第259話 チカラを合わせて!
『くっ……こんなもの……さらに出力を上げさえすれば……!』
天使化したアリエスの魔法によって脱力したバラタノオロチを復活させるべく、捕らえた人やワンダーたちから養分を吸い上げようとするマグニフ。
しかし、その活動すら鈍っており、思うようにパワーが回復していきません。イバラはうごめいてはいるものの、先ほどまでの勢いは明らかに失われていました。
『いいわ! マナの流れが弱まってる!』
そのようすは、クリスのクリアブルーのひとみにもはっきりと映っていました。流れ込むはずのチカラが途切れ途切れになり、ゆるやかになっているように見えるのです。
そこでユーリはハッと思いつき、自分を抱えて飛ぶクリスの顔を見上げます。
「動きを鈍らせる……クリス、ぼくらの鎮静のチカラで、同じようなことができないかな?」
『! ……そうね、やってみましょう!』
クリスはそんなユーリに感心したように微笑むと、彼と息を合わせるように右手を突き出し、意識を集中させました。
寒い場所で、体が凍え、動きも思考も鈍っていく感覚――
骨の芯まで冷えきり、すべての活動がゆっくりと止まっていく、そんなイメージを鮮明に思い描きます。
そして、それを現実へと引き寄せるような冷気が、クリスの右手から静かに、しかし確かに放たれました。
冷気はバラタノオロチの無数のイバラへと吹きつけられ、次々とその表面に薄い氷を張らせていきます。
ピシリ、ピシリと細かな音を立てながら、イバラは凍りつき、動きが重くなっていきました。
狙い通り、その動きはみるみる鈍っていきます。
「ユーリくん、すっごい!」
天使化したアリエスの称賛する甘ったるい声が、ユーリの耳に直接響きました。その声はどこかくすぐったく、心の奥までやわらかく包み込むようです。
思わず胸がドキンと高鳴り、もっとがんばりたいという気持ちが強く湧き上がってきます。
「クリス! もっとだ! 今度は……冬眠させるイメージ!」
『そういうのは得意よ! まかせて!』
クリスはさらにとくいげに笑います。ドラゴンである彼女にとって、冬眠という行為は本能に深く刻まれているものなのです。
次の瞬間、先ほどよりもさらに強烈で、それでいてどこかやさしさを帯びた冷気が放たれました。包み込むようなその冷気は、まるで眠りへと誘う子守歌のように、イバラの動きをさらに弱めていきます。
凍りついたイバラはさらに力を失い、しだいにだらりと垂れ下がっていきました。
そのようすを、【シムルグアゲハ】の背の上で見ていたアンリもまた、何かを思いついたように静かに目を細めます。
「成程。そういう事であれば、我々にも出来る事がありそうです。エイミーさん」
「は、はい!」
同乗していたエイミーは、ふいに声をかけられてびくっと肩を震わせました。
眼下では巨大な怪物が暴れ、町は崩れ、煙が立ち上っています。その光景に気を取られていたのです。
「私に策があります。本体……赤い花の頭上を取りたいので、隠蔽魔法を使って頂けませんか?」
動きがかなり鈍っているとはいえ、いまもなおバラタノオロチの無数の花弁やイバラからの猛攻は続いています。うなりを上げて振り回されるイバラは、空中にいる彼女たちにも容赦なく襲いかかってきていました。
そんな中で本体に接近するのは、決して簡単なことではありません。
だからこそ【ハネウサギ】のユールの隠ぺい魔法を使い、姿を隠して安全を確保したい――アンリはそう考えたのです。
「わ、わかりましたっ! ユール!」
エイミーは指輪からユールを呼び出しますが……
『キュ、キュ~!』
町の惨状と大怪獣同士の激しい戦いを目の当たりにし、極端に臆病な彼はすっかり怯えきってしまっていました。耳をぺたんと伏せ、体を小さく丸め、今にも逃げ出してしまいそうです。
そんなユールの体を、エイミーはぎゅっとつかみ、しっかりと目を合わせて言い聞かせます。
「気持ちはわかる! あたしだってめちゃくちゃ怖いよ! でも、ここで勇気を出さなきゃ、この怖さはずっと終わらない!」
震える声。それでも、エイミーは言葉を止めません。
「それに、あたしたちだけじゃない。ユーリさんたちも、お母さんたちも、町のみんなも……もっと怖い目にあうことになる! だから――チカラを貸して……」
そこまで言いかけて、エイミーは若草色のひとみを潤ませ、ぶんぶんと首を振りました。
「……ううん。ちがうね」
一度深く息を吸い、そしてまっすぐユールを見つめ直します。
「あたしとチカラを合わせよう! あたしとキミは、ふたりで一人前なんだから!」
その言葉に、ユールはハッと目を見開きました。
それは――エイミーとはじめて出会ったときに聞いた言葉と、同じ響きを持っていたのです。
あのときも、怖かった。でも、この言葉に背中を押されて、前に進むことができた。
仲間を助けたいと思えた。エイミーといっしょにいたいと、強く願えたのです。
『……キュ!』
ユールは覚悟を決めたように、くりっとした目をキリッとつり上げました。小さな体に、確かな意志が宿ります。
「……ありがと、ユール!」
エイミーは涙をこぼしながら笑顔を浮かべると、こつん、とユールとおでこをくっつけました。
そのぬくもりが、ふたりの心をひとつに結びつけていきます。
すると――
ふたりの体が、突然、若草色の光を放ちました。
「こ……これは……!」
無表情を崩さないアンリも、さすがに驚きを隠せず、目を見開きます。
やがてふたつの光は、互いを引き寄せ合うように溶け合い、ひとつへと収束していきました。
そして現れたのは――赤茶色のショートヘアに、ぴょこんと長く垂れた大きな耳を生やした、エイミーの姿でした。
その全身からは、これまでとは比べものにならないほど濃密なマナが静かに立ちのぼっています。
有識者であるアンリは、一瞬で理解します。エイミーもまた、パートナーと一体化したのだと。
さらに驚くべきは――まだ10歳で、適正年齢にすら達していないウィザードが、その領域に到達したという事実でした。
ユールと一体化したエイミーは、シムルグアゲハの背の上で、風に揺らぎながらもバランスよくすっと立ち上がり、迷いなく杖をかざします。
「いきますよ、アンリさん。じっとしててください」
落ち着いた声音。その中には、これまでにない確かな自信が宿っていました。
アンリは疑問をひとまず棚上げし、言われた通りにバラタノオロチの本体を見据え、低く構えます。
「《ハイドアウト》!」
エイミーが魔法を唱えた瞬間――
彼女たちを背に乗せたシムルグアゲハの巨体が、まるで最初からそこに存在しなかったかのように、ファーブリアの空からふっと消え去りました。
風の流れすら残さない、完全な隠ぺいです。
『感じるよ! エイミーも、なんかすごいことになってる!』
「うん! やっぱりあの子、ウィザードの才能に満ちあふれてる!」
エミルを抱えてかく乱飛行を続けるシロン。ふたりは同時に、妹分の急成長に目を見張っていました。
『ユーリ! エイミーが……』
「うん……ぼくも感じたよ。やっぱりあの子は、ぼくなんかよりずっとできた子だ……」
クリスに抱えられているユーリもまた、感動で涙をこぼしていました。
自分に好意を寄せてくれた子だからこそ、その才能の開花が、よりいっそうまぶしく、そしてうれしく感じられるのです。
胸の奥に、ほんの少しだけ切なさがよぎります。それでも、彼女の成長を誇らしく思う気持ちは揺らぎません。
『どこだ!? どこに消えた!?』
マグニフは、一瞬にして姿を消した――一応は上司であったアンリの乗るシムルグアゲハを、必死に探し回ります。
バラタノオロチは優れた感知能力を持っています。しかし、たとえ動きが鈍っていない万全の状態であったとしても、いまのユールの隠ぺい魔法を看破することはできないでしょう。
そして、姿を消したシムルグアゲハは――
狙い通り、バラタノオロチの本体である巨大な赤い花の真上に到達し、静止していました。
「その魔法、あとどれくらい持ちますか?」
アンリは振り向き、杖をかざしたまま集中しているエイミーにたずねます。
「あと……40秒ちょっと!」
エイミーの額には汗がにじみ、声にもわずかな震えがありました。
隠ぺい魔法の効果時間は、隠している対象の大きさと強さに比例します。
シムルグアゲハほどの巨体とチカラを完全に覆い隠し続けるには、エイミーと一体化して強化されたユールのチカラをもってしても、それが限界でした。
「それで充分です! 時間一杯まで、持たせてください!」
アンリは白衣のふところから杖を取り出すと、静かに目を閉じ、祈るように魔力を練り上げはじめます。
その間も、バラタノオロチの無数の花弁とイバラは、彼らの存在に気づくことなく、周囲でかく乱飛行を続けるエミルたちを狙って暴れ続けていました。
唸りを上げるイバラが空を裂き、衝撃波が街の瓦礫を吹き飛ばします。
しかし――その真上に、決定打が迫っていることには、まったく気づいていません。
やがて――40秒。
その瞬間、シムルグアゲハの翠緑の巨体が、すうっと空間ににじみ出るように姿を現しました。
『なっ……! いつの間に、そんなところに!』
マグニフは顔こそ見えませんが、その声には明らかな動揺がにじんでいます。
隠ぺい魔法を解いたエイミーは、同時にユールとの一体化も解除され、もとのふたりの姿に戻ると、その場にへたり込みました。肩で息をし、もう立ち上がる力も残っていません。
「よくできました。はなまるを差し上げましょう」
アンリはわずかに口角を上げ、エイミーとユールを静かに称賛します。
そして次の瞬間――鋭く杖を振り下ろしました。
「《ドリーミンパウダー》、最大最濃散布!」
シムルグアゲハが翠緑の大きな翅を力強く羽ばたかせると――
そこから放たれた紫に光る鱗粉が、雪のように静かに、しかし大量にバラタノオロチへと降り注ぎました。
それは、生きとし生けるものを夢の世界へといざなう、強力な眠りの粉。ふわり、ふわりと降り積もり――やがて、全身を覆い尽くします。
すでに動きを鈍らせていたバラタノオロチは、その影響をまともに受けました。
イバラは力なく垂れ下がり、花弁のうねりも止まり――ついに、その巨大な体は完全に動きを止めたのです。




