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花とペン  作者: 井上マイ
64/68

64.

 

 皮膚、骨、血液……細胞のひとつひとつがバラバラに解け、歪んだ形に組み上がる。

 刻刻と身体は変わり続けていた。

 しかし痛みは無かった。

 ミカさんが抱きとめてくれていたからだ。

 それでも恐怖に胸が締め付けられる。

 狂気に飲まれてしまいそうだ。

 だがそれに屈しはしない。

 ぼくはここで倒れるだろう。

 けれどこれまでを振り返り、感傷に浸ることも無い。

 そう。この世界の死もまた確かな死だ。

 しかしこれが終わりではない。

 ぼくは当代の”この花”として、ここで散る。

 次に芽吹くものに、道を譲るために。

 ぼくが消えても残るものはある。

 ミカさんは、役目を与えてくれた。それを誇りに思う。

 傷つけられ、踏みつけられ、咲くこともできなかった。

 けれど最後に花は開き、強く香る。


 ぼくは微笑んだ……つもりだ。

 表情が形になっていたのかは、分からない。

 発することができたのは、元のアリアとは程遠いひび割れ声だ。

「ミカさんが、あなたから奪ったものを返します」

 谷さんが失ったのは、当たり前の人生だ。

 ミカさんの予言は、谷さんを縛る呪いだった。

 神を殺せば、人としての生を追われる。

 そして、その人間は神に成り代わる。

 それが神殺しの罪だ。

 その頸木を彼に負わせてはならない。

「あなたはここで、神を殺す。けれどその咎はぼくが引き受ける」

 “マ”はぼくの中で生まれ変わる。

 ぼくの血を流し込み、ここに繋ぎ止める。

 決して逃すまい。

 そしてぼくは生まれ変わるそれと共に、ミカさんの中に溶けて消える。

「あなたは自由になるんだ」


 その装束は、まもなく血に染まるだろう。

 焦り、怒り、悲しみ、そして諦念と覚悟……

 その瞳には、代わる代わる複数の表情が浮かんでいった。

 素顔で戦いに臨む彼を見るのは、初めてのことかもしれない。

 弱さを、痛みを隠して彼は戦い続けてきた。

 谷さんはどこまでも人間らしかった。

 ただ強くあろうと足掻いてきた。

 その日々もこれで終わる。

「………」

 谷さんは無言のまま立ち尽くす。

 しかし構えを解くことは無い。

 ここでぼくを討ち漏らす訳にはいかない。

 それは彼にも分かっているはずだ。

 ぼくを通して生まれる”マ”は、ミカさんの力を与えられ強い力を持つことになるだろう。

 産声をあげたその瞬間に、断つしかないのだ。


「どうして……」

 草四郎が呟く。

 怒りと嘆きの言葉。

 そして押し殺した嗚咽が続く。

 どうしてという問いは、ぼくではなくミカさんに向けられたものだ。

 ぼくらアガミの術士は、ミカさんという大樹に咲く花だ。

 この世界は過去と未来、夢と現実、生と死が重なり合う場所だ。

 全てはここに結実する。

 いまここにいるぼくは、ぼくであり、父たち過去のアガミでもある。

 ぼくの痛みは、草四郎の痛みだった。

 ぼくが命を失うとき、草四郎も引き裂かれる思いがするだろう。

 だが彼という花は木に残る。


「それがお前の答えか」

 谷さんが言葉を絞り出す。

 もう誰にも止めることはできない。

 失われるのは、ぼくだけでいい。

「谷さん……最後に……頼みがある……」

 気力を振り絞り、口にする。

 体は、もうもたない。

 巡る血に焼かれ、燃え尽きようとしている。

「あなたの意思で名づけてくれ……その名を呼べば、具現する」

 ぼくを食い破って現れる神は、新しい神だ。

 父たちが打倒した神の血を継いだ、新しい神だ。

 名づけるということは、魂を与えること。

 名をもって、確かな存在となる。

 谷さんに向けて、両手を差し伸べる。

 その刃で、変わり果てた我が身を抱きとめてくれ。

 生まれ出るものを跡形もなく、うち砕いてくれ。

 すべての因果を断ち切ってくれ。

 だがーーー

「草四郎くん!」

 谷さんが口にしたのは、別の名だった。

 そして手にした太刀を、横薙ぎに振るう。

 怜悧な刃が宙を切り裂く。

 草四郎にかけられた術が解かれた。

「!!」

 すぐさま地面を蹴り、草四郎は跳ね起きる。

 なぜ草四郎の楔を外した!?

 ぼくは愕然と目を見開く。

「いけ」

 ただひとこと。

 谷さんは草四郎に告げた。

 そして自分の手にある、その刀を草四郎に握らせた。

 草四郎は迷わなかった。

 確かな銀色のひらめき。

 それは神を殺すための刃だったはずだ。

 ”やめろーーよせーー”

 嘆願は、言葉にならなかった。

 ただ真っすぐに深々と、ぼくの心臓にーー

 草四郎は刃を突き立てた。

 熱が解放される。

 ぼくの中で胎動し、今にも生まれようとしていた果実は弾けた。

「よくやった」

 谷さんは、そう簡単に草四郎を褒めた。

 崩れ落ちる寸前、谷さんの顔をみた。

 谷さんはそれでも笑っていた。

 穏やかな顔だった。

 彼はぼくに呼びかけた。

 霧散しつつある意識の中で、耳で捉えることはできない。

 それでも唇の動きで分かった。

 ”大丈夫だ”

 確かに谷さんは言った。

 命を懸けたぼくの試みは、そこで潰えた。


 再び意識は浮上する。

 心臓を破られ、ぼくはこのミカさんの世界で消えたはずだった。

「---!!---!!」

 草四郎が泣いていた。ぼくの名を呼んでいるのだろう。

 ぼくは、ぼくの姿をしたアリアは、草四郎の腕に抱かれていた。

 “マ”の力は、血と共に失われていた。

 禍々しい化粧は落ちた。

 美しい少女の姿と戻っている。

 しなやかに伸びた手足、つややかな黒髪。

 だが刀身は深く胸をえぐったままだ。

 血は流れ続け、瞼は固く閉じられていた。

 二重写しの意識。

 草四郎に抱かれているのは、確かにぼくなのに。

 同時に、その光景を俯瞰している。

 しかしこれも僅かな時間だろう。

 やがてぼくは失われる。

 17年もの間、父はこの世界の最奥に留められ続けている。

 ぼくもまた、この世界をさまようことになるんだろうか。

 草四郎の怒りは、行き場を失っていた。

 谷さんはぼくを救った。

 己の悲願を打ち捨て、ぼくの哀願を踏みつけにして。

 それでもーー

 人の心のまま、人の姿のままぼくを殺してくれた。


 強く風が吹いた。

 肉体がまだあったのならば、ぼくは驚きに声を上げていただろう。

 風景が揺らぎ、消えていく。

 青い空、緑の木々に囲まれた山のお社ーー”マ”が抱いていた過去の記憶だ。

 そして、清く澄んだ湖水。

 ミカさんの与えた弔いの場所は、夕暮れの赤に飲み込まれようとしている。

 世界の境界が消えていく。

 アリアの夢の階層でみた崩壊が、ここでも始まろうとしている。


「お前らの思い通りになんか終わらせてたまるか」

 耳元で声が聞こえた。ハッキリと。

「起きろ。目を開けるんだ、セイくん」

 谷さんの声に応えるように、草四郎に抱えられたぼく/アリアの喉が微かに動いた。

「生きて……いる」

 草四郎の目に再び、光が差す。

 微かな呼吸。そう見えたのは、死後の筋肉の収縮による痙攣に過ぎないのかもしれない。

 残る体温は、失われる一方なのかもしれない。

 だが、草四郎が希望を抱くには十分だった。

「草四郎くん!」

 谷さんが手にしたのは、ぼくが脱ぎ捨てた赤い打掛だった。

 それを草四郎に向けて、投げる。

 打掛は羽のように軽く、ふわりと広がって草四郎の肩にかかった。

 この世界にあるものすべて、ミカさんの欠片だ。

 ミカさんは草四郎を打ち捨てたりはしない。

 草四郎が念じた。

 打掛は翼に変わる。

「飛べ!出口は俺が作る」

 谷さんは天を指していった。

 戸惑い、立ち止まる時間はない。

 あの時とは逆だ。

 草四郎はぼく/アリアをしっかりと抱きかかえた。

「捕まってください!」

 草四郎が谷さんに向かって手を伸ばす。

 しかし無茶だ。彼まで抱えて飛ぶことなど出来ない。

「随分高く付いたからな。お前のカミサマの手はもう借りない」

 谷さんは、草四郎を、つまりミカさんを拒絶した。

「そんな、死ぬつもりですか!?早く、ここから離れないと!」

「なんとかするさ」

 さらりと答える。

 谷さんは崩れ行く地に、固く足を踏みしめている。

 まなざしは鋭い。まだ戦う相手がそこにいるかのように。 

 もう時間がない。

 景色は歪み、すべては混沌に沈みゆこうとしている。

「あなたも、必ず、必ず戻ってきてください!」

 草四郎は、それだけ叫ぶのが精いっぱいだった。

「高く飛べ、振り返るな」

 谷さんの言葉を背に受け、草四郎は赤い翼をはためかせた。

 そして、ひび割れた空へ向けて飛翔する。


 この空は、地上の空とは違う。

 昇れば昇るほど、深く潜っていくような錯覚を覚える。

 赤い赤い、その海に果てはない。

 溺れぬよう、草四郎は一点を見定め進む。

 一閃の光が、地上から走る。

 草四郎の眼前を抜け、遥かに早く上昇していった。

 地上から遡る、流星だ。

 それは、谷さんの手から放たれた刃だった。

 草四郎は、その光に向かって力を込めた。

 いつか、谷さんから習い覚えた方法で。

「いけ!!」

 草四郎は叫んだ。

 谷さんの放った銀色の光に、草四郎の放った光が増し加わる。

 赤い天蓋が割れる。

 現れたのは金色の光だった。

 目を焼くほどの強い光ーーそれはあるべき世界の光だった。


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