第264話 豊穣と祝福のフィナーレ
「ほら、ベル。女神さまが呼んでるよ」
イバラから解き放たれ、意識を取り戻したアリエスは、手をつないだままのベルディアを助け起こして言いました。
ベルディアの翡翠色のひとみの先には、同じ色の光で形作られた、女神ファルテミスの霊体が映っています。
「女神、さま……」
そのつぶやきには、どこかためらいの色がにじんでいました。
マグニフにそそのかされたとはいえ、自分は女神を狂わせ、あやうくこのファーブリアの町を滅亡させかけたのです。そんな自分が、どんな顔をして彼女と向き合えばいいのでしょうか。
そんなベルディアの思いを見透かしたように――アリエスは豊かな胸に彼女の顔をぎゅっと抱き寄せました。
「私は、ベルが悪いなんてこれっぽっちも思ってないよ。けれど、それでもベルが自分を許せないっていうなら、せめてその責任は果たさなくっちゃ。だいじょうぶ、私がそばにいるから」
丸みを帯びた愛らしい顔でそう言って、やわらかな手のひらでベルディアの金髪をやさしくなでます。ふわふわのピンク色の髪と白い肌からただよう甘い香りが、ベルディアの整った鼻をくすぐりました。
どんな罪を犯したとしても、最愛の親友は自分を肯定してくれている。
その想いと包み込むようなやさしさが、ベルディアの巫女としての使命に、ふたたび火をともしました。
ベルディアはそっと顔を上げ、アリエスへ身を寄せるようにして、ふたたび想いを重ね合わせます。感謝と、彼女への思慕をいっぱいに込めながら。
アリエスは目をつむってそれを受け入れ、うっとりと丸いほっぺを染めるのでした。
「アリー、大好き……」
「私もだよ、ベル……」
そしてふたりはにっこりと笑い合い、手をつなぎ、指を絡ませながら歩きだします。
元通りになった中央広場の舞台へ上がり、女神ファルテミスと対面し、儀式をやり直すために。
エイルやユーリたちは、舞台の下で静かにそのようすを見守っていました。
しかし、ただひとり、エイミーは――
「ま、待ってください! あたしもお手伝いします! おかしくなってたとはいえ、一度引き受けたことだもの。最後までつとめさせてください!」
『キュー!』
頭にユールを乗せたまま、舞台へ駆け上がっていきました。浄化の魔法の影響で体力も回復したのか、走れるくらいには元気そうです。
ベルディアはくすっとほほえみ、その申し出を受け入れました。
そして――儀式は再開されます。
町が修復されたことで、行方不明だった三つの神器も舞台の上へ戻ってきていました。乱雑に転がっていたそれらを、エイミーは丁寧に拾い上げ、ベルディアへ身につけさせていきます。
おんぼろの剣と盾、それから枯れた草冠を。
そしてエイミーは、ごくりと息をのみながら、女神ファルテミスの霊体と向き合いました。
「女神さま……」
ベルディアは、おそるおそるといった面持ちでつぶやきます。
女神が、自分を依代として認めてくれるかどうか――それが不安だったのです。
けれど、右手に絡む最愛の人のぬくもりと、甘い香りが、そんな気持ちをやさしく打ち消してくれました。
ベルディアはキッと表情を引きしめ――堂々とした態度で、あらためて宣言します。
「女神ファルテミス様。神器まといし我が身を依代とし、この地に豊穣をもたらしたまえ!」
ベルディアがバッと両手をひろげると――女神の霊体が、ふっとほほえんだように見えました。
そして女神もまた両手をひろげ、ベルディアの体をやさしく抱きしめます。
次の瞬間、緑色の光が中央広場いっぱいに満ちあふれていきました。
「まったく、まぶしいなあ。今日で何度目だ?」
エイルの苦々しいコメント。
その横では、エクシリアが「空気を読め」と言わんばかりの視線を送っています。
やがて光が少しずつ弱まり――舞台の中心には、ひとりの女性が立っていました。
金色の剣と盾を持ち、白い花咲く草冠をかぶった、美しい女性。
麦畑を思わせる金色の長い髪に、翡翠色のひとみ。ほんのり日に焼けた豊満な体を、清らかな白い衣が包み込んでいます。
それはまるで、ベルディアがそのまま神々しく成長したかのような姿でした。
『……私は豊穣のファルテミス。こうして再び現世に降り立てたこと、たいへんうれしく思います』
それは、ベルディアと同じ……いえ、それ以上に凛とした雰囲気を持ちながら、それでいて心の奥へすっと入り込んでくる、さわやかな風のような声でした。
女神は、そばに立つアリエスのほうへ静かに振り向きます。
中身はちがうとはいえ、見た目はベルディアそのものです。より神々しさを増した親友の姿に、アリエスは思わずドキッとしてしまいました。
『……巫女ベルディアが感じていたように、私自身にも罪の意識はあります。悪しき者に利用されていたとはいえ、私の存在があやうく、この地を破滅へ導くところでした……』
「そ、そんなことは……」
アリエスはつい、いつものように親友ベルディアをなぐさめる感覚で声をもらします。
すると、それをやさしく制するように、女神のしなやかな右手が、アリエスの豊満な胸へそっと押し当てられました。
『……けれど、貴女のような心優しき巫女守りの奮起のおかげで、破滅の未来を変えることができました。私から、せめてものお礼をさせてください』
次の瞬間。女神の右手を通じて、アリエスの胸へ、全身へ、神々しいマナがあふれるように流れ込んでいきます。
「はうっ……!」
内側から体がふくらむようなふしぎな感覚に、アリエスは思わず甘い声をもらし、びくんとのけぞりました。
すると――彼女の体をさいなんでいた胸や両腕の痛みが、深いキズあとが、すうっと消えていったのです。
そればかりではありません。ふわふわのピンク色の髪はさらに艶やかさを増し、豊満な体つきもより魅力とボリュームを増していきます。緑色だったひとみは翡翠色へ変わり、宝石のような輝きを放ち、顔立ちもますます愛らしく整っていきました。
まるで、アリエスという人間そのものが、女神のチカラによって磨き上げられていくかのようです。
「まるで、ソールベリーを食べたときのシルヴィアさんみたいだ……」
ユーリが顔を赤らめながら、ぽつりとそんな感想をもらしました。
告白されて以来、やっぱりどこか気になってしまうお姉さん。そんなアリエスのぐんと増した魅力に、胸をときめかせずにはいられないようです。
アリエスは、ふだんから持ち歩いている手鏡を取り出し、すっかり変わった自分の姿にうっとりと見入っていました。
もともと自分のかわいさやスタイルには絶対の自信を持っていましたが、親友ベルディアと比べると、どこか見劣りしていると思っていたのです。
けれど今なら、心置きなく彼女の隣に並び立てる。そう思うだけで、うれしくてうれしくてたまらないようでした。
「ありがとうございます、女神さまっ!」
うれしさのあまり、いつものあかるいテンションで満面の笑みを浮かべるアリエス。
『お礼を言うのは、こちらのほうですよ。アリエス』「とってもすてきだよ、アリー!」
ほほえむ女神の声に、体を貸しているベルディア本人の声が重なります。
大好きな親友と尊敬する女神さま、ふたりの声が同時に響いたことで、アリエスはさらにうれしそうに頬をゆるめました。
『もうひとりの巫女守り――貴女にも、お礼をしなくてはなりませんね。降りていらっしゃい』
女神は、いまだシロンの背中に乗り、空中を旋回しているエミルを見上げて言いました。
次の瞬間――
ぽんっ!
シロンが、もとの小さなチビドラゴンのすがたへ戻ってしまいました。
「えっ――」
突然支えを失ったエミルは、そのまま空中へ投げ出されます。
「『きゃあああーーーっ!?』」
エミルと、もう体力を使い果たして飛べないシロンは、仲良くそろって真っ逆さま。この高さから落ちれば、ただでは済みません。
「エミルーっ!」『ねえさまーっ!』
ユーリとクリスが、あわてて助けようと駆け出しかけた、そのとき――
ふわっ……
エミルとシロンの体が、やわらかな緑色の光球に包み込まれました。
光の球体はふたりの落下速度をやさしく殺し、まるで風に乗る羽のように、ゆっくり、ゆっくりと降ろしていきます。
そしてふたりは、すとん、と軽い音を立てて、無事に舞台の上へ舞い降りたのでした。
「し……死ぬかと思った……! もうっ、いきなり元に戻らないでよ!」
『しょーがないでしょ! エミルがマナをケチったから、こうなったんじゃないの!?』
ふたりは無事に着地して安心したとたん、さっそくケンカをはじめました。よりにもよって、女神の目の前で。
エイルは案の定、おなかを抱えて大爆笑していますが、ほかのみんなは失礼にあたらないかと気が気ではありません。
『ふふふっ。貴女たちのことはずっと見てきたけれど、ほんとうに仲がいいのね』
ところが女神ファルテミスは、意外にもくすくすと楽しそうに笑っていました。
やさしく、それでいてどこか威厳を感じさせるその声を聞いて、おたがいのほっぺをつねり合っていたエミルとシロンも、さすがにぴたりと手を止めます。
女神はそのまま、しなやかな右手をエミルの胸元――大きな青いリボンへそっと押し当てました。
「うっ……!」
次の瞬間、エミルもまた、全身に力がみなぎるような感覚をおぼえます。
アリエスのように見た目が劇的に変化したわけではありません。けれど、自分の中で新しいなにかが目覚めたような、ふしぎな感覚がたしかにありました。
『これは、“祝福”と呼ばれるもの……契約の一歩手前のようなチカラです。私たち――貴女たちが神と呼ぶ存在だけが扱うことのできる業なの』
『まさに、カミワザ!』
シロンが元気いっぱいに口をはさみました。
「祝福……」
エミルはぽやんとした顔で、アリエスはうっとりした顔で、自分の胸元をぎゅっと押さえます。
『今回の、貴女たち巫女守りの働きは、実に見事なものでした。個人で祝福を受け取る資格は、じゅうぶんにあります。ほんとうに、どうもありがとう。そして、多大な迷惑をかけてしまって、ほんとうにもうしわけありませんでした』
女神はぺこりと上品に頭を下げました。
女神が人へ謝罪する――ある意味、とても衝撃的な光景です。
「か、顔をあげてください!」
「私たち、ぜんぜん気にしてませんからっ!」
エミルとアリエスはあわてふためきながら、めいっぱい女神をフォローしました。
『……さあ、それでは今こそ、私の果たすべき使命を果たしましょう』
そう言うと、女神はふわりと宙へ浮かび上がります。
さきほどのシロンのように、ファーブリアの町を一望できるほど高くまで。
浄化魔法の影響で、夜のとばりを作り出していた空間魔法はすでに解けています。
けれど空はなお暗く、無数の星々が静かにまたたいていました。
長い死闘のあいだに、いつのまにか本当の夜になっていたのです。
空中で女神は静かに目を閉じ、ぶつぶつと長い呪文を唱えはじめます。
やがて詠唱を終えると、カッとひとみを見開き――
『我が愛するファーブリアの地に、豊穣の祝福あれ!』
女神が両手をひろげた瞬間……そこから無数の金色の光の粒が、まるで流星雨のように、町じゅうへ降り注いでいきました。
光の粒を浴びた植物や作物たちは、みるみるうちに葉を茂らせ、実にはみずみずしい輝きが宿っていきます。この地に生きるワンダーたちにも、豊かな命の気配が満ちていきました。
豊穣祈願祭の神降ろしの儀は――いまここに、ついに完了したのです。
「やったね、エミル!」『ねえさまっ!』
気づけば舞台へ上がってきていたエイルとユーリ、そしてクリスが、エミルとシロンへ笑顔で駆け寄ってきました。
「『うんっ!』」
エミルとシロンも、満面の笑みで元気いっぱいにこたえます。
その光景を、少し離れた場所からカメラマンのライカがパシャリと撮影しました。
「……いまここに、新たな英雄が誕生した――ってところですね」
そんな意味深な言葉を、ニヤリと笑いながらつぶやいて。
こうして、ファーブリアの町をめぐる長い騒動は、ついに幕を閉じたのでした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これにて第4章は完結となり、次回からはエピローグとなる最終章に突入します。
ですがあくまで"このタイトルでの"最終章となり、エミルたちの冒険はそれ以降も描いていくつもりです。
おもしろかった、続きが気になると思っていただけたら、
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