第33話 ティターン粉砕と祖父の涙
黒煙と白煙が渦巻く前庭で、ティターンもまた激しく火花を散らしながら、かろうじて立ち尽くしていた。
左肩の駆動系は完全に破砕されて力なく垂れ下がり、首元の装甲の亀裂からは激しい青白い漏電が夜闇を照らしている。互いに、残された力はあと一撃分しかなかった。
『煌』
父の穏やかで、力強い声がコックピットに響いた。
『あとは——お前自身の整備士としての腕、お前自身の魂を信じるんだ』
『信じているわ、煌。私たちの愛する、誇らしい息子』
母の優しい囁きが胸に溶け込むと共に、テンの全身を包んでいた黄金の光が、静かに、温かな余韻を残して収束していった。
二人の意識が、すべての役目を煌に託し、テンの深部にある穏やかな眠りへと戻っていく。
「——ああ。任せてくれ、父さん、母さん」
煌は両手で操縦桿を握り締めた。
右腕は千切れかけて動かず、左腕も関節が焼き付いて沈黙している。右脚の膝は砕け散り、全身の装甲はズタズタだ。
だが——左脚がある。
たった一本、まだ頑強に駆動系を保ち、大地を捉えている左脚が残されていた。
煌はサブコンソールの緊急バイパスを手動で叩き込み、動力炉の全残存エネルギーを、一本の太いラインを通して左脚のアクチュエータへと一気に注ぎ込んだ。
祖父・鉄心が幼い頃から叩き込んでくれた剛健なものづくりの魂。
父が残してくれた機械への深い知恵と工夫。
母が授けてくれた戦術の直感と愛。
そして——十五年間、工具を握りしめ、泥と油にまみれ、挫折を乗り越えて培ってきた藤堂煌の意地と誇り。
その全てを、この最後の一撃に注ぎ込む。
「跳べェッ、継承者ァッ!」
ドガァァァァンッ!
左脚のアクチュエータが咆哮を上げ、大地を砕き割って継承者が夜空へと跳躍した。
限界出力を受けたフレームが軋み、激しい火花を撒き散らしながら、継ぎ接ぎだらけの無骨な機体が月光を背負って高く舞い上がる。
エーリッヒが息を呑んで見上げた。
白銀の月を背に受け、両腕を失いながらも真っ直ぐに落ちてくるその姿は、かつて鉄心が語っていた「魂の宿る機械」そのものだった。
「これが……これこそが……先生の……!」
「うおおおおおおっ!」
落下速度と機体の全質量、残る全てのブースター推力を乗せ、継承者の左脚の踵がティターンの首元——先ほど穿った装甲の亀裂へと、隕石のように振り下ろされた。
ズドォォォォォォンッ!!
衝撃波がティターンの内部フレームを縦断し、最深部の動力核を粉々に粉砕した。
白銀の巨神が大きくよろめき、大地を揺るがしながら、ゆっくりと前のめりに崩れ落ちていく。その倒れゆく姿は、三十年の呪縛から解き放たれたかのように、どこか安らかだった。
動力を完全に喪失したティターンの複眼から、光が消える。
同時に、跳躍の凄まじい反動を受け止めた継承者もまた、役目を果たし終えたかのように、静かに地面へと倒れ伏した。
静寂が、廃墟と化した前庭を包み込む。
コックピットの中で、煌は肩で息をしながら天井を見上げた。
全身が激痛に軋み、指一本動かすのも億劫だった。だが、胸の中にはこれまでにないほどの澄み切った充実感が広がっていた。
「……勝ったぞ、テン」
端末から抜け出したテンが、ふらつく足取りで煌の胸の上によじ登ってきた。
黄金の輝きは消え、いつもの愛らしい薄青の瞳に戻っている。小さな体を丸めて煌の顎に頭を擦り寄せ、「きゅぅ、きゅぅ」と愛おしそうに喉を鳴らした。
「ありがとう、テン。……父さん、母さん」
煌は震える指先で、テンの柔らかな毛並みを優しく撫でた。
*
ハッチを手動でこじ開けて外へ出ると、ティターンのコックピットからも人影が這い出てくるところだった。
エーリッヒ・シュナイダー。
額から血を流し、満身創痍の体で敷石の上に力なく座り込んでいた。その手にはもう武器はなく、ただ夜空を見上げていた。
「……お前の勝ちだ、藤堂煌」
その声には、敗北の苦さとともに、三十年抱え続けた問いから解放された男の、清々しい安らぎが滲んでいた。
「お前は……三十年前の俺がどうしても手に入れられなかったものを、すべて持っている。機械を信じる心、仲間を信じる心、そして……誰かを守るための意志だ」
煌は痛む体を押して立ち上がり、首を横に振った。
「違う。俺だってまだ未熟で、何も証明できちゃいない。ただ……仲間や家族に支えられて、じいさんを助け出したい一心でここまで走ってきただけだ」
エーリッヒは目を見張り、それからふっと自嘲気味に口元を緩めた。
「そうか。俺はただ、誰かに認められたいと願うだけの亡霊だったのかもしれんな」
夜空を見上げるエーリッヒの横顔には、かつての冷酷なテストパイロットの面影はなく、一人の技術者としての静かな表情が戻っていた。
「行け、藤堂煌。お前のじいさんを……藤堂先生を、早く連れ戻してやれ」
「ああ。ありがとう、エーリッヒさん」
煌は深く一礼し、踵を返して駆け出した。
*
研究所の正面防爆ゲートを突き破り、煌とナターシャは内部へと突入した。
無機質なコンクリートの廊下に、赤い非常警報アラートがけたたましく鳴り響いている。
廊下の奥から、帝国の重装甲自律警備ロボットが二機、重機関銃を構えて立ちはだかった。
「ここは私が食い止めるわ!」
ナターシャがハンドガンを両手で構え、素早く前に躍り出る。
「あんたは先に行きなさい! 四階の最奥、特別拘留室よ!」
「ナターシャ、無茶するなよ!」
「誰に言ってんのよ! 早く行きなさい!」
銃声と跳弾の火花が廊下に散る中、煌は階段へと飛び込み、一段飛ばしで駆け上がった。
全身の打撲と骨折の痛みが激しく軋むが、足を止める気など微塵もなかった。肩に乗ったテンが、首を伸ばして前方を指し示すように「ピィッ!」と鋭く鳴いて進路を導く。
二階、三階を突破し、四階の長い廊下の突き当たり。
頑丈な鋼鉄の重防護扉の前に辿り着いた。赤い電子ロックが施されている。
「テン、頼む!」
テンが端末に飛びつき、前足で端子を差し込んで素早くハッキングコードを流し込む。
カチリ、と硬質な解錠音が鳴り、ランプが赤から緑へと切り替わった。
重厚な扉が、油圧の音と共にゆっくりと開いていく。
薄暗い部屋の中。散乱する無数の設計図と製図台の向こうに——。
白髪の、小さく丸まった背中があった。
「じいさんッ!」
叫んだ瞬間、声が震えて裏返った。
机に向かっていた老人が、信じられないものを見るようにゆっくりと振り返る。
藤堂鉄心。
頬は削げ、目の下には濃い隈が刻まれ、過酷な軟禁生活の疲弊が痛々しいほど体に残っていた。
だが——その瞳の奥にある頑固な職人の光だけは、煌が物心ついた頃から見てきたあの日のままだった。
鉄心は呆然と煌を見つめ、それからいつものように眉間に深い皺を寄せて、不器用な仏頂面を作った。
「……遅いぞ、馬鹿者が」
掠れた、ぶっきらぼうな声。
煌の視界が一気に熱い涙で歪んだ。
「うるせえよ……っ! 助けに来てやったんだぞ!」
テンが煌の肩から矢のように飛び出し、鉄心の胸元へ飛びついた。
小さな前足で作業着にしがみつき、「きゅう、きゅう」と狂おしいほど甘えた声をあげながら、鉄心の皺だらけの頬を、目尻を、顎を、何度も何度も夢中で舐め回す。
「おお……テン。お前も……よく無事で……」
鉄心は震える大きな両手でテンを抱きしめた。
その節くれ立った指の隙間から、堪えきれない涙が一筋、静かにこぼれ落ちていた。




