66.
『セイくんと、わたしの好きな人は似ている』
カナに言われたことがある。
そしてここに来て、ぼくと谷さんには大きな共通点ができた。
確かな結末は訪れなかった。
あるはずの道が、目の前から消えてしまった。
途方に暮れる、迷子のふたりだ。
滑稽な耳と、化け物の血が混じる心臓と。
妙な荷物を抱え込んだ、ドジなふたりだ。
ぼくらは現実に戻ってきた。
今日も仕事をこなし、食事をし、たまに酒を飲み、眠る。
ただの眠りだ。
黄昏の世界に降り立つことは無い。
あの場所で受けた傷も、その痛みもぼくらの中に刻まれている。
後になってみて初めて、分かることもあるだろう。
でも、いまは目の前の日々を過ごすだけだ。
心は不思議と晴れやかだった。
きっと彼も同じだろう。
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祭りは終わり、日常が戻った。
術士として、五島万を守る。その役目も終わった。
けれど約束は残る。
しばらくの間は、この場所に留まることに決めていた。
来春には、ホスピタルの解体工事が始まる。
そこで本当に散り散りになる。
五島万は、緩やかに終わっていく。
「リハビリが終わった」
ニレイさんは言った。
「保護観察が明けた」
サキさんは言った。
ふたりはよほど大人だ。
すんなりと一つピリオドを打って、次に目を向けていた。
ニレイさんは、外で人と会う機会を多く持つようになった。
事故で受けた顔の傷跡は、もう目立たない。
本人はその気がないと言っているが、俳優として再び舞台に立つ日も遠くないのかもしれない。
サキさんは、ウナギの寝床の仕事場に籠ることが増えた。
久しぶりに、単独での新作小説作成に取り組もうとしていた。
もうぼくには、清書を頼まない。
「完成を待っていてくれ。四人に、真っ先に読んでほしい」
四人。
ニレイさんに、アリアは当然だ。
そこに谷さん、そしてぼくまで加えてくれたのだ。
面はゆい。そして恐縮極まりない。
「楽しみにしています」
素直にそう告げた。
アリアも、彼女なりに先のことを考えているようだ。
だが少々、空回りしているようだ。
ある日のことだ。
谷さんが血相を変えて、ホスピタルに飛び込んできた。
手には厚みのある角封筒を携えている。
サキさんが起こした、いつかの騒動の再現のようだった。
「アリア先生はどこだ!!」
ギロリとぼくを睨むが、ウサギの耳で台無しだ。
まったくもって迫力がない。
「アリアさんなら、練習室でお仕事中ですよ」
「呼んでくれ」
たっぷり20分谷さんを待たせて、アリアが姿を現した。
肌が隠れる、まともな服を着るようになったのはなによりだ。
トレーナーにキュロットスカート。
多少のシワぐらいは、ご愛敬である。
「今日はどうしたんですか?」
アリアはキョトンとしている。
血相を変えた谷さんが、なぜ飛び込んできたのか?
心当たりはないようだ。
「これは、いったい、どういうつもりですか!?」
谷さんは分厚い角封筒を、アリアに突きつけた。
表書きの金釘文字は、間違いなくアリアのものだ。
宛先は『あかつき文学賞御中』となっている。
『あかつき文学賞』とは何か。
谷さんの所属する出版社・方城社が主催する、小説の新人賞だ。
「一次選考の発表は、だいぶ先でしたよね?」
アリアは小首をかしげる。
「まったく……あなたって人は……」
谷さんは天を仰いで、大きなため息をついた。
原稿用紙にして300枚。
五島万の仕事の合間を縫って、たった十日間。アリアはそれを書き上げた。
「意欲作」
「そうなんですか」
アリアのぞんざいな説明。
少し引っかかりはしたが、いつも通りぼくが清書をした。
まさか新人賞へ応募する為のものとは、思いもしなかった。
ニレイさんも、サキさんも、その原稿の存在を知っていた。
このアリアの行動も見越していたのかもしれない。
だとしたら、まったくいい性格をしている。
「谷さんも、読んでくれたんですか?」
「………………」
「どうでしたか?」
「………………」
アリアの問いかけに、谷さんは腕組みをしたまま答えない。
「ぜんぜん、ダメでしたか」
アリアはふぅと、小さなため息をついた。
だがすぐに前を向く。
「また来年、挑戦します」
もっと良い作品を書き上げて、また応募する。
だが、谷さんはそんなアリアの決意を跳ね除けた。
「出来の問題じゃない。応募要項はよく読んだのか?」
「規定枚数は超えていない。梗概もつけた。なにか間違っていましたか?」
「明確に書いてあっただろう!”新人に限る”。君には、この新人賞に応募する資格がない!!」
正論だ。
だが、アリアは納得いかないようだ。
「五島万はプロの作家だけど、わたしは素人だもん」
アリア個人は、まだ作品を発表したことがない。
だからわたしは新人だ。
それがアリアの主張である。
「阿呆か。通るわけないだろう」
議論の余地などない。そう谷さんは言った。
新人賞には、千に近い数の応募作が集まる。
一次審査以前の選り分けをするのは、アルバイトの学生たちだ。
ページオーバー、未完成、既成作品の引き写し……明らかに不適当な応募作は、ここではねられる。
『本当に15歳の女の子が書いたのか?プロの悪戯じゃないのか?』
下読みが行われている会議室から洩れてきた呟きを、聞き逃さなかったのは幸いだった。
谷さんは何も知らない学生から、アリアの応募作をひったくった。
そしてしっかりと読み込んできたようだ。
原稿には、いくつも付箋が挟まれている。
「まさか他社にも、原稿を送ったりしてないでしょうね?」
「他の賞に応募?そんなことする訳ない!」
アリアは驚きの声をあげた。
「うちより知名度のある新人賞も、他にあるじゃないか」
「でも谷さんは、方城社にしかいない。わたしの初めての本は、谷さんに担当して欲しいから」
「そうか」
谷さんが、顔を伏せる。
鉄面皮なこの男にも、感情が零れそうになることがあるようだ。
「大体なんだ。この原稿は、まったくの手抜きじゃないか。うちの賞を舐めてるのか?」
最低限の敬語もかなぐり捨てて、谷さんはアリアに詰め寄る。
「そんなつもりないもん」
即座にアリアは反論する。
短時間で執筆したからといって、手は抜いていない。そうアリアは言った。
「なぜ主人公を少女にした?なぜ恋人を途中で殺した?どうして四章へと続く三年空白を、五行のモノローグに収めた?なぜ悲劇で終わらせた?」
他にも10ほど、谷さんは疑問点を挙げていった。
アリアは答えていったが、次第に言葉につまる。
「大したもんだよ。注文して、あつらえたみたいだ」
ハン、と鼻で笑ってみせる。
「瑞々しい感性。澄んだまなざし。繊細かつ鋭敏……陳腐な褒め言葉を、いくらでもつけてやる。俺たち編集が思い描く、才能ある新人作家そのものだ」
だが、と谷さんは言葉を継いだ。
「人の想像程度の、枠に収まるもんじゃないだろう。君は」
そして谷さんは、原稿をポンとアリアの前に放った。
「ボツですか」
「ああ」
谷さんは容赦のない答えを返す。
でもアリアは落ち込まない。
「新しいものに、すぐにかかります」
アリアはぺこりとアタマを下げた。
そして、谷さんの目をまっすぐみて尋ねる。
「書き上がったら、また読んでくれますか?」
しかし谷さんは首を縦に振らない。
「俺はあなたの読者じゃない。担当編集だ。綺麗な完成品が読みたいわけじゃない」
仕事をさせてくれ。と谷さんは言った。
既に実績のあるサキさんとアリアは違う。
心細いなら頼って欲しい。
書く時はひとり。
でも、編集が作家のために出来ることもある。
「壁だと思って、なんでもぶつけてくれればいい。使い潰すつもりで、俺を利用するんだ。そして、いい物を書いてくれ」
「はい」
アリアの心の中には既に、具体的な景色があるのだろう。
その目が燦然と輝く。
さっそくアリアは練習室に戻り、書き溜めたノートを持ってきた。
そして、打ち合わせが始まった。
打ち合わせといったら、これまでは五島万を代表して、サキさんがひとりで勤めていた。
アリアはひとりの作家として、はじめの一歩を踏み出したわけだ。
そしてまた別のある日。
「お前さんの寿命は、もってあと三年だ」
サキさんがアリアに指を突きつけた。
「???」
言われたアリアは、ポカンとするしかない。
午前九時のキッチン。
超夜型のサキさんは夜食。朝方のアリアはやや遅めの朝食を食べている。
調理を終えたぼくも、菓子をつまみご相伴に預かっていた。
「何をまた唐突に。縁起でもない」
アリアの代わりに、反論しておいた。
「寿命というのは、作家としての寿命だ。おのれは近い将来、廃業の憂き目に遭うであろう」
サキさんが、胡散臭い易占いの口調を作る。
作家生命の終わり?
それでも十分、聞き捨てならない暴言である。
「……」
アリアは、目をぱちくりとしばたたかせた。
これだけのことをいわれても、怒り出す様子はない。
サキさんが思いつきで物をいうのは、いつものことだ。アリアも慣れている。
アリアは、しばらく考えてこう言った。
「三年先のことなんて、想像もつかないよ。まずは一冊、本を出せるかも分からないのに」
そして、ぼくのお茶請けに手を伸ばす。
アリアは醤油味のせんべいを、ポリポリ齧った。
しかし控えめすぎる自己評価だ。
だからぼくが言ってやった。
「うまくいくに決まってます。アリアさんの実力は本物ですから」
「それだよ、セイくん。うまくいくのが問題なんだ」
サキさんは、また分からないことを言い出した。
「とんちですか?」
ぼくが聞き返す。
「なぞなぞ?」
アリアも首をかしげる。
「嘆かわしいな。想像力の欠如だ……それでも君らは小説家か!?」
「いやぼくは違いますけれど」
ぼくの言葉は無視された。
そしてサキさんの話は、また明後日の方向に飛んでいく。
「時にアリアくん、ひとり立ちする際のペンネームは考えたか?」
「そっか、そういうことも考えなきゃいけないのか」
いま気づいた、とアリアは言った。
「ということは、サインもまだ決めてないのか」
「それが、そんなに大切なこと?」
作家生命と、それになんの関係が?
アリアもぼくもさっぱり分からない。
「重要だ」
ドン、とサキさんはテーブルを叩く。
目の前のお茶が、少し零れた。
「最初の本に、君は無数のサインをすることになるからな」
「そうなれば良いけどね」
サキさんはアリアの謙虚な言葉を、鼻で笑う。
「売れるよ。バカ売れに売れる。たとえようもない程に」
サキさんは断言した。
「売れれば、色んなことが雪崩のように押し寄せる。お前さんは、ぺしゃんこに潰される。俺が心配しているのはそれだ」
美少女作家。
それだけでも目立ちすぎる看板だ。
加えて、アリアにはドラマがある。
複雑な生い立ち。女優であった母の死。有名俳優である義父との再会。そして小説家の道へ……
「話題性だけでも数え役満。おまけに実もある。超弩級。比類なき、大型新人。それがお前さんだ」
「身びいきだよ」
アリアはサキさんの言うことを信じようとしない。
だがぼくも、サキさんの主張に傾いていた。
アリアには谷さんもついている。
性格に難はあるが、敏腕編集者なのは間違いない。効果的にアリアを売り込んでくれるはずだ。
「わたしはたくさんの人に、自分の小説を読んでもらいたい。売れないよりは、売れるほうがよっぽどいい」
それの何が問題なの?とアリアは言った。
「文学界のアイドル。昭和の一葉。紫式部の再来。日本文壇に降り立ったジャンヌ・ダルク……きみはなんて呼ばれることになるのかな」
「サキくん、コピーライターを辞めて正解。センス0」
アリアはウンザリした顔で言う。
「現実味を出したんだよ。糞みたいな奴らだ。まともなセンスがあるものか」
サキさんは、お茶をごくごくと飲み干した。そして、一つ息をつく。
「名声を得た君には、いろんな輩が寄ってくる。ロクに君の書いた本なんざ読んでくれない奴らがさ」
サキさんは、アリアのふんわりとした展望を叩き切った。
「文壇は男社会。作家も編集も東大京大出は当たり前。頭でっかちの中年男が幅をきかせてる世界だ」
「サキくんも似たようなもんじゃない」
アリアが混ぜっ返したが、サキさんは無視して続ける。
「君みたいな中卒の若い女なんざ、エリマキトカゲでウーパールーパーだ。もの珍しいから、騒がれて、つつき回される。つつかれた獲物の末路は、衰弱死。もしくは飽きられてポイ捨てだ」
サキさんの灰色の未来予想は、まだまだ続く。
「的外れな褒め言葉をもらって、見当違いに貶される。街を歩けば、ヒソヒソ声が付いてまわる。勝手に写真をパシャリとやられる。親戚を名乗る輩が湧いてくる。親しくもなかった同級生から電話がくる……」
ぼくとアリアは目配せして、互いに苦笑いだ。
サキさんの話は終わりそうにない。
「美人コンテストの審査員になれ。凶悪事件についてコメントをくれ。テレビのバラエティーショーに出てくれ………その他諸々くだらない依頼が山ほど来るぞ。いちいち断るだけでも一苦労だ。痛くもない腹を探られて、恋愛醜聞をでっち上げられる。若くして大金を稼ぐ君を、やっかむ奴は大勢出てくるだろう。足を散々引っ張られる。色気で編集者をタラシ込んだとか、あることないこと言いふらされる。本当は自分で書いてないんじゃないか?年齢だって嘘っぱちで、ホントは三十路を超えている……」
サキさんの演説はまだまだ続く。
「うふふ」
アリアは愉快そうだ。
「笑い事じゃない!寄ってたかって、君を滅茶苦茶にしようとするヘラヘラ面の奴らを、俺は許せはしないだろう。七番アイアンを持ってこい。釘を打ち込んだバットでもいい。振り回して、そいつらの頭を叩き割ってやる!」
五島万は解散する。
アリアに辛いことがあっても、サキさんはもう隣にいてやれない。
ポンポンと、アリアがサキさんの肩を叩く。あべこべに励ますように。
「書くよ。何があったって」
アリアには一点の迷いもない。
「サキくんがわたしの小説を待っててくれる限り、わたしは大丈夫」




