第16話 地下基地での目覚めと黒い翼
——断片的な記憶。
意識が朦朧としたまま、煌は揺れを感じていた。
車に乗せられている。目隠しをされ、手を後ろで縛られている。
どこかへ運ばれている。
声がする。複数の男の声。
「こいつ、本当に使えるのか?」
「エリザベス様の命令だ。文句言うな」
「『鋼鉄の老匠』の孫だぜ。少しは価値があるだろ」
——じいさんは……どうなった……
思考がまとまらない。体が言うことを聞かない。
また、意識が遠のいていく。
*
どれくらい時間が経ったのか、わからない。
意識が戻った時、最初に感じたのは冷たい空気だった。
コンクリートの匂い。かすかに聞こえる機械の駆動音。薄暗い照明。
煌はゆっくりと目を開けた。
見知らぬ天井。パイプが這い回り、換気扇が回っている。地下施設だと直感でわかった。
テンが煌の胸元から顔を出し、安否を確かめるように煌の顎に何度も鼻を寄せている。
「テン……お前、無事か……」テンは尻尾を振って応えた。
煌は起き上がろうとして体が軋むのを感じた。全身が痛い。打撲と擦り傷だらけだ。
「目が覚めた?」
声がした。
視線を向けると銀髪の少女が立っていた。
ショートカットに切り揃えられた髪。戦闘用スーツに身を包んだしなやかな体。左頬には古い傷痕がある。
そして、首元で揺れる、古びた銀のペンダント。
煌の心臓が跳ねた。
「私はナターシャ。ナターシャ・ペトロワ」
「……藤堂、煌」
なんとか名前を言えた。目は合わせられない。
「ナターシャ、その子を困らせないで」
奥から別の声がした。五十代ほどの女性が歩いてきた。白髪交じりの髪を後ろで束ねている。
その佇まいには、長年の戦場で培われた厳しさが滲んでいた。背筋は真っ直ぐだが、目の奥には深い疲労——いや、喪失の色がある。
「私はエリザベス・ウィンターズ。『黒い翼』のリーダーよ」
「黒い翼?」
「帝国の圧政に抗うレジスタンス。ヴァルハイム帝国に反旗を翻す地下組織よ」
*
煌は案内されるまま、アジトの中を歩いた。
地下に広がる巨大な空間。かつては何かの工場だったのだろう。天井は高く、至る所にパイプや配管が走っている。
人々が行き交っている。兵士、技術者、医療班——様々な人間がいた。
「ここが私たちの拠点よ。帝国の監視網から隠れるために、地下に潜っている。表に出れば、全員死刑だわ」
死刑——その言葉に、煌は身を固くした。
「あなたも帝国から追われてるんですか」
エリザベスは立ち止まった。通路の壁に貼られた指名手配書——そこには、彼女自身の写真があった。
「元帝国軍の将校だった。十五年前、民間人を盾にしろという命令を拒んで、全てを失った」
それ以上は語らなかった。だが、彼女の左手の薬指には、細い指輪の痕が残っていた。何かを嵌めていた名残。煌はそれに気づいたが、訊けなかった。
「藤堂煌。あなたの技術が欲しい」
「地下闘技場での戦績を積み、パーツと資金を稼いでほしい。代わりに、祖父を救う作戦に協力する」
「……地下闘技場?」
*
地下闘技場。
煌が初めてその場所を目にした時、圧倒された。
巨大な地下洞窟を改造したアリーナ。天井からは無数のライトが吊り下げられ、中央の闘技エリアを煌々と照らしている。
歓声。野次。酒瓶が割れる音。紫煙が立ち込める空気。賭け金を叫ぶ声。
照明の熱気が肌にまとわりつく。人いきれと機械油の匂いが、体中に染み込んでくるようだ。
公式の闘技大会とは全く違う、荒々しいエネルギーに満ちた空間だった。
——ここで生き残らなければ、祖父を助けられない。
「ここが地下闘技場よ」ナターシャが説明した。「帝国の監視から逃れるために、AI・アンドロイドの使用は一切禁止。整備も操縦も、全て人間の手と勘だけで行う」
「ルールは?」
「簡単よ。相手を動けなくするか、ギブアップさせるか。賭け金と賞品のパーツをかけて戦う」
煌は無意識にテンを抱きしめた。服の中で小さな体が震えている。
「大丈夫だ、テン。俺がなんとかする」——強がった。でも本当は、怖かった。
*
煌は闘技場の客席に目を向けた。
アリーナを囲む観客席は、すり鉢状に上へと広がっている。数百人——いや、千人近い人間がひしめき合っていた。
最前列では賭け師たちが声を張り上げ、束になった紙幣を振り回している。次の対戦カードが告知されるたびに、怒号にも似た歓声が波のように広がった。灰皿がテーブルから弾き飛ばされて床に転がったが、誰も拾わない。ガラスの破片を踏みつけて、男たちは賭け金を叫び続けている。
中段の席に、片脚を失った男がいた。義肢を無造作に投げ出し、安酒を煽っている。半袖からのぞく右腕に、退色したタトゥーが見えた。帝国軍の退役証明——鷲と歯車の紋章だ。祖父の工房にあった古い資料でも見たことがある。帝国に使い捨てにされた兵士の証。男の目は虚ろだったが、アリーナで機体が動き始めると、その瞳にかすかな光が灯った。
金網の最前列に、子供たちがいた。
煌は息を呑んだ。十歳にも満たないだろう。痩せた頬、擦り切れた服。難民の子供たちだ。金網に指をかけ、身を乗り出すようにして待機中の機体を食い入るように見つめている。その目がキラキラと輝いていた。恐怖ではない——憧れだ。この子たちにとって、パイロットは「英雄」なのだ。自分たちの生活を踏み潰す帝国に、人間の手で立ち向かう存在。
隣の席で、白髪の老婆が連れの男に呟いた。「あの脚部、昔の連邦軍のパーツだね。懐かしいこと」
男が「婆さん、よく知ってんな」と笑う。老婆は目を細めた。「昔は兵器工場で毎日あれを組んでたからねえ。手が覚えてるのさ」
AIに仕事を奪われた者。帝国の圧政に家を焼かれた者。戦争で体の一部を失った者。居場所をなくし、名前を捨て、地の底に流れ着いた者たち。
その全員が、「人の手」による戦いに熱狂している。
効率でも合理性でもない。AIが全てを支配する時代に、自らの肉体と技術だけで鉄の巨人を操る。それは泥臭い、人間の意地だった。計算では測れない、生の証だった。
——ここは、帝国のアンダーグラウンドの縮図だ。
煌は胸元をそっと押さえた。服の内側で、テンが小さく身を縮めている。
AI禁止。この闘技場では、AIとアンドロイドの使用は一切禁止されている。発覚すれば失格どころではない。観客の中には帝国への密告で日銭を稼ぐ者もいるだろう。テンの存在が露見すれば、煌だけでなく黒い翼にも危険が及ぶ。下手をすれば、命に関わる。
だが、逃げるわけにはいかない。
この狂騒のどん底で、煌の孤独な戦いが幕を開けようとしていた。




