞳が頭から離れなかった。怒りでも憎しみでもない、あの深く傷つき、泣きそうに震えていた父親の瞳。
(あの人は……なぜ私を撃たなかったの……?)
ナターシャは無意識に、首元の冷たいペンダントをぎゅっと握りしめていた。
*
東亜連邦軍の援護とレジスタンス『黒い翼』の支援、そしてヴァイス将軍の追撃停止によって、煌たちは無事に帝国領を脱出。東亜連邦への生還を果たした。
帰還後、煌は即座に連邦軍の集中治療病院へと担ぎ込まれた。
右腕骨折、肋骨三本の亀裂、全身の激しい打撲と内臓損傷——「完治まで三ヶ月」と医者に宣告された重傷だった。
ベッドの上の日々は長かったが、決して孤独ではなかった。
テンは決してベッドの脇を離れようとせず、煌の枕元で小さな体を丸めて、黄金から戻った薄青い瞳で静かに見守り続けた。看護師が近づくと小さく威嚇する仕草を見せ、煌が「いい子にしてろ」と頭を撫でると、嬉しそうに目を細めた。
鉄心もまた、自らの衰弱した体を押して、杖をつきながら毎日必ず病室へ足を運んだ。
二人の間に、多くを語る必要はなかった。
窓の外の青空を眺め、風の音を聞く。それだけで、失われた十二年間を取り戻すように心は満たされていた。
「煌」
入院から二週間が過ぎたある日、鉄心が静かに口を開いた。
「これからは、お前に隠し事はせん。何でも話す」
煌はベッドの上で微笑んだ。
「約束だぞ、じいさん」
「ああ。約束だ」
テンが二人の手の上にひょいと飛び乗り、冷たい鼻先で交互にツンツンと小突いた。まるで「仲直りの握手をしなさい」と急かすように。二人は顔を見合わせ、声を立てて笑い合った。
*
三ヶ月後。
松葉杖をつきながら、煌は病院の玄関を出た。肩にはテンがちょこんと乗り、尻尾を首筋に巻きつけてバランスを取っている。
外の風の匂い、土の香り、行き交う人々のざわめき。生きているという確かな実感が、胸いっぱいに広がった。
AI自動運転のタクシーに乗り込み、懐かしい下町の商店街へと向かう。
車が止まったのは、あの見慣れた場所——藤堂機械店の前だった。
車を降りた煌は、思わず息を呑んだ。
かつて帝国軍の襲撃で荒らされ、壊されていたはずの店舗。
だが、今そこにある店は——シャッターが新調され、割れていたガラスは綺麗に直され、瓦礫一つなくピカピカに磨き上げられていた。
留守の間、商店街の仲間たちが総出で店を掃除し、直してくれていたのだ。




