第14話 決死の救出劇と祖父の愛
最後に、ステルスシステム。電磁偽装、熱源遮断、レーダー吸収装甲。三十年前の技術だが、鉄心の設計は時代を二世代先取りしていた。今の最新鋭機でも、この隠蔽性能には及ばない。
影になる。孫を守る影に。それが今の自分の役目だ。
全システム、グリーン。
鉄心は深呼吸した。
「行くぞ、夜叉王」
夜叉王が大地を蹴った。
地下室の天井を突き破り、夜空に躍り出る。瓦礫が雨のように降り注ぎ、粉塵が月光の中を舞った。漆黒の翼を広げると、冷たい夜風がコックピットの隙間から吹き込んでくる。
鉄心は一瞬だけ眼下を見た。崩れた藤堂機械店の屋根。煌と二人で暮らした家。油の匂いが染みついた作業場。全てが小さくなっていく。
振り返るな。前だけを見ろ。
星空を背景に、漆黒の巨人が舞った。
——帝国領へ。
煌を取り戻すために。単身で。
*
国境の防衛線は、厳重だった。
多層構造のレーダー網。対空ミサイル。迎撃用ロボットの駐留部隊。普通の機体なら、近づくことすらできない。
だが夜叉王は、普通の機体ではなかった。
ステルス機能を起動。機体全体が電磁的に「消え」、レーダー上から姿を消す。
鉄心はこの防衛線の設計にも関わっていた。どこに穴があるか、知り尽くしている。レーダー網の隙間を縫い、ミサイルの射角を計算し、螺旋軌道を描いて飛翔する。
迎撃部隊が反応した頃には、夜叉王は既に彼らの背後にいた。
「侵入者! 侵入者発生!」
ようやく警報が鳴り響いた。
「何だあの機体は!? データに存在しない!」
迎撃ロボットが次々と出撃する。最新鋭の機体。チタン合金の装甲、AI支援による精密射撃。
だが。
夜叉王のブレードアームが一閃した。
鋭い刃が弧を描き、最新鋭機の首を断ち切る。制御ユニットを失った機体が火花を散らしながら墜落していく。初撃にして、一刀両断。
だが鉄心に歓喜も高揚もなかった。感じていたのは、己の衰えだけだった。
腕が重い。反応が遅い。操縦桿を引く動作の一つ一つに、三十年前にはなかった遅延がある。あの頃の自分なら、この程度の敵は瞬きの間に片付けていた。三機同時に相手取り、息一つ乱さず、コーヒーが冷める前に全て終わらせていた。
今は一機を仕留めるだけで、肩の関節が軋む。
だが技術がそれを補った。最小限の動きで最大の効果を生む。無駄な力を使わず、敵の動きを先読みし、最短の軌道で急所だけを突く。「老いた虎」の戦い方だ。若さと膂力に頼る戦いはもうできない。だからこそ、一撃の精度だけを極限まで研ぎ澄ます。
夜叉王は影のように動いた。敵機の死角に潜り込み、首元の制御回路を断つ。膝裏の駆動系を抉る。背部の動力パイプを寸断する。設計者だからこそ知り尽くしている、機体構造の急所を正確に突いていく。
敵パイロットの通信が、傍受回線から漏れ聞こえた。
「あの動き——まさか『鋼鉄の老匠』か!?」
「馬鹿を言え、あの男は三十年前に消えたはずだ!」
「だがあの太刀筋、データベースと一致——いや、そんな馬鹿な——」
鉄心は無言で戦い続けた。過去の名声など、もはやどうでもいい。
一機、また一機。ブレードアームが閃くたびに、帝国の精鋭が沈黙していく。
だが体力が限界に近づいていた。
汗が額から滴り、目に染みて視界が霞む。操縦桿を握る指先の感覚が薄れ、痺れが手首まで昇ってきている。心臓が胸壁を叩き、呼吸が荒い。七十二歳の肉体は、この過酷な機動戦に悲鳴を上げていた。
歯を食いしばった。まだだ。まだ止まれない。
煌が待っている。あの子が、待っている。
それだけが、折れかけた体を動かしていた。
「老いぼれでも——」
鉄心は操縦桿を握りしめながら、静かに呟いた。
「孫を守る牙くらいは、ある」
*
煌が目を覚ましたのは、薄暗い監禁室の中だった。
最初に感じたのは、後頭部の鈍い痛みだった。ずきずきと脈打つような痛みが、頭蓋の奥まで響いている。殴られたのだと、遅れて記憶が戻った。
次に全身の冷え。コンクリートの床に横たえられた体から、容赦なく体温が奪われていく。歯の根が合わない。指先の感覚がない。
そして恐怖。腹の底からじわりと這い上がってくる、逃れようのない恐怖が煌の体を支配した。
ここがどこなのかわからない。自分がどうなるのかわからない。錆びた鉄格子の窓。染みだらけの壁。天井の隅で監視カメラの赤い光が、瞬きもせずにこちらを見ている。軍事施設だと直感でわかった。
手足は拘束され、身動きが取れなかった。
「くそ」
どこだ、ここは。じいさんはどうなった。テンは——
その時、胸元で何かが動いた。
テンだ。服の中に隠れていたのだ。小さな体が煌の胸に押し付けられ、微かに震えている。必死に体温を保とうとするように、煌の肌に寄り添っていた。
「テン——! お前、大丈夫か」
テンは弱々しく鳴いたが、怪我はなさそうだった。煌の声を聞いて、小さな頭を服の隙間から出し、暗い目で煌を見上げる。
煌はテンを撫でようとした。だが手首の拘束が許さない。指先すら届かなかった。
歯を食いしばる。涙が溢れそうになるのを堪えた。
「じいさん……俺のせいだ……」
もっと強ければ。もっと賢ければ。あの夜、抵抗できていれば、捕まらずに済んでいたはずだ。じいさんに心配をかけずに済んだのに。
テンが煌の顎の下に頭を押し付けた。小さな鼻先が、煌の首筋に触れる。まるで「あなたのせいじゃない」と言うように、何度も何度も頬を擦りつけてくる。
煌は声を殺して泣いた。拘束された手では涙を拭えない。ただテンの温もりだけが、暗闇の中の唯一の救いだった。
その時、轟音が響いた。
建物全体が揺れる。爆発音。悲鳴。警報。
「何だ——!?」
壁が吹き飛んだ。
粉塵の中から、漆黒の巨影が姿を現した。
般若のような鬼面。漆黒の翼。地下室で眠っていた、あの巨人。
「夜叉王?」
ハッチが開いた。
中から降りてきたのは——
「じいさん!!」
藤堂鉄心。傷だらけの体で、しかし確かに立っている。
「遅くなった」
鉄心は煌の拘束を手早く解いた。
「じいさん、なんで来たんだよ! 危ないって——」
「馬鹿野郎。孫を見捨てる爺がどこにいる」
煌は言葉を失った。
テンが鉄心に飛びついた。久しぶりに会う「作り主」に、嬉しそうに頬を寄せる。
「テンも無事か。よくやった」
鉄心はテンの頭を撫でた。
「行くぞ、煌。脱出だ」
*
夜叉王に乗り込み、脱出を開始する。
だが敵の追撃は激しかった。無数の機体が、次から次へと押し寄せてくる。
「帝国本国からの増援が、数が多すぎる!」
夜叉王は強い。だが三十年前の機体だ。最新鋭機を何十機も相手にするのは、無謀だった。
「煌」
鉄心が静かに言った。
「脱出ポッドに入れ」
「え?」
「いいから入れ」
コックピットの一角にある一人乗りの脱出ポッド。
「待てよ、じいさんも——」
「馬鹿め。お前だけで精一杯だ」
鉄心は小さく笑った。その顔は、不思議なほど穏やかだった。
煌の顔から血の気が引いていく。
無情にも脱出ポッドのハッチが閉ざされようとしていた。祖父と孫の運命が、今、決定的に分かたれようとしている。




