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花とペン  作者: 井上マイ
56/68

56.

 

 巫舞が終わった。

 ぼくらは羽衣を脱ぎ捨て、ゆっくりと地面に降り立った。

 空も地も闇から解放されていた。

 しかし景色は一変している。

 庭もリンゴの木も消えていた。

 あとは砂地が広がっている。

 家の白い壁の片側には大穴が開けられている。

 荒涼とした景色を赤い夕日が照らしていた。


 敵は完全に消滅した訳ではなかった。

 魔眼の残滓なのか、砂地には二体の化生が横たわっている。

「どっこいしょ。疲れた疲れた」

 ミカさんは羽をしまうと、躊躇なく地面に寝そべった。

「あとはよろしく」

 さきほどまでの戦闘で、ケガをした訳でもない。疲れたというのも嘘くさい。

 ミカさんの集中力は、いつも長続きしないのだ。

「油断するな……」

「ええ」

 草四郎とゆっくりと、化生に近づいた。

 すでに息絶えているのか。

 二体は微塵も動かない。

 先程薙ぎ払ったものたちとは違う。

 翼も牙もなく、爪もみえない。

 二体とも人の姿をしている。

 一方は背広を着た成人男性。

 もう一方はそれよりも小柄だ。女性、あるいは子供だろうか。

 うつ伏せに倒れている、男の肩を掴んで上向かせる。

 その体は酷く重かった。

 男の顔は潰されていた。

「まさか……こんなところで」

 草四郎が、呻いた。

 この死体を、ぼくらは知っていた。

 すべての混乱の発端となった男……十日町条だ。

 現実世界の十日町は、すでに墓の下だ。

 これは本物の死体ではない。

 しかし以前に写真で見たものと、寸分たがわない。

 その体は、奇妙にねじれていた。

 両の目は既に腐り、失われている。

 赤黒く空いた口が、苦悶を訴えている。

 どれほどの怨念を抱いて、こんな場所まで流れ着いたのだろう。


 もう一方の遺体は、破損していた。

 右の手首から先と、足の根本からが失われている。

 だが恐ろしくも、痛ましくもない。

 触れて確かめるまでもなかった。

 これは生身の人ではない。

 よくできた人形だった。

 それは冷たく、十日町とは対照的に綺麗なものだった。

 腐肉の臭いなど微塵もない。

 髪は柔らかささえ感じさせるほど、繊細に彫られている。

 穏やかな口元。閉じられた目。

 眠る少年の人形だ。

「これがトウヤなのか……」

 ぼくは跪き、手を伸ばした。

 偽りのぬくもりでアリアを惑わし、苦しめた、弟の正体。

 十日町が用意した血の通わない道具だ。

「いつまで、突っ立っているつもりだ」

 いつの間にか、ミカさんは立ち上がっていた。

 青ざめ立ち尽くすぼくらを見て、ため息をつく。

「感傷はたくさんだ。下がってな」

 ミカさんがぼくを押しのける。

 ミカさんの手には再び大鎌が握られていた。

 そして振りかぶる。

 十日町の首が飛んだ。

 そしてもう一度振り下ろす。

 陶器で作られたトウヤの頭部が、粉みじんに砕ける。

 そして更に二度ーーー

「さあ、それを取れ。こじ開けろ」

 ミカさんがぼくらに向かって放り投げたのは、十日町の両の腕だった。

 そこからの作業は、不快極まりないものだった。

「どこまでも世話がやけるな。ほら」

 ミカさんは袂から道具を取り出した。

 ぼくに鋸、草四郎に大ぶりのナイフを手渡す。

 十日町のこぶしは、固く握られていた。

 硬直した掌を、手でこじ開けることはできない。

 十日町の手は膨れあがり、皮膚はめくれ、どす紫に変色している。

 ぼくらはミカさんから渡された道具を使い、十日町の指を一本一本落としていった。

 己の全てを賭し、人としての生も捨て、彼は何を得たのだろう。

 死後も消えることの無い怨念。

 しかし全てを投げ打っても、あの大社を揺るがすことさえ叶わなかった。

 だが、すべて終わったことだ。


「あった」

 草四郎が、それを取り上げた。

 目は、十日町が握っていた。

 先ほどの戦闘で、削がれてしまったのか。

 ミカさんが以前示してくれたレプリカより、だいぶ小さい。

 人間の目と変わらない大きさだ。

 それは獣の目だった。人間の眼球とは違い、白眼はない。

 黒曜石のような光沢がある。

 草四郎の手のひらにあるそれに、ぼくもそっと触れてみた。

 それは温かく濡れて、脈動していた。

 血の通う肉だ。

 これが先程まで、この黄昏の世界にあれだけの騒乱を巻き起こしていたのだ。

 この目の持ち主の化生は、どんな姿をしているのだろう。

 そして、どれだけの力を持っているのだろう。

「貸して」

 ミカさんが草四郎から、魔眼を取り上げる。

 そして、そのままぼくの胸にそれを押し当てた。

 砂地に撒かれた水のように。

 音もなく、魔眼はぼくの胸の中へと吸い込まれていった。

「……!!」

 ミカさんは一体、何をしたんだ……?

「セイさん!大丈夫ですか!?」

 草四郎がぼくの肩を掴んで揺さぶった。

 だが、それで消えてしまった目玉がコロンと飛び出してくるはずもない。

 ぼくはしきりに胸をさする。

「どこか痛みますか!?」

「いや……」

 草四郎の問いかけに、首をかしげるしかない。

 熱くも冷たくもない。

 魔眼はただ、ぼくの中に消えてしまったのだ。

 平然とミカさんが言った。

「やっぱりだ。君の傷口にぴったりはまった」

 愕然とするぼくの肩を、ミカさんがポンと叩く。

「傷が治れば、自然と落ちる。安心しな」

 魚の棘がチクリと、のどに刺さったくらいのこと。そんな言い草だ。

 まったく冗談じゃない。


「あっ、ああああ……」

 背後で悲鳴が上がった。

 驚き僕らは、振り返る。

 アリアが立っていた。

  彼女の視線の先には、腐乱した切断死体。そして砕け散った人形があった。

 壊れた人形は彼女が、弟だと思い込んでいたものの残骸だった。

 結い上げられた髪は、乱れている。

 靴も履いていない。

 あの滅茶苦茶に壊れた階段を、どうやって降りて来たのだろう。

 隠れて居ろ。そう言ったのに。

 でも言いつけを守らなかった彼女を責めることはできない。

 黒い霧が晴れ、それでも戻らない僕らを案じ、必死で探しに来たのだろう。

 アリアの腕の中には、ウサギの谷さんが抱えられていた。

 谷さんはアリアを宥めようと、必死で鳴いている。

 だが、その声がアリアに通じるわけもない。

「………」

 そしてアリアは僕らを見やる。

 足元には鋸とハサミが落ちている。

 トウヤを殺したのは、ぼくらだ。

「アリアさん、待ってください!」

「待って!どこに行くんですか!?」

 制止を聞かず、アリアは背を向けて駆け出した。

 魔眼から湧き出た闇は、この元々箱庭ほどしかない世界をさらに削りとっていた。

 アリアはすぐに行き止まりに、突き当たる。

 もう一歩進めば、奈落の底だ。

「アリアさん、そこは危ない。戻ってきてください」

「帰りましょう、アリアさん。ここは夢の中だ。目覚めれば、辛いことはみんな消える、だから……」

  ぼくも草四郎も必死で言葉を紡ぐ。

 だが、アリアはいやいやと首を振るばかりだ。

 ーーピー、ピー。 

 谷さんがアリアの足元で、悲しげに泣く。

 アリアの腕から解放されても、谷さんは彼女から離れようとはしなかった。

「帰りましょう」

 草四郎は繰り返した。

「ニレイさんも、サキさんも、カナさんも……みんな、あなたの帰りを待っている」

 だが、アリアの足は動かない。

「無理だよ……帰れない」

「どうして……?」

「トウヤには、弟には、私しかないの!私がいなくなったら、弟はひとりぼっちになってしまう……」

 絞り出すように、切々とアリアは訴える。

 術士である十日町は消えた。

 アリアも悪夢から解放されたはずなのに。

 ここにあるのは壊れた人形だ。

 トウヤなんて元からいない。

 でもその声はアリアに届かない。

 ぼくらは、絶望するしかなかった。

「ミカさんっ!早く、元の世界に戻してくれ!」

 時間がない。

 この世界はもうすぐ崩れてしまう。

 説得をひとまず諦め、ミカさんにすがった。

「無理だ」

 ミカさんは、静かに答える。

「君たちを抱えて、飛ぶことはできる……でも、その女の子は連れていけない」

「どうして!?」

 掴みかからん勢いで、草四郎が詰め寄る。

「その子を見ろ」

 ミカさんが、アリアの足元を指す。

「影が……!!」

 奈落の底から伸びた影が、いばらの如くアリアの足に絡みついていた。

「この場所は、この子のための場所だ。あの影は、あの子の心そのものだ」

 影はアリアの強い執着だ。引き離すことはできない。

 アリアは、ミカさんの手を拒絶している。

 自分に絡みついた影も、アリアの目には映っていないようだった。

 アリアはぺたりと地面に膝をついた。

 チューリップ、ガーベラ、カルミナ……

 この裏庭に咲いていた花ももうない。

 そして音を立て、白い家が崩れていく。

 アリアの心がひび割れたいま、この空間は一挙に終わりを迎えようとしている。

「トウヤの体をここに持ってきて」

「あんなもの……」

 反論しようとした草四郎をアリアは遮った。

「作りものだって分かっている」

  影に足を取られ、アリアは身動きが出来ない。

 手を目いっぱい伸ばし、ぼくらに訴える。

「でも、ここでひとり消えてしまうのは可哀そうだから」

「馬鹿ッ……どうして、あなたは……」

 伸ばされた手を取り、草四郎がアリアの体を引き寄せる。

 怒り、そして自分の不甲斐なさ。

 草四郎の目から、涙が零れ落ちる。

「アリアさん、君があんなもののために、苦しむ必要はないんだ。もうこんなところに一秒だっていちゃいけない……」

「先生……どうして?どうして、泣いてるの?」

 草四郎の腕の中で問いかけるアリアは、いっそ無邪気だった。

 必死に感情を抑えようとする草四郎が、猶更やるせなく映る。

 そして、アリアの体がふらりと傾いた。

 彼女に絡みつく影が濃く、大きく、なっていた。

 もはやアリアの下半身は黒く覆われていた。

「アリアさん……!?」

 草四郎がアリアを揺さぶる。

「……」

 アリアの意識が朦朧とし始めていた。

 顔色がひどく悪い。

 影は彼女の命を吸っているようだった。

 ぼくは必死でアリアの影に手を伸ばす。

「くそっ……!くそっ……!なんだよ、これ。なんで、切れない!?」

 だが、影は掴んだぼくの手をすり抜けてしまう。

「アリアさん!?しっかり、気を確かに持って!」

 草四郎が必死に、腕の中のアリアに呼びかける。

「セイさん……先生……」

 アリアの焦点は定まっていない。

「ごめんね……ふたりと一緒に、戻れない。もう足が、動かないの」

 そして、アリアは瞼を閉じる。

 闇はもはや、アリアの全身を覆っている。

 そしてアリアの輪郭が、闇に溶け始める。

「お願い、このまま眠らせて……」

 彼女の意識を繋ぎとめようと、必死で叫ぶ。しかしアリアはその訴えを静かに拒んだ。

「消えてしまいたいの、もう」

 ふわりーー

 アリアに取りついていた闇が、霧散した。

「ああーーー!」

 草四郎の喉から、悲鳴がほとばしる。

 闇はアリアの体を食い終えたのだ。

 草四郎の手から、白い砂がこぼれた。

 手、足ーー末端からアリアの体は崩れ始めていた。

「アリアさん、アリア、アリアーー!!」

 草四郎は繰り返し呼び続けた。

 けれど、アリアは答えない。

「時間切れだ」

 ミカさんの手が、草四郎の肩にかかった。

「ーーっっ!!」

 その手を振り払い、草四郎はミカさんを睨みつける。

「この世界にだって、夜は来る」

 ミカさんは言った。

 ぼくらはこの世界の夜を知らない。

 夜の訪れの前に、ミカさんが現実世界に戻してくれるからだ。

「この世界の夜は、ひどく寒く暗い。きみたちも闇に飲まれてしまうーーその子のことは諦めろ」 

「闇に飲まれると、どうなる……?アリアさんは、どうなってしまうっていうんですか!?」

 草四郎の問いに、ミカさんは残酷な事実を告げる。

「闇の先は、死よりも恐ろしい場所に繋がっている。十日町条の末路を見ただろう?」

 闇に飲まれたものは、災厄へと生まれ変わる。

 こんな終わりは、あんまりだった。

 アリアが何をしたというのだ。

 彼女はただ、懸命に生きていただけだ。

「アリアさん……お願いだ。目を開けてくれ!一緒に帰ろう……」

 余りにも無力だ。

 こんなに近くにいるのに、何も届かない。

「セイさん、代わってください」

 草四郎が動いた。

 そっと、アリアの体をぼくの腕に移す。

「少し、無茶をします」

 草四郎の声は、もう震えていなかった。

「後のことは、任せました」

 草四郎は袖まくりをする。

  左手を手刀にして、自分の右手首に当てた。

 そして、一気に引く。

 止める間もなかった。

 草四郎はミカさんに寄らず、力を放つ術を心得ている。

 谷さんから習い覚えた技だ。

 草四郎は、手刀を本物の刃に変えた。

 どくどくと鮮血がしたたり落ちる。

 草四郎の右手首は、半ばまで切断されていた。

「馬鹿な……!なんてことを!」

 ぼくは呻いた。

「君ってやつは……!」

 ミカさんが息を飲む。

 未来を読む守り神にしても、草四郎の行動は想定外だったらしい。

 ここはただの夢ではない。

 この世界での死は、現実世界の死よりも残酷だ。

 ミカさんが、そう告げたばかりなのに。

「馬鹿は承知です……でも、こんなことしか思いつかなかった」

 草四郎は、アリアの上にその手をかざした。

 乾いた胸に、鮮血が染み込んでいく。

 草四郎が眠るアリアに語りかける。

「ぼくの血を、命を、全部君にやる」

 喉から声を振り絞る。

「だから、頼むーー消えたいなんて言ってくれるな……」

 それは呼びかけではない。切実な祈りだった。

「ねえ、アリアさん。君がいなくなった世界になんて、何の意味もない」

 草四郎の頬は、色を失っていた。

 血を失い、その体温も急速に下がりつつあるのだろう。

 意識を失うまいと、必死で堪えていた。

 無駄だ。

 やめろ。

 諦めろ。

 無駄死にするだけだ。

 それらの言葉が、グルグルと頭の中を巡った。

 けれど、ぼくは何一つ口に出すことは出来なかった。

 永遠にも感じられる数分が経った。

「もう限界だ」

 ぼくはアリアを砂地に横たえた。

 そして自分の着物のたもとを裂いた。それで草四郎の手首をきつく縛る。

 布はすぐに赤く染まった。

「なぁ、セイさん……ここで逃げてどうする。なんのために、ぼくらはここまで来たんだ……たった一人、一番大切な人を守れないなんて「」

 傷ついていない左手で、草四郎はアリアの頬に触れた。

 優しく触れただけなのに、砂に変わったアリアの頬は崩れていく。

「あなたが好きだ」

 草四郎はアリアの耳元に、顔寄せ告げた。

 その告白は届いているのだろうか。

 アリアの瞼は、閉ざされたままだ。

「あなたが、僕を選んでくれなくてもいい……ただそこにいてくれるだけで、いいんだ」

 草四郎の唇が、アリアのものと重なった。

 ひどくぎこちない口づけだった。

「…………」

 立ち尽くすしかない僕は、ふたりから目をそらす。

 嫉妬を覚えているわけではない。

 けれど、ひどく息苦しい思いがした。

 ーーーばさり。

 ミカさんが、羽をその瑠璃色の大きく羽を広げた。

「気は済んだ?」

 ゆっくりと感情のこもらぬ声で、問いかけるミカさんを、草四郎は睨みつける。

「諦める気はありません」

 探索と戦闘で蓄積された疲労。極度の緊張と出血。

 その言葉を最後に、草四郎は意識を失った。

「…………」

 その時だった。

 アリアの唇から、息が漏れた。

 本当に僅かな律動。

 ぼくの願望が見せた錯覚なのかもしれない。

 だが確かめている余裕はない。

 折り重なって倒れるふたりの上に、覆いかぶさるように伏せた。

 そして、しっかりとふたりの肩を胸に抱く。

 谷さんは、ピョンと僕の頭の上に飛び乗った。

「ミカさん、今だ!今ならいけるーー跳んでくれ!!」

「全員無事に帰れるか……保証はしないよ」

 ぶっきらぼうにミカさんが答える。

 ミカさんの広げた翼が僕らを包み込むーーーやがて……

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