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花とペン  作者: 井上マイ
35/68

35.

 そして、ぼくはニレイさんにすべてを話した。

 長い時間はかからなかった。

 ぼくが任された役目は軽く、知らされていることは少ない。

 そして成し遂げたことは、無いも等しい。

 状況は複雑だった。

 過去、現在、これから。

 そして、ミカさんの夢の残滓と現実。

 すべてが入り乱れ、絡み合っている。

 ニレイさんは混乱の中にいるだろう。

「話してくれて、ありがとう」

 それでもニレイさんはその感情を抑えて、ぼくに礼を言った。

「君がなにか事情を抱えていることは分かっていた……お父さんの約束を守るために来てくれたんだな」

 思わぬ言葉に、不意をつかれる形になった。

 でもニレイさんの言うとおりだ。

 父に代わってぼくはここにいる。

「はい」

 ぼくは深く頭を下げた。


 隠されていた記憶。父・ハジメとニレイさんは、過去に出会っていた。

 そして時は流れ、十日町という男の死がぼくとニレイさんを結びつけた。

 十日町条。

 ニレイさんの前に現れた際には、自らをフリーのライターと称したらしい。

 しかし実際は、大社であるコウガミの術士だった。

 彼がなんの因縁の中にいたのかは分からない。

 そして彼はその大社に弓を引いた。

 窮鼠の牙は、巨人の喉元に深くくい込んだ。

 彼は倒れたが、その遺恨の影は未だ残っている。

 十日町が武器として選んだのは、強力な術言だ。

 彼はそれを細切れにし、他のものに混ぜ込んだ。

 猛毒を薄めるスープとして使われたのが、五島万の作品だった。


 「なぜだろうな。なぜ、十日町は俺たちを選んだ?」

 「理由らしい理由など、ないのかもしれません」

 ぼくはニレイさんにそう答えた。

 五島万の三人の背景は、コウガミが念入りに調べた。

 しかし何も出てこなかった。

 生み出された作品にしてもそうだ。

 そこには呪いの影などない。

 五島万は、通り魔に遭ったようなものだ。

 手近にいた。だから十日町に利用された。

 今のところ、その可能性しか思いつかない。

 「彼は、ひとりで動いていたのか?」

  「分かりません……谷さんが調べている最中です」

 コウガミは大きく堅牢な組織だ。部外者である僕にその内部は伺いしれない。

 「これから先はどうなる?」

 ニレイさんは手元のメモを、ぐしゃぐしゃと握りつぶした。一連の出来事を整理するのを諦めたようだ。

 「その呪いの言葉は、強いものでした。彼一人の命では賄いきれないほどに……」

 そしてまだ見ぬ、怪物が蘇りつつある。

 「俺たち五島万も、その呪いの裾を踏んづけたというわけか……」

「……申し訳ありません」

「なぜ、セイ君が謝る?」

 十日町より前にその術言を用い、巨大な”マ”と関わったのはぼくの父だ。

 ハジメはどこまで見えていたのだろう。

 彼は、ぼくらをどこに導こうとしているのだろうか。


「俺にも打ち明け話がひとつある。他でもない、十日町との出会いの話だ」

 ニレイさんが十日町と出会ったのは、サキさんと組んだばかりの頃だ。

 アリアが五島万に入る以前の話だ。

「十日町は俺より少し年かさ。中堅どころの編プロに所属していた。彼は編集の仕事をしながら、ライターをしていた。あちこちで書いていたようだが、まったくの無名の人間だった」

  十日町がニレイさんに話した履歴は、十中十嘘で出来ている。

 彼はなぜか無名の、そして多分に胡散臭い人物像を選んで装った。

「俺がひとりで通う店を嗅ぎ付けて、彼は近づいて来た」

 場所は酒も出す、小さな喫茶店だ。

 ヤクザな風体ではない。

 勤め人らしいグレーのスーツ姿だ。

 口調もごく丁寧だ。

 しかし、十日町はどこか荒んだ空気をまとっていた。

 内側に渦巻く鬱屈。その視線や発する言葉の端々に、負の感情が滲んでいるように思えた。

 根拠などない。

 だがこういう第六感に助けられて20年、ニレイさんは俳優として生きてきた。バカにできない。

 この男からは、トラブルの臭いがする。

 ニレイさんは素っ気なくこういった。

「君の原稿は受け取れない。俺は素人だ。人の書いたものの善し悪しなんて分からない」

 そのまま出版社に持ち込んだほうがいい。

 そう言って十日町の頼みを断った。


 サキさんと組んで製作した、独白本はベストセラーとなった。

 そのせいで、この手の売り込みがくるようになった。ニレイさんの知名度目当ての連中ばかりだ。

 でもニレイさんは、もう仁礼友太の名前で本を出すつもりはなかった。

 サキさんとふたりで、まったく新しい作品を作るつもりだった。

 ニレイさんが断ると、十日町はそれ以上の売り込みをやめた。

 だが、その場を立ち去ることもしない。

 ニレイさんの隣のスツールに腰掛け、腰を据えて飲みはじめた。

 ただですら、好感が持てない相手だ。

 会話が弾む訳もなかった。

 小さな偶然さえ起こらなければ、ニレイさんは彼を残して、とっとと店を出ていただろう。

  店内には有線が流れていた。

 その時ピアノアレンジを施された、名画の主題歌が流れはじめた。

 それはニレイさんにとって馴染み深い曲だった。

 十日町が口を開いた。

「懐かしい曲ですね」

「・・・・・・」

 ニレイさんは無言でうなずいた。

 感傷に浸りかけていたところに、水を差される形になった。

 その映画は、彼の元妻みちるのお気に入りだった。

 その映画を繰り返し見るためだけに、レーザーディスクを買った。そう言って、彼女は笑った。

 古い映画だ。愚直で報われない、女の愛を描いた映画だ。

「あの子が好きだった映画だ」

 ニレイさんに聞かせるつもりなのか。ただの独り言だったのか。

 十日町の唇からそんな言葉が漏れた。

 十日町はそれ以上、何も言わなかった。


  ニレイさんは動揺していた。

 改めて、隣に座る男を見やる。

 十日町は、整った顔立ちの男だ。それだけに、その荒んだ様子が際立つ。

 意思の強さがうかがえる、切れ長の目が印象的だった。

 その目を改めて見て、ニレイさんは雷に撃たれたようなショックを覚えた。

 似ているのだ。

 みちるの娘のアリアに。

 みちるとニレイさんが結婚した時、アリアは4才だった。

 彼女は、未婚のままアリアを産んでいた。

『もう終わったこと』

 そう言って、彼女は娘の父親を誰にも明かさなかった……

 この十日町こそが、アリアの実の父なのではないか?

 十日町が、何を言ったわけではない。

 日比野みちるとの繋がりも、ニレイさんの想像の産物でしかない。

 だが、どうしてもニレイさんは、その考えを振り払うことができなかった。


 その後のことは、成り行きというしかない。

 ニレイさんは結局、十日町の売り込んできた原稿を受け取った。

「十年以上も前の、まだ小さなあの子を思い出した」

 なにも知らない、四歳のアリア。

 ニレイさんのことを屈託なく『パパ、パパ』と呼んで、なついていた。

 一緒に暮らした期間は半年足らずだ。

 母親のみちるとは離婚してからも、友人関係めいたものが続いている。

 しかしアリアとは、この十年余り一度も会っていない。


「私よりよっぽど美人でしょ」

 みちるは、いたずらっぽく微笑む。

 それは、あの事故の当日の出来事だ。

 彼女はニレイさんに、成長したアリアの写真を見せた。

 中学の入学の日に、桜の木の下で撮られたものだ。

 すらりと伸びた手足に、キリリとした面差し。

 母親の言う通り、美しい少女だ。

「役者にするつもりかい?」

 ニレイさんの問いかけると、みちるは首を横に振った。

「芸能には、まるで向かない子なの。私と違って、大人しくて優しいから」

 十年前、五才のアリアと別れたとき、それなりに哀しくはあった。

 けれど日々の忙しさ中で、ニレイさんの中で記憶も薄らいでいった。

 だが事故の後、アリアの事が気になって仕方がなかった。

 無くした自分の指も、顔に残った傷も重要ではない。ひとり娘を残して死んだみちるを思うと、胸が痛んだ。

 しかし入院中のニレイさんは、元妻の葬儀に出席することも叶わなかった。

 ひとり遺された少女は、どうしているのだろう?

 それを知る術もない。

 ニレイさんは元妻が運転する車に同乗していて、事故に巻き込まれた。

 微妙な立場だ。

 病院を出てからも、自分からはアリアに会いに行けるはずもなかった。 

「十日町氏がアリアの本当の父親だったとしても、元々ふたりに繋がりなどなかった・・・・・・」

 ニレイさんが十日町を邪険に追い払ったとしても、アリアに何の影響があるわけもない。

「それでも嫌だったんだ。あの子の親父かもしれん男が、やさぐれているを見るのが」

 だからつい手を取ってしまった。


 ニレイさんの告白を聞いて、ぼくは深いため息をついた。

「十日町はアリアさんの父親じゃない。この首を賭けたっていい」

 ぼくは 皿の上から、乾きかけた生ハムをつまみ上げた。

 ふっ。

 軽く息を吹き掛ける。

 するとハムはナイフに変わった。

 銀色の刃には、薄いピンクの膜がかかっている。

 血のしたたる肉を、切ったばかりのナイフだ。

 刃をニレイさんに、かざして見せる。

「セイくん・・・?」

 そして次の瞬間、僕はそれを自分の口中に投じた。

「・・・・・・!」

 噛み砕かれた金属が軋む音。それを予想したのか。

 ニレイさんが耳を塞ぐ。

 それとも、ぼく痛みに悲鳴をあげると思ったのか。

 もぐもぐ。ごっくん。

 飲み込んで、口を大きく開けてみせた。

「ハムを食べただけですよ」

 ニレイさんは、拍手をしてくれなかった。

 「すっかり酔いが覚めた」

「十日町氏も、同じようなことができたのでしょう。錯覚です」

 いつかニレイさんの目の前で、チンピラを叩きのめしたのと同じやり口だ。

 ぼくらは人の死角をつく。

 そして、心の弱い部分に付け入る。

「俺はまんまと引っ掛けられたってわけか」

「・・・・・・」

 ぼくは黙ってうなずく。

 「大したもんだ。これで食ってけるよ」

 ニレイさんが苦笑する。

 「大人数に見せるには、不向きなんですよ」

 あの時のニレイさんには隙があった。

 そして、いまぼくとニレイさんには繋がりがある。

 ふたりでひとつ傘に入って、同じ影を見ているようなものだ。

 影はライトに照らされれば、消えてしまう。浅い、小手先の技だ。

「ぼくの力は、この通りチャチなもんです。でも、強い味方がいますから」

「草四郎くん。そして谷くんか」

 さらりとニレイさんが言った。

「驚いてないんですね。谷さんのことは」

 さきほど、ぼくはニレイさんにすべてを伝えた。谷さんのこともだ。

「彼の実家のことは聞いていた。術士だの妖魔だの……まさか現代の大社が、そんな暗部を抱えているとは思わなかったが」

 そして、ニレイさんはニヤリとして付け加えた。

 「谷くんには、得体のしれない凄みががある。正体を知って納得だ。まさに怪人だな」

 「深追いしない方がいいですよ。あの人の使う術は、ぼくと違って可愛くない」

 自らの身を切るように、闇へと向かっていく。

 彼の生き様は、苛烈そのものだ。

 「いずれ谷くんからも、話を聞かないとな・・・・・・」

 ニレイさんには聞く権利があったし、谷さんには説明する義務がある。

 そして、ニレイさんはこめかみを押さえた。

 「だが、今日はもう十分だ。ページオーバーだ」

 時計の針はとうにてっぺんを過ぎている。


 ニレイさんはまた煙草に火をつけた。

 吸い殻が灰皿から溢れそうになっていた。

「得体のしれない化け物にとり殺される・・・・・・いただけないな。でも一度死んだ身だ。俺一人なら、あきらめもついた」

「アリアさんが心配なんですね」

「そうだよ」

 ふだんニレイさんは、アリアを対等な仕事仲間として扱う。

「横風が吹くとダメだな。たちまち俺の湿っぽい部分がめくれ上がって、むき出しになる」

 ニレイさんはキッチンテーブルの片隅に積み上げてあった、清書済みの原稿を手に取った。

 赤ペンで綴られた金釘流の文字。

 アリアの書き込みが、ビッチリ入った原稿だ。

 確かめるように、その文字をニレイさんは指でなぞった。

「俺はいま41だ。この先もう一度結婚するつもりも、子どもを作るつもりもない。俺をパパと呼んだのは、アリアくんで最初で最後だ」

 半年前、アリアが自分を頼ってここに来た。

 それが本当に嬉しかったんだ。と、ニレイさんはいった。

 「サキ君には謝らないといけないな。五島万は、アリアくんと一緒にいるための言い訳みたいなものだ。あの子が文才のない、オカチメンコでも俺は構わなかった」

 ただ彼女が、そこにいてくれるだけで良かった。

 「五島万は即時解散。てんで散り散り逃げたところで、無駄なんだろう?」

 「ええ」

  僕は頷いた。

  もう事は起こってしまった。五島万の三人は、巻き込まれてしまっている。

「五島万は会社じゃない。勝手きままな集まりだ。放っておいても、いずれバラバラになる。でも妖怪か祟りだか知らないが、そんなものに壊されたくはない」

「壊させません」

 思わずそう声が出た。

「まぁ頼む」

 コーヒーをいれてくれ。

 その程度の軽い口調だ。ぼくに重圧をかけまいとしてくれているのだろう。

 そしてニレイさんは、ぼくに軽く頭を下げる。


           XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX


 その晩も酷くうなされ、寝汗をかいて目覚めた。

 毎夜潜るのは、ぼくひとりで見る夢ではない。

「一昨日は、この道を水仙の子と歩いた」

 サキさんの形をしたミカさんがそう言った。

 ミカさんのいう一昨日とは、いつのことなのだろう。

 そして水仙の名を持つアガミの術士は、ぼくらの知る当代なのか。

 それも分からない。

「この道を抜けると、新しい場所に出る」

 ミカさんはそう言った。

 ミカさんが迷うことはない。

 ミカさんの指先には、見えない糸が結ばれているようだ。

  その糸がぼくらを、父が隠した目のありかに導いてくれる。

 この夢の回廊と現実世界はごく近い。

 地続きの場所にある。

 

 黄昏の世界は広く、そして深かった。

 過去と未来。

 アガミと、それに連なる人々。

 ミカさんによってすべては繋がっていた。

 不意に現れる異形たちも、この広大な迷宮に降り積もった影の欠片だ。

 肉体の疲れも、戦いで負った傷も、目覚めた体には残らない。

 だが神経は削られる。

 心臓に、冷たく鋭い針を刺されたような痛みが走った。

 痛みがぼくに教えてくれる。

 この回廊で間違いを犯せば、二度と現実に帰ってくることはできないのだと。

 スタンドを点け枕元の目覚ましを見れば、午前三時を過ぎたばかりだ。


 体は冷えている。節々が固く強ばっている。

  焦燥に塗れた、思考だけが巡る。

 もう眠れるわけもない。僕は起き上がる。

 シャワーを浴び、服を着替え音楽室へとこもる。

 ドラムセットを可能な限り脇へと押しやり、スペースを確保する。

  なにも言わないミカさんだけを観客に、無心で舞う。


 冷たい痛みが引いていった。


          XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX


 アガミの術士の先輩であるタクミさんから、封書が届いた。

 そこには、セイコーの腕時計が入っていた。

 それは紛れもない、ぼくの腕時計だ。

 皮バンドはボロボロに劣化し、針は止まっている。

 ぼくがそれを失くしたのは数日前のはずだ。

 だが、腕時計は長い時間、風雨に晒されていたかのように古びていた。

 ぼくはタクミさんへ、お礼の電話をかけた。

「それを拾ったのは、俺じゃない。孝三さんから、お前に渡すように預かったんだ」

 まったく、自分で届けりゃいいのに。

 そう、タクミさんはため息をつく。

 孝三叔父は、夕暮れ時にそれを拾ったそうだ。

 夕暮れの空が広がる場所。

 夢の中のあの世界のことだ。

 「孝三叔父が……あの場所に?」

 ぼくは眉をひそめ、そう聞き返す。

 叔父は傷を負い、術士の力を失っている。

 あの人はもう、ミカさんの姿を見ることもできない。

 あの夕暮れの世界にも、立ち入れない筈だ。

 「いつ拾ったのかは、聞いてない」

 タクミさんはそういった。

 時間も空間も、あの場所では色々なものがもつれている。

 時計は、そういう隙間に落ちていた。

 叔父は過去、確かにあの場所に立っていた。

 そして勿論その隣には、相棒である父もいた。

 ぼくらは近づいているのだ。

 目指す場所へと。


 「俺達もなんとか、お前達に合流したいと思っているんだが……歯がゆいな」

 タクミさんも、双子のカズサさんと共に、毎夜あの黄昏の町を歩いていると言った。

 しかし、ぼくたちと会うことはできないでいた。

「ありがとうございます。でも気持ちだけいただいていきます」

 あの世界は多くの階層に区切られているようだ。

 ミカさんの力と五島万の思念が溶け合った場所。

 それはきっと、ぼくと草四郎にしかたどり着けない場所だった。


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