第31話 黄金の覚醒と両親の声
防壁に叩きつけられた衝撃で、シートベルトが肩と胸に深く食い込んだ。
「がっ……、はっ……!」
肺から無理やり空気が押し出され、視界が激しく明滅する。
コックピットのコンソールが甲高い警告音を鳴らし、赤い警告ランプが一斉に点滅を始めた。たった一撃の衝撃波を受けただけで、左腕の駆動系アクチュエータに深刻な負荷がかかっている。
(嘘だろ……。直撃ですらねえのに……!)
手のひらの汗で操縦桿が滑る。握り直しても、指先が強張って言うことを聞かない。心臓が胸郭を突き破らんばかりに早鐘を打っていた。呼吸が浅く、喉が焼けるように熱い。
——落ち着け。深呼吸しろ。
自分に言い聞かせるが、体の震えが止まらない。
「逃げ回るしか能がないのか」
外部スピーカーから、エーリッヒの嘲笑が降ってきた。
「『鋼鉄の老匠』の孫と聞いて期待したが……所詮はジャンクをいじくり回す子供の遊びか」
煌は奥歯を噛み締めた。唇の端が切れ、口の中に鉄錆の味が広がる。
(弱点を探せ……。じいさんの教えを思い出せ)
脳裏に、かつて作業場で鉄心が語った言葉が蘇る。
『勝てない時は、力で押すな。視点を変えろ。どんな完璧に見える機械にも、必ず歪みと弱点がある』
煌は目を凝らし、震える手で操縦桿を握りながら、ティターンの動きを凝視した。
関節の可動域。装甲の合わせ目。重心移動のタイミング。
胸元のテンが即座に反応し、視覚ゴーグルに分析データを投影した。数値が次々と展開される。
だが、表示された数値は、残酷な現実を冷徹に突きつけるものだった。
装甲厚——継承者の三倍。
動力炉の推定出力——四倍。
関節の応答速度に至っては、桁が二つ違う。
(見つからない……)
完璧だった。
あらゆる角度から見ても、構造上の隙が一切存在しない。帝国が持てる最高峰の素材と技術を惜しみなく注ぎ込み、鉄心の理論を結実させた究極の機体。高性能センサーの全データが、冷たく「勝算ゼロ」と告げていた。
ティターンが再び地を蹴った。
白銀の閃光。煌は紙一重で機体をロールさせ、初撃を躱す。だが、回避軌道すら完全に読まれていた。
背後から迫る二撃目の横薙ぎを、間一髪で身を捩って避ける。
続く三撃目。煌は上空へスラスターを吹かして逃れた。
しかし、ティターンの動きに一切の迷いはなかった。空中に浮いた継承者の無防備な腹部へ、追撃の蹴りが正確無比に突き刺さる。
「ぐあああっ!」
吹き飛ばされ、研究所前庭の敷石を削りながら転倒する。瓦礫が激しく降り注いだ。
——怖い。
生まれて初めて、底知れぬ恐怖が冷たい水のように胸を満たしていった。
公式大会でも、地下闘技場での命懸けの死闘でも、こんな絶望的な恐怖は味わったことがなかった。自分の技術と知恵のすべてを総動員しても、絶対に届かない。その圧倒的な壁が、目の前に聳え立っていた。
だが——倒れた継承者のモニター越しに、煌はエーリッヒの剣の軌跡を凝視していた。
正確無比だった。寸分の狂いもない。一振り一振りが数学の定理のように美しい。
けれど、どこか異様なほど空虚だった。
技術は神懸かり的だ。しかし、その刃に込められているのは「己の存在の証明」という渇望だけだ。守るべき仲間も、繋ぎ止めるべき想いもない。ただ自己の価値を誇示するためだけに振るわれる、冷え切った剣。
(こいつの技術には……誰かを守りたいという想いが何一つない)
煌はそれに気づいた。
だが、気づいたところで、今のボロボロの継承者にはそれを突く力がない。
(じいさんが本気で設計した機体なんだ……。外から見てわかるような弱点なんて、あるはずがない……!)
起き上がろうとした継承者に、ティターンの蹴撃が再び迫った。
身を捻って躱そうとするが、右脚の装甲に深く食い込む。
金属が引き裂かれる悲鳴。右脚の膝関節が粉々に砕け散った。
「くっ……そぉっ……!」
継承者がバランスを崩し、大きくよろめいて片膝をつく。右脚は完全に沈黙した。
エーリッヒは追撃の手を止め、悠然と間合いを取った。
見下ろす巨躯の奥から、乾いた声が漏れる。
「もう少し楽しませてくれると思ったのだがな」
その声には、深い失望と哀しみが混ざり合っていた。
「——終わりだ」
ティターンが両手の大剣を頭上高く振り上げた。月光が白銀の刃に反射し、冷たい死の光を放つ。
止めの一撃。
煌は動けなかった。
操縦桿を握り締める指先から、すべての感覚が抜けていく。片脚を失い、動力炉は限界を迎え、継承者はこれ以上の一歩を踏み出すことすらできない。
死ぬ。ここで、終わるのか。
じいさんを助けられないまま。何一つ、約束を果たせないまま。
その時だった。
作業着の胸元で、信じられないほどの熱が発生した。
「……え?」
戦闘の興奮による体温ではない。熱源は、煌の胸にすがりついていたテンだった。
小さな体が、激しく脈動するように熱を放っている。
「テン……?」
呼びかけたが、テンは応えなかった。
代わりに、テンの瞳が劇的な変化を見せていた。
いつもの愛らしい薄青色の光が激しく波打ち、深い蒼へ、そして——眩いばかりの黄金色へと輝きを変えていく。
キュウウウウウゥン——!
テンの口から、今までに聞いたこともない高周波の電子音が響いた。
四肢を突っ張り、黄金の光を放ちながら、テンは煌の胸元から飛び出した。そして、コックピットの主制御端末へとダイブし、その全身をインターフェースに接続した。
*
柔らかな黄金の光が、狭いコックピット全体を満たしていく。
端末と直結したテンの小さな体から、膨大なデータとエネルギーの奔流が継承者の回路へと逆流していく。エラーを吐き続けていた計器類が静まり返り、空気が微かに震えた。
テンのスピーカーから、ざらついたノイズが漏れる。
そのノイズは、次第に波形を整え——やがて、明瞭な「人間の声」を結び始めた。
『煌……聞こえる? 私よ、母さんよ』
時間が、完全に凍りついた。
外で振り下ろされようとしている大剣の脅威も、戦場の爆音も、すべてが彼方へ消え去った。
五歳の記憶が、鮮烈な色彩を伴って蘇る。
優しい腕の温もり。洗いたての服の匂い。「大丈夫よ、煌」。子守唄の柔らかな旋律。
聞き間違いだ。幻聴に決まっている。だって、母さんは十二年前に——。
『俺だ、煌。父さんだ』
重く、温かみのある低い声。
作業場で機械油にまみれながら、幼い煌を肩車して笑ってくれた父の手。「世界は広いんだぞ、煌」。あのごつごつとした指の感触。
「……うそ……だろ……」
喉が締め付けられ、息が詰まる。自分の声が掠れて震えていた。
「嘘だ……。父さん……母さん……?」
堪えようとしたが、できなかった。
十二年分の涙が、堰を切ったように瞳から溢れ出し、操縦桿の上にぽたぽたと落ちていく。
『嘘じゃないよ、煌』
母の優しい声が、耳元で語りかけてくる。
『私たちはずっと——この子の中にいたの。鉄心さんが、私たちの意識と記憶を、この小さなアンドロイドのコアに宿してくれた。あなたが決して一人にならないように』
『お前が泣いていた夜も、歯を食いしばって工具を握っていた日々も、俺たちはずっとそばで見ていたぞ』
父の誇らしげな声が重なる。
『本当に強くなったな、煌。お前は俺たちの自慢の息子だ』
「会いたかった……っ!」
煌は叫んでいた。涙で視界がぐしゃぐしゃになりながら、声を限りに叫んだ。
「ずっと……ずっと会いたかったよ……!」
端末に接続されたテンが、黄金の瞳を煌に向けた。
その瞳の奥に、確かに微笑む父と母の面影が見えた。テンの小さな前足が、煌の濡れた頬にそっと触れる。機械の冷たさではない。愛する家族の、確かな体温そのものだった。
『ごめんね、煌。ずっと正体を隠していて。でも——今こそ、私たちの全てを託す時よ』
『行こうぜ、煌。お前と、俺たち家族の力を見せてやれ!』
テンの全身が眩い光に包まれ、三世代の絆が、継承者の全システムへと解き放たれた。




