第17話 新たなる愛機『灰犬』と初陣
テンが煌の胸に顔を押しつけた。皮膚越しに、小さな体の震えが伝わってくる。恐怖ではない。わかっているのだ。自分がここでは「存在してはいけない」ことを。
煌は拳を握った。
テンを守る。じいさんを助ける。そのために、勝つ。ここで生き残り、パーツと資金を稼ぐ。それだけだ。余計なことは考えるな。
*
煌に割り当てられた部屋は、倉庫の片隅だった。
コンクリートの壁がむき出しで、天井には錆びたパイプが這い回っている。換気口から微かに外の空気が入ってくるが、それも油と埃の匂いがする。家具と呼べるものは折りたたみ式の簡易ベッドだけで、毛布が一枚、無造作に置かれていた。
テンが部屋に入るなり、壁際を嗅ぎ回り始めた。隅から隅まで、パイプの裏、ベッドの下、換気口の近く——小さな鼻をひくひくさせながら、丹念に安全確認をしている。
「……ここが俺の部屋か」
煌は毛布を手に取り、ベッドに腰を下ろした。スプリングが軋む。祖父の工房の隣にあった自分の部屋を思い出す。あの部屋も狭かったが、壁には祖父がくれた機械設計の古い図面が貼ってあったし、窓からは空が見えた。
毛布にくるまると、テンが当然のように胸元に潜り込んできた。小さな体が温かい。クゥ、と甘えるような声を上げる。
「……ああ。おやすみ」
目を閉じた。だが、眠れなかった。
天井の染みを見つめながら、頭の中を祖父の顔がぐるぐると回る。
「じいさんは今、どうしてるんだろう」
帝国に連行されたのだろうか。拷問を受けているのか。それとも——もう。
涙が、じわりと浮かんだ。拭おうとして、腕が動かなかった。疲労で体が鉛のように重い。
テンが煌の頬を、小さな舌で舐めた。ざらりとした感触。もう一度、もう一度。涙の跡を追うように、何度も。
「……やめろ、くすぐったい」
声が震えた。テンはやめなかった。煌が泣き止むまで、ずっと寄り添っていた。
*
翌朝。
食堂は地下通路の先にあった。長テーブルがいくつか並び、黒い翼のメンバーたちが朝食を取っている。パンとスープ、干し肉。質素だが、温かい食事だ。
煌は入り口で立ち止まった。知らない人間ばかりの空間に、足が竦む。
結局、一番隅の席に座った。テンを膝に乗せ、配られたトレイを黙って食べ始める。
「昨日はよく眠れた?」
ナターシャが向かいの席に、当然のように座った。銀髪が食堂の蛍光灯に反射して、やけに眩しい。
「……別に」
「その顔、全然眠れてないでしょ」
「うるせえ」
目を合わせられない。煌はスープを啜ることに集中した。
「おう、新入り!」
大皿に山盛りのパンを載せたマルコが、どすどすと近づいてきた。
「食え。戦う前に体を作れ。ガリガリじゃ話にならねえぞ」
「そんなに食えねえよ」
「食えるだけ食え。メシを残すのは、この世界じゃ贅沢だからな」
マルコが豪快に笑いながら、煌のトレイにパンを二つ追加した。ナターシャもくすりと笑う。
煌は戸惑いながらも、パンをちぎって口に運んだ。硬いが、噛めば噛むほど麦の味がする。スープも、塩気が効いていて悪くない。
——でも。
じいさんの味噌汁が、恋しかった。あの、出汁の香りが朝の工房に漂ってくる匂い。「煌、飯だぞ」という低い声。ぶっきらぼうだけど、毎朝欠かさず作ってくれた。
テンが膝の上でキュッと鳴いた。煌の表情の変化を、この小さな相棒は見逃さない。
「……食うよ。ちゃんと食う」
煌はパンを頬張った。生き延びなければ、始まらない。
*
煌は整備ピットで機体を組み上げた。
ジャンクパーツの山から使えるものを選び、加工し、組み立てる。だが灰猫とは違う設計思想で組んでいた。
装甲の構造に、最も時間をかけた。東海リーグの準決勝で味わったウェーブインパクト——「外は無傷なのに中がズタズタ」という恐怖を、煌は忘れていなかった。
あの試合の後、灰猫を修理してWIの損傷パターンを学んだ。壊れ方を知ったからこそ——守り方がわかった。WIの衝撃は単一素材の中を波のように伝播する。ならば——素材の層を変えてやればいい。
煌は薄い金属板を何枚も重ね、密度の異なる素材を交互に配置した。鉄、アルミ、樹脂、また鉄——衝撃の「波」は異なる密度の層を通過するたびに分散し、減衰する。
「灰猫は速かった。でもWIには勝てなかった。だから今度は——耐えられる機体を作る」
数時間後。マルコが完成した機体を見て唸った。
「ずいぶんゴツい装甲だな。灰猫とは別物じゃねえか」
「ああ。猫はもう卒業した。こいつは——犬だ」
煌が機体を見上げて名付けた。
「灰犬」
マルコが笑う。「なんで犬なんだ?」
「猫は一人で狩りをする。でも犬は——群れで戦う」
煌がマルコとナターシャを見回した。
「俺はもう、一人じゃないからな」
テンがキュッと鳴いた。嬉しそうに。
ナターシャが小さく笑って、「犬のくせに猫を飼ってるのね」と言った。
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第1戦 vs 鉄拳のジョー
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初戦の相手は、「鉄拳のジョー」と呼ばれる新人狩りだった。
アリーナの中央に立った瞬間、視線が突き刺さった。
数百人の観客が、嘲笑を浮かべて煌を見ている。
「おいおい、なんだあのポンコツ。五秒で終わるぜ」
観客からも嘲笑が飛ぶ。野次。罵声。嘲りの口笛。
煌は操縦桿を握りしめた。手のひらが汗ばむ。心臓がうるさい。
——試合開始。
ジョーの機体「鉄拳」が突進してきた。大振りの右ストレート。新人相手の舐めプだ。
——鉄拳の拳が、灰犬の胸部装甲に直撃した。
会場が沸いた。「一発で終わりだ!」
だが——灰犬は倒れなかった。
よろめきもしない。多重装甲が衝撃を分散し、受け止めている。表面に浅い傷がついただけだ。
観客がざわめいた。
「あのジャンク機……壊れない?」
ジョーの目が見開かれた。自信の一撃が通じなかった。焦りから連打に切り替える。二発、三発、四発——鉄拳の猛攻が灰犬を叩く。
灰犬は後退しながらも、致命傷を受けない。多重装甲が衝撃を分散し、表面は凹むが内部は無事だ。
「なんだこの装甲は……! なんで壊れねえんだ!」
ジョーが叫んだ。だが煌は打たれながらも、じっと相手を観察していた。恐怖を押し殺して。鋭い整備士の目で。
(左腕の駆動——三秒に一回、微細な遅延。整備不良だ)
勝機は、そこにある。
反撃の時が、静かに訪れようとしていた。




