001
乾いた音が屋上に響き渡った。頬がヒリヒリと痛む。目の前には俺を酷い目つきで睨む美少女二人と、どこか冴えない雰囲気の男子が立っている。――知っている。俺はコイツらのことも、この状況も知っている。
「バラしたいのなら、好きにすればいいわ! だけどね、そんなことで私の気持ちは一ミリも変わらないんだから!」
湖月麗奈、美しく長い黒髪、凛とした鋭い瞳、どれをとっても芸能人レベルの美貌、おまけに勉学、スポーツも優秀な天才だ。そんな彼女の秘密を俺は知っている。だから、その秘密をネタに付き合うことを強要したのだ。『バラされたくなければ、僕のモノになるんだ』という、無謀にも程がある告白? いや、脅迫をした。そして、その結果がコレである。
「高井……。そんなことしたって」
隣の男子も何かを言っている。しかし、話の後半は頭に入ってこない。自分じゃない誰かの記憶が頭の中を滅茶苦茶にかき回してくる感覚……。自分が自分でなくなってしまいそうな不安、恐怖……。俺はそれを抑えるのに必死だった。
「あ、いや……。なんか、ごめん」
俺の発言に皆は目を丸くした。それもそうだ、あんなとんでもない脅迫をしておいて、あっさり引くなんて、驚きを超えてもはや不気味ですらある。俺はそんな彼らの反応なんてお構いなしに、屋上の出入口へ走った。
「なに……これ……」
走り出す瞬間、よく知っている声が聞こえた。もう一人の美少女、星空望叶の声が……。すれ違う刹那、彼女と目が合った気がした。原作ではお調子者の可愛い小悪魔系ヒロインである彼女の表情は、暗闇から獲物を狙う獣のように冷静な殺気を醸し出しているかのようだった。
とっさに目に入った男子トイレに駆け込んだ。
ったく! どうなってる!?
さっきの男……アイツはラブコメ漫画『冴えない僕でもギャルゲみたいな恋愛してもいいですか?』の主人公の篠崎紡だった!
それってつまり、ここはあの漫画の世界ってことだろ!?
……しかも俺、どう見ても高井だよな!?
鏡に映る俺の姿は紛れもなく一話で退場する当て馬キャラ、高井宗太。アイツ名前あるんだ……。じゃなくて、なんで俺が!?
いや、違う……。俺は高井宗太だ。頭の中に高井としての記憶が溢れてくる。
なぜ、あんなバカなことをしたのか。本当は……ただ……ただ、彼女に……。
いやいや、待て! 俺には高井じゃなくて、ちゃんとした名前がある!
黒木春斗、それが俺の本当の名だ!
ダメだ……。高井としての記憶と本来の俺の記憶が混ざって……。うっ……急に吐き気が……。
俺は個室に入って盛大に嘔吐した。
胃酸の味に苦しみながら、徐々に黒木としての記憶を思い出してきた。最期の記憶は、雑居ビルの屋上だった。同窓会で再会した親友の榊浩一と二人で三次会に行ったのだ。そのビルは屋上が喫煙所になっていて、そこで二人して馬鹿みたいに笑いながら学生時代の話や今の仕事の話で盛り上がって……それで、柵にもたれかかった拍子に柵が崩れて……。
「榊……」
多分、俺は死んで高井として生まれ変わったのだろう。そして、何故かさっきのタイミングで前世の記憶が蘇ったようだ。
……榊は、榊は生きているだろうか。あのとき、確かに見た。とっさに俺の腕を引こうとする榊の姿を……。俺は見たんだ……。
次の日、俺は学校をサボった。……行けるわけがない。あんな最低なことをしておいて、何事もなかったかのように過ごすなんて俺にはできない。
原作ではビンタされた次の日、学校中に湖月の秘密の写真をばら撒こうとするのだが、星空の策略で失敗に終わるのだ。湖月の写真をばら撒いたつもりが、高井の写真にすり替えれていたのである。まるで、盗撮みたいに影から湖月を撮ろうとしている高井の写真に……。当然、高井はばつが悪くなり、そのままフェードアウト……。
今回はそこまで酷い状況にはならなかったが……だからといって決して良い状況とはいえない。しかし、この人生を諦めるつもりはない。高井として生まれ変わりそして事件を起こしたのは事実だが今はもう俺の人生だ。高井でもあり黒木でもある俺の人生なんだ!
そういうわけで、俺は手始めにこの目元まである長い髪をばっさり切ってもらうことにした。両親が会社へ行くのを見計らい、俺はこそこそと家を出て、美容室へ向かった。スタートはめちゃくちゃ悪いが、俺はこの学校を辞めるつもりもないし、糞みたいな人生を送るつもりもない。やり直してやる!
ラブコメなんて知るか! 俺は自分の人生を再出発するんだ!




