表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/36

第12話 鋼鉄の老匠の決意

夜が明けた。


 藤堂機械店の前には、朝焼けが差し込んでいた。だがその光は、荒らされた店内を無情に照らすだけだった。

 割れた窓ガラス。倒れた棚。散乱する工具とパーツ。壁には弾痕が残り、床には血痕が点々と続いている。

 その中心に、藤堂鉄心は立っていた。

 白髪が乱れ、服には土埃がついている。頬には殴られた痕が残り、体のあちこちが痛む。

 だが老匠は微動だにせず、静かに周囲を見回していた。


 煌が、いない。


 その事実が、鉄心の胸を鋭く抉った。



           *



 あの夜のことを、鉄心は克明に覚えている。


 武装した兵士たちが押し入ってきた時、鉄心は居間で茶を飲んでいた。

 ガラスが砕け散る音。それが合図だったかのように、四方から影が躍り込んできた。


 鉄心は72歳だ。だが、体は錆びついていなかった。


 最初の一人を一本背負いで投げ飛ばし、二人目の銃を払い落とし肘で顎を打ち抜いた。三人目の腕を極め、四人目の膝を蹴って踵を叩き込む。


 若い頃の訓練が、体に染み付いている。

 「鋼鉄の老匠」の名は、伊達ではなかった。


 しかし数が多すぎた。


 電撃棒が脇腹に押し当てられた。全身に激痛が走る。


 その時、二階から叫び声が聞こえた。


「じいさあぁん!!」


 煌の声だった。


 振り返る。階段の上で、煌が兵士に押さえつけられている。


「煌! 逃げろ!」


 立ち上がろうとした。だが体が言うことを聞かない。


「対象確保。撤収」


 煌は意識を失ったまま、兵士に担がれていく。その小さな体が、闇の中に消えていく。


「煌ぁっ——!!」


 叫び声は、虚しく夜に吸い込まれた。



           *



 そして今。


 鉄心は一人、廃墟となった自分の店に立っていた。

 煌は攫われた。帝国の仕業だろう。連中が自分を狙っていたことは、とうに気づいていた。


 息子を殺した時から。


 あの日、息子夫婦を失った日から、鉄心は覚悟していた。

 いつか帝国が自分を狙ってくると。いつか大切なものを奪いに来ると。


 鉄心の脳裏に、過去の記憶が蘇った。



           *



 十二年前。


 煌の両親、鉄心の息子夫婦が命を落とした日。

 表向きは交通事故だった。だが鉄心には真実がわかっていた。あれは暗殺だった。


 藤堂鉄心、通称「鋼鉄の老匠アイアン・マエストロ」。

 東亜連邦「国家防衛技術局」の最高責任者として、多くの兵器を開発してきた男だ。


 30年前の「ユーラシア統合戦争」。大陸は東西に分裂し、西のヴァルハイム帝国は軍事力による「秩序」を、東の東亜連邦は技術力による「自由」を掲げて七年間戦った。数千万人の死者を出した末に停戦協定が結ばれたが、冷戦状態は今も続いている。


 この戦争を終わらせたのは鉄心だった。

 彼が設計した防衛システム「天壁」が帝国の大規模侵攻を食い止め、その名は敵国にも轟いた。


 だからこそ、狙われた。

 帝国は懐柔、脅迫、誘拐、あらゆる手段で鉄心を手に入れようとした。それが叶わないと知ると家族を狙った。


 息子夫婦は、帝国の工作員に殺された。残されたのは、五歳の孫、煌だけだった。


 鉄心は全てを捨てた。地位も、名声も、復讐心も。

 孫を守ることだけを考え、身分を偽り、辺境の町でジャンク屋の看板を掲げた。


「この子だけは守る」


 幼い煌を抱きしめながら、そう誓った。



           *



 だが今、その誓いは——


「煌」


 鉄心は拳を握りしめた。


 息子を失った時と同じだ。また、守れなかった。


 ——いや。違う。


 まだ終わっていない。煌は生きている。攫われただけだ。まだ、取り返せる。


 鉄心の目に、炎が宿った。


 煌を育てながら、ずっと体を鍛え続けてきた。技術を磨き続けてきた。いつか来る「この日」のために。


 そしてもう一つ——


 鉄心はテンのことを思い出した。


 あの小さなムササビには、息子夫婦の、煌の両親の魂が宿っている。


 自分が開発した「生体学習型AI」。死の間際まで、二人から学習データを取り続けた。


 『お父さん、煌を——頼みます』


 嫁の最期の言葉。その声は、今もテンの中で生きている。


 煌にとって、テンは「家族」だ。だが鉄心にとってもテンは「息子たち」なのだ。


「行くか」


 一人呟き、鉄心は地下室へ向かった。



           *



 鉄心は店の奥へ進んだ。壁に並んだ古い工具棚の一つに手をかけ、三番目の棚を引き出す。棚の裏側、誰にも気づかれない位置に、触覚式の暗号錠が埋め込まれている。

 鉄心自身が設計した仕掛けだった。五本の指で特定の圧力パターンを入力する。指紋でも暗証番号でもない。指先の微かな震え、押し込む深さ、離すタイミング。三十年前の自分だけが知る「手の記憶」だ。

 錠が応答し、壁の一部が音もなくスライドした。冷たい空気が吹き上がる。下へ続く狭い階段が、闇の中に消えていた。


 一段ごとに、過去が蘇った。

 三十年前、この階段を最後に降りた日のことを鉄心は覚えている。ユーラシア統合戦争の停戦協定が結ばれた翌月。七年間の戦争がようやく終わり、世界が疲弊した静寂に包まれていた頃だ。

 あの日、鉄心は夜叉王を秘密裏にここへ運び、自らの手で封印した。布をかける前、最後にコックピットに座り、計器類を一つずつ手動で落としていった。

 ——休め。もう、お前の出番はない。

 そう言って、覆いをかけた。戦争は終わった。もう二度と、この力を振るう日は来ないと信じていた。

 あの時の自分は五十歳手前だった。腕にも脚にも、まだ十分に力があった。髪もまだ黒かった。背筋も真っ直ぐだった。

 今は七十二歳。白髪に皺だらけの体。膝が軋み、階段を降りるだけで息が上がる。

 だが拳を握ると、骨が軋むほどの力が出た。怒りが、老いた体に火を入れていた。孫を奪った者たちへの、静かな、しかし灼熱の怒りが。


 階段の底に、重い鉄扉があった。鉄心はハンドルに手をかけ、全体重をかけて回す。錆びた金属が悲鳴を上げ、三十年ぶりに扉が開いた。


 闇の中に、巨大な影が横たわっていた。

 高さ十メートル。漆黒の装甲。鋭角的なフォルム。封じられた牙。


 三十年間、布に覆われたまま眠り続けてきた機体。


 鉄心は布に手をかけた。

 指先が震えている。恐怖ではない。覚悟だ。


 覆いを、取り払う。


 埃が舞い上がる。地下室の空気が揺れる。


 現れたのは、漆黒の巨人だった。


 翼を持つ機体。刃のように鋭い四肢。頭部には般若を思わせる鬼面が刻まれている。

 三十年の眠りを経てなお、その威圧感は凄まじかった。


 「夜叉王」。


 鉄心が「国家防衛技術局」の最高責任者だった時代に、己の全てを注ぎ込んで作り上げた最後の作品。

 公式記録からは抹消され、存在しないことになっている幻の機体。


 鉄心は右手を伸ばし、夜叉王の脚部装甲に触れた。

 冷たい金属の感触。だが不思議と、その奥に温もりがあるように感じた。三十年の歳月を経てなお、この装甲の一枚一枚を自ら設計し、自ら組み上げた記憶が、掌から蘇ってくる。


「お前も待っていたのか」


 低く呟いた。返事はない。だが沈黙の中に、確かな肯定があるように思えた。

 三十年の眠りを経て、今、伝説の漆黒の巨人が再び目覚めようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ