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花とペン  作者: 井上マイ
38/68

38.

 のっけから信じがたい単語が、目に飛び込んできた。

 一語ではない。次から次へとだ。

「……これ、本当にサキさんが書いたんですか?」

「うるさい。黙って読んで」

 アリアはむっつりと言った。

 ぼくは原稿を一旦置いて、目をゴシゴシこすった。

 だが何度見返しても、内容が変わるわけがない。

『読めば分かる。』

 先ほどアリアが言ったとおりだ。

 なるほど。

 こんな作品が世に出るわけない。

 読み始めてから、一分でそれを理解した。

「この主人公の女の子が、いやまさか……」

 ぼくはうめき続けた。

「違うと思いたいんですけど……これが、この子が、アリアさんだって言うんですか!?」

 驚きの次にやってきたのは、悪寒だ。

 正気の沙汰ではない。

 サキさんは、なんていうものを書いたんだ。

 冗談じゃない。まったく笑えない。

「くどい。さっき言ったでしょう。私がモデルだって」

 そう。ヒロインの名前は、そのまま”ありあ”ちゃんだ。


 それはポルノ小説だった。

 ひとりの少女と半ダースの男たちが、くんずほぐれつすったもんだ。

 まともな筋などない。ただそれだけの話だ。

 ただただ、どぎつくて、下品で安い場面が並ぶ。

 ため息を押し殺しながら、ページを捲った。

 前半のそれは演出で、あっと驚くような逆転が起こる。

 その期待があったからだ。


 ぼくが原稿を読んでいる間も、アリアは自分の仕事を続けていた。

 部屋の端で時折うめき声をあげるぼくの存在など、もう気にも止めていなかった。

 ぼくの集中力は、アリアに遠く及ばない。

 三分の一程読み終えたところで、力尽きた。

 後ろから十枚目のページを開く。

 ぼくが願った逆転劇は、ついぞ起こらなかったようだ。

「ギブアップです」

 ぼくはついに原稿の束をおいた。

「お疲れ様でした」

 そこでアリアも仕事の手を止めた。

 疲れ切ったぼくを見て、そんな言葉をかける。

 感想は聞かれなかった。

 分かり切ったことだからだ。

 ぼくはアリアに尋ねた。

「ニレイさんも、この原稿の存在を知ってるんですか?」

「サキくんが自分で伝えた。だから、おっちゃんも知ってる」

 自分で伝えたのか。サキさんは露悪趣味が過ぎる。

「なんでニレイさんはサキさんを、この家から叩き出さなかったんですか?」

 信じられない。

「現実は現実。小説は小説。セイさんもさっき言ってたじゃない」

「さすがに、これは問題です」

 低俗すぎる。

 しかも出来も最低だった。

 威勢が良かったのは、最初の2シーンまで。

 あとは、ダラダラとした下り坂だ。

 ポルノ小説とは、実用的で楽しいものではないのか?

 しかしこの小説は、ひたすら辛く、もの悲しい。

 サキさんも愉快な気持ちでこれを書いたとは、思えない。

 脂汗をダラダラかいて、苦しんでしぼり出したに違いない。

 筆は迷いに迷っていた。

 最後まで書き上げ、形にしたのはサキさんのプロとしてのプライドだ。

 途中で読むのを投げ出したぼくの為に、アリアが解説してくれた。

「終盤はもうメロメロ。”ありあちゃん”のオッパイの大きさが、場面が変わるごとに大きくなったり、小さくなったり。官能小説のくせに、バタバタ人が死ぬし」

「アリアさんは、これを最後まで読んだんですか?」

「三回読んだ」

 驚きだ。大した根性だ。

 作者のサキさんですら、投げっぱなしで推敲すらしてないだろうに。

「ぼくはもうたくさんです。10万円もらっても、続きを読むのは嫌だ」

 これ以上、読み続けたら神経が焼き切れてしまう。

「少しは興奮した?」

 アリアの問いかけに、ぼくは首をちぎれるほどに横に振った。

「まさか」

 官能小説としてつまらない。それに加えて、いま目の前にはモデルになったアリアがいるのだ。

 この状況で興奮できる人間がいたとしたら、そいつは頭がおかしい。

「谷さんにも、今度読ませてみようかな」

「やめてあげてください」

 無駄なことだ。全ボツをくらうに決まってる。

「一体全体どうしてサキさんは、こんなものを書いたんですか?」

 改めてアリアに尋ねた。

 今回のぼくに対してのちょっかいとは、また質が違う気がする。

「サキくんは自分に打ち勝つために、書いたんだって」

「はぁ?」

 予想外の答えが返ってきた。

「ペンの力で、自分の煩悩を払おうとしたの」

「つまり、アリアさんへの邪心を失くすために、これを書いたってことですか」

「そういう事」

 アリアは美少女だ。

 彼女と同居開始に当たり、サキさんは葛藤した。

 彼女はただの若い娘じゃない。

 アリアには作家としての才能がある。

 小説家は世の宝だ。

 サキさんは、腹の底からそう思っている。

 その宝物である少女は、とても儚く映った。

 もちろん自制はするつもりだ。

 しかし万が一のことが起こっては大変だ。

 自分の欲にまみれた手で触れて、宝物を傷つけるわけにはいかない。

 だからサキさんは、これを書いた。

 とびきり下品に、粘着質に。

 アリアへの欲望を、すべてこの原稿に落とし込んで封じてしまうのだ。

「……で、サキさんのアリアさんへの性欲は、最初の20ページで尽きてしまったわけですか」

「まったく、失礼しちゃう」

 アリアは一応そう言った。が、まったく残念そうではない。 

 しかし、なんでアリアはこんなものを取っておいたんだ。

 こんな原稿、完成したその日に焚つけになれば良かったのだ。

「これは穴でも掘って埋めておきましょう。万が一、人目に触れでもしたら大変ですから」

「せっかくサキ君が一生懸命書いたんだもん。どこかで使えない?」

「無理です!」

「独創性はあるんだけどね」

 アリアはこの原稿と比べるため、手に入る限りの官能小説を手に入れて読み漁った。

 キオスクで売られているようなものから、『O嬢の物語』『カサノヴァ回想録』といった古典名作まで、きっちり150冊。

「面白かったですか?」

「非常に勉強になった」

 アリアは真面目な顔でそういった。

「セイさんは、ふだん官能小説を読んだりする?」

「いえ、あまり」

「今度、私のおススメをおしえてあげるね」

「そりゃどうも」

 モゴモゴぼくは礼を言った。

「ポルノ小説は俳句と同じ」

 アリアは、本物の俳人が聞いたら怒り出すだろう持論を展開した。

「まるっきりの定型詩。必ず季語……決まった言葉を入れて、決められた長さで終わる」

 どんなレーベルでも、どの年齢層向けの作品でもそれは変わらない。

 作品の出来不出来はある。しかし予定調和の範囲だ。

 決められたレールの上を列車は走る。

 停車駅も、停車時刻もきっちり決められている。

 サキさんのこの原稿は定型を無視し、破りに破っている。

 定石には、それが決められただけの理由がある。

 だからこの原稿は失敗作になった。

「サキくんもめげずに、あと二、三作書けば良かったのよ。ポルノ史に名を残す傑作が出来たかもしれない」

「ははは、ぼくもサキさんが書くというなら、清書しますよ」

 ただしヒロインのモデルはアリア以外でお願いしたい。


「セイさんもわたしといて、エッチな気持ちになったりする?」

 ふいに、アリアがぼくに尋ねた。

 ペラペラと原稿を弄びながら、晩のおかずを尋ねるようなトーンで。

「たまに。でも飲まれないように気をつけてます」

 正直に答えた。

 そしてぼくは言い訳を付け加えた。

「男ってのは、エロでしょうもない生き物なんです。だから服はちゃんと着てください」

「はいはい」

 アリアは気のない返事を返す。

 まったくもう。

 そして何を思い出したのか、アリアは小さく笑った。

「私も同じだよ。女子だけどエロでしょうもない」

「どうして?」 

 ぼくは聞き返す。

「セイさんと、キスをする夢をみた。私はナース服を着てた。どう、エッチでしょ?」

「それはそれは……」

 うまく言葉が返せなかった。

 あれがただの夢では無いことを、知っているからだ。

 夢の中でぼくに口づけをしたのは、アリアの姿を借りたミカさんだ。

 それと同時にあれはアリアでもあった。

 他にはどんな夢を見た?

 アリアに聞きたかった。

 でも出来ない。

 ぼくらはミカさんの力で、アリアの内側に触れた。

 その記憶にある風景を歩き、同じ夢を共有している。

 彼女はそれを知らない。

 後ろめたい気持ちだった。

 サキさんにしてもそうだ。

 ぼくらは黄昏の世界を歩くうちに、彼の心のどこか敏感な部分を踏んでしまったんじゃないか。

 それが今日のサキさんの乱心騒ぎの原因じゃないのか。

 その可能性を思えば、冷や汗が止まらない。

 だとしても、サキさんの反応は規格外すぎるが。


 そして昨日は、現実世界でぼくはアリアを怪物に変えてしまった。

 ぼくにミカさんの力を制御することなど、できるわけはない。

 早く目を見つけねば。

 夢の中でも、この現実でももうアリアを傷つけたくなかった。

「……セイさん、どうしたの?」

 黙り込んだぼくを心配そうにアリアが見ていた。

「なんでもないですよ。ただ今日はもう疲れました」

「そうだね。ひさしぶりに夕飯はてんや物にしよう」

 屈託のない顔でアリアが笑った。


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