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花とペン  作者: 井上マイ
57/68

57.

 アリア!草四郎!

 どこだ?どこにいる!?

 意識の浮上と同時に、恐慌状態に陥った。

 両脇に抱えていた、ふたりがいない。

 見知った天井だ。

 ぼくはホスピタルの待合室に、寝かされていた。

「やっとお目覚めか」

 頭上から、声がかかった。

 谷さんだ。

 ウサギではない。

  人に戻っている。

 ミカさんもいる。

 いつも通りの鳥の姿だ。

 ミカさんが、ぼくの肩の上に舞い降りた。

「アリアさんは!?草四郎は!?」

 慌てて立ち上がると、足元がふらついた。

 意識に体がついていかないだけだ。ケガはしていない。

「焦らなくて大丈夫。ふたりとも元気だよ」

 谷さんの隣には、カナの姿もあった。

「ほら、これ飲んで」

 カナがマグカップに緑茶を煎れてくれた。

 喉を潤すその熱さが、気持ちを解きほぐしていく。

 時計を見れば、午前二時。

 エイからの電話を受けて、ぼくらは黄昏の世界に飛んだ。

 そこから半日ほど、現実世界の時間が進んでいた。

「アリアちゃんは奥の部屋で眠っている。草四郎くんもいるよ。周平さんが連れて来た」

 そうか。

 草四郎は下宿にいたのだ。

 谷さんも自宅で目覚め、草四郎を拾ってここに駆け付けてきたそうだ。

 真夜中で門は閉められていた。

 でもこのホスピタルの鍵の隠し場所を、谷さんは先刻ご存知だ。

「カナさんはどうしてここへ?」

 ぼくの疑問に谷さんが答えた。

「俺が応援に呼んだんだ。アリアさんの、そばに付いていて欲しいからな」

 ぼくは余程、深く寝入っていたらしい。

 谷さんとカナがやってきたことにも気づかないほどに。

「草四郎は本当に無事なんですか?あんなひどいケガをしていたのに……」

 反省会はあとでいい。

 まずはあいつの治療だ。

「お医者さんは、もう呼んであるよ。ウチのかかりつけ医をね」

 カナが抜かりなく手配をしてくれていた。

 草四郎の負った傷は、尋常の世界のものではない。

 普通の医者の手に負えるものでは無いはずだ。


「セイさん、起きたんですね」

 まもなく草四郎が部屋に入ってきた。

 しっかりとした足取り。顔色も悪くない。

「腕はどうした?」

「ご心配おかけしました」

 さすがに、殊勝な顔で頭を下げる。

「起きたとき、これが腕に巻き付いていました。切った事は、間違いないはずなんですが……」

 草四郎が見せたのは、血で汚れた布だった。その血はすでに乾いている。

 黄昏の世界で、ぼくが草四郎に巻き付けた袂の切れ端だ。

「でもほら」

 草四郎が見せた手首には、わずかばかりの傷もない。


 やってきたのは、恰幅の良い中年の医師だ。

 表向きは大学病院の勤務医。もちろん通常の医師免許も持っている。

 往診カバンをちらっと覗き込んだ。聴診器に、体温計、薬剤のアンプル……ごくまっとうな医療器具が収まっている。

「ぼくは大丈夫です。それよりもアリアさんを、しっかり診てあげてください」

 コウガミのお抱え医師は、草四郎の言葉に騙されなかった。

「簡単なテストをします」

 腕の曲げ伸ばし、握力測定……そこまでは、草四郎も取り繕うことができた。

 だが、こいつは馬鹿正直だ。演技というものが、全くできない。 

 たちまち、異常を見破られた。

 草四郎の右手からは、感覚の一部が欠落していた。

 熱を感じることが出来ない。

 触覚も鈍い。軽い痺れもある。

 短い時間なら、動かすことは出来る。

 だが笛を演奏するような、精緻な動きはできないだろう。

 全治不明。

 これが、下された診断だ。 

 これは通常の傷ではない。”障り”というものだ。

 傷は深いのか、浅いものなのか……医師にも判断が付かなかった。


 アリアは一度目を覚ました。

 しかし医師の診察が終わると、また眠りに落ちた。

「栄養と睡眠をよく取りなさい。しばらく安静にすること」

 過度のストレスによる、一時的な意識障害と自律神経の乱れ。

 医師の見立てでは、アリアに”障り”はない。

 症状は一般領域内に収まっている。

 多少の記憶の混乱はある。

 だが、それも時間の経過とともに落ち着くだろうという診断だ。

 今晩は念のため、カナが付き添うことになる。


 谷さんは、ぼくを医師に診せようとしなかった。

 体内に埋まっている魔眼のことは、医師にも、そしてカナにも告げなかった。

 胸をちょっと押さえてみる。

 飲み込んだ目の感覚はどこにもない。

 しかし、それは今もぼくの体内で脈打っているはずだった。


 サキさんは一度ぼくらの様子を見に来た。今は自室に戻っている。

 深夜に立て続けの訪問者。

 そして倒れるように眠っていた、ぼくとアリア。

 けれどサキさんは、なにも尋ねはしなかった。

 ぼくらがどこに行き、何を見てきたのか。

 すべて知っているのだ。


 静かなサキさんとは、対象的な反応を見せたのはニレイさんだ。

 ニレイさんは、午前三時に外出先から戻ってきた。

「えっ!?」

「うわっ?ど、ど、どうしたんですか!?」

 ぼくと草四郎は、出合頭にニレイさんの抱擁を受けた。

「おかえり、な」

 整髪料と煙草の入り混じった香り。確かな体温を感じた。

 ぼくらは遠い場所から帰ってきた。

 改めてそれを実感した。 

 ニレイさんは、続けて谷さんのことも抱きしめる。

 おふざけではない、切実な行為だ。

 そして彼がウサギだったことを確かめるように、ぽんぽんと頭を撫でる。

「…………」

 眉を盛大にしかめながらも、谷さんはその腕を振り払わずにいた。

「おい、アリアくんは?サキくんはどこだ?ふたりは無事なのか?」

「なんですか、騒々しい」

 玄関先で騒ぐニレイさんの声を聞きつけて、サキさんも部屋から出てきた。

「俺は大丈夫ですよ。知っているでしょうが」

 そしてサキさんもニレイさんの抱擁の餌食になった。

「アリアくんは就寝中です。静かにしてください」

 サキさんが苦笑する。

 ぼくらは、待合室へ移動した。

 ホスピタルには立派な応接間もあるのだ。使用頻度は高くないが。


 全員があの場所にいたのだ。

 四人で状況を確認し合う必要はなかった。

「悪夢は終わった。お姫様さまを助け出し、探していた宝物を手に入れた。上出来だ」

 ニレイさんの言葉に、サキさんも頷く。

「ひとりも欠けずに帰ってこられた。セイくんたちの神様のおかげだな」

 だが、その言葉を笑顔で受け取ることは出来なかった。

「申し訳ありませんでした。余りにも、不甲斐なく……」

 あとの言葉が続かない。草四郎は唇を噛み、俯く。

「うまくいったなんて、とても言えません……アリアさんは深く傷ついた。それにミカさんと結びついていた、お二人のことも危険に晒してしまった」

 申し訳ありませんと、ぼくは謝罪した。

 他に言うことは無い。

「…………」

 谷さんは黙って、深く頭を下げる。

「阿呆」

 ニレイさんが、ため息を漏らす。

「やめろやめろ、揃いも揃って辛気臭い」

 サキさんもそういった。

「…………」

  謝罪を跳ねのけられて、ぼくらは途方に暮れるよりない。

「三人とも、そこに直れ」

 ニレイさんは、びしっと命令する。僕ら三人は待合室の床に、並んで正座した。

 そしてニレイさんはぼくらをそのままにして、部屋から出ていった。

 しばらくして、盆にグラスを乗せ戻ってきた。

「ほら、きみも手伝え。酒持ってこい」

「は、はいっ!」

 ぼくも慌てて、キッチンに向かう。

 下戸のサキさんのために、ウーロン茶の缶も持ってきた。

「飲むぞ」

 乾杯の挨拶はなしだ。

 そしてぼくら五人は黙々と杯を重ねた。

 あの世界の空気に、すっかりあてられていた。こわばりを振り払うには、もっと酒が必要だった。

 空が白む頃だった。

「次は何が起こる?」

 そう尋ねたのは、ニレイさんだった。

「そうだな、それを知りたい」

 サキさんも頷く。

 ふたりに怯えた様子はない。

 気負いもない。

 最後まで見届ける。その静かな決意があるだけだ。

 谷さんがぼくに目を向けた。

 そして手を伸ばし、人差し指でぼくの胸をつく。

「もうすぐ、こいつの持ち主がやってくるはずです」

 ぼくの中にある魔眼には、強い力が宿っている。

 それを取り戻すために、持ち主は必ず現れる。


 早朝だった。

 ぼくはキッチンで、酔い覚ましの水を飲んでいた。

 そこにアリアがふらりとやってきた。

「おはようございます」

「ん」

 アリアがうなずいた。

 しかしすぐにムッと眉を寄せる。

「お酒臭い」

「すいません……体調はいかがですか?」

「大丈夫」

「カナさんは?」

「寝てる。疲れているみたい」

 普段と変わらない会話ができた。

 少しやつれている他は、いつも通りのアリアだ。

 昨晩、アリアは幻の弟を失った。

 自身も夢の亀裂に飲まれる寸前だった。

 アリアは昨夜のことを、どこまで覚えているのだろう。

 心の中では、嵐が吹き荒れているのかもしれない。だが、ぼくにはそれを見せなかった。


 さて、ポストに朝刊でも取りに行くか。

 キッチンから出ようとした時だった。

「セイさん」

 呼びかけられて、振り返った。

 アリアは張り詰めた顔をしていた。

「ごめんなさい」

 小さな声。

「いいんですよ。アリアさんが、無事で良かった」

「迎えに来てくれて、ありがとう」

「どういたしまして」

 ぼくは微笑んだ。

 この言葉だけで、全て報われた。

 そして昨夜の力不足の自分も少しは許せる気がした。


「朝ごはん食べますか?」

「うん、軽く食べる」

 アリアが頷いたので、僕は冷蔵庫のドアを開ける。

 目玉焼きと、簡単なスープでもこしらえよう。

 あとはトーストでも焼けばいい。

 アリアはトコトコと、隣の待合室へ歩いていった。

「あ、いた」

 そして部屋の片隅で丸まっている、草四郎を見つける。

 草四郎は着の身着のまま、寝ていた。

 二十歳になったばかりだというのに、こいつも大概酒が強い。

 しかし疲労と緊張のせいだろう。アルコールが、普段より回ったらしい。

 ぐったりと床に伸びていた。

 その隣には、谷さんも潰れている。

 五島万のふたりは自室に戻っていた。

「…………」

 アリアはそろそろと、草四郎の手を引いた。

「……ん」

 草四郎はわずかに反応を示す。だが、すぐにまた寝息を立て始めた。

 引き出した右手を、アリアはじっくりと検分した。

  草四郎の手首には、目に見える傷は一筋もない。

「セイさん、先生のケガは?」

 アリアがくるりと振り向いた。

 僕が、背後から息を殺して見つめていた事に気付いていたらしい。

 まったく決まりが悪かった。

「見た通りです。痛みはないらしい……だけど少し違和感がある。そう言っていました」

 隠すことはない。正直に答えた。

「違和感?」

「軽い麻痺。日常の動作には、影響はない。ただ笛はしばらくお休みです」

「………………」

「そんな顔しないでください」

 たちまち俯いてしまったアリアに、僕はそう言った。 

「無茶をしたこいつの自業自得です。でも、この程度で済んで良かった。たっぷり寝て起きりゃケロッと治るかもしれません。アリアさんが気にするこっちゃないです」

「先生が無茶をしたのは、私を助けるためだよ」

「それはそうでしょうけど」

 手首をバッサリ切ったことも、あのキスも、アリア救出に効果があったのか。実のところは、わからない。

「わたしが先生のために、出来ることはない?」

 アリアは、居ても立っても居られないのだろう。

「草四郎が目を覚ましたら、その顔を見せてやってください。それで十分です」

「分かった」

 アリアは小さく頷いた。

 そして無意識なのだろう、指先で自分の唇をなぞる。

 やっぱりアリアは鮮明に覚えているのだ。

 あの世界でのことを。


 その十分後。

「セイくん、アリアちゃん見なかった!?」

 大慌てのカナが、キッチンに駆け込んできた。

 目覚めたら、隣で眠っていたアリアが居ない。

 アリアは、いま非常に危うい状態のはずだ。

 カナが慌てるのも、無理はない。

「ここにいるよ」

 アリアの食卓に着いているのみて、カナはほっと息をつく。

「カナちゃん、おはよう」

 アリアがぺこりと頭を下げる。

「お、おはよう」

「昨日は、真夜中に呼び出してごめん」

「わたしは全然っ平気だから!むしろ何も出来なくて、こっちこそごめん」

「嬉しかった。カナちゃんが来てくれて」

「えっ……ふふ、じゃあ来て良かった」

 まっすぐなアリアの言葉に、カナは大いに照れていた。

「セイくんが朝ごはん作ってくれた。カナちゃんも、一緒に食べよう」

「うんっ」

「で、カナちゃん、今日学校は?」

「あー、うん……休もうと思ってたんだけど……」

「駄目だよ。タクシー呼ぶよ。本当はセイさんが送ってくれればいいんだけど、お酒が抜けてないみたいだから」

 わたしはもう大丈夫だから、とアリアは言った。

「分かった。学校には行く。でも辛くなったら、ポケベルで呼んで。すぐ戻って来るから」

 本当にアリアが元気になったのか。カナはまだ半信半疑のようだ。

  隣室で眠る二人を起こさぬよう、ぼくたち三人は黙々と朝飯を食べた。

 アリアはしっかりトーストを二枚食べた。


「学校終わったら、また来るから。夕ごはん、わたしの分も用意しておいてね!」

 帰り際に、カナは力いっぱい、アリアの手を握り締めていった。

 アリアも、その手をきゅっと握り返した。

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