第23話 第3戦 vs紅の悪魔 前編
あの言葉の意味が、ここで少しわかった気がする。手を動かし、考え、工夫し、結果を出す。その繰り返しが、自分を前に進ませている。
煌の怪我は回復し、再び闘技場に戻る準備が整った。
そして、運命の試合が近づいていた。
*
試合前夜。控え室は静かだった。
煌は一人、灰犬の最終チェックをしていた。関節部のボルトを一つ一つ指で確かめ、駆動系の動きを手で追う。祖父に教わった通りの、愚直な手作業だ。
ドアが軋んだ。
ナターシャが入ってきた。いつものからかうような笑みはない。表情が、真剣だった。
「煌」
「……なんだ」
「レイヴンは今までの相手とは次元が違うわ。三年間、誰も勝てなかった」
「わかってる」
「わかってない」
ナターシャの声が、低くなった。
「あんた、負けたらどうなるか考えてる? ここは公式戦じゃない。最悪——命を落とすかもしれないのよ」
煌の手が止まった。スパナを握ったまま、沈黙が落ちる。換気扇の音だけが、やけに大きく聞こえた。
「怖いか」
ナターシャが静かに聞いた。
「……怖い」
煌はスパナを床に置いた。指先が微かに震えている。
「怖いよ。でも——逃げたら、じいさんを助けられない。ここで逃げたら、俺は一生逃げ続ける。そんなの、じいさんに顔向けできねえ」
ナターシャが歩み寄り、煌の肩に手を置いた。
煌がびくっと体を強張らせた。
「あんたが死んだら、お祖父さんを助ける人がいなくなるの。マルコも、私も、あんたの代わりにはなれない。だから——」
ナターシャの目が、真っ直ぐに煌を捉えた。
「——絶対に、死なないで」
その声には、普段の軽口の欠片もなかった。本気の、剥き出しの言葉だった。
煌が何か答えようとした瞬間、テンが二人の間に飛び乗った。ナターシャの手と煌の肩の間に小さな体をねじ込み、フシュッと鼻息を鳴らす。二人の顔を交互に見上げて、チィッと高い声を上げた。「俺もいるぞ」と全身で主張している。
ナターシャが、ふっと笑った。煌も、思わず口元が緩んだ。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
「……行ってくるわ」
「行ってらっしゃい。私たちはここで見てるから」
煌は立ち上がり、操縦席に向かった。テンが胸元に潜り込む。小さな体の鼓動が、煌の心臓に直接伝わってきた。
*
地下闘技場の絶対王者。三年間無敗の伝説。
その名は——
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第3戦 vs 闘技場王者「紅の悪魔」
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三戦目。
対戦相手は、地下闘技場の絶対王者。
「紅の悪魔」。
パイロットはレイヴン。年齢不詳、仮面で顔を隠している。
三年間無敗。正体不明。挑戦者を次々と葬ってきた伝説の存在。
機体名は「煉獄」。紅い装甲が、血のように輝いている。
試合前、レイヴンが煌の前に立った。
仮面の奥から、鋭い視線が煌を貫く。
「——お前は、何のために戦う」
低い声。男か女かもわからない。
「……じいさんを、助けるためだ」
「そうか」
レイヴンは微かに頷いた。
「なら、全力で来い」
——試合開始。
煉獄は圧倒的だった。速さ、パワー、技術——全てにおいて、レイヴンが上回っている。
煉獄の打撃が灰犬に入った。最初の一撃——WI?
いや、違う。WIよりも深い。もっと奥まで浸透してくる衝撃。
灰犬の多重装甲が軋んだ。通常のWIなら完全に防げたはずなのに、各層の奥まで衝撃が届いている。
煌が戦慄した。
「WIじゃない……もっと深い……!」
多重装甲の第一層、第二層は耐えた。だが第三層に微細な亀裂が走った。
「お前の装甲は面白い。WIを防ぐ多層構造か」
レイヴンの声が仮面の奥から響いた。
「だが——俺の『深層波動』は、層を一つずつ共振で壊していく」
WIの上位技術。通常のWIが装甲の外から内部に浸透する攻撃なのに対し、深層波動は多重装甲の各層を順に共振させて突破する。灰犬の強みを認めた上で、さらに上を行く技術だった。
煌に残された時間は少ない。被弾するたびに装甲の層が劣化していく。耐えるだけでは勝てない。しかし、耐えなければ一撃で終わる。
灰犬は打たれ、倒された。だが立ち上がる。
多重装甲のおかげで即死はしない。だが確実に削られていく。
ナターシャが叫んでいる。マルコが祈っている。黒い翼のメンバーたちが、固唾を呑んで見守っている。
「まだ立つのか」
レイヴンが呟いた。
「もう体は限界だ。装甲も持たない。なぜ立つ」
「わかんねえよ、そんなこと」
煌は血を吐きながら言った。
「でも、立たなきゃいけないんだ。じいさんが待ってるから……」
灰犬がレイヴンの攻撃を受けながらも前に出続ける。犬のように。泥臭く。しつこく。
その時——
テンの目が、淡く光った。
服の中で丸まっていた小さな体が、微かに熱を帯びる。煌の胸元から、柔らかな光が漏れた。
煌の中に、不思議な力が流れ込んでくる。何かの「声」が聞こえる気がした。
(煌——)
母の声? 父の声?
(負けないで——)
幻聴かもしれない。だが、体中に力が満ちた。折れかけた意識が、鮮明に蘇る。
ジョー戦で磨いた観察力。ガルシア戦で得た不屈の意志。マルコの教え。ナターシャの声援。
全てが、一つに繋がった。
「——まだだ」
煌は立ち上がった。
「俺は、まだ終わってねえ……!」
テンの目が一層強く輝いた。その光に導かれるように、煌の視界が、一瞬だけ鮮明になった。
煉獄の装甲のある一点——最も脆い箇所が見える。
ガルシアの言葉が蘇った。「まだ守るものがある。生き残れ」。そうだ。俺はまだ守るものがある。じいさんが待っている。テンがここにいる。マルコが、ナターシャが、信じてくれている。
煌は残された力を全て込めて、灰犬を突進させた。
煉獄の深層波動を多重装甲で受け止めながら——前へ。前へ。
灰犬が煉獄に組みついた。腕で抱え込み、離さない。
犬が獲物に食らいつくように——しがみつく。
——咬撃波動。
【第一段:牙】
灰犬の顎部のチタン複合材の牙が、煉獄の装甲に食い込んだ。テンが示した弱点の一点を、全力で——噛み砕く。金属が軋み、装甲が引き裂かれ、内部フレームと回路が露出した。
勝負は、次の瞬間へともつれ込む。果たして、灰犬の牙は悪魔を砕けるのか——!




