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花とペン  作者: 井上マイ
62/68

62.

「草四郎か?」

 部屋を出て行ったアリアは、気づかなかっただろう。

 練習室の外階段の下。

 ポケットのような空間に、草四郎はうずくまっていた。

 ピンと張りつめた背中に声をかけた。

「なにをしていたんだ?」

「……見てください」

 草四郎は右手を差し出してみせた。

 電気を流されているかのようだ。腕は細かく震えていた。

「急にこうなったんです」

 草四郎の焦りは、手に取るように分かる。

 ぼくは震えるその手を取った。

 ひどく冷たかった。

「……仕方がない。アリアさんのそばにいろ。ぼくに何かあったときは、その後を頼む」

 言った途端に、手を振り払われた。

「置き去りなんて、まっぴらだ」

 整ったその顔が怒りに染まる。中々に凄味があった。

「その手で何ができる?」

「セイさんひとりで、何ができるって言うんですか?」

「谷さんが付いている。ウチの先輩方も控えてる。けが人のお前が、無茶する必要はない」

「それでも、あんたの特別はぼくだけだ。誰も代わりなんてできない」

 草四郎の言う通りだった。

 彼より巧みに笛を吹く先輩術士はいる。

 けれど、ぼくらはふたりでないとダメなのだ。

 しかしここは譲る訳にいかない。

 ぼくらは睨み合う。

 その時だ。

 “ーーーー。”

 微かな囁き声だった。

 でも確かに聞こえた。

「そうだな……大丈夫そうだ」

「……どうしたんです?」

 突然意見を変えたぼくに、草四郎は戸惑う。

「お前のケガはもう治っている」

 ぼくは視線を上げる。その先には、鳥のミカさんがいる。

「ミカさん、いたずらはやめてくれ」

「え……?」 

 驚いた草四郎もミカさんを見やった。

 ふわり。

 霧散するようにミカさんは、姿を隠してしまった。

 草四郎の腕の震えが止まった。

「くそっ、こんなもので縛られていたなんて……」

 草四郎が腕を掻きむしる。

 絡みついていた銀色の糸が、今やはっきりと見えた。

 糸は草四郎に寄り添う、馬のミカさんの鬣だった。

 草四郎は糸をプチプチと断ち切った。

「お前さんがこの前、無茶したからだろ」

 ただのイタズラではない。

 ミカさんは草四郎のことが心配なのだ。

 だから、こんな人臭い方法で引き留めた。

「しかしミカさんに逆らって、お前を連れていくのは正しいことなんだろうか」

 煮えきらないぼくに、草四郎が言った。

「本気で止めたいなら、すぐにバレるような真似はしませんよ」

 ミカさんは強硬な手段を取ることもできた筈だ。草四郎は言った。

「ねえミカさん」

 草四郎が呼びかけた。

 姿を隠していても、ミカさんはそこにいる。

「必ず、最高の笛を披露してみせます。楽しみにしててください」

 "ーーー。”

 ひとつ空気が震えた。

 ミカさんが頷いてくれたように感じた。


「さぁ、早く支度してこい」

 いまだ普段着の草四郎に、そういった。

「アリアさんの話って、なんだったんですか?」

 不意に投げかけられた問い。

 反応が少し遅れた。

「……無事に帰ってこい。そう励まされていただけだ」 

 つたない抱擁。

 子供のやったことだ。

 分かってはいるのに、心臓がまだ騒いでいる。

 動揺が顔に出てしまったのか。

 クスリと草四郎に笑われた。

「嫉妬なんてしませんよ。アリアさんは、さっきまで、ぼくと一緒にいたんです」

 草四郎とアリアは近所の公園に避難していた。通りで姿が見えなかったわけだ。

「一緒にいる間ずっと、アリアさんはぼくの手をさすっていてくれたんです」

「……そりゃ良かったな」

 まったくアリアときたら。

 罪な女の子だよ。

「帰って来たら、真っ先にあの人に会いたい」

 草四郎は照れることなく、そう言った。



       XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX



 夕暮れ時。ハロゲンランプの光が、舞台を照らしていた。

 庭にはござが敷かれ、座布団が置かれた。

 冬の最中だ。見物客には、どてらと毛布が配られた。

 ひしめき合うように並んだ40人もの視線が、舞台に注がれる。

 ニレイさんとサキさんは、剝き出しの舞台袖で見ていた。

 昼の和やかな空気は去っていた。

 踊りに先だって、孝三叔父が祝詞をあげた。

 見守るアガミの衆の緊張は、高まっていた。

 招待客もただならぬ雰囲気を、感じているようだった。

「ちょいと通してくださいよ」

 花道などはない。

 観客の脇をすり抜け、ぼくは登壇した。

 花嫁姿のぼくを見て、笑うものはいなかった。

 見物客の目には、夜叉のように映ったのかもしれない。

 アガミの術士たちは楽器を手に、舞台下に陣取っていた。

 草四郎はもちろん、谷さんも列に加わっている。

 アガミ衆と揃いの衣裳を身に着け、手に小型の鐘を下げていた。

 そして、セルロイドのウサギの面を付けていた。

 ランプの明かりに照らされたその姿は、いつも以上に不気味だった。


 神楽が始まった。

 五管の笛、そして鳴り物が響く。

 だが僕の辿るべき調べは、草四郎の奏でる笛だけだ。

 父から習い覚えた旋律が、繰り返される。

 ぼくは踊った。

 その旋律にぼく自身を重ね合わせる様に心を砕く。

 やがて、ミカさんが呼応した。

 ミカさんの歌は圧倒的だった。

 この会場にいるすべての人間の熱を巻き上げ、その声は幾重にも重なり広がっていく。

 ぼくの体の内側から、共鳴が起こるのが分かる。

 観客は静まり返ったままだった。

 彼らはミカさんの声を聞くことはできない。

 だが確かに、その震えは伝わっているのだ。

 ハロゲンランプに照らされた彼らの目は、爛々と興奮をたたえていた。

 ぼくの動作は徐々に大きくなっていく。

 ミカさんの歌に応え、長い髪を振り乱し跳躍する。

 流れる汗と、身にまとった香の香りが混ざり合う。


 全てが溶け合って、その瞬間は訪れる。

 今宵は満月。冴え冴えとした月の光が、この舞台にも降り注ぐ。

 強い風が吹いた。

 月を遮るようにして、黒い雲が中空をよぎる。

 観客からは悲鳴とも、どよめきともつかぬ声が上がった。

 観客たちは雲の影に多様な幻をみたようだ。

「竜だ!竜が空を……!!」

 誰かが、そう叫んだ。

「きれい。花びらが……ほら、こんなに」

 うっとりとつぶやく声が聞こえた。

 母親を呼ぶ声がした。

 笑いだすものもいた。

 だが、すぐに混乱とざわめきは収まった。

 そして彼らは立ち上がる。

 誰が指揮をとったわけでもない。

 けれど、声を合わせてひとつの歌を歌い始める。

 意味のある歌詞などなかった。

 ただひとつのメロディーを繰り返し繰り返し。

 その観客たちの歌が、ミカさんの歌と溶けあう。

 そして僕も幻をみた。

 雲は形をとって、僕の元へと舞い降りてきた。

 血の匂い。生臭い息。

 首筋にそれを感じた。

 喰われる。

 跡形もなく。

 だがぼくを守るように、鳥のミカさんが翼を広げた。

 意識を保てていたのは、そこまでだ。

 あとは奈落の底へーーー



           XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX



 肩を掴かまれ、目一杯揺さぶられていた。

「セイさん、セイさん……目を開けてください!」

「寝てる場合じゃないぞ、しっかりしろ!」

 草四郎と谷さんの声がする。

 全員無事に渡れたみたいだ。

 頭が重い。息が苦しい。

 濁流に飲み込まれ、溺れもがいたような疲労感がある。

 このまま眠ってしまいたい。

 しかし気力を振り絞り、瞼をこじ開けた。


 空は高く青く晴れていた。

 これまで、この世界は決まって夕焼け空だった。

 この明るい景色が、逆に不吉に写る。

「ここは……?ミカさんの中ですか…」

 声を出し、身を起こしたところで強烈な違和感をおぼえた。

 何かがおかしい。 

 ぼくを揺さぶっていたのは、谷さんだった。

 今度は白ウサギでは無い。95%人間の姿だ。

  おおむね成功としていいだろう。

 しかし頭頂部からは、ぴょこんと白い長耳が生えている。

 バニーガールのつける、カチューシャのような耳だ。

「セイくん?セイくんで間違いないよな?」

 歩く傲岸不遜。

 谷さんの狼狽えるところなど、初めて見た。

 草四郎の姿は見えない。

 しかし草四郎と結びついている、馬のミカさんがたたずんでいる。

 草四郎本人の声も、さきほど聞こえたのだが。

 だが今は、それどころではなかった。

「まさか……そんなことが!?」

 叫んだ自分の声が、高くか細い。

 慌てて身を起こせば、視点がぐっと低かった。

 ペタペタと己の頬を触る……や、柔らかい!

 かぶっているカツラをひっぱった。

 取れない。

 羽織るだけで済ませたはずの、花嫁衣装はしっかりと着つけられていた。

「かか、鏡、鏡はありませんか!?」

「そこらにいくらでもあるだろう」

 谷さんが指さしたのは、眼前にある湖面だった。青く透き通った水をたたえている。

 花嫁衣裳を着て、紅を引いたアリア。

 それが今のぼくの姿だった。

 ぼくは完全に、アリアと溶け合っていた。

「どうして……?」

 ぼくにこの姿を与えたのはミカさんだ。

 だがその意図が分からない。

「お前の神さんは、気まぐれ勝手だ。悩むだけ無駄だろ」

 と、谷さんが切って捨てる。

「それもそうですね」

 まぎれもない草四郎の声。

 その出所を確認し、腰を抜かしそうになった。

 ぼくらの傍らに佇む、馬の姿をしたミカさん……声はそこから聞こえている。

「お、お前……大丈夫か!?」

 ウサギの耳が生えた谷さんとアリアになったぼくなど、まだ可愛いもんだ。

「特に支障はありません」

 草四郎はクールに答える。

 それは口で発声しているのではない。

 空気を震わせることなく、ぼくの耳に声が届く。

 落ち着かない気分にさせられる。

「お前らの神様は、消化不良を起こしたようだな。何もかもごたまぜだ」

 そう言って谷さんはニュッと、手を伸ばした。

 そして無造作に、ぼくの乳房をむんずと掴む。

「---!!」

 余りの無体に、驚きの声も出ない。

「着物の上からだと、よく分からんな」

 わいせつ犯はつまらなそうに、そう言った。

 ぼくよりも草四郎が早かった。 

 今のぼくはアリアの姿をしているのだ。

 草四郎が冗談で済ませると思ったら、大間違いだ。

 谷さんめがけて突進し、後ろ足で蹴り上げる。

 だが軽く身をかわされた。

「おっと危ない。馬に蹴られて、死んじまうところだった」

「この変態!!」

 とりあえず、ぼくからビンタを一発お見舞いしておいた。

「なぁセイくん、股の間がスースーしないか?」

 谷さんにまったく懲りた様子はない。

 緊張はほぐれた。

 が、こんなことをしている場合じゃない。

「急がないと。敵は近くにいる」

 草四郎が言った。

 ぼくも覚えている。

 意識を失う直前に、確かに黒い影を見た。

 その”マ”はぼくらと同時に、この場所に落ちてきたはずだ。

「奴がどこにいるのか分かるのか?」

 ぼくの問いに、草四郎は迷いなく答える。

「強い臭いがこちらからします。じっと動かずにいる。息をひそめて、ぼくらを迎え撃つつもりなのでしょう……」

 草四郎はミカさんの姿だけでなく、その感覚までも借り受けたようだった。

 ぼくらは感じることができない、僅かな気配も分かるようだ。


「行くか」

 谷さんが先頭に立って歩き始めた。

 出発点は、浮島といっていい不安定な場所だった。

 周りは365度水だ。

 一歩一歩、水の浅い場所を探りながら、迂回を繰り返し進んでいく。

 水深が自分のくるぶしほどもない浅瀬。

 しかし歩くのは、容易ではなかった。

 水中に足を踏み入れれば途端に、花嫁衣装が水を吸い上げる。

 足が重い。何度も転びそうになった。

「乗ってください」

 馬の姿をした草四郎が、身をかがめる。

「すまない、助かる」

 遠慮なく、その背に跨った。

 もちろん鞍は置かれていない。首に手をまわして、しがみ付くしかなかった。

 足元には温かい水。

 水底は一面、白く細やかな砂地だ。

 雲一つない空は、空はどこまでも青い。 

 天と地の境目すらも、曖昧に思えてくる。


 目指す岸部は遠かった。

「待ち望んだエサが近くにいるのに。なぜ襲ってこない?」

 ひざ下まで水に漬かりながらも器用に、谷さんは足を運ぶ。

 極上のエサ。

 ぼくの胸の中にある化生の目。

 それは未だ静かに眠っている。

「澄んだ水と空気は、”マ”の体に障るんです。檻に閉じ込められた獣も同然だ。奴はぼくらを待つことしかできない」

 ミカさんと感覚を分け合っている草四郎が答える。

「この清らかな場所を作るために、アガミのみんなが骨を折ってくれたようです」

 彼らはぼくらにも知らせず、この日のために、香を焚き上げ、笛を奏で、舞をささげていた。

 その祈りがミカさんの内部で結実した。

 それがこの景色だった。

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