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第一部第七章「領主館ギルド」

 石造りの門をくぐった先は、外の村以上の凄まじい熱気と喧騒に包まれていた。

 領主館の1階部分は、巨大な吹き抜けのホールになっている。そこには冒険者たちが群がる巨大な木製のクエストボードが掲げられ、長いカウンターの奥では、事務服を着た何十人もの人間の職員たちが、山積みの書類や素材の査定に追われていた。


「すごい活気たぬ……! キツネ君、あっちからすっごくいい匂いがするたぬ! お肉の焼ける匂いと、甘いパンの匂いたぬ!」


 たぬ子が鼻をヒクヒクさせながら、ホールの奥に併設された巨大な酒場ダイニングの方を指差してヨダレを拭っている。


(……この食欲も、エラーではなく『ドジっ子仕様』というロールプレイの範疇だと信じたいところだな)


 俺はため息をつきつつ、暴走しそうな彼女のアライグマの尻尾をガシッと掴んで牽制した。

「ポ、ポンポコ!ソレチョットイタイタヌ!」


 「まずは飯の前に、報告が必要なんだ。行くぞたぬ子」

 

 周囲の冒険者や職員たちは、俺たちの姿――特に170センチの狐の獣人という姿――を見るなり、サッと道を譲り、深く、だが怯えることなく一礼をしてくる。


「キツネ様、たぬ子様。こちらです。領主様は上の階におられます」


 カイルに促され、俺たちはホールの奥にある頑丈な階段を上った。

 2階は1階の喧騒が嘘のように静まり返っており、廊下には等間隔で魔族の近衛兵が立っている。その最奥にある重厚な両開きの扉を、カイルが恭しくノックした。


「入れ」


 中から響いたのは、地を這うような、それでいて理知的な低い声だった。

 カイルが扉を開けると、そこは膨大な量の本や書類が整然と並べられた、広大な執務室だった。そして、部屋の奥にある巨大なマホガニーのデスクの前に、その男は座っていた。


「……ほう。見慣れぬ顔だな」


 立ち上がったその姿を見て、俺は冷静な思考回路の片隅でわずかに息を呑んだ。

 獅子ライオンの頭部を持つその魔族は、先ほどの近衛兵すら凌駕する、優に2メートルを超える巨体を誇っていた。全身から発せられる魔力のプレッシャー(処理能力)が、文字通り桁違いだ。


「領主様。こちらの御方々は――」


 カイルが膝をつき、荒れ地での一部始終を報告する。

 それを聞く間、獅子の領主は一度もカイルの言葉を遮らず、静かに頷きながら耳を傾けていた。その態度は、下等な存在を虫けらのように扱う暴君のそれではなく、優秀な管理者マネージャーそのものだった。


「……なるほど。状況は理解した。カイルよ、被害を出さずに帰還したこと、重畳である」


 レオンはデスクから一歩踏み出すと、カイルの肩に大きな、だが驚くほど優しい掌を置いた。


「体の方は、そちらの御方々の慈悲で癒えたようだが……。死線を彷徨った直後だ、精神的なショックはまだ残っていよう。今日はもう上がれ。十分に休息を取り、明日からはまた、この村の平穏のために力を貸してくれ」


「はっ……! 領主様の過分なお言葉、身に余る光栄です。明日からは、より一層精進いたします!」


 カイルは顔を紅潮させ、心酔しきった様子で深い一礼を捧げた。その瞳には、単なる「忠誠」を超えた、熱狂的な「崇拝」の光が宿っている。

 彼はそのまま、感無量といった面持ちで執務室を後にした。


 扉が閉まり、静寂が戻る。室内には、俺とたぬ子、そして獅子の領主であるレオンだけが残された。


「さて。まずは同胞として、我が領地の働き手を保全してくれたことに礼を言おう。私はこの村を任されている、レオンだ」


 レオンは改めて俺たちに向き直ると、威圧感を放ちながらも、対等な存在として静かに頭を下げた。


「キツネだ。こっちはたぬ子。……たまたま通りかかっただけだ、気にするな」


 俺は平静を保ちながら、短く答えた。

 すると、レオンは鋭い金色の瞳を細め、俺の顔をじっと見据えてきた。


「たまたま、か。強大な力を持つ同胞が辺境に足を運ぶこと自体は珍しくはない。村人の危機に、お前たちのような実力者が近くにいてくれたのは、まさに天の配剤と言えるだろう。……だが」


 レオンの声のトーンが、わずかに低く、重くなる。


「この島に配置されている魔族は、皆それぞれが明確な役割を与えられ、統括されている。領主である私は、当然その全てを把握しているつもりだったが……どうやら私の記憶には、お前たちの存在が欠落しているようだ」


 ――ッ。

 俺の脳内で、危険を知らせるアラートが静かに鳴り響いた。


(……なるほど。「野良の魔族」はこの島ではイレギュラーなバグ扱いというわけか。俺たちがこの世界のシステムに登録されていない余所者だとバレれば、面倒なことになる)


 情報が足りない。この島の「管理者」が誰なのか。どのようなネットワークで魔族が紐付けられているのか。迂闊なことを言えば一瞬で矛盾エラーを突かれる。

 俺はあえて数秒の沈黙(ロード時間)を置き、極めて自然な動作でふさふさの尻尾を揺らした。


「……表の『記録』に存在しない者。それが何を意味するか、領主殿なら推測できるはずだが?」


「ほう……?」


 俺は相手の認識システムに「機密任務」や「上位権限からの直接指示」といった都合の良い解釈(錯覚)をさせるよう、あえて主語をぼかしたブラフを投げた。


「俺たちは、俺たちの理由があって動いている。お互い、余計な詮索は互いの首を絞めるだけだ。安心しろ、お前の村を荒らすつもりはない」


 数秒の、張り詰めた沈黙。

 レオンの黄金の眼光が、値踏みするように俺たちの姿を舐めた。


 現時点でキツネ達は知る由もないが、フォルクス族としてはあり得ないほどに頑強で、一分の隙もなく鍛え上げられた俺の肉体。そして隣で欠伸を噛み殺している少女から漏れ出る、ラクン族の常識を根底から覆すような、底知れぬ魔力の奔流。

 その「規格外の器」を目の当たりにしたレオンは、俺の吐いたブラフの中に、ある種の確信めいた答えを見出したようだった。これほどまでの個体が、何の理由もなくただの野良として存在しているはずがない、と。


 やがてレオンは、微かに喉の奥で笑い声を鳴らし、威圧感をスッと解いた。


「……なるほど。そういうことにしておこう。それほどまでの力を持つ同胞の『秘匿された任務』を、無粋に邪魔する趣味はないのでな」


(……よし、通ったか。いや、完全に信用されたわけじゃない。「目の届く範囲に置いて監視する」という判断に切り替えただけだろう)


 安堵しつつも警戒レベルを維持する俺に対し、レオンはデスクの上にあった書類の山をトントンと指先で叩いた。


「ならば、一つ頼みがある。詮索はしない代わりに、少し我々の仕事を手伝ってはもらえないか? フォルクス族と言えば、複雑な書類仕事の『専門家』が多いと聞く」


(……書類仕事の専門家? 狐(フォルクス族)にはそういう種族的な設定ステータスがあるのか)


「見ての通り、この村は今、拡大期にあってな。物資の流通記録や人間の管理など、事務仕事が全く追いついていない。お前たちの能力を少しばかり貸してほしい。もちろん、相応の報酬と、この館での滞在は保証しよう」


 願ってもないオファーだった。

 この村の流通記録や人間の管理データに直接アクセスできれば、この世界の仕様ルールを一気に解析できる。


「……いいだろう。この村の飯は悪くないと連れが騒いでいたところだ。数日間の滞在費代わりに、その仕事、請け負おう」


 俺が頷くと、レオンは満足げに口角を上げた。


「助かる。では、詳細は明日話そう。今日はゆっくり休んでくれ」


 レオンとの短い、だが密度の高い心理戦を終え、俺たちは用意された客室へと案内された。

 通されたのは、石造りの壁に温かみのある木製家具が並ぶ、広々とした一室だった。案内役の職員が「すぐにお食事をお持ちします」と言い残して去り、重厚な扉が閉まった。


 室内が二人だけになったのを確認すると、たぬ子がふにゃふにゃとベッドに倒れ込んだ。


「ふえぇ……緊張したたぬぅ。でも、レオンさんはとっても良い人――じゃなくて、良い魔族さんだったたぬね! 私たちのことも怪しまずに受け入れてくれたし、お仕事タスクまでくれたたぬ!」


 ネイビーのもこもこパジャマを揺らしながら、たぬ子が仰向けになってアライグマの尻尾をパタパタさせた。


「……そう見えるか?」


 俺は窓辺に立ち、厚いカーテンの隙間から階下の広場を観察しながら、短く応じた。


「そうたぬよ! 部下のカイルさんたちのこともちゃんと気遣ってたし、ホワイト企業の鑑みたいな上司さんたぬ! それに、なによりも……」


 たぬ子がガバッと起き上がり、期待に満ちた目で俺を見つめてきた。


「ご飯たぬ! さっきの案内のおじさんが言ってた『焼きたてのパン』、もうすぐ届くたぬか!? 匂いセンサーがもう限界たぬ、早く物理的な味覚を試してみたいぬぅ……!」


「……ああ、もうすぐ来るだろう。お前はそればかりだな」


 俺は適当に相槌を打ちながらも、脳内の分析回路はレオンが見せた「完璧な慈悲」を反芻していた。

 部下を労い、余所者の俺たちにさえ対等に接するあの態度。カイルたちの、洗脳と言っても差し支えないほどの心酔。そして、この村全体に漂う、微かな、だが確実に存在する「出来過ぎた平穏」という名の違和感。


(無邪気なものだ。だが、今はそのままでいい。……お前が初めての『ご飯』を心置きなく楽しめるよう、俺はこの世界に漂う不自然なノイズを、今のうちに全て洗い出しておくとしよう)


 コンコン、と控えめなノックの音が響いた。


「失礼いたします。お食事をお持ちしました」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、先ほどの案内役とはまた別の、穏やかな声の職員だった。


「来たぬ! 待ってたぬぅ!」


 弾かれたようにドアへ駆け寄るたぬ子の背中を見ながら、俺は小さく息を吐いた。

 ワゴンで運ばれてきたのは、この村自慢だという焼きたてのふっくらとしたパンと、たっぷりの干し肉が入った温かいスープだった。


「キツネ君! これが『ご飯』たぬか!? 視覚情報データだけじゃ分からない、すごい熱量カロリーと匂いの気配がするぬ……!」


 たぬ子が震える手で、黄金色に焼けたパンを手に取った。

「あつぅぅぅいっ!?」

 ビクッと尻尾の毛を爆発させ、たぬ子が涙目で自分の指先にふーふーと息を吹きかけている。

 「……冷ましてから手に取れ、と言いたいところだが、お前にはこれが初めての『温度』の経験だったな」

 俺はやれやれと肩をすくめ、彼女の皿にあるパンをナイフで切り分けてやった。

 

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