第28話 生体模倣の放熱と弟子の直訴
動力炉を所定の位置にセットする。機体の中心核。全てのシステムがここから始まる。
慎重にフレームに固定し、配管を繋ぎ始めた瞬間——テンが警告音を発した。
「何だ」
テンがゴーグルにデータを投影する。冷却系統の配管ルートと、動力炉の排熱経路が干渉している。このまま組み上げれば、全力稼働時に冷却が追いつかず、三分で熱暴走を起こす。
「三分……。それじゃ戦闘にならねえ」
冷却系統を迂回させれば干渉は避けられる。だが迂回すれば配管が長くなり、冷却効率が落ちる。結局、同じ問題に行き着く。
深夜。ナターシャはとっくに眠った。倉庫に残っているのは煌とテンだけだ。
煌は設計図の前で頭を抱えていた。テンが膝の上で丸くなり、小さな寝息を立てている。
「じいさんなら、どうする」
答えは返ってこない。当たり前だ。じいさんはここにいない。だからこそ、自分が考えなければならない。
テンが寝返りを打った。小さな体がころりと転がり、煌の腿に背中を預ける。
その時——ふと、テンの体が発する微かな熱に気づいた。
テンはアンドロイドだ。内部に演算装置がある以上、熱は必ず発生する。だがこの小さな体は、触れてもほんのりと温かい程度だ。あれだけ複雑な処理をこなしているのに、異常なまでの熱効率。
煌はテンを持ち上げ、ゴーグルで体表温度を確認した。体全体から均一に、穏やかに放熱している。特定の排熱口に集中させるのではなく、体表全体に微細な放熱経路を張り巡らせた構造。
生体模倣型の放熱機構。生き物の毛細血管のように、無数の細い経路で熱を分散させる設計。
「これは——じいさんの設計か」
煌の目が見開かれた。
「そうか……テン、お前の体が答えだったのか」
テンが目を覚ました。きょとんとした顔で煌を見上げている。
煌はテンを肩に乗せると、設計図に向かった。ペンが走る。
冷却配管を一本の太い管にまとめるのではなく、毛細血管のように無数の細い管に分散させる。機体のフレーム全体を放熱経路として利用し、表面積を最大化する。テンの体と同じ原理だ。
効率は従来の設計を大きく上回る。しかも、配管が分散しているため、一部が損傷しても全体の冷却能力は維持される。戦闘向きの設計だ。
「できた」
煌は笑った。
「じいさんはいつも、答えを俺のそばに置いてくれてたんだな」
テンの尻尾が、ゆっくりと揺れた。何かを理解しているように。
*
その頃、東亜連邦——
軍上層部の会議室は、地下三階にあった。分厚いコンクリート壁で物理的に隔離され、さらに電磁遮蔽が施された空間。この部屋で交わされた言葉は、決してこの部屋の外には漏れない。
長方形のテーブルに、五つの人影が座っている。上座に将軍。その左右に情報参謀と作戦参謀。末席に政治顧問。そして——ヴィクトル・ドラグノフ。特殊作戦局局長。
大型モニターに、帝国の軍事配置図が映し出されていた。赤い点が帝国軍の拠点を示し、青い線が連邦の防衛ラインを描いている。その青い線が、今、危機に瀕していた。
「藤堂鉄心が帝国に捕らわれた」
将軍が厳しい表情で切り出した。
「彼が帝国に協力すれば、我が国の防衛システムが根幹から破られる可能性がある。彼自身が設計したシステムだ」
情報参謀が資料を開いた。四十代半ばの痩せた男。眼鏡の奥の目が冷静に光っている。
「補足します。鉄心が設計した防壁システム『天壁』は、現在の連邦防衛の要です。その設計思想と弱点を帝国に提供されれば、我が国の防衛ラインは崩壊します。最悪の場合、首都陥落まで四十八時間と試算されています」
重い沈黙が落ちた。
作戦参謀が口を開いた。がっしりした体格の壮年の軍人。実戦経験が豊富で、現実主義者として知られている。
「奪還作戦の検討は行いましたが、リスクは甚大です。第七特別研究所は帝国の最高機密区域にあり、二重の防衛線で守られている。強行突入には大規模な軍事行動が必要となり、帝国との全面戦争に発展する可能性が極めて高い」
「それでは、別の選択肢を考えるべきですね」
政治顧問が淡々と言った。銀縁の眼鏡をかけた初老の男。その声には一切の感情がない。
「一人の老人のために国家を危険に晒すことはできません。鉄心が帝国に協力する前に——『処分』することが、最も合理的な選択です」
ヴィクトルの拳が、膝の上で震えた。
顔には出さない。出すわけにはいかない。だが内側では、激情が渦巻いていた。
(先生は俺に全てを教えてくれた。技術だけじゃない。機械に心を込めることの意味を。誰かのために作ることの尊さを。人として大切なことを、全て。——その恩を、「処分」で返すのか)
しかし国家に仕える者として、感情で動くわけにはいかない。ヴィクトルは軍人だ。個人の情より、国民の命が優先される。それは理解している。
だからこそ——感情ではなく、論理で戦わなければならない。
「一週間の猶予をいただきたい」
ヴィクトルは静かに立ち上がった。声は抑制されていたが、揺るぎない重みがあった。
「先生は必ず抵抗を続けています。彼は表向き協力するふりをしながら、必ず何かを仕掛ける。ティターンの設計に致命的な弱点を仕込んでいる可能性がある」
将軍の鋭い目が、ヴィクトルを射抜いた。歴戦の軍人の眼光。嘘は通じない。
「お前の師匠への情が、そう言わせているのではないか?」
「情ではありません」
ヴィクトルは将軍の視線を正面から受けた。
「鉄心先生の人格と技術を知る者としての分析です。先生は、自分の技術が悪用されることを誰よりも嫌う人だ。帝国に捕われていても、必ず抗う手段を残します。それが先生という人間です」
長い沈黙が落ちた。時計の秒針だけが、規則正しく時を刻んでいる。
政治顧問が口を開きかけたが、将軍が片手を上げて制した。
「一週間だ」
将軍が低く、しかし明瞭に言った。
「それまでに進展がなければ、決断を下す。——ドラグノフ、お前も覚悟しておけ」
「はい」
ヴィクトルは敬礼し、会議室を出た。
廊下に出ると、一人になった。
人気のない通路。灰色の壁。蛍光灯の無機質な光。
ヴィクトルは壁に手をつき、深く、長く、息を吐いた。全身の力が抜けるような疲労感。会議中ずっと張り詰めていた緊張が、一気に押し寄せた。
ポケットから古い写真を取り出した。色褪せた一枚。作業着姿の鉄心と、弟子入りしたばかりの若き日の自分。二十年前。まだ何者でもなかった自分に、鉄心は言った。
『技術は人のためにある。それを忘れた時、技術者は終わりだ』
写真の中の鉄心は、厳しくも温かい目をしていた。
「先生……必ず助けます。しかし、もし最悪の事態になったら——」
その言葉を、飲み込んだ。考えたくない。考えてはいけない。
写真をポケットに戻し、ヴィクトルは歩き出した。密かに動き始めた。煌が「黒い翼」に身を寄せていることを、彼は既に掴んでいた。
師を救うために、使えるものは全て使う。たとえそれが、軍の命令に背くことになろうとも。
(先生。必ず——あなたを救う道を見つけます)
*
地下闘技場——
それから数日。煌はほとんど眠らずに作業を続けた。
ナターシャが差し出すコーヒーだけが、かろうじて体を支えている。
「ちょっと、休憩しなさいよ」
「あと少しだ。もう少しで」
「もう少しって、三時間前も言ってたわよ」
呆れ顔のナターシャに促され、煌は工具を置いた。
熱いコーヒーの湯気が、薄暗い倉庫に立ち上る。
作戦決行まで、あと一日。
少年たちのすべての想いを乗せた機体の完成が、目前に迫っていた。




