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花とペン  作者: 井上マイ
53/68

53.

「開いた!」

 小さくガッツポーズする。

 その鍵は、子供部屋の学習机のものだった。

 鍵を開け、中を覗く。

「うーん……?」

 引き出しには教科書も、ノートも、オモチャも詰まっていなかった。

 入っていたのは、一冊の絵本だ。

 へりがボロボロに擦り切れるまで、読み込まれた『白雪姫』。

 幼いアリアのお気に入りだったんだろう。

 きっと両親にせがみ、何度も読み聞かせてもらった絵本だ。

「で、また鍵か」

 毒リンゴを食べて、眠り続けるお姫様。

 そのページに、小さな鍵が挟まっていた。


 次の鍵穴はすぐに見つかった。

 夫婦の寝室に置かれた、ジュエリーケース箱の鍵だ。

 ガラス製のアンティークの箱。アリアの母のものだろう。

 イヤリング、ネックレス、指輪……どんな装身具が収められていたんだろう。

 この部屋で美しく装う母の姿を、幼いアリアは憧れの眼差しで眺めていたはずだ。

 それも彼女の大切な思い出だ。

 さて、箱の中にはまた鍵があった。


 この家には、もう開いていない扉や引き出しはなかった。

 ミカさんが言うには、窓から見える風景はまやかしだ。

 玄関の外には、出ない方がいい。

「仕方ない。来た道を戻るか」

 先ほどの白い回廊を進むと、木製のドアがあった。

 手持ちの鍵で扉が空いた。

 空っぽの部屋だ。

 床にはぽっかりと、黒くて深い穴がひとつ空いている。

 穴には、スチールの梯子がかけられていた。

「やれやれ、また潜るのか」

「行くしかないでしょう」

 その穴は、やっとぼくの肩が通るほどの狭さだ。

「ミカさん、ライトをお願いします」

「はいよ」

 草四郎は、篠笛の袋の紐を解いた。

 その紐を使って、どうにか懐中電灯を頭に括り付ける。

 草四郎が先頭になって梯子を下りる。


 たどり着いた先は小部屋だった。

 硬いタイル張りの床。

 窓はない。ここが地下なのか地上なのかすら分からない。

 白白と蛍光灯が点っている。草四郎は懐中電灯を消した。

「この先にも、アリアさんの過去があるんでしょうか……?」

 草四郎は浮かない顔をしていた。

 草四郎は潔癖だ。

 想い人の心の中に、踏み込むことに強い抵抗を覚えている。

 しかし過去といっても、アリアは15歳。

 自伝を書くほど、長くもない人生だ。

 時間だけを考えれば、この先の部屋は少ないはずだ。

 しかしアリアの人生を深さで考えるとまた違う。

 彼女の生い立ちは少し複雑だ。

 生まれた時から父はおらず、心を許した継父のニレイさんとも離れることになった。

 その後は女優の母の手ひとつで育てられ、その母も亡くした。

 内気で不器用な子どもだった。

 学校に馴染めず、転校を繰り返した……

 しかしぼくも草四郎も知っていた。

 アリアはただの、繊細な少女じゃない。

 余人にはない強さも持っている。

 その心の奥は、どこまで深いのか。

 なにが隠れているのか。

 想像もつかなかった。


 突き当たりに、ドアがみえる。

 スチールのドアだ。

「見覚えのあるドアですね」

「ああ」

 草四郎に言われるまでもない。毎日のようにくぐるドアだ。

 ノブを少し回してみる。

 鍵はかかっていなかった。

「失礼します」

 ノックをしたが、応答はない。


 予想は当たった。そこはいま現在、現実のアリアが暮らす部屋だった。

 ホスピタルの離れ、練習室と呼ばれる場所だ。

 床に広げられた辞書。筆圧の強い走り書き。

 床に広げられたままの布団。

 紅茶のポットとカップまであった。ぼくが今朝、アリアのために淹れた紅茶だ。

 殺風景な、四方の壁が鏡張りの部屋。

 現実世界の練習室そのままだ。


 まさかこの瞬間、ぼくは目覚めてしまったのか?

 そして現実へ戻ってきたのか?

「なんだい、狐につままれたような顔をして?」

 呆然と立ち尽くすぼくに、ミカさんが笑いかける。

 草四郎に抱えられた、ウサギの谷さんはピクピク鼻を動かしている。

 ふたりを見れば分かる。

 ここはまだ黄昏の夢の中だ。

「アリアさんの匂いがする」

 初めてこの部屋に入った草四郎が、頓珍漢な感想を漏らす。

「気持ち悪いこと言うな」

 まったくもう。

 しかしアリアの姿は、ここにもない。

 ここが行き止まりのはずだ。

 彼女は、どこに行ったんだ?

「外はどうなっているんでしょうか?」

 草四郎がカーテンを開いた。

 

 窓の外は見慣れた庭だった。

 ホスピタルの庭だ。

 空は黄昏。

 日は既に落ちつつある。

 星がまたたき、群青と橙が層をなしている。夕暮れから夜への境目の時刻だ。

 現実世界では枯れてしまったはずの柿の木が、眼前にあった。

 この世界の季節はいつも夏だ。

 風にそよぐ青々とした葉が、いまは不吉な印に思えた。

「どうにか母屋に渡れませんかね。そこにアリアさんがいるかもしれない……」

 窓の外に目をやり、草四郎が思案する。

 現実世界では、庭に繋がっている入口のドアは使えない。先ほどの小部屋に出てしまう。

 ならば窓から飛び降り、庭から母屋に行くか。

 ニ階程度の高さだ。できないこともない。

「あっ、痛っ!」

 不意打ちだった。

「ちょっと谷さん、なんで噛むんですか!?」

 谷さんがぼくの足の親指を、ガブリとやった。

 足袋越しでも、その攻撃は中々効いた。

 このウサ公。

 もう少し穏やかに意思表示はできないのか?

 ぼくらの注意をひくことに成功した谷さんは、ピョンと作業机に飛び乗った。

 雑多な仕事道具が広げられた机。

 その片隅には、息抜き用のラジオも置かれている。

 谷さんはラジオの前で、タンタンと前足を踏み鳴らした。

「スイッチを入れろ、そう言ってるんですか?」

 草四郎が尋ねるとウサギは、フンフンと肯定の声を出した。

 この世界にラジオ放送局があるとも思えない。

 期待はしないで、ラジオのスイッチを入れた。

 果たして、聞こえてきたのはザーザーというノイズばかりだった。

「フンフン」

 谷さんは、あきらめるなと言っているらしい。

 小刻みに、選局ダイヤルを回していく。

 するとようやく、クリアな音声が聞こえてきた。

『あー、テステス。本日は晴天なり』

 ホワンと膜を一枚隔てたようなくぐもった声。

『セイくん、草四郎くん、そしてアガミの神様、聞こえますかー?』

「「谷さん⁉」」

 草四郎とふたり、ラジオを引っ掴んで叫ぶ。

『コホン、返事はそこにいる可愛いのに、お願いする。俺はただ一方的に話すしかない』

 ラジオの谷さんが、咳払いをする。

 こちらの声は、人間の谷さんには届かないらしい。

 だから返事はウサギにしろと。中々ややこしい。

『日比野アリアは、次の部屋にいるだろう』

 谷さんは断言した。

『しかし彼女を連れ出すことは、おすすめしない』

「どういう意味ですか……?」

 草四郎がウサギを睨みつける。

『君たちは、あの目を見つけることだけを考えればいい。あの子のことは放っておけ』

「聞けませんね」

  草四郎は、窓枠に手をかけた。柿の木に飛び移るつもりらしい。

『なぜ怒るんだ?』

 谷さんはそう尋ねると、ぼくらの反応を待つように一拍おいた。

『落ち着けよ。彼女はちゃんと現実でにいる。朝が来て目覚めれば、また会える』

「しかし……!」

 草四郎が抗議をするが、また谷さんが遮った。

『先日の件は、俺の手落ちだ。謝罪するよ。もう二度と奴らを、彼女に近付けたりしない』

 強気な態度に変わりない。

 だがいまの谷さんの声にはかすかに焦りが伺える。

「なぜ、ぼくらをアリアさんのところに行かせたくないんですか?」

 当然、草四郎が問いただした。

 しかし、谷さんは答えなかった。

『時間がない。敵より先に目を探し出さねば……』

「この世界では、時間は理由にならない。あなたも分かっているはずだ」

 全ては刹那であり、永遠でもある。ここはそういう場所だ。

 ぼくはウサギに手を伸ばし、腕の中に抱きとめた。

「他の理由があるんですか?」

 谷さんの物言いは、いささか不自然だ。

『…………』

 沈黙が返ってきた。

「目覚めればまた、アリアさんに会える。そうあなたは言うが。でもこの世界に確実なことは、なにもないんだ」

 草四郎が言い募る。

「この手で、彼女の手を掴む。そして一緒に現実世界に戻る。それが絶対だ」

『……』

 ラジオからため息が聞こえた。

 しかしそれは、ぼくらの気を逆撫でするためワザと出したものではない。この男には珍しい、弱気が漏れたものだった。

『ナイト気取りも大概にしろよ。まるで、あの子のことが見えてない』

「どういう意味ですか?」

 草四郎は苛立ち、尋ねる。

『無理やり彼女の手を引いて、どこに連れていく?現実はあの子が生きやすい場所じゃない。せめて夢の中では、好きな場所にいさせてやれ』

「冗談はやめてください!こんな場所にアリアさんを置き去りにしていいはずがない」

『こんな場所ね……ここは君たちのカミサマの世界だろう?』

「そうだ。人が長くいて良い場所じゃない」

 草四郎の言う通りだ。ミカさんと同化したふたりの五島万とアリアは違う。

 彼女は無防備だ。有象無象の影が蠢く、危険な場所に生身を晒している。

 しかし谷さんは譲らなかった。

『どこまでが健全な夢で、どこからが病いなんだ?盲腸を切るようにはいかないんだ。あの子をバラバラにするつもりか?』

「トウヤはアリアさんの家族なんかじゃない。彼女の心を絡め取り、枯らしてしまう……悪霊も同じだ」

 絶対に打ち砕かねばいけない。草四郎は言った。

『トウヤはあの子にとって、100%の(あく)か?君はそう言い切れるのか』

「……そうだ」

 草四郎の声が揺らいだ。

 トウヤ。存在しないはずのアリアの弟。

 彼はアリアの心に住んでいる。

 血の通った人間として、そこにいる。

 嬉しそうに、トウヤとの思い出を話したアリア。

 大切そうにトウヤからもらった栞を見せてくれたアリア。

 思い返せば、胸が締め付けられた。

 弟のトウヤは彼女の心の支えだった。

『彼女は強くない』

 草四郎が僅かにみせた迷いを、谷さんは逃さなかった。

『幻想を揺らされた程度で、彼女は人を刺した。ペンを持てなくなった。喪ったらどうなる?完全に壊れてしまうだろう』

 そして谷さんは、偽悪者の面子を保つために余計な一言を加えた。

『ま、俺にとってどうでもいいことだがな』

「アリアさんは……彼女は孤独じゃない。ニレイさんとサキさん、ふたりがついている。ぼくたちだっている。だから乗り越えることができる」

 それは期待の押し付けだ。

 言った草四郎も分かっていた。

『甘ちゃんのお前らが、あの子のために出来ることなど何もない』

 谷さんは断言する。

『彼女を捉える幻想を壊す。結構なことだ。でも代わりに何を与えてやれる?』

 妄執という足枷から解放されたとしても、穏やかな日々はアリアに訪れない。

『なまじっか君らの目論み通りにいったとしてもだ。弟という幻想を奪った君たちを、日比野アリアは激しく憎むようになる』

 そしてアリアは粗悪なもので、心に空いた穴を埋めようとするだろう。

『情緒大いに不安定な美少女。おまけに自分で稼いで小金も持っている。これ以上のカモもない。悪い友達。ゴミみたいな男。すぐにできるさ』

 ペラペラと、ラジオの声は語り続ける。

『ヒモ男に殴られて、金をとられて、うわべだけの友達には利用され、骨の髄までしゃぶられて、ぼろ屑にされて、捨てられて……次に、彼女の心の隙間を埋めるのはなんだ?酒か?男漁りか?ギャンブルか?どちらにせよ、辿り着くのはゴミだめだ』

 草四郎はウサギを睨みつけた。

 しかし動じる気配もない。ラジオから流れる自分の声に合いの手を入れるように、生意気に鼻をならす。

『ああ、彼女は内弁慶だからな。違う方面で活躍するかもしれない。手首を切って、睡眠薬を山盛り飲んで、バケツ一杯の飯を食っては吐くことを繰り返す……』

 谷さんの言葉を笑い飛ばすことが出来ないのは、それが荒唐無稽な未来予想ではないからだ。

 母が亡くなった時に、ニレイさんとサキさんが助けの手を差し伸べなければ。アリアが、転んでいたかもしれない道だ。

『君たちに、彼女にとどめを刺す権利があるのか?』

「はは……」

 笑い声をあげたのは、ぼくだ。

『なにが、おかしい?』

「嬉しいから笑ったんです。谷さんだって、アリアさんのことを大切に思ってる」

 そして、こんなに感情的になる谷さんを初めて見た。

「彼女を見つけ出し、連れて帰る。どうしてもです。後のことは、それが済んだらまた考えますよ」

 ぼくは言った。そして横に目をやる。

 草四郎もまたうなずく。

「アリアさんのことは絶対に守る」

 絶対なんてことは、世の中にはない。

 でも草四郎は誓った。

「こんな姿になっても、あんたは強いんでしょう?力を貸してください」

 ぼくの言葉に、谷さんは舌打ちをぶつける。

『小僧どもが…知った口を叩くんじゃねえ』

 勝手にしやがれ。と、最後にまた大きな舌打ち。

 そして谷さんは会話を打ち切った。

 ラジオからはもう、ザーザーという音しか聞こえてこない。

「気は済みましたか?行きますよ。谷さん」

 草四郎が、ウサギを抱き上げる。

 草四郎はスッキリとした顔をしていた。こわばりも気負いも、僅かにあった迷いも、吹っ切れたようだ。

「よしよし」

 僕は横から手を伸ばした。

 草四郎の腕の中にいる谷さんを、うりうりと撫でてやる。

「あ、痛っ!」

 そして、また指をかまれた。

 まったく、このウサ公は素直じゃない。

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