第262話 女神暴走
『バ……カ……な……』
巨大な赤い花がエイルに斬られたと同時に、一体化していたマグニフの意識も途切れていきました。
バラタノオロチの体を構成していた無数の花とイバラも動きを止め、命を断たれたかのように、完全に沈黙します。
「やった……やっぱりお姉ちゃん、すごい……」
絡みつくイバラの中で、エミルは目を細めながら、感心したようにそうつぶやきました。
☆ ☆ ☆
いっぽう、そのようすを空の上から観察していた影が、ひとつ。
どさくさにまぎれて花の塔から脱出していた、【ドデカラス】の背に乗る、あやしい黒マントの人物――クロウです。
「……名も知らぬ黒幕さん。あなたの敗因は、ただひとつ。長くこの町に潜伏するあまり、エイル・スターリングという少女の恐ろしさを生で感じたことがなかったことです。積み上げたジェンガを崩すがごとき、あのハチャメチャな破壊力をね。彼女にかかれば、どれほど長い時間をかけ、入念な準備を整えた計画だろうと、一瞬で水泡に帰してしまう。……まあ、さすがにここまでとは、僕も思っていませんでしたけど」
そんなひとりごとを口にしながら、クロウは双眼鏡で地上を見下ろします。
エイルが剣でイバラを斬り裂き、捕らわれていたエミルとシロンを助け出す姿が映っていました。
「……きょうだいの絆というのは、なかなかあなどれないものなんですよ。僕たちみたいにね」
☆ ☆ ☆
「がんばったね、ふたりとも。えらいぞ」
エイルは、にししっと笑いながら、エミルとシロンの頭をなでました。
ふたりは「『えへへ……』」と、ふにゃりとした笑顔を浮かべます。
できることなら、このままお姉ちゃんに甘えていたい――そんな気持ちもありましたが、そういうわけにもいきません。
「お姉ちゃん、まだユーリとエイミー、アリエスさんたちも捕まってるの。助けてあげて!」
『クリスとユール、ワンダーたちもね!』
「うん、まかせて。ちょっとめんどうだけど、町の人もワンダーたちも、みーんな私が助けるよ! シロも手伝ってね!」
『ワン!』
エイルが胸を張った、その瞬間――
ドクン! と、心臓の鼓動のような音が響き、町がわずかに振動しました。
『マスター! まだ終わってはいません!』
剣から少女のすがたへ戻ったエクシリアが、鋭い声で警告します。
ハッとしたエイルとエミルが、斬り倒された赤い花のほうを見やると……
『オオオオオ……』
そこには、怨念めいた呪詛をつぶやく、赤黒い光の女性のシルエットが浮かび上がっていました。
そのシルエットは、周囲に漂う同色の光を吸い寄せるように取りこみながら、どんどん禍々しい姿へと変貌していきます。
『あれ……めがみさまじゃない?』
シロンが不安そうに言いました。
たしかに、養分として利用されていた女神ファルテミスの霊体が、バラタノオロチの撃破によって解放された――そこまでは理解できます。
ですが、なぜあれほどまでに禍々しい雰囲気をまとっているのか。
一瞬疑問に思ったエミルでしたが、すぐにその理由へ思い至りました。
「そうか! この町に満ちてる、闘争のオーラを取りこんじゃってるんだ!」
そもそものマグニフの計画では、そうすることでファルテミスの狩猟神としての側面を表面化させ、それをベルディアの体へ降ろし、顕現させるつもりだったのでしょう。そして、おそらくはそれを、なんらかの方法で我がものにする計画だったのです。
しかし、ユーリたちの思わぬ奮闘によって、さまざまな予定が狂い、その計画は実現しませんでした。
ですが――このファーブリアの町が、決闘ブームによって闘争のオーラに満ちあふれた状態のままでは、結局、女神への悪影響は避けられなかったのです。
『このままだと……どうなっちゃうの!?』
シロンも空中でばたばたと羽ばたきながら、あわてふためきます。
『おそらく、このままオーラの吸収を続ければ、暴走し……未曾有の事態をまねくことになるでしょう』
エクシリアは神妙な面持ちで、その問いに答えました。
『みぞうのじたい、って?』
『めちゃくちゃわかりやすく言えば、ものすごくやばいことになるってことです!』
次の瞬間――
ドクン! と、さらに強い鼓動音が響き、町全体の振動も大きくなります。
エクシリアのざっくりとした説明が、いままさに現実になろうとしていることを、誰もがひしひしと感じていました。
「どうする? 斬っちゃう?」
「ダメだよ! 女神さまなんだよ! そんなことしたら、どっちにしろファーブリアが滅んじゃう!」
腰の剣へ手を伸ばしたエイルを、エミルは必死に止めました。
アンリは言っていました。神降ろしの儀式がうまくおこなえなかったことで、ファーブリアはかつて滅びかけたのだと。
ならば、その女神そのものを倒してしまえば、もっとひどいことになる――それくらい、簡単に想像できます。
それに、理由はファーブリアの町のためだけではありません。エミルはもう、お姉さんに――4年前、聖獣を殺してしまったときと同じ業を、背負わせたくなかったのです。
『ですが、なにか手を打たなければ……ファーブリアどころか、王国全体の危機になりかねません!』
エクシリアの声にも、あせりがにじんでいました。完全に手詰まりの状態です。
やはり、完全に暴走する前に女神を倒すしかない――エイルがふたたび剣へ手をかけようとした、そのときでした。
「エミルちゃん! 浄化の魔法です!」
頭上から、聞き覚えのある声が響いてきました。
エミルたちがそちらを見上げると、建物の屋上に、メガネのカメラマンのお姉さん――ライカが立っていました。
「ライカさん!?」
「イザベルさんからの伝言です! すべての準備は完了したと! あとは、エミルちゃんたちの仕事です!」
ライカの叫びを聞いた瞬間、エミルはハッと思い出しました。
☆ ☆ ☆
それは、三日ほど前――探検家の女性・イザベルと出会った日のこと。
宿屋・子うさぎ亭にて。
「エミル。君がさっき森で披露してくれた浄化魔法、実にすばらしかった」
“さっき”というのは、アリエスの弟・ウールを助けに向かった森で、エイルが倒した【ハラヘルハウンド】の群れの魂を救ったときのことです。
「いやあ、それほどでも……」『あるけどねー!』
エミルは照れ笑いを浮かべ、シロンは得意げに胸を張りました。
「思うんだよ。そのチカラがあれば、この町の荒んだ雰囲気を救うことができるんじゃないかってね」
「どういうことですか?」
「さっきも話しただろう? 闘争本能を刺激する術式のせいで、この町はそういう荒れた空気に満たされている。私には到底、これが本来のファーブリアの姿だとは思えない」
「それは……わたしもそう思います。けど……わたしたちだけのチカラで、それをどうにかするなんて……」
「そうだね。君たちだけのチカラでは不可能だろう。だが、私の探検家としてのカンが言っているのさ。この町を真の意味で救うためには、君たちのチカラが絶対に必要だとね」
「真の意味で、救う……」
「たとえば、森のワンダーたちをまとめて浄化した、あの魔法の範囲を――町全体にまでひろげることができれば、それは可能になるだろう?」
「でもそんなの、わたしの……ううん、人間といちワンダーのチカラじゃできっこないですよ。それこそ、神さまでもなくっちゃ」
「確かにな。まあ、もしも……の話だ。頭の片すみにでも、おぼえておいてくれたまえ。はっはっは」
「は、はあ……」
☆ ☆ ☆
イザベルは、どこか愉快でつかみどころのない人です。あのときの言葉も、半分は冗談だったのでしょう。
ですが彼女は、“エリクシール”という幻の万能薬を持ち歩き、めずらしいワンダーばかりをパートナーにしていました。
だからこそ、そんな突拍子もないことでも、もしかしたら彼女なら実現できるのかもしれない――エミルは、心のどこかでそう信じていたのです。
冗談半分ということは、残り半分は本気だということなのですから。
だから、ライカの言葉を聞いた瞬間、エミルは理解しました。イザベルがほんとうに、“町全体に浄化魔法をかける準備”を整えてくれたのだと。
「シロン! わたしを連れて飛んで!」
『うんっ!』
シロンは迷いなく応え、人間の少女のすがたへ進化すると、エミルを抱きかかえて飛び立ちました。
そして、ファーブリアの町を一望できるほどの高さまで、高く、高く舞いあがっていきます。
『オオオオオ……』
なおも女神の霊体は、周囲の闘争オーラを吸収し続けていました。その姿は禍々しさを増すだけでなく、風船のようにどんどん膨れあがっていきます。まるで、このまま爆発してしまいそうなくらいに。
町じゅうが不気味な振動に包まれるなか――それでもエイルは、空へ飛び立つ妹たちの姿を見上げながら、どこかすがすがしい笑みを浮かべていました。
「がんばれ、エミル、シロン。わたしのかわいい妹たち……」
そのやさしいひとことには――最愛の妹たちに対する、絶対的な信頼が込められていたのです……




