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花とペン  作者: 井上マイ
49/68

49.

 アリアは、頻繁に弟へ手紙を書いていた。

 ポストに投函するのはぼくの役目だ。

 しかしトウヤの存在をぼくに知らせるわけにはいかない。

 だから宛名はトウヤではなく、祖父母にした。

 しかしその祖父母にも、アリアは気づかれたくなかった。

『離れて暮らす姉を、必要以上に恋しがるといけないと思ったんでしょうね。田舎の人たちは、私がトウヤに連絡を取ることを喜ばないの』

 だからアリアは、トウヤに送る封筒のはしに小さなバツ印を付けた。

 毎日、玄関のポストに手紙を取りに行くのはトウヤの役目だ。トウヤはアリアからの印の付いていない手紙は祖父母に渡し、バツ印の付いた手紙は自分のために選り分けた。

 そうやってアリアはトウヤに、連絡をとっていた。


 一睡もできずに翌朝を迎えた。

「買い物に行ってきます」

 何杯目になるのか、ポットにコーヒーを汲みにきたサキさんに声をかけた。

「スーパーの開店時間には、まだ早いんじゃないか?」

 サキさんもまた一晩中、考え込んでいたのだろう。憔悴して見えた。

「たまには遠くの豆腐屋に行ってきます。朝の散歩も兼ねて」

 サキさんの追求をかわして、ぼくは家を飛び出した。


 トウヤは実在しない。

 ならば、アリアの手紙を受け取っていたのは誰だ?

 そこで浮かんでくるのは、谷さんだ。


 谷さんが属するコウガミは、五島万の三人を組織的に監視し続けていた。十日町条の死後ずっと。

 小娘の小細工が、彼らに通用したとは思えない。

 当然谷さんたちは、アリアがトウヤという謎の人物と連絡を取っていたことを、知っていた。

 そしてトウヤが存在しないことも、すぐに知れたろう。

 だが彼らは黙認した。

 アリアを敵の悪意に晒すがままに、囮に使う真似をした。


 何度もポケベルを呼び出したが、応答はない。

 谷さんの住むマンションは知っていた。

 しかし彼は不在だった。カーテンは締め切られ、朝刊もポストにささったままだ。

 昨日の晩も、ここに戻っていないのかもしれない。

 ぼくは次に方城社へと向かった。

 編集部の朝は遅い。

 ふだん編集者たちが出社してくるのは、昼過ぎだ。

 せめて伝言を残しておこうと思った。

「五島先生のところのアシじゃないか?朝早くから、何の用だ?」

 だが、あっさりと谷さんはそこにいた。

 うっすらと無精ひげが生え、ワイシャツの皴も少しばかり目立つ。徹夜作業をしていたんだろうか。

 朝の編集部のデスクは半分も埋まっていない。しかしあたりを憚って小声で話した。

「……何度もベルを鳴らしたんですが」

「ああ、ごめん。気づいていたが、こちらも忙しくてね」

 編集者としての谷さんの物腰は柔らかく、表情はにこやかだ。

 しかし、目の奥でぼくを咎めていた。

 裏の領域の話は、表に持ち込まない。

 ぼくがしているのは、暗黙のルールを破ることだった。

「少し出れませんか?」

 ぼくの頼みを、あくびを噛み殺しながら谷さんは跳ねのけた。

「昨日の件の報告なら無用だ。既にカナさんから話は聞いている」

 二日前、ぼくはカナを家に送り届けた。

 その後にすぐにカナは、谷さんに連絡を付けていたようだ。

「ならば、全部知っているってことですか。知っていて、連絡をくれなかったんですか」

 谷さんは、怒りを滲ませたぼくに、顔を寄せた。

「間抜け面下げて、泣き付いてきたのか」

 もはや、柔らかい編集者としての仮面は、脱ぎ捨てていた。挑発的で傲岸な谷さんだ。

「お前に構ってる暇はない。帰れ」

「助けを求めに来たんじゃない。あんたに文句を言いに来たんだ」

 顔を寄せ合って、ガンをくれる。一昔前の不良漫画の喧嘩のように。

「巫舞の時に、あんたは言った。コウガミの不始末はこちらで処理すると」

 自分の手落ちを棚に上げて、ぼくは谷さんを責めた。

「けれど、奴らは押しかけてきた。約束が違う」

 みっともない。

 言いがかりだとは分かっていた。

 だがカナは負傷し、アリアも傷付いた。それでも取り乱した様子ひとつ見せない谷さんに、腹が立った。

「あんたは知っていたんじゃないか?アリアさんが妙なものに憑りつかれていたことを」

「なんの話だ?」

  トウヤの件を問い詰めたいが、ここで話すには込入りすぎている。

 そして谷さんは、ぼくが思ってもみなかったことを口にした。

「それに昨日、五島先生の家に押しかけたのは、うちの身内じゃない。君たちの領域から、やってきたものだ」

「……どういう意味だ?」

「さてね」

 谷さんは鼻をフンと鳴した。

 そろそろ人目がこちらに集まってきた。

 谷さんはぼくから体を離した。

「時間の無駄だ。帰れよ、負け犬」

 そこで終われば良かった。

 谷さんの言う通り、ぼくはおめおめと立ち去っていただろう。

「五島万が三人いてくれて良かったよ……編集担当としてはね」

 引き下がったぼくを、爪でひっかくように、谷さんは嘲笑を浮かべる。

「え?」

「カナさんの傷はかすり傷だ。だが日比野アリアの受けた傷は深い」

 元々、不安定な子だった。

 これまでよく保っていたもんだ。と谷さんはいった。

「彼女はもう終わりだ。今までよく働いてくれた。感謝しないとな」

 プッツン切れたわけではない。

 ぼくはそうすべきだと思ったことを、やっただけだ。

「ふざけるな」

 そう言ってから一拍おいたのは、相手に構える暇を与えるためだ。

 至近距離。

 小さなモーションで、ぼくは拳を突き出した。

 加減はしない。

 余計なことをベラベラまくし立てた口に、一発叩き込んでやるつもりだった。

「ーーー!!」

 だが、驚かされたのはぼくの方だった。

 突然の浮遊感。

 衝撃と音は遅れてやってきた。

 受け身をとる暇などない。

 床に打ち付けられた頭に痺れと痛みが走る。

 目からは火花が散った。

 スチールのデスクが倒れ、机上のものが床にばらまかれた。

 ぼくの体は軽く一回転していた。

 気づけば、天井を見ている。

 腕を取られて投げ飛ばされた。

 自分の置かれた状況に気づいたのは、更に数瞬遅れてからだった。

 周囲からは、悲鳴とも歓声ともつかない叫びが上がった。

 身長で10センチ。体重は15キロ。

 ぼくが谷さんに勝るだろう。

 しかし体格差をものともせずに、谷さんはぼくを軽々とぶん投げてみせた。

 さぞかし見ものだったろう。

 谷さんの攻撃は、それで終わらなかった。

「ーーげふっ」

 身を起しかけたぼくのみぞおちに、谷さんの踵がめり込んだ。

「汚ねえな」

 谷さんが吐き捨てる。

 先程飲んだコーヒーが逆流し、ぼくのシャツを汚した。

 そして谷さんは、仰向けになったままむせ返るぼくに覆いかぶさった。

 肩をがっちりと組まれ、腕を極められた。

「---!!---!!」

 腕の付け根が、あらぬ方向にネジ曲げられた。

 あと少し力を籠めれば、ポキンといく。絶妙の匙加減だ。

 余りの痛みに、待ったの声のひとつ出す余裕もない。

 やせ我慢をしている場合じゃない。

 ぼくは谷さんの肩を夢中でタップした。

 だが、谷さんは力を緩めなかった。

「向かってきたのが、ニレイ・サキの両先生なら、俺はどちらの頬でも差し出してやったさ。だが、お前に殴られてやる義理はない」

 編集部は水を打ったように静まり返っていた。

「ーーーーー」

 誰も間に入って止めようとしなかったのは、ねじ伏せられているぼくが静かだったせいもあるだろう。

 ぼくは悲鳴を押し殺していた。

 ギブアップを受け付けてくれる気はないらしい。

 ならば、せめてみっともなく泣きわめくことだけは避けたい。

 少しでももがけば、肩がもげんばかりの激痛が走る。脂汗が出てきた。

 いっそのこと気を失うことが出来たら、楽になるのに。

 その時だった。

 ぼくの視界の片隅に、ふわりとしたものが映った。

 蝶?

 いや違う。

 それは白いハンカチだった。

「ストーップ!ストップだ!!」

 大声をあげ割って入ってきたのは、サキさんだった。

「やいやい!暴力編集!うちの備品を壊すんじゃない!」

 ふざけた文句だ。

 しかし存外慌てた様子で、サキさんは谷さんの肩を掴んだ。

 投げてよこしたハンカチは、ぼくのTKO負けを知らせるタオルの代わりらしい。

「お見苦しいところをお見せしました」

 ぼくの腕を極めていた、谷さんの力が緩んだ。

 解放されても、ぼくはすぐに起き上がることができなかった。

 髪は乱れ、着ていたセーターは肩口から裂けていた。

 一方の谷さんは、涼しい顔だ。呼吸ひとつ乱すこともない。 

「大丈夫か?」

 ニレイさんも来ていた。

 ぼくの手を取って、起こしてくれる。

「ありがとうございます……」

 でも、なぜここに?

 みっともないところを見られてしまったものだ。

 もう谷さんはぼくに構う気はないようだった。

 睨みつけるぼくの視線を、完璧に無視だ。

「おや?こりゃ珍客だ」

 谷さんの口の端が上がる。

「…………」

 ニレイさんの影に、隠れるようにして立っていたのはアリアだった。

 黒のピーコート、外出着である女子事務員服に、ひっつめに結った髪というスタイル。

 表面上は落ち着いているようにみえる。

 しかし、ぼくには彼女が極度の緊張状態にあることが分かる。

 口を一文字に結んで、視線はやぶにらみで動かない。

 こんな見知らぬ人たちのいる場所に、一秒たりとも存在したくない。そう思っているに違いない。

「アリアさん!?どうしてここに!」

 谷さんへの怒りなど吹っ飛んでしまった。

 取っ組み合いの続きどころではない。

「打ち合わせ。谷さんに呼び出された」

 ぼくが谷さんを探しているまさにその時、谷さんはニレイさんの元へ連絡を入れていたらしい。結果的にすれ違いになった。

 しかし筋金入りの人見知りであるアリアが、打ち合わせのために出版社まで出向くなど。前代未聞だ。

 谷さんだって、彼女が本当に来るとは思ってなかったようだ。

「大丈夫?これで拭いて」

 アリアからハンカチを差し出される。

 口の端が切れていた様だ。

 投げ飛ばされたときに、ぶつけたのだろう。

「ふたりとも、喧嘩はダメだよ」

 しょんぼりと眉をさげ、まっすぐにアリアは訴える。真剣にぼくらのことを気遣っている。

「はい、ごめんなさい」

「もうしません」

 谷さんとぼくは並んで、彼女に頭を下げた。

「はい、仲直り仲直り」

 サキさんがぼくらの手を強引にとった。

 そして仲直りの握手をさせられた。

 思いっきり握る手に力を入れてやろうかと思ったけど、やめておいた。

「やれやれ、散らかっちまった。セイくん、片づけを手伝ってくれ」

 谷さんが、ポンとぼくの肩を叩く。

 なぎ倒されたデスク。山積みの紙が落ち、灰皿も割れ吸い殻が辺りに散らばっている。編集部の片隅は、台風が通り抜けたような有様だった。

「お三方は、奥の会議室でお待ちください。資料が置いてありますので、それをお読みになっていてください」

 谷さんが、事務員さんにコーヒー出すように言いつけた。

 編集部のひとたちは、何も声をかけてこなかった。

 谷さんの無言の圧力に負けたのだろう。先ほどの乱闘は、見なかったことに決めたようだ。

「なんで今、打ち合わせなんか……そんなこと」

 思わず声に出していた。

 昨日血なまぐさい事件が起こった。 そんなことをやっている場合じゃない気がした。

  ポカンと軽く頭を叩かれた。叩いたのは谷さんではない。サキさんだった。

「そんなことだと?小説を書くこと以上に、大切なことがどこにある?」

 そこでぼくはやっと気づいた。

 サキさんだけではない。ニレイさんもアリアも同じ気持ちだ。

 だから三人でここに来た。

「じゃあぼくはこれで……」

 黙々と片づけを終え、ぼくは谷さんに一礼した。

 打ち合わせが済むまで、下のロビー辺りで待たせてもらうつもりだった。

「何言ってんの?参加するんだ」

「は?」

「俺の書いた企画書を読めばわかるさ」

 意味深に谷さんが微笑んだ。

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