第18話 初陣の勝利とマルコの教え
テンが服の中で微かに身じろぎした。ゴーグルの隅に、左腕関節部への最適打撃角度が薄く投影される。
煌は耐えた。五発目の鉄拳を正面から受け止め——そのまま前に出た。
ジョーが驚く。殴られながら前進してくる機体など見たことがない。
灰犬がジョーの懐に入った。左腕の駆動が遅延した瞬間——左肩の関節部に、正確な一撃を叩き込む。
——試合終了。
会場が静まり返った。何が起きたか理解できていない。殴られ続けた機体が——殴り返して勝った。
そして、歓声が爆発した。
「すげえ! あのジャンク機、鉄拳の攻撃を全部耐えやがった!」
試合後、煌は鉄拳から使える駆動系パーツを獲得した。灰犬の右腕の出力を強化できるパーツだ。
「こいつのパーツ、右腕に使える。次はもう少し強く殴れる」
勝てば強くなる。この闘技場のルールが、灰犬を進化させていく。
*
勝利の余韻が残る控え室。煌が機体から降りた直後、男が近づいてきた。
四十五歳。鷲鼻に冷たい目。高級スーツを着こなしているが、その下には凶悪な本性が透けて見える。
闘技場の賭博を牛耳る東欧系マフィア、「ブラック・サーペント」のボス——ヴィクトール・ドラコ。
「坊主。お前、なかなかやるみたいじゃねえか」
「……何の用だ」
「単刀直入に言おう。次の試合——わざと負けろ」
煌の目が細くなった。
「賭け金が動いてんだ。お前が勝つと、俺たちが困る。わかるな?」
「断る」
ドラコの表情が変わった。笑みが消え、冷たい目だけが残った。
「そうか。なら——命で払ってもらう」
ドラコが手を振ると、黒服の男たちが煌を囲んだ。ナイフが光る。
煌は身構えた。だが試合後の疲労で、まともに動けない。
「そこまでだ」
野太い声が響いた。
巨漢の男が、大型のレンチを肩に担いで歩いてきた。その後ろには、黒い翼のメンバーが十人以上控えている。
「坊主は俺らの仲間だ。手を出すなら——覚悟しろ」
黒服たちとドラコは、舌打ちして去っていった。
煌の膝が崩れた。
「……助かった……」
「おう。——俺はマルコ。マルコ・ヴァレンティーノ。黒い翼の整備責任者だ」
四十代半ば。筋骨隆々の体に、人懐っこい笑顔。
さっきまで殺気を放っていたとは思えない、温かい目をしていた。
*
翌日。
煌はアジトの整備ピットで、灰犬の点検をしていた。
昨日の試合で受けたダメージは軽微だが、それでも丁寧に確認する。祖父の教えだ。
「お前の機体、見せてくれよ。俺も整備屋だからな」
マルコが後ろから声をかけてきた。
マルコは灰犬の周りを歩き、あちこちを観察した。
「ジャンクの寄せ集めにしちゃ、バランスがいい。駆動系の組み方も悪くねえ。誰に教わった?」
「じいさんに」
「『鋼鉄の老匠』か。なるほどな」
マルコは関節部を指差した。
「ここ、もう少し補強した方がいいぜ。このままじゃ、強い衝撃で折れる」
「パーツが足りないんだ」
マルコは自分の工具箱を開け、使えそうなパーツを取り出した。
「使え」
「……いいのか?」
「いい腕を持った若者を見ると、手助けしたくなるんだよ」
その時、ピットの隅で、整備後のスクラップ機体が崩れた。
中からパイロット用の予備シートが転がり出る。
マルコの表情が一変した。
体が反射的に動いていた。スクラップの山に駆け寄り、シートを丁寧に引き出す。中に人がいないか確認するように手で奥を探り——何もないとわかると、深く息を吐いた。
煌はその一連の動きを、黙って見ていた。
「……昔の癖だ。気にするな」
マルコが、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「帝国軍の整備士だった頃——大破した機体に、まだ兵士が生きてた。上官は『修理の価値がない、見捨てろ』と言った。俺はそんなこと、できなかった。機体をぶっ壊して、パーツを引っぺがして——パイロットを助け出した」
「それで……追い出された」
「軍法会議にかけられて、不名誉除隊さ」
マルコは胸ポケットから、くしゃくしゃになった手紙を取り出した。
「そのパイロットからの手紙だ。『助けてくれてありがとう。おかげで今、嫁と子供と幸せに生きてます』——こいつが俺の宝物だ」
煌はその手紙を見つめた。
技術は人を守るためにある。
祖父と同じ信念を持つ男が、ここにいた。
「マルコさん。俺も——そういう整備士になりたいです」
マルコは少し驚いた顔をして、にかっと笑った。
「お前なら、なれるさ。俺が保証する」
その言葉が煌の胸に、温かく染み込んだ。
*
翌日から、マルコの整備講義が始まった。
「いいか、坊主。ここじゃAIが使えない。診断システムも、自動調整も、全部ナシだ。頼れるのは手と目と勘——それだけだ」
マルコが灰犬の脚部を指差した。
「お前のじいさんの教えが一番役に立つ場所だぜ、ここは」
マルコは手際よく脚部の関節カバーを外し、内部の軸受けを露出させた。指先で軸を回し、わずかな遊びを確かめる。
「ほら、触ってみろ。この軸受けの遊び、指で感じるか?」
煌が言われるまま指を当てた。「0.2ミリくらい。これくらいなら問題ないだろ」
「公式戦ならな」マルコが真顔になった。「だが闘技場じゃ0.2ミリが命取りだ。相手は殺しにくるからな。0.2ミリの遊びが、被弾時に2ミリのブレになる。2ミリのブレが、一瞬の遅延になる。一瞬の遅延が——」
「死に直結する」
「わかってるじゃねえか」マルコはニヤリと笑い、工具箱からシムプレートを取り出した。薄い金属板を軸受けに噛ませ、ハンマーで軽く叩いて馴染ませる。荒い手つきだが、再び軸を回した時、遊びは完全に消えていた。
「……やり方が、全然違う」
煌は呟いた。祖父なら、専用のリーマーで軸受けを微調整し、測定器で確認しながら追い込む。マルコの方法は、言ってしまえば力技だ。
「当たり前だ。戦場で測定器なんか使えるか」
マルコは煌の肩を叩いた。
「だがな、やり方が違うだけで、目指す先は同じだ。遊びをゼロにして、パイロットの命を守る。いい整備士は皆そうだ。お前のじいさんも、俺も」
煌は黙って頷いた。祖父の精密さとマルコの実戦知識。どちらも正しい。そして自分には、実戦の知識が圧倒的に足りない。
「もう一回、やらせてくれ」
「おう。何回でもやれ。体が覚えるまでな」
煌は同じ工程を繰り返した。シムプレートの厚みを指先で選び、位置を決め、叩き込む。三回目で、マルコが「合格だ」と言った。
祖父の精密さと、実戦で鍛え抜かれたマルコの力技。
二つの異なる魂が、煌の中で新たな技術として融合し始めていた。




