表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花とペン  作者: 井上マイ
65/68

65.

 ぼくが意識を取り戻したのは、五日後のことだった。

「自分は誰なのか?ここがどこか?分かりますか?」

 起きるなり、草四郎に尋ねられた。

「……渋沢征シブサワ・セイ、22歳。ここはアガミの本家だ」

 ぼくはゆっくりとそれに答えた。


 体が元に戻っている。

 アリアの姿ではない、ぼく自身の体だ。

 馴染みの部屋。

 ぼくは畳に仰向けに倒れ、天井を見上げていた。

 小母さんの煮物の匂いが、台所から漂って来る。

 ここは現実だ。

 ここは本家の客間だ。

 生きている。

 戻ってこれた。

 その事実がじんわりと染み込んできた。

「おかえりなさい。五日ぶりです」

 草四郎はぼくの無事を喜んでいた。

 しかしその声には、微かな呆れが含まれている。

「……そんなに寝ていたのか?」

 五日寝通しだった?

 それにしては、おかしい。

 トレーナーにジーパン。ぼくはしっかりと洋服を着ている。

 そんなに空腹でもない。ヒゲも綺麗にあたられていた。

「のどが痛い……」

 言った途端に咳き込んだ。

 声がひどく掠れている。


 すると草四郎が信じられないことを言い出す。

「声がかれるのも、当然ですよ。あなたは歌い通しだったんだ」

「歌?まさか?ぼくがか?」

 一片たりとも、そんな記憶はない。

「あなたはずっと、ミカさんに憑かれていたんですよ」


 あの世界で、ぼくは心臓を打ちぬかれた。

 死ぬばかりのぼくを、生かしたのはミカさんだった。

 あの場所に満ちていた水を、そしてミカさんの一部をぼくに注ぎ込んだ。

 そして傷口は塞がれた。

 ぼくとミカさんの境界は、曖昧になった。

 現実に戻ったぼくは、ミカさんとして、ミカさんの意識で。

 朝も昼も、歌い、笑い続けた。

「食べさせて、寝かしつけるのが一苦労でした。ミカさんは加減が分からないんです。人の体をもったことがないから」 

 草四郎が苦笑する。

 知らぬ間にぼくは、過労死させられるところだったらしい。


 そして混乱は拡大した。

 ミカさんの歌は、ぼくひとりの器には収まり切らなかった。

 津波のように押し寄せる、声、声、声……。

 アガミの術士たちは、ミカさんの声の渦に飲み込まれた。

「一族あげての乱癡気騒ぎですよ。酒も飲まずに、夜通しみんなで歌って踊って……」

 ずっとみんなの世話をしていたせいで、ヘトヘトだ。

 草四郎がボヤく。

 震源地であるぼくのすぐ横、いわば台風の目の中にいた草四郎は、ひとり正気を保っていたらしい。

  興奮と喜び、今は亡き花たちに向けた嘆き。

 喜怒哀楽のすべてを込めて、奔放に、切々と、ミカさんは歌った。

 いくつもの旋律を織り交ぜて、大音量で。

 普段のミカさんは、遠くから囁く。

 ぼくらは、耳を澄まして聞きとらねばならない。

 だが今回の歌は、こんこんと湧きいでて、大きく響いた。

 ぼくもひとつの旋律だった。

 大合唱は三日三晩続いた。

 長い祝宴が終わって、みんなそれぞれの家に帰った。

 そしてぼくは気絶するように眠り、いま目覚めた。


「それで?ミカさんは、何を伝えてくれた?」

 草四郎に尋ねた。

 音の奔流。

 ミカさんの言葉は、書き留めることはできない。

 耳にした術士から、口伝えに聞くしかないのだ。

「ただの歌ですよ。感傷的で、他愛もない」

 こんな時でも、ミカさんは変わらない。

 聞くものが欲しがる言葉など、与えてくれたためしがないのだ。

「意味のある言伝は一つだけ。あなたのことでした」

 歌い続けて、最後にミカさんは、こう言い残して姿を消した。

『”この花”は水底で眠る。しばらくの間』

 ミカさんは続けて言った。

『だからセイくんには、新しい花の名前をあげてね』

 安堵と落胆。

 ふたつの感情が同時に押し寄せた。

 “この花”は散るはずだった。

 ぼくは父から継いだその名を捨て、生き延びた。

「ぼくらは、終わらせることができたんだろうか?」

 先代から続いた咎を断ち切ることが出来たのだろうか。

「きっと」

 草四郎は晴れやかな顔で言った。

 そして“この花”は眠る。

 ミカさんは気が長い。ミカさんの言う”しばらくの間”は、永遠に等しい。

 きっとこの世の終わりまで、花は眠り続けるだろう。


 そしてぼくの胸には、見えない傷が残った。

 打ち砕かれた”マ”の欠片は、まだぼくの中にある。

 その欠片は、もう熱を失っていた。

 コウガミの医師たちは、手を尽くしてそれを取り出そうとした。

 だが、欠片はぼくと癒着し絡み合っている。引き離すことなどできなかった。

 だが”マ”が力を取り戻し、宿主のぼくを内から食い破る……その可能性はゼロに等しかった。

 欠片は、ぼくの心臓と共に脈打つ。

 送り出された血液は、この体を巡る。

 その血は何色をしているのだろう。

 打ち砕かれたはずの命だ。

 理を曲げて、ぼくはここにいる。

 それでもミカさんはまだ、ぼくを花のひとつに数える。

 ぼくは踊り続ける。


             XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX


 そして二週間後。

 ようやく谷さんの行方が知れた。

 彼はとっくに現実世界へと戻ってきていた。

 だが何故か無事を知らせてくれなかった。

 谷さんの逃避行には同行者がいた。

 義妹のカナだ。

 彼女もまた、祭りの晩以降姿を消していた。

 ほくは彼女の足跡を辿って、谷さんにたどり着いた。

 そこは東京から遠く離れた、某県の田舎町だった。


「空に月が浮かんでいた。本物の月だ。俺は川の水に腰まで漬かっていた。真冬の川だ。激痛に等しいその寒さで、目が覚めた。現実の世界に戻ってきたと分かった」

 谷さんはゆったりとコーヒーを啜りながら、煙草をふかす。

 ここは彼らが滞在しているホテルのロビーだ。

 カナはホテルの部屋に残ったまま、顔を見せなかった。


 ここは、谷さんが小学生までの時を過ごした町だ。

 お前たちのカミサマは、いちいち気に障ることをする。と谷さんは言った。

 あの夢の世界も水が満ちていた。

 ミカさんは谷さんの中の記憶を掬い上げ、故郷の川を選んで落とした。

 だが彼の生家はもはやなく、縁者もなかった。

「この地に留まる理由は、何もなかった」

 目覚めた時、なぜか谷さんは背広姿だった。

 幸いにも、上着のポケットには財布が入っていた。

 替えの服を手に入れて、駅まで行き、東京へと戻る切符を買うくらいの金はあった。

 けれど、谷さんはその町に留まった。

「心配しましたよ。連絡が欲しかったです」

 つい恨み言を言ってしまった。

「俺にも恥入る心はある。君らに合わせる顔がなかったのさ。大見得を切り、勇んだ挙句がみじめに敗北だ」

 谷さんは、自分の頭に手をやった。

「そして印までつけられた」

 白く長いウサギの耳がふたつ揺れている。

 非現実的な姿だ。

 しかし、ここは現実だった。

「コブ取り爺さんのコブと同じだ。君らのカミサマのバチのせいで、俺はこの先ずっと、ひげを剃ろうと鏡を見るたびウンザリすることになる」

「バチじゃなくてプレゼントですよ。ミカさんに気に入られた印です」

「最悪のセンスだ」

 谷さんは、眉をしかめていった。

 日常生活に支障はないだろう。

 その耳は、アガミに連なるものしか見えない特別なものだ。

 そして谷さんは、ぼくの肩口に向けられた。

「お前の予言は外れたのか?俺の背負った宿命は幻だったのか?」

 尋ねる谷さんの視線は、ぼくに寄り添うミカさんをしっかり捉えている。

 ミカさんの姿を見ることができるのだ。

 これもミカさんが、谷さんを客分と認めた印だった。

「……やはり答えてくれないか」

 谷さんは苦笑をこぼす。

 切羽詰まった顔はしていない。

 死線を越えたせいなのか、彼の内面には変化があったようだ。


「空も水も、目に映るものすべてはアガミの神だった」

 ぼくらを見送り、谷さんはひとり黄昏の世界に残された。

 あの世界は、ミカさんの胎内だ。

 肉体すらも、与えられた仮初のものだ。

「俺にあるのは意思だけだ。だがそれも風前の灯だった」

  望みはついえた。

 しかし、ここで溶けて消えてしまう訳にはいかない。

 偽の空を突き破り、ここから出るのだ。

 世界を壊す。

 あらん限りの力を籠めて。

 谷さんは万本もの矢を天に向け、放った。

「それでも君たちの神は頑なだった」

 森を焼き、水を巻き上げ、空を壊した。

 鬼神の如く、破壊の限りを尽くす。

 だが世界に果てはなかった。

 流転、流転……場面は変わる。

 壊しても、壊しても、いくつもの階層が現れる。

 谷さんが、現実世界から消えていたのは三日。

 しかし閉ざされたその世界では、万倍もの時間がすぎていた。

「水はある。だが飲むことはしなかった。これ以上、この世界と混じり合いたくはなかった」

 飢えと渇きが極まっても、それで死ぬことはなかった。

 だが耐えようのない孤独と焦燥に押し潰された。

「お前たちの神は沈黙を続けた。聞こえるのは風の音だけだ」 

 どれだけさ迷い歩いても、動くものの影ひとつ見つけることは出来なかった。

 そして、唐突に終わりがやってきた。

「長耳という余計な土産をもらった。代わりに、自分の魂の欠片をあの場所に置いてきてしまった気がする……未だに寒さが抜けない」


 滞在先のホテルに、金を送ってほしい。

 谷さんから連絡を受け、カナは現地まで飛んでいった。

 そして帰ろうとしなかった。

 彼女は、谷さんの傍に寄り添っていた。

「ぴったり張り付けて監視しなくても、くびれて死んだりするものか」

 谷さんは憎まれ口を叩く。

「カナさんは、元気なんですか?」

「ああ」

 短く谷さんは答えた。

「親御さんも心配してらっしゃるでしょう。とにかく一度東京へ」

 ぼくの顔が、少しばかり強張っていたのかもしれない。

 谷さんは少し笑った。

「見当違いの心配だよ。家は、コウガミはなんでも承知さ。カナさんがここにいることも」

 コウガミは兄妹にとっての、強固な檻だ。

 カナは跡取り娘だ。

 彼女は帰ってくる。

 そして谷さんが軽はずみに、義妹を傷つけることもない。

 それが彼らには分かっていた。

「カナさんの体は依然清い。いつでも、そちらにお嫁に出せる」

 ピンと谷さんは、その長い耳を指先で弾いてみせた。

「カナさんも、アガミに連なる人だ。彼女にはこの耳が見える。そんな女を抱く気になれるか」

 相変わらず、露悪的な物言いだ。

 それでも谷さんは現実に戻って、カナに連絡を取った。

 金を届けてもらう当てぐらい、他にもあったはずなのに。

 プライドのかたまりのような人だ。しかし義妹には、ほんの少し弱さを見せた。

 そしてカナも義兄に応え、献身し続ける。

 ふたりにしか分からない、絆があるのだろう。

「宿の飯にも飽きたし、有給も使い果たした」 

 明日にはカナを連れて帰る。

 そう谷さんは約束した。

 ぼくはその日のうちに東京へ戻った。


 二日後。ホスピタルにカナがひょっこりやってきた。

「はい、お土産のお饅頭。しょっぱい漬物も買ってきたから、甘いもの嫌いのアリアちゃんに出してあげてね」

 記憶よりも少し横顔が大人びて見えた。

「セイくん、いろいろありがとうね」

「お礼をいうのは、こちらの方だよ」

 カナには、どれだけ助けてもらったことか。

「迎えに来てくれて嬉しかった。わたしも周平さんも、帰るきっかけが欲しかったから」

 カナは少し寂しそうだ。

「谷さんは?」 

「ずっと会社に詰めてる。十日以上も休んだんですもの。仕事山盛りみたい」

 世人に見えないウサギの耳をつけて、真面目にサラリーマンをしているらしい。

「周平さんは、すっかり元通りだよ」

  彼の背中を追うのに、疲れることもあるだろう。

 でもカナはあきらめない。

「谷さんには、命を救ってもらったんだ……いつかきっと、その恩を返すつもりだ」

 アガミの術士としてではない。

 ぼく個人の誓いだ。

 カナは頷いた。

「頼りにしてるね、セイくん」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ