第29話 愛機『継承者』と決戦前夜
煌は手を止めた。確かに、立ち上がった時にふらついた。
「無理しても、いいことないわ。あんたが倒れたら、誰がこの機体を完成させるの?」
煌はコーヒーを受け取った。
「サンキュー」
二人で壁にもたれて座り、コーヒーを飲んだ。倉庫の片隅。薄暗い照明。油と金属の匂い。だが、不思議と、心地よかった。
テンが二人の間に降りてきて、丸くなった。小さく鼻を鳴らす。
「こいつ、私にも懐いてきたみたい」
ナターシャがテンの頭を撫でた。テンは嬉しそうに目を細めた。
「テンは、人を見る目がある。悪い奴には絶対に懐かない。お前が信頼できる人間だってこと」
ナターシャは少し照れたように、そっぽを向いた。
*
七日目——作戦決行前夜。
機体が完成した。
「できた」
煌は汗を拭いながら、完成した機体を見上げた。
全身がジャンクパーツの寄せ集め。継ぎ接ぎだらけ、歪だらけ。お世辞にも美しいとは言えない。
だが、そこには確かな「魂」が宿っていた。
「機体名は」
煌は静かに言った。
「——継承者」
祖父から受け継いだ全て。技術、知識、信念。そして、大切な人を守りたいという想い。
全てを込めた、渾身の一機。
「いい名前ね」
ナターシャが言った。
*
その夜。アジトには緊張した空気が満ちていた。
明日の朝、帝国首都への攻撃が始まる。それに合わせて、煌たちも動く。後戻りはできない。
「全員、集まってくれ」
エリザベスが声をかけた。煌、ナターシャ、マルコ、そして黒い翼のメンバーたちが円陣を組む。
「明日、私たちは帝国首都への攻撃に参加する。主力は連邦軍。私たちの役目は、煌たちの潜入ルートを確保すること」
エリザベスが煌を見た。
「混乱に乗じて侵入しなさい。鉄心を救出したら、すぐに撤退。長居は禁物よ」
「了解」
「必ず、生きて帰ってきなさい」
煌は頷いた。
マルコが近づいてきた。ごつい手が、煌の肩を叩く。
「坊主。お前ならやれる」
「マルコさん」
「お前は、もう一人前の整備士だ。自信を持て」
煌の胸が熱くなった。
「まだ教えてねえこともある。お前のじいさんから、いつか俺も学びたいしな。だから、必ず帰ってこい」
「ありがとうございました」
「礼なんざいらねえ。行ってこい。お前のじいさんを取り戻してこい」
マルコが笑う。大きな背中が、頼もしかった。
煌は振り返らなかった。振り返ったら、泣いてしまいそうだったから。
その時、ナターシャが隣に来た。
「ねえ。作戦が終わったらさ」
「なんだ」
「一緒にご飯でも行かない? うんと高い店。あんたの奢りで」
煌は一瞬、面食らった。そして、思わず笑った。
「おう。約束する」
テンが嬉しそうに尻尾を振った。
しばらく並んで歩きながら、ナターシャがぽつりと言った。
「私、孤児院で育ったの。家族なんて知らない。このペンダントだけが——私と、知らない誰かを繋ぐもの」
首元で銀のペンダントが揺れている。
「だから、あんたがお祖父さんを大切にしてるの、すごく羨ましい」
ナターシャはペンダントを握りしめ、煌を真っ直ぐに見つめた。
「母さん、私、行ってくるね。誰かの家族を、守りに」
静かに呟いてから、煌に向き直った。
「明日、何があっても。最後まで、あんたの隣にいるわ」
「勝手にしろ」
ぶっきらぼうに言いながら、口元が緩んだ。
「じゃあ、勝手にさせてもらうわ」
ナターシャも笑った。
*
倉庫の隅で、ナターシャはエリザベスと向かい合っていた。
「エリザベス様。作戦が終わったら——私、組織を離れます」
エリザベスは驚かなかった。
「どこへ行くの」
「わかりません。でも、誰かの仇を討つために生きるのは、もう終わりにしたい。あの人たちを見ていたら、守ることの方が、ずっと大切だって気づいたから」
エリザベスは黙って聞いていた。そして、微笑んだ。
「いい顔するようになったわね」
「エリザベス様こそ。笑った方が、綺麗ですよ」
「生意気」
二人は笑い合った。長い戦いの中で育った、師弟のような絆だった。
*
一人になった煌は、格納庫に向かった。
暗い倉庫の奥。継承者が、そこに立っていた。
完成したばかりの機体。薄暗い照明の中、継ぎ接ぎだらけのシルエットが浮かび上がる。不格好で、歪で、どこを見ても傷だらけ。それでも、煌にはこの機体が美しく見えた。
コックピットに乗り込んだ。狭い空間。自分の手で組み上げた操縦系統。配線の一本一本を覚えている。
操縦桿を握った。掌に馴染む感触。ここから全てが始まる。明日、この操縦桿を握って、じいさんの元へ向かう。
目を閉じた。
これまでの戦いが蘇る。
ジョー。『嬢ちゃんじゃなく、てめえの腕を見な』と言ってくれた。自分を信じることを教えてくれた男。
ガルシア。鉄の壁のような巨体と、鉄の意志。力だけでは勝てないと教えてくれた。
レイヴン。速さと正確さ。一瞬の判断が全てを決めるということを、体に刻んでくれた。
みんなが自分を強くしてくれた。この機体にも、その全てが詰まっている。
コックピットを降りると、マルコが立っていた。いつからいたのか。腕を組んで、継承者を見上げている。
マルコは何も言わず、工具箱を差し出した。
「最後の調整、一緒にやるか」
煌は受け取った。
二人で黙々と最終点検を行う。ボルトの締め具合を確認し、配線の接触を一つずつ確かめ、装甲板の固定を点検する。言葉は少ない。だが、工具を手渡す呼吸が、完璧に合っていた。
通じ合っている。師弟とも、親子とも違う。同じものづくりの道を歩む者同士の、静かな信頼。
「よし。万全だ」
マルコが最後のボルトを締め、立ち上がった。煌の肩を一度だけ叩き、何も言わずに去っていった。
煌は窓際に立ち、星空を見上げた。
テンが肩に乗り、同じように空を見つめている。
明日、死ぬかもしれない。
その事実が、重く胸にのしかかっていた。
帝国の中心部に乗り込む。ティターンと戦う。祖父を助け出す。
言葉にすれば簡単だが、成功する保証など、どこにもない。
手が震える。
怖い。正直に言えば、怖い。
でも、行かなければならない。
祖父は一人で待っている。自分を信じて、待っている。
「じいさん、待っててくれ。必ず助けに行く」
テンが煌の頬に頬を寄せた。温かい。この小さな体が、煌を支えてくれている。
「父さん、母さん、見守っててくれよ」
テンは何も言わず、ただ静かに、煌に寄り添っていた。
小さな体の温もり。それが、煌の心を支えていた。
煌は深呼吸した。一回。二回。
覚悟を、決めた。
やがて、東の空が白み始めた。
決戦の日が、始まろうとしていた。
受け継いだ技術と想いを胸に、少年と相棒のアンドロイドは、帝国の牙城へと向かう——。




