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花とペン  作者: 井上マイ
39/68

39.

 


 先日、白昼のテレビ局で”マ”に対峙したときだ。

 谷さんが”マ”の影に捕らわれた、刹那。

 確かに、ぼくはミカさんの声を聞いた。

 谷さんにアリアの皮を被った”マ”を見せたのも、銃を握らせたのも、ぼくだ。

 あの銃は、黄昏の世界のものだった。

 ぼくの舞が、あの世界と現実を繋いだ。

 ぼくには父から受け継いだ傷があったはずだ。

 黄昏の世界にいる時を除いて、ミカさんの声はぼくに届かないはずだった。

 だが、あのときは違った。

 夢の中と同じようにぼくは、軽く、強く舞うことができた。

『もうすぐ起きる時間だよ』

 最初に見た夢の中で、アリアの姿をしたミカさんはいった。

 その、”もうすぐ”がやってきたのだろうか。


 XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX


 黄昏の世界は、果てがない。

 深層にいくにつれ、行く手を阻む”マ”の数が増えていった。

 日を経るごとに、進むのは容易ではなくなってきた。

 目覚めは、いつも最悪だ。

 夢の世界で覚えた悪寒は、いつまで経っても去らない。

 ぼくと草四郎は、疲弊していた。

「先を歩くぼくたちが、奴らが通るための道を付けてやってる」

 草四郎が皮肉に笑う。

 この空間は、現実世界とは違う。

 本来実体を持たない。ドロドロした混沌の世界だ。

 ぼくらがここで過ごせるのは、ミカさんが形を与えているからだ。

 実体が生まれれば、そこに必ず影は生じる。

 そして、影からは”マ”が生まれる。

 この世界で生み出された、彼らは本能で知っていた。

 深部に、なにが眠っているのかを。

 ぼくらが探している”目”。

 それは力のある魔物の体の一部だ。

 有象無象の化生たちは、それに堪らなく惹かれるらしい。

 その目をしゃぶれば、強大な力のおこぼれにありつける。

 そんな浅ましい妄執に捕らわれている。

 百鬼夜行に追われながら、ぼくらは道をひた走る。

 現実世界で遭遇する”マ”は、形を持たぬ影だった。

 しかし黄昏の世界に現れる”マ”は、姿と色彩を帯びている。


「来たぞ」

「……」

 ぼくの呼びかけに、草四郎もうなずく。

 それは人の形をした”マ”たちだった。

 だが物は言わない。

 赤い血も持たない。

 打倒すことに迷いはなかった。

 それはただの人間ではない。

 老人、子供、男、女……

 三日前に寄ったスーパーのレジ打ちの女。

 中学時代、となりのクラスの副担任。

 いつか見かけた野球少年。

 他生の縁。

 名も知らない他者。

 ぼくと草四郎、そして五島万の三人の淡い記憶。

 その(おり)から浮かび上がってきた顔たち。

 テレビスタジオに現れた、頭だけのアリアと同じだ。

 人のていをなしていない。

 彼らの縮尺は狂い、歪んでいた。

 ピンポン玉ほどの頭部が、いくつも首から生えているもの。

 足は無く、十以上もある手を使いにじりよるもの。

 とかげ、蛇、犬……獣が荒く縫い付けられているもの。

 彼らはミカさんから認められていない侵入者だ。

 だからこの空間で像を結べない。

「臭い」

 サキさんの姿をした、ミカさんが顔をしかめる。

 くわえタバコに皮肉な表情。

 サキさんそのものだった。

 ミカさんは自分で動く気はないらしい。

 今日のミカさんはノリの効いた灰色の背広姿だった。

 勤め人だった頃の、サキさんの思い出の服装なのかもしれない。

 確かに運動には向かない格好だ。

「ハジメ、コウ・・・・・・追っ払って」

 簡単に言ってくれる。

「ーーーーーーーー」

 静かな敵意が押し寄せる。

 彼らはミカさんを、そしてぼくらを憎悪していた。

 彼らは知っている。

 ミカさんが、彼らを滅するものだということを。

 ”ーーーー”

 草四郎の澄んだ笛の音が、空気を震わせる。

 拍子を取る必要はない。

 舞うぼくの体はその笛の音と、完全に重なる。

 ぼくの手には両手に扇が現れた。

 黄昏のこの空よりも鮮やかな紅の扇。

 まるで炎で染めたような紅だ。

 ぼくは怒っていた。

 ここはミカさんの世界でもあり、五島万の心へと繋がる場所だ。

 踏み荒らすものは許せない。

 ぼくは腕をしならせる。

 扇の風は、炎へと変わる。

 そして火柱が上がった。

「ーーーーーーー」

 影たちがかき消えて行く。

 その火は、最前で踊るぼくを焦がすことはない。

 ただ影を照らし清めていく。

 そして霧が晴れるように、景色が一変した。



「菜の花だ……」

 草四郎が笛を放し、驚きを漏らした。

 ぼくも踊りをやめた。

 ぼくらはビルが立ち並ぶ街にいたはずだ。

 あたり一面の黄色。

 ばくらは菜の花畑の真ん中に立っていた。 

 この世界はいつだって黄昏時だ。

 沈みゆく陽に照らされて、黄色の花が仄かな光を帯びて見えた。 

「……」

 草四郎はかがみこんだ。そして満開に咲く菜花に顔を寄せる。

「なんの香りもしません」

 そう感想を述べる。

 現実世界の菜花は、芳しくはないが独特の匂いを持つ。

 これは三人の記憶にある景色ではない。

 まだ敵は消えてはいない。

「あそこだ」

 ぼくが気づいた。

 背の高い菜の花に埋もれるように、一輪だけ青い色をした花が見える。

 アヤメだろうか?

 初夏の花だ。

 早咲きの株なのだろうか。

 菜の花と同時に咲くのは珍しい。

「ちょっと!どこへ行くんですか!!」

 草四郎が呼び止めたが、遅かった。

 ミカさんはその花めがけて、走り出していた。

 サキさんの姿を借りていても、ミカさんはミカさんだ。

 好奇心いっぱいの永遠の五歳児。遠慮もためらいも、かけらもない。

「コウ、ハジメ、早くおいでよ」

 相変わらずだ。

 ぼくらの名前を覚えてくれない。

「あっ……折っちゃったんですか?」

 草四郎が呆れた声をだした。

 ミカさんは躊躇なく、その花を手折った。

「ほら、見て。これは本物だ」

 得意げに、ぼくらに向かってかざしてみせる。

「似合うだろう」

 そして、それを胸ポケットに差し込んだ。 


 どこからともなく現れたのは一羽の蝶だった。

 蝶はゆっくりと、菜花の上を舞っていた。

 時間をかけて、こちらに近づいてくる。

 白い蝶だ。

 アゲハよりも大きい、ぼくの手のひらほどの蝶。

 片翼が、子供の手のひらほどの大きさもある。

 向こう側が透けそうなほどに薄い羽。

 レースのリボンのようだった。

 蝶は現実の生物ではなかった。

 そして五島万が想像で描いたものでもない。

 気づけばまた一羽。

 そしてもう一羽。

 黄色い菜花のカーテンから湧き出るかのように、蝶は増え続けた。

 頭の中でサイレンが鳴った。

 偽物の菜の花、そしてこの蝶……

 危険な匂いがする。

 そして青い花に惹かれたのか蝶が一羽、ミカさんの胸元へと近づいていった。

「それに、触れないほうがいい!!」

 叫んだのは、草四郎だった。

 しかしすでにミカさんは、その指で蝶の羽を掴んでいた。

「ミカさん!」

 ミカさんのその右手に、異変が起こっていた。

 人差し指と親指、二指が根本から消失していた。

 赤い血が滴り、ワイシャツの袖を染めていく。

 ぼくならば痛みと驚きに叫んでいただろう。

「……」

 ミカさんはただ眉をしかめただけだ。

「駄目だ、囲まれた!!」

 ミカさんの心配をしている立場ではない。

 菜の花が揺れていた。

 いまや蝶たちは軍団となって、押し寄せてくる。

 その薄い羽は鋭い刃だ。

 このままでは、ぼくらは切り刻まれてしまう。

「どうしたの?そんなに慌てて」

 殺気立つぼくらを宥めるように、ミカさんは微笑む。

 そして傷ついた手で、ぼくの肩を軽く叩いた。

「ミカさん・・・・・・」

 ミカさんの手に、切断されたはずの指が戻っていた。

 しかしその形はいびつだった。

 サキさんの、男の手。

 そこに白い女の指が生えていた。

 指先の血を洗い流せば、そこにはきっとインクのシミがあるだろう。

 それはアリアの指だった。


「チッ」

 舌打ちを一つして、草四郎は腰にくくってあった布包から篠笛を取り出した。

 立ちすくんでいたのは僅かな時間だった。

 ぼくもすぐに草四郎にならった。

 手には再び扇が握られていた。

 白地に銀箔で円をふたつ組み合わせた印が描かれている。

 それはアガミの印だった。

 扇には濃い香りがまとわせてあった。

 ぼくは地面を蹴り高く跳ぶ。

 風よ起これ。

 迫る魔を払い、清めてくれ。

 広げた扇にそう念じた。

「ははっ」

 ぼくらが奏で、踊り始めればミカさんは破顔した。

 ミカさんは踊りと笛が何よりも好きなのだ。

 ”ーーーー”

 そしてミカさんは歌い始めた。

 力の欠けたぼくも、この世界ではミカさんの歌を聞くことができる。

 それは不思議な歌だった。

 決められた音階も歌詞もない。

 それは静かな祈りの調べでもあり、激しい叫びでもあった。

 二度と同じ曲を唇に乗せることはない。

 気の赴くままにミカさんは歌う。

 ミカさんの歌声がぼくらを包む。

 ぼくらを敵から守る障壁となり、力を与えてくれる。

 白い花びらが散るようだ。

 蝶たちの羽がもろもろと崩れていく。

 ぼくらはミカさんの歌にのせて笛を吹き、舞い踊る。

 魔を払う神楽だ。

 調べにあてられて、蝶たちは朽ちていく。

 しかし向かってくる数は多かった。

 一羽仕留めたと思えば、二羽現れる。

 砕けた蝶のかけらが、ぼくの頬を掠めた。

 覚えのある、微かなしびれ。

 それは氷の冷たさだった。

 この鋭い羽は氷でできている。

 そして気づいた。

 周囲の気温が急速に下がってきている。

  菜花の花弁が、白く凍りつく。

 なにかが近づいてきている。

  他のふたりも、気づいているのか。

 しかしミカさんは歌い、草四郎は笛にかかりきりだ。

 ひとりだけ自由な口を使って、ぼくは叫んだ。

「気をつけろ!何か来る!」

「言われなくても分かってるよ」

  ミカさんが答えた。

 それに驚いたのは草四郎だ。

「ちょっと、ミカさん!歌うのをやめないでください!!」

「おいこら!お前もだ!笛を止めるな!!」

 ぼくも怒鳴った。

 もうメチャクチャだ。


 空間が歪む。

 菜花の黄色いカーテンが割れた。 

 現れた”マ”は女の形をしていた。

 白の長衣をまとい、長い髪を振り乱している。 

 頭部がひどく膨れている。肩幅よりもはみ出すほどに。 

 ”マ”が歩くたびに、頭は風船のようにゆらゆらと揺れる。

 顔に当たる部分に目鼻はない。

 鈍い切れ味の刃物で、雑に削がれたようなミゾが付いていた。

 今まで現れたマとは違う。一段と濃い瘴気をまとっている。

 冷気をまとう白装束の女。

 いささか曲がった雪女だ。

 ミカさんの力を借りて、ぼくと草四郎は安直な像を結んでいた。

「まるで、冷ややっこだな。崩れないうちに食っちまおう」

 ミカさんがまた歌を止めて、軽口を叩く。

 でもその通りだ。

 この”マ”が形を保っているうちに、祓わねば。

 草四郎の笛の調べが変わった。

 ピッチは早く、音色はより激しさを帯びる。

「くそ、勝手しやがって」

 悪態をついた。

 笛に合わせて踊る、舞手の身にもなれというのだ。

 急な変化についていくのが大変だ。

 蝶たちは集まり、こごり、女に連なっていった。

 この雪女は、清涼なものではない。

 ”マ”は無いはずの口から、呪詛の叫びをあげていた。

 冷気の間を縫うようにして、腐臭が漂ってくる。

 そのすべてが、ぼくらの五感を刺してしてくる。

 不快だった。

 女は、その指をミカさんに向けて伸ばす。

 指先に連なった蝶は、冷気の鎖となった。

 マは腕を振り上げる。

 その先にいるのはミカさんだった。

 ”ーーーーー”

 ミカさんは歌うことをやめない。

「やめろ!ミカさんに触れるなっ!」

 ぼくは”マ”を迎え撃つように、扇を向けた。

 そして風が巻き起こる。

 蝶たちが千切れ、散らされていく。

 ”マ”は手の鎖を失った。

 そして”マ”自身も、混沌の中から這い出たばかりだ。

 その存在は脆かった。

「ーーー!」

 やがて、その体にもほころびが見えてきた。

 ミカさんは歌い続ける。

 歌いながら傷ついた手を、ぼくへと伸ばした。

 サキさんの手。

 そしてアリアの二本の指。

 指先から光が走ったように見えた。

 ぼくが手にする扇から、放たれる風が勢いを増す。

 最初に右の腕。

 そして左の足。

 マは崩れ落ちていく。

 それでも、”マ”は止まらなかった。

 その顔に目はない。こちらの気配と音を頼りに、欠けた体を引きずってにじり寄ってくる。

 死に際の足掻きだ。力は却って増していた。

 周りの空気が凍り、揺らめく。

 ぼくらのむき出しの手指は、かじかみ痛んだ。

 瞼の皮がよじれる。目を開けていられない。

 離れていてさえ、この威力だ。

 あの腕に抱きとめられてしまえば、心の臓まで凍ってしまう。

 そして、飛び交う蝶は形を変えた。

 氷の矢じり。

 それはぼくらの眼球に、心臓に、首筋に狙いを定めている。

「無駄だよ」 

 ミカさんは余裕の表情で、うそぶいた。

 そして大きく息を吸い込む。

 ミカさんは再び歌い始める。

 その声は今まで以上に強く響いた。

 自分の体の内側から、熱が沸いてくるのを感じる。

 空が割れていった。

 マから吐き出された穢れた空気は清められていく。

 季節は再び、春へと変わる。

 蝶たちは姿を消し、凍り付いた花々が息を吹き返す。

 ミカさんの歌声と、草四郎の笛が重なる。

 生み出された熱は、遂に化生の根幹を捉える。 

 ”マ”の顔面が真ん中から裂けた。

 新しく出来た口から、黒く汚れた乱食い歯がのぞく。

 続いて苦悶の声が、発せられた。

 最後のあがきだ。

 凍てつく息が吐き出される。

「くたばれーー!!」

 夢中だった。手にしていた扇を、”マ”めがけて投げる。

 広げた扇は、吹雪にふわりと舞う。

 そこに草四郎が援護をかけた。

 ぼくの投げた扇は弓に、草四郎は射手となった。

 笛の音が色を帯びて、扇に纏い付く。

「ーーーーーー!!」

 扇は赤い鳥へと姿を変えた。

 その鳥はぼくが現実世界で見知っている、ミカさんの姿だ。

 鳥のミカさんは化生の喉元に、そのくちばしを突き立てた。

 またたく間もなく、マは四散する。


「ふたりともお見事、お見事」

 ミカさんが大きな拍手をする。

 一匹残らず白い蝶は消えた。

 あたりは晴れ、空には夕暮れが戻った。

 戦闘の痕跡と言えるものは、踏み荒らされた菜花だけだ。

 いや、蝶がまだ一匹飛んでいた。

 氷の刃となり襲いかかってきた白い蝶ではない。

 鮮やかな青い蝶だった。

 ミカさんが手折った、アヤメの花のようだ。

「捕まえてくれ!」

 ぼくの言葉に、草四郎が手を伸ばす。

「これを使えよ」

 ミカさんが横から差し出したのは、懐紙だ。

 ぼくの扇と同じく、鼻につんと来るほどに強く香がまとわせている。

 ミカさんが懐紙を広げ、ふわりと草四郎の手にかける。

 青い蝶が羽ばたきをやめた。

 広げた紙の丁度真ん中に、蝶はポトリと落ちた。

 死んだのか?

 いやこれは元々、生物ではない。

「この蝶が先ほどの”マ”の核だったのでしょう。でもこれは……」

 草四郎も気づいたようだ。

 この青い蝶はあからさまに臭う。

 ぼくらが現場で、何度も嗅いだことがある臭いだ。

 悪意を込めた呪術の香り。

 この蝶は、現実世界から送り込まれてきたものだ。

「どこかで雨漏りしているみたいだね」

 ミカさんが笑う。

 質の高い術ではない。

 しかしこの呪符は、この夢の世界の”マ”たちを巻き込み肥大化した。

 現実と、この黄昏の世界が重なりつつあるようだった。

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