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花とペン  作者: 井上マイ
32/68

32.

 

 孝三叔父に会う予定を、迷った末に取りやめた。

 父と孝三叔父。

 ぼくらの先代が抱えていた因縁。

 その一端を、ぼくらはミカさんの口から聞くことになった。

 分からないことの方が、まだ多い。

 ぼくらが現実世界の過去ではなく、ミカさんと歩く幻想の世界に答えを見出そうとしていた。

 ぼくらがなにに迷い、なにを求めているのか。孝三叔父は、何もかも知っているのではないか。

 そして、いまはただ見守ることを選んでいる。

 そんな気がしてならなかった。


 草四郎はぼくと離れて、谷さんの仕事を手伝い続けているようだ。

 自分を追い込まずにはいられない。本当に面倒くさい奴だ。

 コウガミの仕事のときには、草四郎はミカさんから離れ、術を編む。

 断線の振動はぼくに伝わる。

 草四郎は仕事の詳細をぼくに伝えない。

 しかし絶えず緊張を強いられるのだろう。

 そしてマと対峙するごとに、術士の中には黒いおりが溜まっていく。

 日に日に、草四郎の頬は落ちくぼみ、目付きは鋭くなっていった。

「夜歩くためですよ」

 それが無茶をする理由だと、草四郎はいった。

「自分を削れば削るほど、体が軽くなる。そうすれば遠くまで行ける気がして」



 夢の中は迷宮だ。

 石の壁で出来ている迷路ではない。

 風が吹き、ところによっては水も流れる。

 季節は夏。そして空はどこまでも茜色だ。

 視界は開けている。

 だがそれは平坦な道ではない。

 広がりは上下左右だけではない。

 時には断絶された空間や時間さえも渡り、ぼくらはさすらう。

 前方を歩く、ミカさんの背中を見失ったらそこまでだ。

 自力で現実に戻ることは出来ないだろう。


 きょうの街並みは、学生街を思わせた。

 なだらかな坂道を、ぼくらは歩いていく。

 ときおり商店に行きあたる。

 本屋、床屋、不動産屋……

 肉屋の店先に並べられたコロッケは揚げたてだ。こちらまでラードのよい匂いが漂ってきた。

 うわべだけは平和な風景だ。

 しかし先日ミカさんのいったように、どこにでも影はさす。

 そして人の姿はどこにもない。

 影さえ見えない。

 がらんどうの街に、ぼくと草四郎が速足の音だけが響く。

 ミカさんの足音はない。

 ミカさんもまた、この世界と同質な存在だ。生身のぼくらが持つ、熱や重さをミカさんはもたなかった。


「あ」

 ふいに前方を歩いていたミカさんが、立ち止まる。

「どうしたんです、ミカさん……まさか敵が?」

 草四郎が笛を構える。

 ぼくも周囲の気配を探った。

 しかし、いくら待ってもなにも起こる気配はない。

 ガードレールに寄りかかり、ミカさんは空を見上げる。

「ん」

 ミカさんは、懐に手を入れると草四郎を手招きする。

 そして草四郎の手に、小銭がわりの貝を握らせた。

 あそこにある自販機で、コーヒーでも買ってこいと言いたいのだろう。

「まだ来たばかりじゃないですか。休憩なんて必要ないでしょう」

 草四郎がまなじりを吊り上げる。 

「行き止まりだ。きょうは、ここまで」

 前方の道は開けている。

 もう少し歩けば、繁華街にでそうな雰囲気。

 しかしミカさんがいうなら、行き止まりなのだろう。

 ここはミカさんの世界だから。


 今宵のミカさんは、ニレイさんの姿を借りていた。

 元々ミカさんは、我々のような自我などない。

 だから今はニレイさんの言葉を借りて、人のように話す。

 きょうの装いは、紺の警官の制服だ。

 ニレイさんがまだ若手俳優だったころの舞台衣装だろう。

 金ボタンのついた年代物で、腰にはサーベルが下がっている。

 ここは夢の中だ。

 ミカさんの突飛な扮装が、その事実を思い出させる。

 そうこれは現実世界のニレイさんが見ている、夢の欠片でもある。

 ミカさんという厚いフィルターを通して、ニレイさんもいまこの世界を覗き込んでいる。

 その記憶は儚い。目覚めれば、こぼれ落ちてしまう。しかしわずかに残るものがあるようだ。

 この夢の世界を歩くようになってからのことだ。

 現実世界で、ニレイさんそしてサキさんからの視線を感じることが増えた。

 ふたりとも口に出しては、なにも言わない。

 ただ忘れ物を探すように、目をすがめてぼくの顔をみつめるだけだ。


「ありがとさん」

 ミカさんは草四郎の買ってきた、熱い缶コーヒーを受け取る。

 それをうまそうに喉を鳴らして飲んだ。

 先に進めない。しかし目覚めるまではまだ猶予がありそうだ。

 ぼくはグレープ味のファンタ。草四郎はオレンジのハイシー。

 ミカさんにおごってもらう。

 道の途中で、草四郎としばし雑談だ。

「ここはどこが、モデルになってるんでしょうか?」

 ジュースを飲みながら、草四郎が言った。

 ミカさんとこの世界は、三人の五島万に結びついている。

 これまで見てきた景色は、ニレイさん、サキさん、そしてアリアの意識がモザイクのように散りばめられていた。

「アリアさんかもしれないな。坂の多い街の学校に通っていたと聞いたことがある」

 全寮制の中学に転校する前の話だ。

 登校拒否児だったアリア。朝寝坊をしてグズグズ家を出て、重い足を引きずって寄り道に寄り道を重ね、結局学校の正門に辿りつけず、家に戻る……そんな毎日を過ごしていたらしい。

「でもミカさんは、アリアさんにはならないんですね」

 草四郎が言った。

 アリアの姿したミカさんが現れたのは、最初の一回きりだ。

 その時、草四郎はいなかった。

 いまこの時よりも混沌としていた夢だった。

「アリアさんはミカさんを知っているから、警戒しているのかもしれない」

 ぼくは推論を述べた。

 最初のときは不意打ちだったから繋がった。

 しかしアリアは、ミカさんが割り込む余地がないくらいピッタリと心を閉ざしてしまった。


 炭酸ジュースは、現実世界とそっくり同じ味がする。

 いつかの思い出の味だ。

「探し物は目だけじゃない。進めば、色んなものが見つかる。そんな気がするよ」

 風が心地よかった。

 この世界には、アリアの欠片も埋まっている。

 ここを歩けば、知らないアリアやニレイさん、サキさんの姿も見えてくるだろう。

「いろんなもの……先代の残した跡もここで見つかるでしょうか?」

「そうだな」

 草四郎の言葉にぼくは頷いた。

 ニレイさんのミカさんは、ゆっくりショートホープをふかしていた。

 煙が風に流れていく。

 視界がぼやけてきた。

 きょうの行き止まりは、やはりここだ。

 目覚める時が近い。

 ふいにミカさんが口をひらいた。

「早く迷子のハジメを探しに出さないと」

「ミカさん?……ハジメはぼくじゃないんですか?」

「え?」

 ミカさんがぼくの言葉に首をかしげる。

「ぼくはここにいますよ」

 ミカさんはぼくのことを、常に父の名で『ハジメ』と呼んできた。

 ぼくのことを、父と思い込んでいるのではなかったのか?

 違うというならば、いまミカさんの目の前にいるぼくは何者なんだ?

「そうなの?」

 ミカさんには、ぼくのいうことが理解できないようだった。

「…………」

 草四郎は、息を詰めてぼくらの会話を聞いていた。

 ミカさんはしばらく、ぼくの顔をじっと見ていた。

 そして微笑む。

「長い時間、ずっとずっと探していた。でも、もうすぐ会える」

 ミカさんが言った。

 十五年前に死んだ父。

 この世界のどこかに、その魂が漂っているとでもいうのか。

「俺を置いて、ひとりで駆けていっちゃうなんて。連れ戻したら、叱ってやらないと」


           XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX


 またね。

 その言葉通り、カナは間を開けずホスピタルにやってきた。

「アリアちゃん、あそびましょー」

 この前はじめてきたばかりなのに、カナは慣れた様子で勝手口に回って来た。

 その時ぼくは待合室にアイロン台を出して、サキさんのシャツのしわを伸ばしていた。

「アリアさんは、自分の部屋で仕事中だよ」

「約束の時間より早く来ちゃった。待たせてもらうわ」

 カナは昨日、ホスピタルに電話をかけてきた。

 そしてオロオロするアリア相手に、遊ぶ約束を取り付けたのだ。

 カナは待合室のソファに腰を下すと、テレビのリモコンを手に取った。

「お茶を出すよ」

 ちょうど作業のきりもいい。アイロンのスイッチを切って、ぼくは立ち上がった。

「ありがと。おかまいなく……あ、緑茶でお願い」

 遠慮のない振る舞いをしているように見えて、その実カナは緊張しているのが分かる。

 射殺されたカラス。一夜にして実をつけた柿の木……

 大社であるコウガミの網の目は、ホスピタをカバーしている。

 カナもホスピタルに異変が起こったことを、実家から聞き及んいるのだろう。

 笑顔の中にも一抹の警戒が紛れていた。

「どうぞ」

 カナはこれからアリアとお出かけだ。腹にたまるものはいらないだろう。

 お茶受けは貰い物のクッキーだ。

 ぼくはアイロンがけを再開した。

「不思議ね」

 テレビの画面に目をやったまま、カナが言った。

 冬休みの午前中、テレビ画面には再放送のドラマが映っている。

「なにが?」

「セイくんが冷静でいられることが」

 そしてカナはクッキーをポリポリかじる。ぼくの方には目もむけない。

「訳の分からない人間に忍びこまれて、いいようにされて……悔しくないの?」

 その通りだ。返す言葉もない。

 なんのためにぼくはここで暮らしているのだ。

 害のないイタズラだったからいい。

 でも一歩間違えば、アリアたちが危険な目に遭っていたのかもしれない。

「ごめん。不甲斐ないな」

「わたしに謝る必要なんてない。なにも掴めてないのはコウガミも同じだし、偉そうなことは言えない」

 元からぼくらには期待していないと、カナは言ってるのだ。

「草四郎くんも、そう。きのうは現場が一緒だったんだけど、急に吹っ切れたような顔しちゃってさ」

 そこではじめてカナはぼくの方に目を向けた。

「何かあったの?わたしが知らないことを、何か掴んでるとか」

「それは……」

 ぼくは言葉に詰まった。

 あの黄昏の奇妙な夢と、そこに眠る怪物の目のこと。

 カナに的確に伝えられるわけもなかった。

「アリアちゃんさえよければ、自分の家に連れて帰りたいくらい……でも断られちゃうだろうな」


「セイさん、私の恰好、おかしくない?ちょっと見て」

 約束の時間まであと20分というところで、アリアが待合室にやってきた。

「あ……!」

 そして、そこにいるカナに気づいて固まる。

「やっほー、アリアちゃん。楽しみすぎて早めに来ちゃった」

 カナはソファから立ち上がると、アリアの周りを365度くるくる歩いて回った。

「かわいいー。お嬢様みたい。バッチグーだよ!」

 カナがきょうのアリアの服装を絶賛した。

 若草色のセーターと茶ロングスカートの組み合わせは、きのうぼくとサキさんでああでもないこうでもないと考え抜いたものだ。

 きょうのデートは、上野まで出て美術館めぐりのあとショッピングを楽しむ計画らしい。

「そのあとはゆっくりお茶も飲もうね。わたしパフェ食べたい!」

「う、うん」

 大張り切りのカナはもちろん、アリアも嬉しそうだった。

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