第一部第五章「交わる言葉と、癒やしの光」
「顔を上げろ。……このあたりについて、少し聞きたいことがある」
そう告げながら、俺は彼らと遭遇した時から裏で抱えていた、一つの疑問の検証に入ることにした。
(……良い機会だ。本格的な情報収集の前に、テストをしておくか)
「――Hello everyone, 你好」
俺は唐突に、地球の他言語を無作為に混ぜ合わせて口にした。
「えっ? マ、マスター? いきなり言語モジュールがバグったたぬか!?」
隣でたぬ子が素っ頓狂な声を上げて目を丸くする。
だが、地面に膝をついていた人間の男――カイルは、荒い息を吐きながらもゆっくりと顔を上げ、痛みに顔を歪めながら答えた。
「はっ……。ご丁寧に……恐れ入ります。私はカイル……後ろにいるのは、リナと……セシルと申します……くっ」
(……通じている。言語の自動翻訳か?)
いや、確実にそうともまだ言い切れないだろう……
……ならば
「カイル。ここは街からどのぐらい……ええと、6.1、5.1、9.4……4.4、1.2、9.3、か?」
「は……はな……離れている、ですか……? はい……最も近い我々の村から、およそ3キロほど……」
(……なるほど)
カイルは一瞬だけ認識の齟齬を起こしたように瞬きをしたが、俺が意図した『離れている』という概念を見事にデコードして返答した。
詳しいシステムの推測は後でたぬ子とすり合わせるとして、ひとまず「言語の壁はない」という検証結果が得られただけで十分だ。
恐らくだが、こちらの思考した文章がそのまま通じている。
それよりも今、目の前に致命的な警告を吐いている問題がある。
「……話は後だ。お前たち、その出血は不味いだろう」
俺はカイルの深く切り裂かれた革鎧と、後ろで脚を押さえてうずくまるリナを見下ろした。セシルと呼ばれた少女も、魔力切れで完全に意識が混濁している。放っておけば、失血かショックでシステムダウン(死)しかねない状態だ。
「たぬ子、ヒール(回復)は組めるか?」
「任せるたぬ! 損傷した生体組織のロールバックと、マナの再充填だぬね! ……『欠損補完』、実行たぬ!」
たぬ子が両手をかざすと、温かな緑色の光が三人の体を包み込んだ。
次の瞬間、カイルの体の傷口が淡い光と共に塞がり、リナの脚の出血もピタリと止まる。限界を迎えていたセシルの顔色にも、急速に赤みが戻っていった。
「な、なんだこれは……!? 傷が……塞がっていく……!?」
自分たちの身に起きた即効性のある異常な回復現象に、カイルは自分の体をペタペタと触りながら、信じられないものを見るような目を向けた。
出血で蒼白だったリナやセシルの顔色も、すっかり健康的なものに戻っている。
「……これでようやく、まともに会話ができそうだな」
俺が静かにそう告げると、カイルは弾かれたように姿勢を正し、改めて深い敬意を込めて頭を下げた。
「今の回復魔法……やはり魔族の皆様の中でも、かなり高位に位置される御方なのですね。それにしても、これほどまでに瞬時で、かつ強大な魔力は見たことがありません」
「えっへん! まぁ、私くらいのエリートになると、この程度の処理は息をするより簡単たぬ!」
カイルからの純粋な称賛を浴びて、たぬ子がネイビーのパジャマの胸を反らし、アライグマの尻尾を自慢げにパタパタと揺らした。
すると、後ろに控えていた聖職者らしき少女――セシルが、恐る恐る口を開いた。
「あ、あの……! もしかして、そのお姿は『ラクン族』の御方でしょうか? 私も治癒の魔法の端くれを学んでおりますが、先ほどの凄まじい魔力には……本当に感動してしまいました」
「ラ、ラクン族……?」
たぬ子が小声でオウム返しにする。
おそらく「アライグマ(Raccoon)」を指すこの世界の種族名なのだろう。たぬ子自身は狸のつもりなのだが、見た目も尻尾もアライグマのハイブリッド仕様であるため、この世界ではそう認識されるらしい。
だが、当のたぬ子はその語源(英単語)にまったく思い至っていないようだった。目をパチパチと瞬かせた後、「ラクン」という響きを何か高尚な一族の名前だと完全に鵜呑みにしたらしい。
「そ、そうたぬ! 私こそがその誇り高きエリート、ラクン族のたぬ子たぬよ!」
(……こいつ、絶対アライグマ(ラクーン)のことだと気付いてないな)
完全に調子に乗ってドヤ顔で頷くたぬ子を横目に、俺は小さく息を吐いた。
すると今度は、セシルが俺の方へと向き直り、緊張した面持ちで言葉を紡ぐ。
「そして、フォルクス族とお見受けする貴方様も……。あの、大変失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
(……名前、か)
フォルクス族。語感からして「狐(Fox)」を指す種族名だろう。
地球での俺の名前(本名)やハンドルネームを名乗ってもいいが、この世界の言語野にない固有名詞を入力して、無用なバグ(警戒)を引くのは避けたい。ここは、相手の認識システムに最も負荷をかけない、当たり障りのない『仮の変数』を渡しておくのが最適解だ。
「……キツネだ」
「キツネ様、ですね……! なんと力強く、威厳のあるお響き……!」
セシルとカイルが、その名前の響きに謎の感銘を受け、再び深く頭を下げる。
どうやら『キツネ』という音(文字列)は、彼らにとっては立派な固有名詞としてすんなりと受け入れられたらしい。
だが、隣にいたたぬ子だけが、ジト目で俺を見上げて袖を引いてきた。
「……マスター。それ、ただの種族名(デフォルト名)そのままじゃないたぬか? ゲームで主人公の名前入力欄に『ああああ』って入れるのと同じくらい適当すぎるたぬよ?」
「黙れ。変な名前をつけて目立つより、初期設定が一番バグが少ないんだ」
俺は小声で文句を言うたぬ子の頭を撫でて黙らせると、改めてカイルたちを見下ろした。
「さて、カイル。村の情勢についてだが――」
本題に入ろうとしたその時、俺はある視線に気づいて言葉を止めた。
カイルの後ろに控えている二人の少女――リナとセシルが、俺の姿をじっとりと、そして熱心に見つめているのだ。
(……なんだ? なにか不具合でもあったか?)
俺は咄嗟に自分の体を点検した。
だが、当然ながらそこには何もない。そう、文字通り「何もない」のだ。
先ほどは『魔族にとっては毛皮が服代わりなのだろう』と冷徹に分析したが、年頃の女性からこれほどまで至近距離で凝視されると、さすがに元人間の理性が警報を鳴らし始める。
(しまった。やはり「全裸」というのは、この世界の文化的な仕様から外れていたのか……?)
もしかして、彼女たちが伏し目がちなのは敬意からではなく、あまりの露出狂ぶりに目を逸らしたかっただけなのではないか。そんな疑念が頭をよぎり、俺はわずかに頬が熱くなるのを感じた。
狐の顔をしているおかげで赤面はバレていないはずだが、俺は気まずさを誤魔化すように、ふさふさの尻尾を小さく揺らした。
「……あ、あの……キツネ様……」
リナが、顔を真っ赤にしながら震える声で呟いた。
謝罪か、あるいは服を着てくれという苦情か。俺が身構えた次の瞬間。
「その……あまりにも、お体が立派で……その、毛並みがとっても『もふもふ』で……なんだか、すごく、格好良いですね……」
「えっ……?」
隣にいたセシルも、祈るように両手を胸の前で組み、うっとりとした瞳で頷いている。
彼女たちの視線に混ざっていたのは、侮蔑でも困惑でもなかった。それは、圧倒的な強者への敬畏をベースにしつつも、その「見事な体格」と「極上の毛並み」に抗えずにときめいてしまった、純粋な乙女心だったのだ。
「……可愛い、だと?」
「そうたぬね! 格好いいのに可愛いなんて、最高のステータスたぬ! やっぱりこの世界でも『もふもふ』は正義たぬよ!」
たぬ子がここぞとばかりに横から口を出し、勝ち誇ったように尻尾をブンブンと振った。
(……なるほど、そういうことか)
俺は心底から安堵し、肺の奥に溜まっていた熱い空気を吐き出した。
羞恥心による一時的なシステムエラーは、どうやら俺の杞憂に終わったらしい。彼女たちにとって、俺のこの姿は「無作法な全裸」ではなく、「美しくて、強くて、少し可愛い高位の存在」という認識で正しくレンダリングされているようだ。
とは言っても、一点だけ疑問は残るが……。
そのことについてはまた後で考えよう。
俺は平静を取り戻し、わざとらしく一つ咳払いをして、リーダーの男へと向き直った。
「……ふむ。余計な心配だったようだな。さて、カイル。改めて村の情勢について聞かせてもらいたいところだが――」
俺は言葉を切り、周囲の森を一瞥してから話を繋いだ。
「その前に、一つ頼みがある。俺たちも訳あって、近くの村や街を探していたところだ。歩きながらで構わない、村への案内を頼めるか?」
「案内ですか? もちろんです!」
カイルは居住まいを正し、感謝と敬意を込めてしっかりと頷いた。
「命の恩人であるお二人をご案内できるなんて光栄です。どうか、我々の村へお越しください」
「助かる。先導してくれ」
カイルたちを先頭に、俺たちは村へと続く街道を歩き始めた。
道中、傷の癒えたカイルは、どこか誇らしげに村の規模について語り始めた。
「我々の村は、ここから街道を道なりに進んだ場所にあります。人口はおよそ三千人の人間と、十名ほどの魔族の方々が管理のため滞在されている、とても活気のある村でして――」
(……十人? 三千人の人間に対して、管理層である魔族がたったの十人だと?)
俺の思考回路に、即座に一つの疑問が引っかかった。
単純計算で、三百対一の比率だ。地球の歴史において、少数の支配層が多数の労働層を管理した有名な例として古代都市スパルタがあるが、あそこでさえスパルタ市民とヘイロタイ(隷農)の比率はせいぜい一対十から二十程度だったはずだ。
一対三百などという極端な数値は、防衛や治安維持という観点から見てリソースの配分があまりにも偏りすぎている。たった十個のプロセス(魔族)で、三千もの人間という広大なシステムを正常にカバーできるとは到底思えない。
「マスター、なんか変たぬね。ネトゲのギルドでも、マスターやサブマスの管理層が少なすぎると、すぐに組織がパンクして崩壊するたぬよ?」
たぬ子も、ゲーマー的な視点からその数値の異常性に気付いたらしい。
(……いや待て。なんでたぬ子がそんなネトゲ事情に詳しいんだ。俺はマクロを組む時にこいつをゲームの自動化に使ったことはないぞ。俺か? 俺が普段部屋でボヤいている独り言の影響か?)
作成者としての俺の日常が、無意識のうちにAIの学習データに影響を与えてしまっている事実に、俺は内心でツッコミを入れそうになるのを堪えた。そして小さく息を吐き、無言で頷くと、会話のログをさらに収集することにした。
だが、俺たちの疑念をよそに、前を歩く彼らから出てくる魔族への評価は、良いものばかりだった。
「村を治めておられる魔族の領主様は、本当に慈悲深くて素晴らしい方なんですよ」
「はい! 私たちがこうして安全に暮らせているのも、領主様と魔族の方々がいてくださるおかげなんです。今回の怪我だって、私たちが未熟だったからで……」
リナやセシルも、弾んだ声で口々に同意する。
そこに恐怖による支配や、搾取への不満といったノイズは一切混じっていない。良き領主に対する、純粋な称賛と信頼だった。
(……なるほど。完全な独裁(暴政)というわけではなく、システムとしては健全に回っているのか。人間たちを虐げているわけでもない。だが、ならばあの十人の魔族は、一体どのような手法でこの規模の村を維持しているんだ?)
わからない。情報が足りなすぎる。
だが、この世界の根幹に関わる重要な仕様が、その村にあることだけは間違いなさそうだった。
「見えました! キツネ様、あそこが我々の村です!」
やがて、鬱蒼とした森の木々が完全に途切れ、視界が開けた。
街道の先に現れたのは、巨大な丸太を組み合わせて作られた堅牢な防壁と、その中央に構える立派な門だった。門の向こう側からは、人々の活気ある生活音(喧騒)が、かすかに風に乗って届いてきている。
「到着たぬね、マスター! 最初のセーブポイント(拠点)発見たぬ!」
俺たちは歩みを止め、眼前にそびえる村の入り口を静かに見据えた。




