002
教室のドアを開くとそれまでの賑やかさは瞬く間に消え失せた。全員の視線が俺へと向けられている。まぁ、当然か。半年以上切っていなかった清潔感皆無の髪は、いまや爽やかショートヘアに変貌しているのだから。自分で言うのもなんだがこのイメチェンの出来はかなり良いと思う。高井は意外にも顔立ちが良く、ショートヘアだとその男前っぷりが際立つのだ。……高井本人はそれに全く気づいていないようだったが。
原作の高井は、あの事件のエピソード以外に登場することはない。登場は前半の2話程度である。根は暗く友人もいない。地味で陰鬱で、不気味ですらあった。そんな陰の生き物にヒロインは目を付けられるのである。
正直、退場したときはスカッとしたし、当て馬としては優秀だったと思う。彼が起こした事件のおかげで篠崎と湖月の距離が縮まったのだから。
――しかし、俺は知っている。高井だった俺は知っている。アイツの良いところや、アイツが求めた景色を。皮肉にも、俺は強制的に高井の……唯一の理解者になってしまっていた。もっとも、もう何もしてあげられないのだが。
俺は何事もなかったかのように自分の席についた。篠崎は何か言いたげな素振りを見せていたが気づかない振りをした。おそらく、俺が撮った写真について聞きたかったのだろうが、そんなものはもう処分してあるし、これ以上、俺から関わることはもう何もない。謝っても火に油だ。当分は警戒されるだろうが、こちらが何もしなければ向こうもわざわざ絡んではこないだろう。
湖月は完全に無視を決め込んでくれている。――正直、助かる。俺の中にある高井の記憶が湖月の姿を見ただけで心臓の鼓動を速めようとするのだ。制御はできる……はずだ。けれど、感情が爆発してもおかしくない感じもするので、余計なリスクは避けたい。
高井の席は教室の真ん中の一番後ろの席である。そこから、改めてこの光景を眺めていると、ある男子と目が合った。俺の斜め前の席に座る――龍ヶ崎大悟だ。学校一の荒くれ者で、原作では主人公とその幼馴染との間でトラブルを起こして、暴力事件にまで発展し、退学したのだった。
コイツも正直関わりたくない。あの見るからに不良ですみたいな金髪の……金髪?
「黒髪!? しかも眼鏡!? なんで!?」
しまった! 思わず声が! まずい……めっちゃ注目を浴びた。
俺は机に突っ伏してすぐに狸寝入りを決め込んだ。
しかし、これからどうしようか。原作であった高井の退場イベントは多分、回避できている。多少の気まずさは残っているが、これから挽回なんていくらでもできるだろう。
1年生がダメでも2年生から、高校がダメなら大学から……、チャンスはある。前世の知識を生かして何かできることもあるかもしれない。まあ、時間は十分あるんだし……ゆっくり考えていくか。
チャイムの音で目が覚めた。
うわ! 狸寝入りのつもりがガチで寝てた! いくら前世の記憶があるとは言え、勉強しないで大学受験するのはさすがに無謀すぎる! 高井も勉強は得意じゃなかったみたいだし、ここからちゃんとしなくては!!
「おい」
「……へ?」
……龍ヶ崎? なんで俺に話しかける?
「な、なに?」
「ちょっと屋上来い」
教室中がざわつき始めた。イメチェン二人組が、それも今まで接点の無かった二人が絡んでいるのだから。周りから見ても気味が悪すぎる。
……終わった。いきなり終わった。ここからの高校生活はコイツのパシリで終わるんだ。
いや、龍ヶ崎の退場は1年生の終盤だったか。それなら、1年我慢すればなんとかなるか。……原作通りにいけばだが。
教室を出たとき、羽白詩織が視界に入った。どこか儚げで、触れただけで崩れてしまいそうなガラス細工の芸術作品みたいな美少女。無口でミステリアスな雰囲気も相まって男子からの人気も相当なものだ。不思議なことに、羽白はこんな美少女にも関わらず、原作には一切登場していないのだ。龍ヶ崎のこともそうだが、俺が知っている原作の世界と少し違うのだろうか。
屋上に着くと龍ヶ崎はそこにいた他の生徒を追い払った……というより、龍ヶ崎の圧に耐え兼ねて逃げ出したような感じだった。
「高井……」
「な、なんか用? ていうか、俺なんかした?」
龍ヶ崎は顎に手を当てて何か考え込んでいる。
「お前、ホントに高井か?」
「はい?」
待て待て。ちょっと待ってくれ。……同じタイミングでイメチェン。そして、その質問。それってつまり……。
……嫌だ。
違ってくれ……頼む。
……俺の勘違いであってくれ。
俺は最悪の状況を否定したくて龍ヶ崎に質問をした。
「……榊、なのか?」
龍ヶ崎はゆっくり微笑んだ。
「久しぶり? になるのかな。――黒木」




