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花とペン  作者: 井上マイ
63/68

63.

 ようやく陸地が見えてきた。

 空は黄昏。

 ここはミカさんの領域だ。

 そのことに安堵を覚える。

 馬の草四郎は前足を器用に持ち上げ、危なげなく上陸を果たした。

「よっこらしょ」

 ぼくもその背中から降りた。

 景色が切り替わる。

 あたりはクヌギとナラの林だ。

 葉は青く繁っている。

 夏の風景だった。

 林を抜ければ、一本の道が見えた。

 道の先には、小さな建造物があった。

「あれは……?社か」

 谷さんが呟く。

 神を祭る場所とは思えないほど、粗末なつくりだ。

 風雨にさらされ続け、顧みるものもいなかったのだろう。

 瓦は剥がれ落ち、屋根の木組みがのぞいている。

 両開きの扉は失われ、風雨は中に吹き込み放題だ。

 それは廃墟も同じだった。

「ここは、ぼくらの追う者の記憶なのかもしれません」

 草四郎が言った。

 人々から忘れ去られ、名前を失くした神の記憶。

 破れた社の中に、”マ”の姿はない。

 しかし確かな痕跡があった。

 赤黒い血だまり。

 血の主は社から這い出て、水辺とは反対の林の奥へと逃れたようだ。

 点々と散る血は、まだ乾いていない。

「落ちた時に、君らの先代が負わせた古傷が開いたのか?いや、しかし……」

 谷さんはそこで言葉を切った。

 すべては一瞬だった。

 ぼくは、舞の最中に現れた”マ”の姿をを捉えることすらできなかった。

「ひどい臭いだ……もう腐りはじめている」

 谷さんの言う通りだ。血からは強い腐臭がした。

 ぼくらは、袂で鼻を押さえて進んだ。

 人の手の入った林だった。

 道はならされている。

 木々から差し込む夕焼けは、空虚さを感じる程に赤い。

 風ひとつない。

 うだるような暑さだった。

 ぼくら以外に動くものの影はない。


「…………!」

 先頭を歩く谷さんの足が止まる。

 呆気ない対面だった。

 林を抜けた先の斜面に、それはうつぶせに倒れていた。

 近くに濁った水溜まりがある。

 その化生は水を求め、力尽きたようだった。

 自らの流した血と泥に汚れたそれは、人の姿をしていた。

 体に丸みがある。 

 女だ。

 ただその肢体は異様な大きさだった。

 こちらに向いた両足の裏は、40センチもあるだろうか。

 他の部位も、また大きい。

 白い足は丸太のようだ。

 成人男性であるぼくの倍ほどもある。

 女は何も身に着けていない。

 白く膨れた臀部。

 ぼくたちが渡ってきた清い水が、付けた傷なのだろう。全身が爛れ、ところどころ皮膚がめくれていた。

 長く乱れた髪が、その顔を隠している。

「…………」

 ぼくらは十分距離を取り立ち止まり、様子を伺った。

 十秒、三十秒……一分。

  倒れたそれは微動だにしない。

「除いてろ」

 ぼくらを押しのけ、谷さんが前に出た。

「…………」

 谷さんの唇が動いた。

 呪言を唱え、術を編んでいく。

 印を組むその手から、見えない刃が放たれた。

 無防備に晒された首筋に、刃が突き刺さる。

 赤黒い血が飛んだ。

 あまりにも容易く首が、胴より切り離された。

 谷さんの攻撃は執拗だった。

 首の次には、胴体に刃を突き立てる。

 そして四肢をも切断した。

 それは十分血を流していた。もう血しぶきがあがることはない。

 何の反応も示さない。

 悲鳴ひとつもあげず、僅かな痙攣すら起こさなかった。

 “マ”はすでに、息絶えていた。

「…………」

 動かぬそれを見やる、谷さんの目はどこまでも冷静だ。

 頭の上で長い耳が揺れている。

「谷さん……」

 問いかけたぼくを目で制し、谷さんは”マ”の元へ歩み寄った。

 切り離された首。

 その髪を鷲掴みにする。

 スイカほどもある頭部が、持ち上がった。

「見てみろ」

 ぼくらの足元に、谷さんはそれを放り出した。

「そんな……そんなはずはない……!!」

 生首を見て、草四郎は叫んだ。

「…………」

 瞠目する他はない。

 汚れた顔は、傷つき膨れていた。

 人間と獣が交じり合った異形のもの。

 女はサメのように尖った歯をむき出しにしていた。

 苦悶の表情を浮かべ息絶えている。

 あるはずのないものがそこにはあった。

 濁った二つの目は見開かれていた。 

「目は二つ揃っている……ならば、お前の中にあるそれは何だ?」

 谷さんの問いに、答えることができなかった。

 ぼくは、自分の胸を押さえた。

 そこには父が”マ”から奪った、目があるはずだった。

「これは神ではない」

 谷さんの噛みしめた唇の端が震えている。燃えるような目をしていた。

 怒りと失望を、必死に押し殺そうとしている。

「追わねば」

 そして前方を睨む。


 だがここは夢の果て、ミカさんの最深部。この世界の行き止まりといっていい場所だった。

 道しるべがあるわけでもない。

 これから、どこに向かえというのか?

「草四郎、ミカさんの声が聞こえるか?目の持ち主はどこにいる?」

 ミカさんと同調している草四郎なら、それが分かるかもしれない。

 だが答えが返ってこない。

「草四郎……?」

 目をやって驚いた。

「すいません……もう……耐えられない……これ以上聞きたくない……」

 草四郎の像が揺らぐ。

 銀の鬣から、その体から、光の帯が零れ落ちる。 

 そして、草四郎は人の姿に戻った。

 白い野袴を身に着けた、現実世界と同じ姿だ。

 草四郎はその耳を、両手で塞いでいた。

 ぼくらには聞こえない、耳をつんざく大音量を拒むように。

 草四郎は途切れ途切れに、言葉を絞り出す。

「腹を見ろ……そう……ミカさんが言っている……」

 そして草四郎はぐったりと、膝をついた。

「君は足を持て。ひっくり返すぞ」

「はい」

 谷さんの言葉にうなずいた。

 遺骸の肩に手をかける。

 手足と頭部を落としたというのに、こちらの肩がきしむ程に重い。

「せーの!!」

 歯を食いしばり、どうにか持ち上げる。

 そして死体を検めた。

 目に染みるほどの、ひどい腐臭だ。

 腐臭は胴体に黒く開いた穴から漏れ出してきていた。

「はらわたがほとんど落ちている」

 谷さんの言葉通りだ。

 穿たれた穴は大きい。致命傷というべき傷だ。

 肉は腐り果て、肋骨が見える。

 内臓のほぼすべてを失っていた。

「これをやったのは誰だ?」

 父たちが目の持ち主である”マ”と戦ったのは、17年前のことだ。

 これほど傷を受けてから、長い時間生き続けられたわけもない。

 その点からしても、これはぼくらの標的ではありえない。

 草四郎がミカさんの声を告げる。

「やったのは、セイくんの中にある目の持ち主だ。そいつが女の体を内から食い破った」

 草四郎は天を凝視し、言葉を絞り出す。

 草四郎はミカさんから与えられた旋律を、必死に掴み取り形にしようとしていた。

「それはもう死にかけていた。17年前に兄さんが負わせた傷は、ぼくらが思う以上に深かったんだ」

 そして十日町が使った不完全な召喚術も、傷をさらにえぐった。

 谷さんが、草四郎の言葉にうなずく。

「そうだ。あの時、ここに落ちたのはこんな姿をしていなかった。それは肉を持たない、影だった」

 谷さんは唯一、巫舞のときその姿を捉えていた。

「君たちのカミサマの世界で、化生は肉体という鎧なしでは生きながらえることはできなかったはずだ」

 この世界に落ちた“マ”は肉を求めた。

 しかし清らかな水で、全ての道は閉ざされていた。

 瀕死の”マ”は、落ちた場所で待つことしかできなかった。

 そこにぼくがやって来る。

 白く柔らかい女の肉。そしてその内部に埋められた魔眼……

 極上の餌だ。

 しかしその前に、その女が現れた。

「藁をも掴む思いだったんだろう。焦った化生は、目の前に落ちていたゴミに飛び付いた」

 その女は、ゴミ同然の力しか持たない者だった。

 この黄昏の世界は、行き場のない影の吹き溜まりでもある。

 この遺骸は現し世で、アガミの刃にかかった者の切れ端だ。

 夕闇の中で、やがて消えるはずだった塵だ。

 ”マ”は、その女に己の身を投げ出した。

 女は”マ”を貪り食う。

 そして”マ”を飲み込んだ女は、力を与えられ急激に膨れ上がった。

 だが、食われた”マ”は死ぬ訳では無い。

 自分を与えたのは、新たな体を得るための手段だ。

 捕食者を内側から貪り犯し、孕ませる……

 やがて”マ”はその胎を食い破り、生まれ出てる。

 だが、その女は器として脆弱すぎた。

 そして粉々に割れてしまった。

「―――」

 谷さんが再び印を結ぶ。

 刃が腐肉を切り裂いた。

 もう乾ききった女の体から血は流れない。

「あの汚泥を見ろ。それが奴の成れの果てだ」

 谷さんが指さす。

 月足らずで生まれた”マ”は、ここで本当の死を迎えた。


           

            XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX


 長い沈黙。

 ぼくらは途方に暮れていた。

 標的は死んだ。

 これで本当に終わりなのか?

 あまりにも呆気ない幕切れだ。

 この世界で父の代からの因果の始末をつける。

 死闘を覚悟し、ここへやってきた。

 しかしその決意は大きく裏切られた。

「ミカさんが、未来を読み誤うなんて……」

 愕然と草四郎が呟く。

 “マ”は死んだ。

 しかし勝利を祝う気にはとてもなれない。

 震えが止まらなかった。

「―――」

 その時、大きな声を響かせたのは谷さんだ。

 悲鳴?

 いや彼は笑っていた。

 彼が殺すはずだった神はもう居ない。

 失意のあまり気が触れてしまったのか?

「よくも、よくも、よくも、やってくれたな!!」

 中空を睨みつけ、彼は叫んだ。

 その目には憎悪が宿っている。

 誰に向かっての言葉なのか?

 それはミカさんへの言葉だ。

「谷さん……?」

 戸惑うぼくに、彼は静かに告げる。

「まだ分からないのか?何も終わってなんかいない」

 静寂の中、一滴の水が岩を打つように。

 その言葉は、ぼくの中に染み渡った。

 そうだ。

 これから始まるのだ。

 なぜ、ぼくらはこの世界に留まっている?

 そしてなぜぼくは、アリアの姿のままでいる?

「セイさん……!」

 草四郎はぼくの前に回り込み、両手を広げた。

 ただならぬ様子の谷さんから、ぼくを庇おうとするかのように。

「何から、セイくんを守ろうというんだ?」

 問いかけるその目は氷のように冷たい。

 “マ”は倒れた。

 だが朽ちたのは、肉体だけだ。

 魂は残る。

 古い葉は落ち、若葉に代わる。

「そこにいるんだろう?」

 谷さんは、ぼくの胸元に目をやった。

「ええ」

 誤魔化しようなんてない。

 真っ直ぐに目を見て、ぼくは答えた。

「セイさん……何を言っているんだ……?」

 草四郎も分かっているはずだ。

 ただ恐れが、理解を邪魔している。

「化生は、その目に力を移した」

 谷さんの言う、それが答えだった。

「負わせた傷など、それでチャラだ。つまりお前らの先代は、犬死にをしたというわけか」

 違う。

「犬死にじゃない。肉体の生まれ変わりのために、奴は眠る。父の欲しかったのは時間だ」

 運命は変えられない。

 その”マ”によって災厄は起きる。

 父たちが命を賭して得たのは、”マ”が肉体を再生するまでの、ほんの刹那。

 けれどその刹那は、神の縮尺だ。

 それは人が一代逃げのびるには、十分足る時間だった。

「勝手だな。てめえのガキが助かれば、あとのことはどうでもいいのか」

 谷さんの言う通りだ。

 だからミカさんは、父を顧みなかった。

 だから父は、ミカさんから離れて死んだ。

 人の分を超え、運命という大流を乱した。

 それが父の罪だった。

「しかし、ささやかな願いも潰された。お前のカミサマは、今そいつを起こすことに決めたんだ」

「……させない。そんなことは」

 草四郎は絞り出すように言った。

「ならば、どうするというんだ!?」

 草四郎を睨みつけ、谷さんは吠えた。

「もう終わりだ。こいつは自分の神から見捨てられたんだ!」

 ミカさんに捨てられた。

 谷さんの言う通りなのかもしれない。

 ぼくは生まれつき深い傷を負っていた。

 本来、咲くはずがない花だった。

 だが今ぼくには、役目が与えられた。

 ぼくだけにしか出来ないこと。

 それをやり遂げるまでは、絶望に沈みはしない。

 言葉を尽くしても、分かってもらえないだろう。

 だから、ぼくは沈黙を選んだ。

 それが谷さんの怒りを更に煽る。

「なぜ足掻くことをしない?どこまでもカミサマの言葉を信じて、大人しく死んでいくつもりか?」

 そして大きなため息をつく。

「耐え難い。狂信者め……やったことは真逆だが、親子共々愚かだよ」

 谷さんの手に、光の帯が出現した。

 それは、ひと振りの刀として像を結んだ。

 その刀剣は谷さんの意思に応え現れたのでは無い。

 ミカさんが、握らせたのだ。

 谷さんが刀を振りかぶる。

「やめろ!何をする!!」

 叫び声をあげたのは草四郎だ。

「―――っ」

 刃が掠め、ぼくの髪が一筋落ちた。

 これから始まるのは、戦いではない。

 定められた儀式だ。


「はっきりと言葉にしてもらおう。お前の中にある、それはなんだ?」

 谷さんに、もう迷いはなかった。

「答えるな!セイくん……逃げろ!!」

 しかし草四郎の叫びは、そこで途切れた。

「---!!」

 草四郎は、短く痙攣した。そしてその場に崩れ落ちる。

 白い装束に、赤い血の染みが広がる。

 肩がえぐられている。

 刀を握っていない方の手が印を結んでいる。

 草四郎を撃ったのは、谷さんだ。

「どういうつもりだ!!こいつは関係ないだろう!?」

 ぼくは谷さんに掴みかかった。

 だが軽い女の体だ。容易く払われて地面に転がる。

「くそっ!」

 谷さんが放ったのは、ただの刃ではない。傷は浅い。しかし草四郎は、地面に縫い付けられたように動けない。

 見えない枷が草四郎を捕らえていた。

「邪魔はさせない。逆らえば、首を飛ばしてやる」

 草四郎に向かって吐き捨てる。

「確証が欲しい……教えろ、お前たちのカミサマはなんて言っている?」

 そして、谷さんは同じ問いをした。

「お前の中にある、それはなんだ?」

「よせセイくん、話すな!話せば、殺される……!!」

 痺れ、もつれる舌を必死に動かし、草四郎は訴える。

「草ちゃん……止めるな。もう動き始めている……」

 草ちゃん。

 ぼくの口からも昔の呼び名が零れた。

 感傷だ。

 でも、これが最後の時だ。

 ぼくらはやっと、辿り着いた。

 谷さんが、今度こそ殺してくれる。

 ミカさんの予言が果たされる時が来た。

 だからぼくは谷さんに答えた。

「ぼくの中にあるのは、神だ」

 ぼくが女の姿をしていることには、意味がある。

 ミカさんは言った。

 お前は、花嫁になるのだと。

 月足らずの体は、新たな胎を得た。

「ぼくの体を食い破って、再び生まれ出る」

 そしてぼくは自分の胎内にいる、神へと呼びかけた。

「くれてやる……全部食え」

 肉体も、血も、心も……奪い、喰らいつくすがいい。

 すべてを侵しつくして、根を張れ。

 強い鼓動を感じていた。

 37度のぼくの体温。

 それよりも遥かに熱い血潮が、体中を駆け巡る。

 血は、ぼくが抱える邪眼から生み出されたものだ。熱に灼かれて、体は変わり始める。

 内側から食われ、奪われていく。

 視界が暗くなる。

 ふたりの声が遠くなる。

 五感が失われていく。

 痛みも無かった。

 もうこの衣装の役目は終わった。

 羽織を脱ぎ捨て、帯を解く。

 そして髪をほどいた。 

 白い肌を晒し、ぼくは谷さんに向かって一歩近づいた。

 もはや美しい乙女の姿を留めてはいないだろう。

「おぞましい」

 谷さんから返って来たのは、剥き出しの嫌悪。そして、恐怖だ。

 すまない、アリア。

 ぼくは心中で詫びる。

 ぼくは君から借りた姿を、醜く変えた。

 動脈は血を送り出し続ける。

 今や僕に残されているのは、理性だけだ。

 それもやがて、この熱に焼かれて切れてしまうだろう。

「ここで貴方の予言は成る…屠るべき神はここに現れる」

 谷さんの宿願である神殺し。

 成就する日がやってきた。

 化生はすでにぼくの体に根をはった。

 だがこの身体は、ミカさん編んだまやかしの肉体だ。

 化生はもう、この罠から逃れることは出来ない。

 神は現れる。

 けれど、不完全な形で。

 谷さんの勝利は、約束されていた。

「俺がずっと、待っていたものはこれだったのか?」

 けれど谷さんがみせたのは激しい拒絶だった。

「俺はこんなことを望んじゃいなかった」

 彼は激しくかぶりを振った。

「なぜだ?そんな真似をしなくても、俺は必ずやり遂げた!何故だ、何故だ……なぜ信じてくれなかった……!?」

 その目にあるのは、怒りと失望だった。

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