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第30話 作戦「暁光」と白銀の巨神

 帝国首都上空、高度一万二千メートル。


 そこには、張り詰めた静寂があった。


 嵐の前の、最後の沈黙。煌はコックピットの薄暗いモニター光の中で、浅く息を殺していた。

 計器類が微かな電子音を立てる以外、音はない。降下部隊を乗せた強襲揚陸艦の格納庫は真空のように静まり返り、整列した重装甲降下ポッドの列が無骨な影を並べていた。


 モニターの向こうには、帝国首都の灯りが映っている。地上の光がまるで冷たい星屑のように瞬いていた。あの光の一つ一つの下に人が生きている。そして、あの街のどこかに——祖父・鉄心が囚われている。


 通信機が短くノイズを吐いた。


『全部隊に告ぐ。作戦「暁光」、開始まで六〇秒』


 心臓が一度、大きく跳ねた。


 操縦桿を握る手のひらが汗ばむ。作業着の太ももで何度拭っても、すぐにじわりと湿った。これほど手汗をかいたのは、生まれて初めてだった。


 胸元で、テンが服の布地をきゅっと掴んだ。

 体長三十センチほどの小さな前足が引っ張る力は、微かなものだ。だが、その確かな重みと体温が、震えそうになる煌の意識を現実に繋ぎ止めていた。


(大丈夫だ……お前がいる)


『開始まで三〇秒』


 通信回線に、ナターシャの涼やかな声が割り込んできた。


「準備はいい?」


「ああ」


「嘘。声が少し震えてるわよ」


「うるせえ」


 短い息のあと、ナターシャが小さく笑った。


「震えてていいのよ。怖いのは生きている証拠。でも、足を止めなければいい」


 煌は唇を噛んだ。言い返せなかったのは、図星だったからだ。地下闘技場で命懸けの戦いを潜り抜けてきた彼女の言葉には、不思議な説得力があった。


『一〇秒前。九、八、七——』


 スピーカーから機械的なカウントダウンが響く。煌は深く息を吸い込み、肺を満たしてから、ゆっくりと吐き出した。


(じいさん……今、行くからな)


『三、二、一——作戦「暁光」、降下開始!』


 轟音。

 格納庫の床が一斉に開き、重装甲降下ポッドが次々と暗黒の空へと射出された。


 重力が一瞬消え、浮遊感が胃を締め付ける。直後、大気圏突入の猛烈な摩擦熱がポッドの外壁を赤熱させた。

 東亜連邦軍の精鋭部隊による、帝国首都強襲作戦の火蓋が切られた。


 雲海を突き破った瞬間、視界が一面の火線で埋め尽くされた。

 帝都を守る対空砲火が夜空を無数に切り裂き、爆発の閃光が閃く。連邦軍の機体が次々とポッドから展開し、迎撃部隊と空中で激突していた。

 通信回線は戦況報告と怒号で飽和する。


『第一波、降下完了! ポイントAから防衛線へ突入する!』

『敵の迎撃が厚い! 第三中隊、援護に回れ!』

『こちらブラボー中隊、敵の増援が——』


 通信がノイズに呑まれ、途絶えた。

 モニターの端で、連邦軍の機体が火球となって夜空に散る。帝国の防衛網は堅固極まりなく、首都を守る覚悟がその苛烈な反撃に表れていた。


 煌は歯を食いしばり、操縦桿を握り締めた。

 自分のために。じいさん一人を救い出すために、これほど多くの人々が命を懸けて戦場を切り拓いてくれている。


 胸元でテンが身じろぎし、小さな鼻先を煌の胸郭に強く押し当てた。

 ——わかってる。この命、絶対に無駄にはしない。


「行くぞ、テン!」


 連邦軍の主力が正面防衛線をこじ開ける混乱の最中、一機の影が人知れず首都の北東部、裏手の工業区画へと舞い降りた。



           *



 愛機『継承者サクセサー』。


 暗い路地に降り立ったその姿は、お世辞にも美しいとは言えない。

 左右で装甲の色が異なり、あちこちに荒々しい溶接痕が残る。右腕は元軍用機のジャンク、左腕は民生作業機の流用、脚部は三つの異なる機体から寄せ集めたパーツで組み上げられている。


 統一感のない、不格好な機体。

 だが、そこには確かな「魂」が宿っていた。


 祖父から受け継いだ剛健な設計思想。地下闘技場の死線で学び取った実戦のノウハウ。そしてナターシャやマルコと共に徹夜で注ぎ込んだ、膨大な時間と技術。

 何より、敗北を乗り越えて培った「守るための多重装甲」と「仲間と共に戦う意志」が、この一機に凝縮されている。


「ナターシャ、状況は?」


 煌が通信を開く。ナターシャは後方で索敵支援機を操り、哨戒網の隙間を監視していた。


『表の陽動が完全に効いてるわ。帝国軍の主力は南の防衛ラインに引きつけられてる。研究所周辺の警備は最低限よ』


「了解だ。最短ルートで第七特別研究所へ突入する」


 継承者が低く身を沈め、夜の市街地を疾走した。

 舗装された裏道を駆け抜け、監視カメラの死角を縫うように進む。事前にヴィクトルから提供された機密マップと、煌自身の整備士としての直感が、最適な侵入経路を導き出していた。



           *



 高くそびえる防壁に囲まれた、巨大な研究施設——第七特別研究所。

 その正面ゲート前に辿り着いた時、煌は眉をひそめた。


「門が開いてる……?」


 分厚い防爆ゲートが無防備に開放されていた。警備兵の姿もない。罠か、それとも——。

 警戒しながらゲートを潜り抜けたその瞬間、研究所の前庭に重苦しい電子音が響き渡った。


「侵入者を確認。……待っていたぞ」


 通信スピーカーからではない。外付けの外部拡声器から放たれた、直接の肉声。

 敷地の奥、照明に照らされた影の中から、ゆっくりと巨大な機体が歩み出てきた。


 ——息を呑んだ。


 継承者の倍近くあろうかという巨躯。

 白銀に輝く装甲は傷一つなく、夜空の月光を冷たく反射している。胸部には帝国の紋章が誇らしげに刻まれ、背部から伸びる二振りの大剣が威圧感を放っていた。


 ——ティターン。

 帝国が誇る最高峰の防衛機動兵器。そして、祖父・藤堂鉄心が帝国の強要によって設計させられた、最新鋭の巨神。


「藤堂煌だな」


 コックピットから響くのは、若く、だが底知れぬ冷たさを帯びた男の声だった。


「誰だ、あんたは」


「エーリッヒ・シュナイダー。ティターンの専属テストパイロットだ」


 エーリッヒと名乗った男は、抑揚のない声で言葉を継いだ。


「かつてお前の祖父——藤堂鉄心に師事した男だ。たった三ヶ月だったがな。『お前には心がない』。そう吐き捨てられて、破門された」


 その声の奥底に、三十年分の怨嗟と渇望が滲んでいた。


「三十年前、二十歳だった俺は先生の工房に押しかけた。睡眠を三時間に削り、飯も惜しんで、技術を貪り食うように学んだ。誰よりも正確に部品を削り、誰よりも完璧な図面を引いた。だが先生は言った。『技術はある。だが心がない。お前は機械に心を込められない』と」


 冷たい風が二機の間を吹き抜ける。


「意味がわからなかった。技術と精度こそが機械の全てではないのか。……俺はそれから三十年間、自分に何が足りないのかを問い続けてきた。答えは出ない。その後、先生はヴィクトルを弟子に取り、そして血を引く孫のお前に技術を継いだ。——俺を拒絶したままでな」


 エーリッヒの声音には、狂気のような激情はなかった。あるのは、解けない問いを三十年抱え続け、心をすり減らした男の、氷のような執念だった。


「じいさんが言いたかったのは、たぶん技術の優劣じゃなくて——」


「答えを聞くつもりはない」


 エーリッヒが冷然と言葉を遮った。


「言葉で語るな。お前の戦い方で見せてみろ。お前の機体で、お前の技術で、お前たちの言う『心』とやらで——俺を納得させてみろ!」


 ティターンが背部の大剣を引き抜いた。

 白銀の刀身が月光を浴びて青白く輝く。二本の巨剣が、完璧な切断の構えを取る。


 完璧無欠の白銀の巨神ティターン。

 対するは、泥に塗れ、傷だらけのジャンクパーツで組み上げられた継承者。


 煌は操縦桿を指先まで確かめるように強く握り直した。


「受けて立つ。じいさんの教えが何だったのか……あんたに証明してやる!」


 継承者が地を蹴った。

 宿命の決戦が、幕を開けた。


 だが——


 ティターンが踏み込み、大剣を一閃させた瞬間、空気が爆発した。

 直撃ではない。刀身が巻き起こした猛烈な衝撃波だけで、継承者の巨体が木の葉のように宙へ吹き飛ばされた。


 コンクリートの防壁に激突し、激しい衝撃がコックピットを襲う。


「ぐああっ……!?」


 ティターンは、常軌を逸して強かった。

 その絶望的なまでの事実が、たった初撃の余波だけで、煌の全身を冷たく貫いていた。


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