28.
夜明け前に目が覚めた。
目覚めても、夢の記憶は鮮明だった。
夢の中でサキさんが取り上げた、例の雑誌。
実はその現物を、ぼくはいま手元に持っていた。
いわく付きと言われようが、五島万の名が付くものには目を通しておきたい。
そのアリアの要望で、谷さん経由で取り寄せた。
無神経なあの男は、呪言を隠すことすらせず、雑誌をそのまま送りつけてきた。
ぼくは黒マジックで修正を施したコピーをアリアに渡した。
それで用は足りた。
雑誌本体は、次に会う機会に谷さんに返すつもりでいた。
ぼくはそれを自宅から持ってきた旅行鞄の一番底に、隠す様にしまいこんでいた。
そこには手がかりがある。
サキさんの姿をした誰かは、夢の中でそう言った。
そのページを開くには、勇気が必要だった。
しかし知らないままではいられない。
「…………」
目を逸らしたいのに、引き寄せられる。麻痺したように見入っても、まったく意味を読み解くことが出来ない。
まったくぼくの解析度は、門外漢のサキさんと変わらない。しかしどうにかして理解しなければ。
呪いの言葉を唇に乗せて、確かめることは出来ない。ただ指でなぞりながら、繰り返し目で追った。
その呪言は不完全だ。
初めて見たときから、そのことには気づいていた。
そしていま、改めてその違和感の理由を探る。
紙面のために組まれた活字。
その枠を外してみると、全体の形が見えてきた。
ぼくは呪術の知識に乏しい。”マ”に対処するために、最低限のルールを習っただけだ。
しかしそんなぼくでも、気づくことができた。分かってしまえば、単純なことだった。
欠落部分は、無造作に掴み取られたものでは無い。
この呪言の本来の形は二重構造だ。
雑誌に載せられたのは、呪言のほんの一部だ。けれどこの推測は間違いないだろう。
一方だけでも意味は通る。しかし二つの呪詛が重なり合い、はじめて効力が発揮される。
呼びかける声。
そしてそれに応える声。
誌面からは、対になる一方の声が欠落していた。
「十日町に死ぬつもりはなかったんだろうな」
ましてや、闇の中から”マ”を呼び出すつもりもなかった。
コウガミに対して、脅しをかける。彼の狙いはそれだけだ。
「十日町はハメられた……ということですか?」
暗澹とした表情で草四郎がつぶやく。
冬の夜明けは遅い。
待ちきれなかったぼくは、始発電車に飛び乗り草四郎の下宿のドアを叩いた。
ぼくは草四郎に話しながら、自分の推測をまとめていった。
「封印は予め弛められていた……檻の扉を繋いでいたのは、細い鎖に過ぎなかった」
完全な呪言を知り、過去にそれを使った者がいる。
そして十日町はそれを知らずに、その欠片を弄ぶまねをした。
結果は知っての通りだ。
「誰ですか?そんなことをしたのは」
そう尋ねる草四郎の声は、これ以上ないほどに冷たい。
勿体ぶったわけではない。
けれども、ぼくは真っすぐには答えなかった。
「父さんが死んだのは、アガミの禁を犯し、ミカさんの怒りを買ったからか?」
草四郎はぼくの問いかけに迷いなく答えた。
「いいえ。ミカさんが、人を呪ったりなんかするもんですか」
それは、ぼくが聞きたかった答えだった。
「そうだよなぁ」
そして、ぼくらは顔を見合わせて少し笑った。
あののんびり屋のミカさんが、そんな意地の悪いことをするものか。
ぼくの花はこの花。父から受け継いだ。
草四郎の花は菖蒲。孝三叔父から受け継いだ。
それは呪われた名前ではない。だから次代が継いだのだ。
「うちの親父は、別の神様からバチを当てられたんだろう」
「それが、この呪言の神ですか」
「そう思う」
確実な証拠があるわけでもない。
「孝三叔父に確かめてみますか?」
草四郎の声は固い。
父は死んだ。しかし片割れである孝三叔父は、生きている。
当然、彼は真相を知っている。
「それしかないな。気は進まないが……」
叔父の傷をえぐるようなことはしたくない。
しかし事態は切迫していた。
なぜ、先代のふたりはそんなことに関わり合うことになったのか。それを確かめなくてはならない。
それにぼくらアガミは、ミカさんを通して共鳴する。
例えばカズサさんには、生まれたばかりの息子がいる。
その赤ん坊の顔が思い浮かぶ。
残された禍根があるとするなら、ぼくと草四郎で刈り取らねばならない。
それからしばらく沈黙が続いた。
「なぜ今になって、この雑誌を見直そうと思ったんですか?」
草四郎に聞かれても、あのとき感じたことはうまく言葉にできなかった。
「やけにリアルな夢を見た。そこに出てきた、サキさんが教えてくれたんだ」
単純にいってしまえば、それだけの話だ。
草四郎の下宿を出て、ぼくはホスピタルに戻った。
時計の針が九時を回るのを待って、ぼくは春光堂へ電話した。
「は?出張?台湾に?」
孝三叔父は不在だと、事務員さんが教えてくれた。
薬種の買い付けに、海外出張に出ているそうだ。
三日後には戻ってくるとのことだったので、面会希望の言伝を頼んだ。
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根が単純なせいだろうか。
ぼくはあまり夢を見ないたちだ。
しかし最近、様子が変わってきた。
このまえはアリア、そして昨日はサキさん。
五島万のふたりと過ごす夢をみた。
そして今夜の夢も明晰だった。
「やぁ君も来てたのか」
今回現れたのは、ニレイさんだ。
これで五島万が一回り、全員登場した。
ニレイさんは紺地の浴衣姿だった。
帯は深紅。ハンチング帽をかぶっている。
どんなこのひとは何を着ていても様になる。
一方のぼくは、半袖のポロシャツにジーンズという恰好だった。
体が動く。
「コホン」
咳払いをしてみた。
声も出せる。いままでの夢とは違っている。
「ミカさん、こんばんは」
ぼくはそう呼びかけた。
にっこりと笑って、彼は答えた。
「はい、こんばんは」
ニレイさんの姿をして、ニレイさんの声で話している。
しかしその静かな目は、ぼくらの傍らにいつもいる守り神のものだ。
なんで今まで気づかなかったんだろう。
看護婦の姿で現れたアリア。
同じ病室に現れたサキさん。
あのふたりにも夢の途中から、ミカさんになり替わっていた。
そしてぼくの目の前にいるのは、最初から紛れもなく百パーセントのミカさんだ。
「今日はお祭りだよ。屋台が出ているんだ」
ミカさんはいった。
「さぁ行こう。なんでも好きなものを買ってあげる」
この夢の中の季節は夏だった。
生ぬるい風を頬に感じる。
汗ばむことがないのは、今が夕暮れ時だからだ。
夏祭りの夜。
人々のざわめく気配を、遠くに感じる。
そこはぼくの記憶にはない場所だった。
真っすぐに伸びた参道は、青々と欅が茂る並木道だ。
しばらく歩くと、立ち並んだ屋台の明かりが見えてきた。
「立派なもんですね」
ミカさんに話しかける。
「ああ、年に一度のお祭りだ」
ぼくは目覚めている。けれど、目に映るこの風景には現実味がない。
祭囃子。人のざわめき。確かにそれらは聞こえたはずだが。
いくら歩いても、人ひとり見当たらない。
ミカさんは、ひとつの屋台の前で立ち止まった。
「ハジメ、おひとつどうぞ」
ミカさんがぼくに差し出したのは、赤い風ぐるまだ。
屋台の梁にかけられ並べられた風ぐるまは、風に吹かれゆっくりと回っていた。
ミカさんはさらに1本、黄色の風ぐるまを手に取る。そして自分の帯に挟んだ。
「ぼくはハジメじゃありません。セイです」
「そうだっけ?」
ミカさんは、まるでピンときていないようだ。
「勝手に持っていっては駄目ですよ。ぼく、お金も持ってきてないし」
店番は不在だった。
台の内側には、パイプ椅子が置かれている。そこには少々すりきれた座布団がのっていた。
人のいた形跡はある。けれど姿が見えない。
「俺がなんでも買ってあげる。そう言っただろ」
ミカさんは懐中から、小さながま口を取り出した。
この小豆色のがま口は、ホスピタルの玄関に置いてあるものとまったく同じだった。小口の集金が来た時に、使う財布だ。
ミカさんががま口から取り出したのは、お金ではない。薄紅色の桜貝だ。子供の爪ほどに小さく、もろい貝だった。それを壊さないように優しくつまみ、台に置く。
現実の些細なことと、この非現実的な風景が重なる。それに、めまいがする。
「セイさん。ニレイ先生」
背後から声をかけられた。
聞きなれた声。
振り返ると、草四郎が立っていた。
「驚かせるなよ。心臓が飛び出すかと思った」
まじまじと草四郎を見つめる。
襟付きの半袖シャツに、スラックス。彼もまた夏服だった。
「お前は誰だ?」
そう尋ねれば、呆れた顔をされる。
「あなたの叔父の、灘草四郎です」
「ぼくの夢に、どうやって入ってきた?」
「こっちが聞きたいですよ!」
これはただの夢じゃない。草四郎の登場で再認識させられた。
「やぁ、コウ。遅かったね」
ミカさんが草四郎に、そう呼びかける。
「コウ?ぼくは草四郎です……あなた本当にニレイ先生ですか?」
草四郎が身構える。
草四郎も即座に気づいたようだ。この人はニレイさんではない。
「草四郎、この人はミカさんだ」
「そんな!?……冗談でしょう」
「ここは夢の中だもの。なんでもありだ」
草四郎は穴が開くほどミカさんをみつめる。
そして恐る恐る、問いかける。
「……あなたはミカさんなんですか?」
「ああ、そうだよ」
草四郎が深く息をつく。
ミカさんと言葉を交わしている。まだそれが信じられないという表情だ。
「ぼくらをここに呼んだのも、あなたなんですか?」
「うん、せっかくのお祭りだ。ハジメとコウと遊びたかったからね」
「遊びたい。そんな理由ですか……」
草四郎はがっくりと肩を落とした。
ハジメとコウ。
ハジメは、ぼくの父の渋谷一。コウはその相棒の孝三叔父のことか。
どうやらミカさんは、ぼくらと先代の区別がつかないらしい。
「それに忘れ物を取りにいかないと」
「忘れ物?」
「ハジメが自分で置いて来たんでしょう?忘れちゃったの?」
ぼくの質問に、ミカさんが呆れた顔をした。
ハジメが忘れ物をした?
ということは、父もこの場所にきたことがあるのか?
「ミカさん、その忘れ物というのは……」
「目だよ」
歌うように、ミカさんは答える。
「ほら、こういうのだよ」
いつの間にかミカさんの手に、ガラス玉が現れた。
この黄昏の空よりも、一段暗い色をした赤色のガラスだ。
「綺麗ですね。これが目ですか?」
「これはニセっこだけどね」
ミカさんは幼い言葉で答えた。
鶏卵よりも二回りほど大きい。
はい、とミカさんはそれを僕の手のひらに乗せた。ミカさんの手が一瞬触れた。
冷たい手だった。
ぼくはガラス玉を手のひらの上で転がしてみた。
「これが眼球ですか。随分体の大きい生き物なんですね」
草四郎の言葉にミカさんは頷いた。
「そうだよ。とっても大きくて、とっても怖いやつなんだ」
ミカさんがぼくの手の上のガラス玉に触れる。
するとガラス玉はフッと消えてしまう。
「そいつはハジメに目を取られて、とても怒ってる。早く返してあげないと」
「まさか……それって……」
ぼくと草四郎は顔を見合わせた。
「その目の持ち主の名前を教えてください」
覚悟を決めて、草四郎が尋ねる。
「XXXXXXだよ。覚えてないの?信じられない」
耳慣れない異国語のように、ザラリとした響きをもつ六文字。
間違いない。あの呪言の中で呼びかけられて名前だった。
やがて蘇ってくる、強大な”マ”の名だ。
しかしミカさんは、ショックを受けているぼくらなどお構いなしだ。
「あ、タコ焼きの屋台だ。食べようぜ」
フラフラと、そちらに行ってしまう。
「待ってください」
しかしミカさんを追いかけようとした、ぼくの袖を草四郎が引っ張る。
「なにするんだよ」
「ミカさんはともかく、セイさんは買い食いなんてよして下さいよ。ここは現実じゃないんです。こんな場所の物を食べたら、戻れなくなるかもしれない」
冥府の果実を口に入れて取り残された……ギリシャ神話だったっけ。
「しかし、もう遅い」
先日はサキさんの剥いたリンゴを食べた。その前にはアリアに注射をされている。
「やれやれ。本当にセイさんはしょうのない」
そう言うと、草四郎は屋台の鉄板に手を伸ばしタコ焼きをひとつ摘みあげる。
「あっつい」
そしてタコ焼きを頬張った。
「コウ、お行儀がわるい」
ミカさんが小さな子供を叱るように、叱った。
「馬鹿だなー、お前さん」
呆れた。変なところで負けず嫌いな叔父貴だ。
「セイさん、どこまでも付き合いますよ」
「どこへ行くんだ?」
ぼくは尋ねた。
「その目とやらを見つけ出さないと」
草四郎がグッと前を見据えた。
「見つけてどうする?」
「その後のことはそれから考えます」
「こっちだよ。真っすぐ行けば最初の鳥居が見えてくる」
先頭を歩くのはミカさんだ。
追いかけるぼくらは、ややもすれば小走りになる。
現実世界で鳥の姿をしている時のミカさんと変わらない。
その体は軽やかだ。
滑るように進んでいく。
「鳥居を三つくぐると本殿につく」
「そこにその目があるんですか?」
「そうだよ」
現実と夢。
生と死。
人と”マ”。
ここはその狭間の世界だ。
沈みきることのない、夕日を見ながらそれを悟った。
あの古ぼけた病室も、この参道に繋がっているのだろう。
この夕暮れの世界は、ひと続きだ。
「他のアガミの皆も、ここに来たことがあるんだろうか?」
ぼくの問いかけに、草四郎は頷いた。
「たぶん。ここでしか見つけられないものがあるんでしょう」
参道を進み、やがて大鳥居にさしかかる。
鳥居の先には、長い石段がみえた。
「ここの御祭神は、どちらですか?」
ぼくの問いかけに、ミカさんは笑う。
「ここには俺しかいないよ」
ここはミカさんの世界だ。




