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第一部第四章「裸のままの出会い」

 深い森を歩き続けてどれくらい経っただろうか。

 木々の密度が少しずつ薄れ、足元には人が踏み固めた痕跡――石で補強された「街道」らしき道が見え始めていた。


 その時、俺のピンと立った狐の耳が、微かな異音を拾った。

 遠くから風に乗って運ばれてくる、金属がぶつかり合うような乾いた音。そして、切羽詰まった何者かの叫び声だ。


(……戦闘音か。人間の耳だった頃なら絶対に聞き取れなかった距離だな)


 俺は足を止め、隣を歩くたぬ子に小声で指示を出した。


「たぬ子、この周辺のレーダーマッピングは可能か?」


「うーん……広域の無差別スキャン(フルスキャン)をかけると、虫や小動物の動きまで全部拾っちゃって、ノイズだらけで画面が真っ白になっちゃうたぬ。でも、条件指定フィルタリングによる検索なら綺麗に組めるたぬ! 例えば『半径500メートル以内』で『一定以上の質量を持つ生体』みたいに条件クエリを指定してくれれば、対象にだけポインタを落とせるたぬ」


「上出来だ。条件を設定する。『半径500メートル以内』、『質量20キロ以上の動体』だ。マッピングを実行しろ」


「了解たぬ! コマンド実行……結果リターン出たたぬ! 前方およそ300メートル先、複数の生体反応が密集して激しく動いてるたぬ。マッピングデータをマスターの視界に共有するたぬ」


 たぬ子の魔法プログラムによって、俺の脳内に直接、俯瞰図のようなレーダー情報が展開された。指定した質量の光点が、二つの勢力に分かれるようにして激しく交差しているのがわかる。


(……この不規則で激しい動き、間違いなく戦闘中だな。見ず知らずの争いに突っ込むのはリスクが高すぎる。陣営も目的も分からない状況で、どちらかのヘイトを買うのは最悪の手だ)


 俺は視界のマップデータを冷徹に分析しながら、たぬ子に声を潜めて指示を出した。


「……戦っているな。不用意に首を突っ込んで、余計なトラブル(バグ)を抱え込むのは御免だ。こちらに火の粉が降りかからない位置から、まずは状況をモニタリングするぞ」


「了解たぬ。ステルス最優先で接近するたぬね」


 俺たちは足音を殺し、ナビゲーションに従って現場へと素早く接近した。

 街道から少し外れた荒れ地。その手前にある深い茂みに身を潜め、俺は静かに視線の先の状況プロセスを監視し始めた。


 茂みの隙間から視界に飛び込んできたのは、予想以上に泥臭く、そして絶望的な生存競争だった。


 戦っているのは、三人組の人間たちだ。身につけているのは、使い古された革鎧に、手入れの行き届いていない鉄の剣、そして簡素な作りの木の弓。せいぜい中世ヨーロッパ程度の、非常にレトロで不便な装備ハードウェアだった。

 対する敵は、中型犬ほどもある巨大な鼠の群れだ。ざっと見積もって現在十匹前後が、すでに足元に転がっている同数の仲間の死骸を踏み越えながら、執拗に三人へ波状攻撃を仕掛けている。


「……ひどい有様だな」


 俺は息を潜め、冷徹に戦況プロセスを分析した。

 前衛で剣を振るう若い男の戦士は、背後の仲間を庇うように立ち回っているが、その剣には既にいくつも刃こぼれができている。力任せに振り下ろすモーションはスタミナの消費が激しく、次の動作への移行ディレイが長すぎる。

 後方にいる二人の女も限界だ。弓使いの少女は既に矢を撃ち尽くし、脚を噛まれて出血している。もう一人の聖職者らしき少女に至っては、魔力マナが枯渇しているのか、膝をついて荒い息を吐くことしかできていない。


「マスター、あれ……このままだと全滅(全損)確定たぬ。前衛の装甲はボロボロだし、後衛は完全にリソース切れだぬ」


「ああ。多勢に無勢の状況で、あんな開けた場所で包囲されるのは最悪の陣形だ。……だが、この荒れ地の地形を見るに、身を隠せる障害物も背中を預ける壁もない。不意なエンカウントだったとすれば、あの場所で戦わざるを得なかった環境自体には同情する」


 俺は冷静に彼らの「詰み盤面」を俯瞰しながら、言葉を続けた。


「しかし、それにしたって工夫が足りない。負傷した後衛を単に背後で守ろうとするから、前衛が全方位からの攻撃に対応させられて機動力を完全に殺されている。脚をやられているなら、せめて前衛の背中と密着する形で陣形を絞り、敵の射線アグロを一点に集中させるべきだ。あんな闇雲なヘイト管理では、スタミナというリソースから先に底を突く」


「……マスター、何かそんな攻略、昔ネトゲでよくやってたたぬねー」


「ん?」


「ゲームの知識をリアルで言うなんて、ちょっと痛い(駄目な)大人たぬよ」


 たぬ子がジト目でこちらを見上げながら、アライグマの尻尾をパタパタと揺らした。


「確かにまあ、そうなんだけどな。状況を見ると、実際その方が生存率が高そうだし……」


 俺は痛いところを突かれて少し言葉を濁した。だが次の瞬間、前衛の男の革鎧が深く切り裂かれ、ついに片膝を突くのを見て、俺は表情を引き締めた。


「……いや、そんなこと言ってる場合じゃなさそうだな」


 見ず知らずの世界で、わざわざ自分の存在を明かしてまで助ける義理はない。見捨てるのが一番合理的な選択(最適解)だ。――のはずなのだが。


 俺の目は、すでに彼らの生存ルートを必死に演算し始めていた。

 理屈では説明がつかない。リスクを冒してまで、消耗しきった他人を救うメリットなど何一つない。

 だが、必死に仲間を庇い、血と泥にまみれながらも剣を振るい続けるその姿を、ただの「無価値なデータ」として切り捨てることを、俺の直感が拒絶していた。


(……エラーだ。損得勘定を無視して介入するなど、プロフェッショナルの仕事ではないな)


 自身の思考に生じたノイズを、わずかに口角を上げることで自嘲気味に振り払い、俺は腰に提げた鉄の剣の柄に深く指をかけた。

 助ける理由? そんなものは、あとで自分のシステムが勝手に後付けしてくれるだろう。


「……たぬ子。実地テストがてら、あの非効率な戦場に介入するぞ」

「了解たぬ、マスター! 全自動最適化ハッキング、開始するたぬか?」

「ああ。まずは、あの無駄な『数の暴力』を、一瞬で論理消去デリートしてやる」


 直後、前衛の男が完全に体勢を崩した。

 剣を振り抜いた直後の硬直ディレイ。その致命的な隙を突き、一匹の鼠が男の喉笛めがけて跳躍する。

 ――間に合わない。誰もがそう直感した瞬間。


 俺の脚が、地面の土を爆ぜさせた。

 慣れない森歩きで疲労が蓄積していたはずの肉体が、獣特有の爆発的なバネで一気に加速する。数メートルの距離を瞬き一つの間にゼロにし、跳躍していた鼠の横腹に、下からカチ上げるような重い蹴りを叩き込んだ。


 グシャッ、という骨の砕ける鈍い音。

 中型犬ほどの質量を持つ鼠が、くの字に折れ曲がり、数メートル先までボールのように吹き飛んで即死する。


(……なるほど。これが『獣』のフィジカル(出力)か)


 足に伝わった生々しい感触と、過剰すぎる身体能力に内心で驚きつつも、俺は崩れ落ちそうになる男の前に立ち塞がり、鉄の剣を構えた。


「な、なんだ……!?」


 突如乱入してきた二足歩行の巨大な狐に、背後の人間たちが悲鳴に近い声を上げる。だが、振り返って事情を説明している暇はない。


「下がるか、黙っていろ」


 俺の低く冷たい声に人間たちが息を呑むのと同時に、残った九匹の鼠たちの視線が、一斉に俺へと集中した。

 仲間を一撃で粉砕されたことで、群れのヘイト(敵視)が完全に俺へと固定されたのだ。毛を逆立て、全方位から飛びかかってくる鼠たち。

 俺は剣を構えたまま、背後へ向けて短く命令を下した。


「たぬ子、ヘイトは固定した! やれ!」

「了解たぬ! 対象群の生体プロセス(脳波)に強制アクセス……割り込み(インタラプト)処理!」


 茂みからゆっくりと姿を現したもこもこパジャマ姿のたぬ子が、面倒くさそうに指先を一度だけ弾く。


「――強制終了タスクキル、実行たぬ」


 直後、世界から音が消えたような錯覚に陥った。

 派手な爆発も、閃光も何もない。ただ、俺に向かって空中に跳躍していた鼠たちが、一斉に「糸の切れた操り人形」のように力を失い、ドサドサと無防備に地面へ落下したのだ。


 ピクッとも動かない。

 先ほどまで執拗に人間たちを追い詰めていた凶暴な魔物たちが、外傷一つないまま、ただの「肉のオブジェクト」へと変わっていた。神経伝達というシステムを物理的にシャットダウンされた、あまりにも理不尽で静かな『殲滅』だった。


 荒れ地に、不気味な静寂が落ちる。

 血飛沫一つ上がらないその異常な光景に、人間たちは声を発することすら忘れ、ただ震える瞳で俺たちを見上げていた。


 (……さて、どう出る。化け物と罵って逃げ出すか、それとも警戒して武器を構え直すか)


 俺は油断なく剣を下げたまま、彼らの反応レスポンスを待った。

 だが、次に起こった事象は、俺の予測演算とは少し毛色が違っていた。


「あ……ありがとうございます! 魔族のお方、お力添え、心より感謝いたします!」


 前衛でボロボロになっていた若い男が、剣を収めて深く腰を折った。

 後ろの女二人も、震える体で深々と頭を下げる。


(……驚いていない。巨大な狐の俺や、狸の耳を持つたぬ子を見ても、当然のように『魔族』として認識しているのか)

 

 それに、と俺は内心で付け加えた。

 俺が今、一切の服を纏っていない「全裸」の状態であることも、彼らにとってはノイズですらないらしい。獣人型の魔族にとって毛皮はそれ自体が完成された装いなのか、あるいはこの圧倒的な格差の前では、布きれ一枚の有無など些細な問題でしかないのだろう。


 この世界の住人にとって、獣の姿を持つ俺たちの存在は「異常」ではなく、むしろ「自分たちより強い者」という日常の枠組みの中に収まっているらしい。


 だが、男の震える視線は、俺の170センチを超えるがっしりとした狐の肉体を見て、さらに恐縮したように身をすくませた。


「その……ただの魔族のお方というだけでなく、これほどまでに立派で力強いお体をされた、高位の御方々に命を救われるとは……」


 男の言葉に、俺の冷徹な分析回路が新たな仮説ロジックを組み立てる。


(……なるほど。種族間の上下関係に加えて、魔族の内部では『体格の良さや肉体の強靭さ』が、そのまま位の高さに直結しているのか)


「おお……お連れ様も、なんと豊満で気品に満ちたお姿……。どれほど豊かな魔力を宿しておられるのか……」


 女性の一人が漏らしたその言葉を聞いた瞬間、隣にいたたぬ子の表情がパッと明るくなった。

 現代人の感覚からすれば「少しぽっちゃり」に見えるたぬ子の体つきも、この世界の基準アルゴリズムに照らし合わせれば、「どれほど高位の魔族であれば、これほど立派に育つのか」という驚愕と称賛の対象になるのだ。


「ふふーん! 分かってきたたぬね! そうたぬ、私はとっても立派でエリートな狸さんたぬ!」


 たぬ子はネイビーのもこもこパジャマの胸を張り、いかにも「高位の貴族です」と言わんばかりのドヤ顔でアライグマの尻尾をブンブンと振った。

 ……彼女のそれは魔力や権力ではなく、ただの不摂生と怠惰の象徴なのだが、この状況では下手に否定するよりは好都合か。


「……マスター、やっぱり『立派な体』は魔族のステータスたぬね! これからはもっとビーフジャーキーを食べて体を大きくしても許される気がするたぬ!」


「……いい気になるな、ノイズになる」


 俺は調子に乗るたぬ子の頭を軽く小突くと、未だに平伏し続ける男に向き直った。


「顔を上げろ。……このあたりについて、少し聞きたいことがある」


 

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