第22話 咬撃波動の萌芽と束の間の日常
マルコが目を丸くした。
「正気か? 防御用に研究してた技術を、攻撃に転用するのか」
「守り方を知ってるから、壊し方もわかるんだ」
煌はWI発信機構を灰犬の顎部——牙に組み込み始めた。咬撃波動。牙で噛み砕いて装甲を突破し、内側からWIで内部を破壊する多段攻撃。
まだ調整が必要だ。だが——次の試合で、完成させる。
*
傭兵戦の翌日。
煌は医務室のベッドで天井を見つめていた。全身打撲。肋骨にヒビ。一週間の安静。
ナターシャが包帯を巻きながら、呆れたように言った。
「あんな戦いして、生きてるだけマシよ」
テンが煌の枕元で丸くなっている。時折、小さな前足で煌の指に触れては、じっと顔を覗き込む。
——消灯後。暗い医務室に、煌の声が零れた。
「テン……俺、怖いんだ。じいさんを助けられなかったら……俺、どうなっちまうんだろう……」
涙が目尻から流れ落ちた。声は出さない。出せない。
テンが、そっと煌の頬に寄り添った。小さな温もりが、煌の震える心を支えていた。
——この夜、煌は初めて「弱さ」を認めた。
そして、それでも前に進むことを、決意した。
翌朝。ナターシャが包帯を替えに来た。
「エリザベスが伝言よ。『一緒に戦いましょう。あなたの祖父を取り戻すために』って」
「……あの人が?」
「普段は冷たく見えるけど、本当は誰よりも仲間思いなの」
煌は天井を見つめた。
仲間——か。
今まで、じいさんとテン以外に、そう呼べる存在がいなかった。
でも今は、少しだけ、わかる気がした。
*
怪我が癒えるにつれ、煌は医務室を抜け出して整備ピットに通うようになった。
灰犬は、第2戦で大きなダメージを受けていた。胸部装甲は貫通され、左腕の駆動系は半壊。関節部はほぼ全てが歪んでいる。
煌は床に座り込み、黙々と作業を始めた。まだ肋骨が痛むが、手は動く。それで十分だ。
「手伝おうか」
ナターシャが入り口に立っていた。作業着に着替えている。
「いらねえ。一人でやる」
「そう。じゃあ、見てるだけでいい」
煌が断ったのに、ナターシャは気にした様子もなく、工具棚の横に腰を下ろした。膝を抱えて、煌の作業をじっと見つめている。
追い出す気力もない。煌は無視を決め込んで、歪んだフレームの矯正に集中した。
ハンマーで叩き、歪みを測り、また叩く。マルコに教わった実戦式と、祖父仕込みの精密式を組み合わせる。自分なりのやり方が、少しずつ形になりつつあった。
一時間ほど経った頃、ナターシャが口を開いた。
「教えてほしいことがあるの」
「何だ」
「ネジの締め方。あんたみたいに、精密にやりたい」
煌は手を止めた。振り返ると、ナターシャが真剣な目をしていた。
「前に教えてもらった時——最初は軽く、最後に均一にトルクをかけるって。あれ、もっとちゃんと練習したい」
「……なんでだ。戦闘員だろ、お前」
「機体の整備ができれば、あんたの負担が減るでしょ」
煌は少し驚いた。力任せにネジを締める人間は多い。だが「精密にやりたい」と言う人間は少ない。ましてや、それが他人の負担を減らすためだと言う奴は。
ナターシャの観察眼に、不覚にも感心した。
「……わかった。こっち来い」
煌はスパナを渡し、フレームの固定ボルトを指差した。
「こうだ。最初は指で回す。ネジ山を潰さないように、まっすぐ当てて。それから工具に持ち替えて、軽く締める。最後に——均一にトルクをかける。力じゃなくて、感覚だ」
ナターシャが見よう見まねでやる。悪くないが、最後の締めが甘い。
「もっと手首を安定させろ。ここ、こう——」
煌はナターシャの手を取って、正しい角度を見せようとした。
手が触れた。
ナターシャの指は、煌が想像していたより細くて、温かかった。
煌の顔が、耳の先まで一気に赤くなった。
テンが二人の間に飛び乗り、ぱたぱたと尻尾を振った。まるで囃し立てるように、キュッキュッと鳴く。
「な、なんでもない! 自分でやれ!」
煌はナターシャの手を離し、反対側に逃げた。工具箱に躓きそうになりながら。
ナターシャが口元を押さえて、笑いをかみ殺していた。肩が小刻みに震えている。
「笑うな!」
「笑ってない」
明らかに笑っている。
「……もういい。今日の講習は終わりだ」
「まだ一本しか締めてないんだけど」
「うるせえ!」
煌は灰犬の裏側に回り込んで、顔を隠した。心臓がうるさい。手が震えている。整備のせいじゃない。
テンが煌の足元にちょこんと座り、不思議そうに首を傾げた。クゥ?
「お前は黙ってろ」
ピットの向こうから、ナターシャの小さな笑い声が聞こえた。
*
一週間後。
回復期間の間、煌は観客として闘技場に通った。
初めてここに来た時は、恐怖しかなかった。歓声が暴力に聞こえ、人いきれが息苦しく、一秒でも早く出たかった。
だが今は違う。
アリーナの隅の席に座り、テンを膝に乗せて試合を見る。テンも闘技場の空気に慣れてきたのか、もう震えていない。試合中の大歓声にも耳を伏せるだけで、煌の膝から逃げ出すことはなくなった。
「よう、ジャンク屋! 次はいつ出るんだ?」
常連客の男が、煌の肩を叩いて通り過ぎた。顔は覚えていないが、向こうは覚えているらしい。
「さあな。怪我が治ったら」
「待ってるぜ。お前の試合は賭け甲斐があるからな!」
男は笑いながらビールを掲げた。
カウンターに行くと、バーテンダーが黙ってグラスを差し出した。オレンジジュースだ。
「サービスだ。金はいらねえ」
「なんで」
「お前の試合、面白いんだよ。ジャンクの寄せ集めで勝ち上がるなんて、客が喜ぶに決まってる。お前が出る日は常連が増えた。店としちゃ、感謝してえくらいだ」
煌はグラスを受け取り、席に戻った。冷たいジュースを一口飲む。テンが匂いを嗅いで、鼻先をグラスに押しつけた。
「お前のじゃねえよ」
キュッ、とテンが不満そうに鳴く。
アリーナでは次の試合が始まっていた。煌は操縦者の癖、機体の構造、攻撃パターンを自然と分析している自分に気づいた。
この場所でこそ、自分の技術が生きる。AIに頼れない、人間の腕だけの世界。祖父の教えと、マルコの実戦知識と、自分自身の目。それだけで戦う場所。
その時、アリーナの空気が変わった。絶対的なプレッシャー。三年間無敗の闘技場王者——『紅の悪魔』が姿を現したのだ。次なる死闘の幕が、静かに上がろうとしていた。
じいさんが言っていた。「働くことは生きることだ」と。




