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花とペン  作者: 井上マイ
54/68

54.

 ここはどこだ?

 見渡しても、答えは出ない。

 ぼくらがくぐったのは、母屋の玄関ドアのはずだ。

 現実では、毎日出入りする扉。

 しかしその向こう側には、見慣れぬ景色が広がっていた。

 いままで通ってきた場所は、アリアの過去と現在の記憶だ。

 ならば、ここは?


「ここが、アリアさんの思い描いた未来……?」

 草四郎が戸惑いの声をあげる。

「そういうことになるのか?」

 ぼくも困惑していた。

  夢の景色が広がっている。

 いい夢ではない。

 不条理な悪夢だ。

 常にこの世界を照らしていた、夕日は消えていた。

 代わりに、雲一つない青空が広がっている。

 しかしぼくらは真冬の寒さを覚えた。

 吐く息は白く変わり、手指がかじかむ。

 この明るさは、太陽がもたらすものでは無い。

 この熱のない明るさは、虚構のものだ。


 目の前には、一本道が伸びている。

 石灰質の白い石畳の道だ。

 道の両側には、青々と草が茂っている。

 そして枝がしなるほどに実をつけた、野生のりんごの木があった。

 ニレイさんの姿をしたミカさんが、無遠慮にりんごをもぎ取った。そして一口かじる。

「うん、まずい。スカスカだ」

「拾い食いは、やめてください」

 草四郎がたしなめた。

 まったく、うちの守り神ときたら……ここまできても緊張感がない。

 道の先には白い家がみえた。

 砂糖菓子のような家だ。

「なんともメルヘンチックだ。あの子も案外、可愛いものが好きなんだよね」

 カラカラとミカさんが笑う。

 しかし、ぼくと草四郎の顔は強ばっていた。


 目的地はあの家だ。

 きっとそこにアリアがいる。

 しかし足はすくんでいた。

 道、草地、りんごの木、白い家、そして青空……

 目に映る景色は、驚くほどに鮮やかだった。

 外国の絵葉書に描かれるような風景だ。

 しかし、形あるものはそれだけだ。

 家を中心に半径200M。

 その外側には、何もなかった。

 地面すらもない。

 あとはただ、黒い闇が広がっている。

 ここは異界の黒い海に浮かぶ、浮島だった。

 ぽつんと立つ白い家は、黒い海に浮かぶ墓標のように見える。

「なんだ怖いのかい?弱虫だな」

 ミカさんに煽られても、なにも言い返せない。

 そうだ、怖い。

 先程の大落下も、二度と味わいたくない体験だった。

 しかしこの奈落を覗き込めば、また別種の恐怖に襲れる。

 この絶壁の下は、アリアの本当の無意識下だ。

 ただの闇ではない。

 深い海の水面だ。

 濃淡のあるきらめきをたたえ、こちらを手招きするように揺らめく。

 ここに落ち込んだら、二度と戻れない。

 そんな気がする。

「でもグズグズしている場合じゃないぜ。霧が出てきた」

 ミカさんの言う通りだった。

 外側の黒い海から、黒い靄が押し寄せてきていた。

 やがて、この場所も外側の黒い海と同化してしまうだろう。

 記憶という背骨がある今までの場所とは違う。

 この空間は、いつ消えてもおかしくない不安定なもののようだった。

 覚悟を決めるしかない。

「行きましょう」

 草四郎は、そう言うなり駆け出した。

「ああ」

 ぼくもそれに続く。

 白い道を走り、白い家の前庭へと入る。

 クレマチスにチューリップ、マリーゴールドにパンジー……

 花壇には、色とりどりの春の花が揺れていた。

 バルコニーにも鉢植えが見える。

 しかしこの寒さだ。

 霧に飲まれなくても、一晩とたたないうちに花たちは凍てついてしまうだろう。

 庭にはペンキを塗ったばかりの、真新しい犬小屋もあった。

 しかし犬は繋がれていなかった。

 その事に安堵する。ここは生き物が暮らせる場所ではない。

 屋根には風見鶏がまわる。

 煙突もあった。

「花に子犬。そして煙突があるってことは暖炉もある。一昔前の流行歌の通りだね」

 ミカさんが、その歌をハミングしてみせる。

 白く小さな家を建てて、犬を飼い……アリアは静かに、弟と暮らすことを夢見ていたんだろう。

 それを陳腐な夢だと笑うことは、出来なかった。

 アリアはなぜ、こんな小さな家を作ったのだろう?

 どうせ夢なんだ。

 城を建ててもいい。遊園地を付けたっていい。

 しかしアリアは、トウヤと二人きりで過ごす場所があれば、あとは何もいらないと考えたようだ。


 正面玄関から中に入った。

 ノッカーを使う必要はない。

 扉に鍵はかけられていなかった。

 土足のままズカズカと、奥へと入り込む。

 窓にはレースのカーテンがかけられている。

 鮮やかな花柄の壁紙で部屋は彩られていた。

 よく磨かれた板張りの床。

 オークの木で作られた家具たち。

 暖炉の前には、揺り椅子が置かれている、

 居間の飾り棚には、色とりどりのカップとソーサーが並べられている。

 アリアはひとつひとつ吟味して、これらの小物を配置していったのだろう。

 普段は自分の身の回りに構わないくせに。

 居間、浴室、キッチン……

 片っ端からドアを開け、ぼくと草四郎は大声で呼んだ。

「アリアさん!そこにいるんですか」

「返事をしてください!」

 しかし、ふたりで暮らすための家だ。

 そう広いものではない。


 まもなくアリアが見つかった。

 二階の子供部屋に彼女はいた。

 出窓の前に立ち、静かに外を見ていた。

 長い髪をすっきりと束ねていた。

 アリアは黒いワンピースを着ている。それが喪服のように見えた。

 ぼくらが来ても、身動ぎひとつしない。

 まばたきすら控えて、窓の外をジッと見ていた。

 弟のトウヤが来るのを、待っていた。

「アリアさん、無事で良かった」

 ぼくが声をかけると、やっとアリアは振り向いた。

 アガミの装束を着て、緊迫した表情のぼくらを見ても驚きもしなかった。

「わたしを探しにきてくれたの?こん遠くまで」

 アリアの目に錯乱の色はない。

「ええ、心配しましたよ」

 大丈夫だ。怪我などした様子はない。ぼくはホッと息をつく。

「エイくんにも謝らないと。わたしが黙って行っちゃったから、きっと心配している」

 どこか他人事のようにアリアは言った。

 少し寄り道をして、みんなに心配をかけてしまった。

 それだけのこと。

 そんな口ぶりだ。

 何かが噛み合わなかった。

「あの子はどこ?一緒じゃないの?」

 そしてアリアは尋ねた。

 あの子。

 弟のトウヤのことだ。

「さあ帰りましょう」

 草四郎は答えずに、アリアの手を引く。

「……」

 アリアは無言でその手を振り払った。

 沈黙が尾を引く。

 それを破ったのはミカさんだった。

「君の弟、トウヤは来ない。いくら待っても。そんな人間は元々いないんだから」

 ミカさんに躊躇はない。

 叩きつけるように、ただ真実を述べる。

「……」

 苦痛をこらえるように、アリアの顔が歪んだ。

「ミカさんっ!」

「草四郎、君まで感傷的になるなよ。彼女だって本当は分かっているんだ」

 ここは他の部屋とは違い、子供部屋らしく程よく雑然としていた。

 学習机の背には、黒いランドセルがかけられている。

 テレビにファミコン、ミニ四駆に野球道具といった遊び道具もあった。

 壁には、世界地図とことわざの書かれたカレンダーが貼られている。

 どれもアリアが弟のために選んだものだ。

 男子小学生に必要なものなら、何でもそろっている。

 いないのは、トウヤ本人だけだ。

「ケンカはあとです」

 睨み合うミカさんと、草四郎の間に割って入る。

 窓の外に見える霧が、いっそう濃さを増していた。

「アリアさん、ここは危険だ。外に出ましょう」

 谷さんに義理立てして、魔眼を探すどころではない。

 早くこの場から離れなければ。この家はやがて霧に飲まれてしまう。

 しかし、返ってきたのは拒絶の言葉だった。

「ごめん。わたしは帰れない」

 いつになく、彼女が遠く感じる。

「もうすぐ弟が帰ってくるの。そろそろ、夕飯の準備をしないと」

「何を言っているんですか……?」

 草四郎の言葉に、アリアは首をかしげる。

「どうしたの?先生、怖い顔してる」

 しっかりと目は開いている。

 だが目の前のアリアは、自分が作り上げた夢に囚われていた。

 黒い海に浮かぶ小さな家。

 しかし、アリアはこれを日常だと言い張る。

「今日のメニューは何にしようかな。ハンバーグ、それともカレー………セイさんみたいに上手には出来ないけど、頑張らないと」

 アリアは微笑んでさえみせる。

  ガシャン。

  背後で大きな音がした。

「……!」

 驚いて振り向けば、学習机に置かれていた地球儀がなぎ倒されていた。

 ミカさんがやったのだ。

「駄々をこねるんじゃない」

 大声を出したわけではない。

 しかし目には殺気といっていい程の、怒りが浮かんでいる。

 ミカさんが借りたのは、ニレイさんの姿だけのはずだ。

 だがこの瞬間は、心まで乗り移ったようだった。

「やめて!なにをするの!?」

 アリアがミカさんの腕に取りすがる。

 ミカさんはアリアを振り払った。

「壊さないで!」

 床に倒れながらも、アリアは叫んだ。

「こんなものに意味なんてない。全部夢なんだ」

 ミカさんは止まらない。

 カーテンを引きちぎり、手当り次第のものを投げる。

 ぼくと草四郎は、ただ呆然と見ていた。

「やめて!」

 アリアはミカさんの足首を掴んだ。

 構わず、ミカさんは壁のポスターを破こうと手を伸ばす。

 アリアはよろめきつつも、立ち上がった。

「あんたはニレイのおっちゃんじゃない。おっちゃんのふりをしたオバケじゃない!」

 アリアが目覚まし時計を手に取り、ミカさんめがけて投げつけた。

「偉そうに言わないで!!」

 ミカさんは瞬時に鳥の姿に変わって、空中に逃れた。

「……っ!!」

 アリアは、床に落ちた目覚まし時計を大事そうに拾い上げた。

 そして、また元の場所に戻す。

「わたしは帰らない!ここにいる!」

 アリアはぼくたちから背を向ける。

「それは聞けません」

 草四郎がまたアリアの手を引いた。今度は強く。

「アリアさん、一緒に帰ろう。ミカさんの、その神様の言う通りだ。弟さんは来ない。ここにいたらアリアさん、独りぼっちだ……」

 草四郎はもどかしそうに、愚直に言葉を重ねる。

 アリアは床に座り込むと、耳を抑えてうずくまった。

 怖い話を嫌がる、小さな子供の様だった。

「分かってるよ……」

 アリアは震えていた。

「でもね、捨てられないの。諦められないの。大切なの!」

 全身を振り絞るように、アリアは叫んだ。

 このままでは、彼女の心が壊れてしまう。

「ミカさん、ぼくらをここから連れ出してくれ。早く!」

 ぼくはパタパタと飛ぶ、ミカさんに助けを求めた。

 この場所は凍てつくように寒かった。

 一刻も早く、明るい陽の元に帰らなければ。

 ミカさんはひらりと舞い降りて、また姿を変える。

 今度は着流し姿のサキさんだ。

「無理だ。抱えて飛ぼうとしても、この子は俺の手を拒む。それに厄介な客が来た」

 ミカさんが言い終わるのと、同時だった。

 玄関から扉を叩く音が、響いてきた。

 ノック……いや扉を破りそうなくらい、強く、重い打撃。

 何かがやって来た。

「セイさん、見てくれ。外が……!」

 草四郎が窓の外を指さした。

 偽りの青空は消失していた。

 景色は黒一色に変わっていた。

 この世界に、訪れるはずのない夜が来た。

「違う、これは闇じゃない……」

 ぼくはうめいた。

 闇が動いている。

 黒く伸びた帯は、こちらに手を伸ばすように蠢めく。

 来訪者は巨大な”マ”だ。

 闇はその異形から、立ち上るものだ。

 その者がまとう瘴気が、この闇を作り出している。

 ドン!ドン!ドン!

 階下からは、激しい衝突音が響き続ける。

 間もなく玄関のドアが砕け、倒れる音が響く。

 来訪者の標的は、間違いなくぼくたちだ。

 家の外はすでに闇に飲まれている。

 逃れられる場所はない。

 ここで迎え撃つしかなかった。

 道も庭も草木も、窓から見える景色は闇に飲まれていた。

 “マ”自体の姿も、闇に阻まれうかがえない。

 しかし、伝わってくる衝撃が敵の巨大さを示していた。

「このまま押し潰すつもりかよ!?」

 扉を壊しても敵は、侵入してこなかった。

 来訪者は、さらに激しい体当たりを繰り返す。

 グラグラと家全体が揺れる。

 窓ガラスは軋み、天井の照明は振り子のように振れた。

「少しでも安全な場所は……」

 この子ども部屋にはクローゼットがあった。

 収められている子供服や替えの寝具を引っ張り出す。

「アリアさん、少しの間我慢してください」

 ぼくと草四郎は、立ち尽くすアリアを、半ば抱えるように運ぶ。そしてクローゼットの中に押し込める。

 ぴょん。

 扉を閉める寸前、ウサギの谷さんがクローゼットの中に飛び込んだ。

「ウサギ……?なんで、ここに?」

  アリアが谷さんを抱き上げる。強張っていた、表情が動いた。

 これが谷さんの成れの果てだとは、アリアはまったく気づいていない。

「このお兄さんたちが、怖いお化けを追っ払って来るから。ウサちゃん、その間お姉さんを頼んだぞ」

 谷さんに目配せをする。ウサギの姿でもいい。

 谷さんがアリアについていてくれれば、安心だ。

「………」

 聞いているのだか、いないのだか。

 谷さんはピクピクと鼻を動かしているだけだ。

「アリアさん、ウサギを頼みます」

 草四郎の言葉に、アリアはしっかりとうなずく。

「分かった」

 自分より小さな生き物を守らなければ。

 アリアはそう決意したのだろう。彼女はギュッと、谷さんを抱え込んだ。

 ウサギのくせに、猫をかぶった谷さんは、大人しく抱かれていた。

「すぐ戻ります」

 草四郎がアリアの隠れたクローゼットのドアを閉めた。

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