第253話 生死の境界プルガトリウム
「そうだ……思い出した……わたし、3歳のころ……ここに来たんだ……」
白いワンピース姿の12歳のエミルは、目を見開いてつぶやきました。
目の前にいる、青い炎のような長髪をしたマジシャン風の男が、くすりと笑って口を開きます。
『その通り。なら、どうして君がいまここにいるのかも、わかるよね?』
「……あのときと同じ。死んじゃったんだね、わたし」
その言葉は、内容こそ重いものでしたが、口調はどこか他人事のように軽いものでした。
『そう、君の肉体は死んだ。だからこのプルガトリウムに導かれ、審判のときを待っている』
「審判のとき……?」
『もう一度思い出してみるんだ。君が9年前、この地を訪れ、そして現世に舞い戻った理由を』
「そうだ……あのときも、わたしはあなたと出会った。ここがどういう場所なのか、教えてくれた」
『そう、幼いながらも賢かった君は、自分の置かれた状況を理解すると泣きじゃくり、現世への帰還を求めたね。きのうのことのようによく覚えているよ』
「うん……そうだったね。でも、いまはなんでだろ、ふしぎと生き返りたいと思わなくなってるんだよね」
『それは君が二度の死を体験したことで、感覚が慣れてしまったからさ。つらくきびしい現世の苦しみから解き放たれて、楽になってしまいたいという気持ちが、一度目の死で芽生え、今回の二度目の死で育ってしまっているんだ』
「つらくきびしい、現世の苦しみ……か」
『おぼえがあるようだね』
「まあね。一度目にここに来て、戻ってからの9年間、たしかにそういうことばっかりだからなあ……」
エミルは、これまでの体験を思い返していました。
4歳のころ、暗い森に迷い込み、ブラッドッグの大群に襲われたこと。
8歳のころ、森のワンダーたちが惨殺された現場を目撃したこと。
それを引き起こした、暴走した聖獣と戦い、討ち倒したせいで、大好きなお姉さんと別れることになってしまったこと。
旅に出るまでの4年間、長くつらい修行の日々のこと。
12歳で旅立ってすぐに、めずらしい水晶のドラゴンを持つ男の子と出会ったこと。けれどそのせいで、自分もそのドラゴンを狙う刺客に何度も狙われるはめになったこと。
野生のワンダーを乱獲しようとする盗賊と、死闘をくりひろげたこと。
聖域の森でダークエルフを救うために挑んだ、命がけの冒険。
決闘を強制するろくでもない人間や、食糧難に苦しむワンダーとの出会い。
冒険者の休憩所で起こった、多くの人を巻きこんだ事件。
そして訪れた大きな町で、巨大な陰謀に気づかず首をつっこんだことで、こうしてまた命を落としてしまったこと。
たしかに、つらくて苦しいできごとばかりでした。どうしてこんな世界で、生きようなんて思ってしまったのだろう?
そんな疑問が、胸の奥からわき上がってきました。
けれど、その答えもまた、すぐに浮かび上がってきたのです。
「……ううん、ちがうよね」
『何がだい?』
「たしかに、12年生きてきて、つらいこと、苦しいこと、イヤなことはいっぱいあったよ。けれどそれはすべて、自分で選んで決めてきたこと。それを否定も後悔も、投げ出すつもりなんてない」
『投げ出したほうが、楽になると思うけどねえ』
「そうだね。楽にはなれる。けど、いっしょに思い出したんだ。イヤなこと以上に、現世にはステキなことがいっぱいあったんだって。だから生きていたいと思ったんだって。だから、投げ出したくないんだって、思い出したんだよ。わたしは死んで楽になるよりも、生きて世界を楽しみたいってことも……」
エミルの青いひとみから、涙がこぼれはじめました。
頬をつたい、ぽたり、ぽたりと静かに落ちていきます。そのしずくは足もとの水面に触れることもなく、淡く光って消えていきました。
「そうだよ。わたしはまだ生きていたい。あの世界で、大好きな人たちと、ワンダーたちと生きていきたい。まだ伝えていないことも、なしとげていないことだって、たくさんあるんだから。こんなところで死んでる場合じゃ、ない……わたし……もっと生きたかったよ……!」
エミルは、涙が止まりませんでした。
生きたい、という願いを口にしながらも、心の中ではもう、それがかなわないことをわかっているからです。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるように痛みました。それでも、あふれ出す想いは止められませんでした。
そんなエミルの気持ちを見透かしたように、男は静かに言いました。
『……さすが太陽の子。そのひとことが聞きたかった』
「え……?」
『……君がはじめてここを訪れて、いまよりもっと泣きじゃくったとき、僕が提案した“取り引き”も覚えているね?』
「……うん。“君の生命力の半分と交換で、現世に戻してあげる”……でしょ」
『そのあとに、言ったことは?』
「“このサービスは一度きり。次はないから、せいぜいまた死なないように気をつけたまえ”」
『うん。一言一句たがわない。さすがの記憶力だねえ』
「……思えば、だからなんだよね。わたしに見えないものが見えたり、魂の声が聞こえるようになったのは」
『そう。一度“死”を体験したことで、君は半分“こちら側”の存在となった。だから、そういうことができるようになったのさ。ちなみに、君の髪と目の色が変わったのは、生命力を半分もらった影響だよ。君の現世でのようすはのぞき見させてもらっていたけれど、そのせいで君にイヤな思いをさせて、もうしわけなかったね』
「べつにいいよ、いまさら。むしろ長年の疑問が解けて、スッキリした。それに、生き返らせてもらったぶん、その弊害もしょうがないと思ってるし」
『それはよかった。……なら、ふたたび君を生き返らせてあげよう』
「ほえ?」
エミルは目が点になりました。
「え、だって、このサービスは一度きり、って……」
『僕もそう思っていたさ。まさか二度死んだ人間がこの生死の境界に送られるなんて、夢にも思っていなかったからね。死の誘惑に負けず、生きたいという確固たる強い意思を持ち、引き換えに生命力を支払ってもらえれば、君を現世に戻してあげられる。このプルガトリウムとはそういう場所で、審判のときとは、そういうことなんだよ』
「え……ええええ~~~っ!?」
エミルのスットンキョーな声が、静寂のプルガトリウムに響き渡りました。
そして、うつむいたと思うと、わなわなと震えだします。
男が、どうしたんだろう? と首をかしげると……
「じゃあ、早く生き返らせて! いますぐ! 大至急! わたしの生命力でもなんでもあげるから! 白髪になっちゃっても、かまわないから!」
エミルは男の服につかみかかって、まくしたてるのでした。
『お……落ちつきたまえ。そ……白髪は年ごろの女の子に対して、さすがにもうしわけなさすぎる。だから次は、この子たちのものをもらうことにするよ』
男性がパチンと指を鳴らすと――エミルの周囲に、青白くぼんやりとした、四つのシルエットが浮かびあがりました。
「みんな!」
それは、エミルのパートナーである、四体のワンダーたちでした。
小さな白いドラゴン、【ホワイトドラコ】のシロン。
灰色の気高いオオカミ、【グレイトウルフ】のグレイ。
いまは一糸まとわぬ姿の、美しき銀髪の姫君、【ダークエルフ・プリンセス】のシルヴィア。
そして――いまだ生まれる気配を見せない、村長さんからもらった、太陽神ソルンの加護が宿ったたまごまでもが、そこにありました。
青白い光に包まれた彼女たちは、どこか静かで、それでいてたしかな意思を宿したまなざしで、エミルを見つめています。
『彼女たちはみな、君のために生命力を分けてくれると言っている。しかも長命種が三体。じゅうぶんおつりがくる量だよ』
「三体? でもグレイトウルフは、それほど長命種ってわけじゃないと思うけど?」
『ふふふ。それは生き返ってみてのお楽しみさ。“彼女”も、君と出会う時が来たと、よろこんでいるようだからね』
エミルは一瞬「?」と首をかしげましたが、すぐにその意味を理解しました。
『にしても、君はほんとうにしあわせものだね。ここまでパートナーたちに想われているウィザードも、そうはいないよ』
エミルが見回すと、シロンはにっこりと笑い、グレイもまんざらではなさそうに目を細め、シルヴィアも美しい顔に、いとおしむようなほほえみをたたえていました。
言葉はなくとも、その想いははっきりと伝わってきます。
「……そうだね。だからこそ現世に戻って、みんなの想いに報いなきゃ。……お願い、わたしを生き返らせて!」
『その願い、うけたまわった。ただし、気をつけるんだ。二度生き返ったことで、君はさらにこちら側の存在に近づくことになる。そして君の人生というゲームの難易度も、ベリーハードに引き上げられるだろう』
最後のひとことは、少し意味がわかりかねましたが――エミルは迷いなく、強くうなずきました。
『覚悟ができたら、行っておいで。君を待つ人たちのもとへ、君の愛する世界のもとへ!』
「うん! いろいろと、ありがとう!」
エミルは笑顔でお礼を言うと、その体はパートナーたちの姿とともに白い光に包まれました。
やがてその光はやさしく上昇し、天へ――いえ、現世のある地上へと、まっすぐにのぼっていきます。
遠ざかっていく光の中で、エミルたちの姿は次第にかすれ、やがて見えなくなりました。
『……君と、君の愛するすべての命に、幸多からんことを!』
男性はシルクハットを静かに脱ぎ、胸にあてて、うやうやしく一礼します。
その仕草はどこか祈りのようでもあり、別れを告げる儀式のようでもありました。
そして――誰もいなくなったプルガトリウムには、ふたたび、しんとした静寂だけがひろがるのでした……




