第257話 イバラの巨大怪獣
エミルはシロンに、ユーリはクリスに背中から抱えられた状態で、
ベルディアとアリエスは、魔法で背中に翼を生やした【レイホース】の背に乗り、
エイミーはアンリとともに、彼女のパートナーである巨大な緑色の蝶【シムルグアゲハ】に乗せてもらい、それぞれ建物の屋上から飛び出しました。
目指すは中央広場――暴れ回る、無数の花が多頭蛇のごとくうねり、咆哮する巨大怪物です。
その異様な姿は、まるで街そのものを飲み込もうとする生きた災厄のようでした。うごめくイバラが地面を裂き、石畳を砕き、周囲の建物を軋ませています。
『クックック……来ましたね。飛んで火に入る、夏の虫ども』
無数に咲き乱れる花のひとつ――紫色の花弁がわずかに開き、黒幕マグニフの声が響きます。
「虫は虫でも、こちらは虫のスペシャリストですが」
シムルグアゲハの背の上、アンリが無表情のまま淡々と返しました。その声音は静かですが、内に秘めた怒りがにじんでいます。
『そのスペシャリストも、まんまと私の策にハマってしまったようですが?』
「そうですね。迂闊だったとしか言いようがありません。よもや、いつも口にねじ込んでくれた蒸しパンに、寄生植物の種を仕込んでいたとは。……こちらの信用を得るために、ずいぶん長い時間をかけて潜伏していたようですね」
『ええ、なつかしいですねえ。思えば、先代がまだ存命のころからの付き合いでしたか』
「……よしましょう」
アンリの声が、わずかに低くなります。
「ここまで手痛い裏切りを受けて、感傷に浸る余裕がある程、私の懐は深くありませんので」
無表情のまま、しかしわずかにつり上がった目が、はっきりとした怒気を宿していました。長く信頼していた副官に裏切られた痛みは、想像以上に深いものだったのでしょう。
シムルグアゲハは大きく羽ばたき、空気を震わせながら一気に加速します。その巨体が影を落とし、まっさきに花の怪物へと突っこんでいきました。
「あ、あぶない!」
ユーリは思わず声をあげます。
「だいじょうぶ! 頭に血がのぼってても、我を忘れるような人じゃないから!」
そう言い切れるのは、エキシビションマッチで実際に彼女と戦ったエミルだからこそでした。
そして――エミルは杖をびしっと前方へ突きつけます。
「わたしたちは……さっそく大きいの一発、かましちゃおう!」
いたずらっぽく笑うエミル。そのひとみには、戦いへの迷いは一切ありません。
ユーリも、その意図をすぐに理解しました。
「……わかった!」
ほほえみ、力強くうなずくと、同じように杖を突きつけます。
『やるよ、クリス!』
『ええ、姉さま!』
パートナーたちを抱えたまま飛翔しながら、シロンは右手を、クリスは左手を同時にかざしました。
その手の先に、巨大な結晶が形成されていきます。
周囲の空気が震え、光の粒子が渦を巻くように集まり――やがて奔流となって結晶へと流れ込んでいきました。
そして――!
「「『『《クリスタライズブラスター》!』』」」
四人の声が重なった瞬間、
極大の光線を推進力にした、巨大水晶の弾丸が――彗星のごとく放たれました!
エミルとシロン、ユーリとクリス。
ふたつの絆が重なって生まれた最強の合体魔法。さらにクリスが人型に進化したことで、その威力はかつてとは比べものにならないほど高まっています。
ドガシャァァァァァン!!!
水晶の彗星は、中心に咲く赤い花――さっきまで花の塔だったもの――へと直撃。
砕け散った水晶片が光を反射し、無数のきらめきとなって空中に舞い散ります。その衝撃は、イバラの首を大きくのけぞらせるほどでした。
『グム……! この【伐天改獣ノーブルバラタノオロチ】をひるませるとは!』
マグニフの声が響きます。どこか楽しげでありながら、確かな苦悶も混じっていました。
「なっがい名前! やっぱり、そのバケモノと一体化してたんだね!」
エミルは、またいたずらっぽく笑って返します。
ユーリやアリエスたちは、その言葉に息をのみ、あらためて敵の異質さに目を見張っていました。
『クック……その通り! 実に気持ちいいですよお。ワンダーとひとつになるというのは! これぞ我らバッテン・クロイツの目指す境地! "プロフェッサー"にすら成し得なかった、最強のワンダーに、私はなったのです!』
無数の花弁が歓喜するかのように揺れ、毒々しい色の花粉が舞い散ります。
「何言ってるかわからないけど……そんなもの、ひとつになるなんて言わないよっ!」
エミルはきっぱりと言い切り、杖を振り抜きました。
それに応じて、彼女を抱えるシロンが右手から光線を放ちます。
まるで「うるさい!」と言わんばかりの一撃は、バラタノオロチの赤い花弁へと直撃し、さらに大きくのけぞらせました。
『この……生意気なっ!』
ブチ切れたマグニフが咆哮します。
すると、周囲の花弁が一斉に開き――まるで竜が炎を吐くかのように、毒々しい色のブレスをエミルめがけて噴きつけました!
紫、緑、黒――混ざり合ったそれは、空気そのものを腐らせるような瘴気を帯びています。
しかし――シロンは翼を大きくひろげ、軽やかに空中を舞いました。
ひょい、ひょい、と流れるような旋回でブレスをかわし、エミルを守りながら、華麗に飛び続けます。
『へっへーん! そんなすぐムキになっちゃってさ! たいしたことないじゃん!』
そしてマグニフを挑発するように、べーっと舌を出しました。
さらに――
パラパラパラ……ドガドガドガアン!
シムルグアゲハのばらまいた鱗粉が空中にひろがり、次の瞬間、広範囲で連鎖的に粉塵爆発を引き起こします。
爆炎と衝撃が重なり合い、バラタノオロチの複数の首を同時に打ち据えました。爆風にあおられ、巨大なイバラの体が大きく揺らぎます。
「だ、そうですよ。ちなみに私もそう思います」
アンリが、あざ笑うように冷たい声で言い放ちました。その表情は相変わらず無機質ですが、わずかに口元が歪んでいます。
『ククク……ハーッハッハッハ!』
マグニフは怒り狂うかと思いきや、突然、高らかに笑いはじめました。
『なんだか、ハクが暴走したときのカナトみたい!』
シロンが思わず感想をもらします。たしかに、あのときのカナトも、理性を失って妙に高揚していたのを思い出します。
「人間、理性がなくなったらみんな、あんな没個性な悪役っぽくなるのかな……」
エミルも、どこかうんざりしたようにため息まじりの言葉をもらしました。
――ですが。その軽口も、ほんの一瞬で吹き飛びます。
なんと、バラタノオロチの傷がみるみるうちにふさがり、しおれていた花弁やイバラが、みずみずしさを取り戻していくではありませんか。
『無駄無駄、無駄なんですよお! バラタノオロチのマナは無尽蔵! なにしろ、この町の命すべてが養分なんですからねえ!』
マグニフの高笑いが、中央広場に不気味に響き渡ります。
その言葉を裏づけるように、地面から、建物から、空気から、そして捕らえられた人々やワンダーから――目に見えないチカラが吸い上げられ、イバラを通じて怪物へと流れ込んでいくのが感じられました。
『たしかに……町じゅうのマナが、イバラを通じて、あの花のバケモノに集まってる……』
クリスが顔をしかめ、苦しそうに言います。
「ある程度予想はしてたけど……ほんとうに、最っ低ね!」
エミルは奥歯をぎりっとかみしめました。怒りと悔しさが、その小さな体に満ちていきます。
「どうするの、エミル? これじゃ、手の出しようが……そもそも……」
――こんなの相手に、ぼくたちだけで勝てるの?
その言葉を飲み込みながら、ユーリは不安そうに問いかけました。
「……言ったでしょ? あいつを止めているだけでいい。そうすれば……」
エミルが言いかけた、そのとき――
ビュオッ!!
無数のイバラが、ムチのようにしなりながら、いっせいにこちらへ伸びてきました!
『あっぶな!』
シロンはぐんっと大きく身をひるがえし、鋭い軌道でそれを回避します。クリスや他の仲間たちも、それぞれ空中で体勢を変え、間一髪でイバラをかわしました。
しかし、攻撃はそれだけでは終わりません。
無数の花弁の口が開き、毒々しいブレスが吐き出される。さらに、花粉が霧のように広がり、葉が刃となって飛び交う――
四方八方から押し寄せる猛攻に、とても会話を続ける余裕などありませんでした。
それでも――全員の考えはひとつでした。
――エミルの言葉を信じる。そして、“その時”が来るまで、敵の注意を引きつけながら、ただ、生き残ることに集中する!
「……ベル、ちょっといい?」
天翔けるレイホースの背の上。しっかりとベルディアの体にしがみつきながら、アリエスが声をかけます。
「私にはわかる。天使さまの指輪……いま、ベルが持ってるんだよね?」
それは、かつて神殿でエミルに託し、そして現在はベルディアが取りあげ、預かっている――天使アリエルが宿るコネクタリングのことでした。
「うん……ほら、これ」
ベルディアは一瞬だけ周囲を確認すると、胸元から指輪を取り出しました。
大切にしまっていたそれは、わずかに体温を帯びて、やわらかく光を反射しています。
「ちょっ……そんなところにしまってたの……?」
アリエスは思わず顔を赤らめ、驚いたように目を丸くしました。
「……アリーのこと、ずっと感じていたかったから……」
ベルディアは少し照れくさそうに、でもうれしそうにほほえみます。
一瞬だけ、ふたりの間にやわらかな空気が流れましたが――
次の瞬間、すぐに現実へ引き戻されます。いまもなお、バラタノオロチの猛攻は続いているのです。
「……あのときは、私には資格がないって、エミルちゃんにゆずったけど……」
アリエスは、まっすぐにベルディアを見つめました。
「いまは、彼女のチカラが必要なときだと思う。だから……返してくれる?」
そっと差し出された手。その表情は、強い決意と、少しの不安を含んでいます。
ベルディアは、くすっと小さく笑いました。
「返してくれる、なんて言わなくていいよ。もともと、アリーのものなんだから」
そう言って、そのやわらかな手のひらに、ぽとりと指輪を落とします。
「……そうだね!」
アリエスは力強くうなずき、ぎゅっと指輪をにぎりしめました。
すると――その手のすき間から、まばゆい光があふれ出します。
光の粒子が空中へと舞い上がり、渦を巻くようにアリエスの頭上へと集まっていきました。
そして――神々しい光とともに、【白羊天使マルアリエル】が、静かに降臨したのです。




