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花とペン  作者: 井上マイ
23/68

23.

 午後十時。

 そろそろサキさんの原稿が上がってくる。

 さっさと食器洗いを終えて、寝る前にまた一仕事だ。

 そんな時だった。

 ーーーーブツッ。

 ふいに音が響いた。

 耳元で何かの線が、勢いよく引き抜かれた。そんなくぐもった炸裂音だ。

 耳を押さえて振り返る。しかしその音の原因になるようなものは見つからない。

「……ミカさん?」

 小声で聞いてみた。いまミカさんの気配がした。

 しかし姿がない。これもぼくの気のせいのようだった。


 嫌な予感がする。いやこれは予感で終わらない。

「ちょっと出かけてきます」

 ぼくはサキさんに声をかけると、ジャンパーを羽織り外に飛び出した。

 幸いまだ電車は動いている。


 草四郎はまだ下宿に戻っていなかった。

 ちょろまかしてあった合鍵を使って中に入る。

 谷さんの勉強会とやらは、いつまでかかるんだろう?

 食卓兼勉強机のちゃぶ台の上に、本が置いてあった。

『水曜日への架け橋』。

 五島万の新刊だ。ぼくが清書係に入る前の作品だ。

 それを読みながら、待たせてもらうことにする。


 日付が変わった、丁度そのとき。

「ちょっと部屋は何号室?」

「大丈夫?歩けるか?」

 このアパートの前の路上から、声がした。

 酔っぱらいの同僚でも送ってきたのだろう。

 しかし、彼らが立ち止まったのはこの部屋のドアの前だった。

「ん?鍵空いてるじゃん」

 ドアを開けて入ってきたのは、草四郎。

 そして見知らぬ男女がふたりだ。

「ラッキー!セイくん、ここにいたんだ」

 ぼくに指を突きつけたのは、ブレザーの制服をきた女子だった。

 白のハイソックス、茶のローファー、薄い紺色のコートとチェックのマフラー。

 ごく普通の女子高生の恰好。

 ひとつだけおかしいのは、彼女がお面を被っていることだ。

 プラスティックのキツネの面だ。

 セイくんと呼ばれたが、こんな子知らない。

「電話で呼びだそうと思ってたところだよ。こんな状態で置いとけないから」

 キツネ面の少女がいう通り、草四郎は立っているのもやっとという有様だった。

 スーツ姿の中年男の方は面を付けていなかった。

 彼の肩に草四郎はぐったりともたれている。

 キツネの話によれば、勉強会の会場を出た草四郎は道の途中でへたりこんでいたらしい。

 それを拾って、ここまで届けてくれたそうだ。

「うちの草四郎が、お世話をおかけしました」

 まずふたりにお礼をいっておく。

 敷布団をしいて、野袴姿のままの草四郎を寝かせた。

「すいません……セイさん」

 草四郎の意識はハッキリしていた。

「ただ、ひどい眩暈がするんです……まっすぐ立っていられない」

「分かった。寝てろ」

 草四郎に毛布をかけてやる。顔にまるで血の気がない。

「ナカマルさん、先に車に戻っていて。わたしはこのふたりと、ちょっと話しがあるから」

 キツネの女子高生は、サラリーマン風の男にそう言いつけた。

 そしてひとり残った彼女は、部屋の真ん中に腰を下ろす。

「あなたも勉強会に参加されていたんですか?」

 ぼくは彼女に尋ねた。

「そうだよ」

 なにがおかしいのか、キツネはくすくす笑う。

「何があったんですか?どうしてこいつは、こんなことに?」

「草四郎くんは勝手に走って、ひとりで転んじゃったんだよね」

 キツネがからかうように、そう言った。

 草四郎は勉強会で何かをしでかしたらしい。

「詳しいことは、あとで本人に聞けば?セイくんもくれば良かったのに」

 ぼくが行かなかったのは、呼ばれなかったからだ。

 ぼくらの話し声が聞こえているのかいないのか。

 草四郎は固く目をとじていた。

「ねえセイくんは、草四郎くんの先輩なんでしょ?やっぱりセイくんの方が強いの?」

「……ぼくが上なのは年だけ、草四郎は同僚です」

 反応が遅れた。いきなり何を言い出すんだ?

 アガミの術士に強いも弱いもない。

 しかし顔を見せず名乗りもしない相手に、丁寧に説明する気もなかった。

「ふーん、そうなんだ。でもわたしは、セイくんと組みたかったな」

「組む?」

「そ」

 キツネは頷く。

「草四郎くんは、周平さんに気に入られたみたい。私たちと一緒に働くことになる」

 周平さん。

 それが谷さんの下の名だと思いだすのに、少し時間がかかった。

「じゃあ、わたしはそろそろ帰るね。こんな遅い時間に、男の子の部屋にいたなんて……お母様にバレたら叱られちゃう」

 キツネは立ち上がった。

「草四郎くん、早く良くなってね」

 最後に草四郎にそう声をかけて、キツネは帰っていった。


 あの制服、そして『セイくん』と呼んだあの声……

 記憶のどこかに引っかかる。

 ぼくはどこかで、キツネと会ったことがあるのだろうか?

 しかし思い出せなかった。


 草四郎は朝方から、熱を出した。

「完全に知恵熱ですね……」

「あんな薄着で外を歩くからだろ」

「きょうの家庭教師、伺えそうにありません。アリアさんに、申し訳ありませんと伝えてください」

「わかった。ゆっくり休め」

 昼にお粥でも持ってきてやろう。

 始発電車が動くのを待って、ぼくはホスピタルに戻った。


「草四郎先生、まだ風邪が治ってないんじゃないの?」

 本人は隠しているつもりなのだろうが、アリアにまで伝わってしまった。

 明らかに、草四郎のまわりの空気がどんよりとしている。

 家庭教師の授業が終わって、いまはキッチンテーブルでのティータイムだ。

 潤沢にある編集者からの差し入れ。ぼくらは大福、アリアは醬油味のおかきを緑茶でいただく。

「はい。たくさん食べて元気になってください」

 アリアが箱の中から大福をひとつ取り上げ、草四郎の皿に乗せる。

「ありがとうございます。ご心配をおかけして申し訳ありません」

 草四郎が律儀に頭を下げる。

「でも本当に、もう大丈夫なんです」

「こいつはね。ミカさん……ウチの守り神様と喧嘩して、それで落ち込んでるんですよ」

「セイさんっ、いきなりなにを言い出すんですか!」

 草四郎に睨まれたのだが、いまは我々三人きりだ。

 アリアにミカさんのことを聞かれても構わないだろう。

「神様と喧嘩?そんなことあるの?」

 アリアが小首をかしげる。


 喧嘩なのか?

 ぼくもそう言ったが、疑問の余地が大いにあった。

 確かに、例の勉強会の晩以来ミカさんは姿を見せなかった。

 しかしミカさんは気まぐれだ。

 好きな時にやってきて、好きなときに去っていく。

 これまでだって何週間か訪問の間が開くこともあった。

 しかし草四郎は、完全に自分が悪いと思っているようだ。

「ぼくが勝手なことをして、ミカさんを怒らせてしまったんです」

 それっきり黙り込む。

「…………」

 アリアもそれ以上、なにも尋ねなかった。なんと言って励ませばいいのか分からなかったからだろう。


 勝手なことをした。

 草四郎が言ったのは、谷さんの力を借りての一撃の事だ。

 そのとき草四郎はミカさんの声を聞いた。

 それは警告の声だ。

 そのあと訪れたのは、痛みにも似た強烈な感覚だ。

 ミカさんと自分を繋いでいた糸が、断ち切られてしまった。

 草四郎はそれを感じ取ったらしい。


 ミカさんが怒って行ってしまった。

 そんなのは草四郎の思い込みだ。

 ぼくはそう思っている。

 ぼくもそのとき、草四郎に何かが起こったのを感じた。

 しかし、それは他のアガミの先輩たちも同じだろう。

 ぼくがミカさんの力を使ってチンピラとやりあった翌日、双子の先輩は様子を見に来た。

 しかし今回はなんの連絡もない。

 ということは、大した話ではないんだろう。

 ぼくは草四郎の感覚よりも、先輩方の判断を信じる。

 そうだ。

 谷さんのイタズラごときで、ミカさんとぼくらの結びつきが揺らいでたまるか。


「ご馳走様です」

 草四郎は大福を二つどうにかやっつけた。ふだんなら五個は軽いのに。食欲もないらしい。

「それでは、アリアさん。プリント二枚、次回までの宿題です」

 最後に先生として恰好をつけて、きょうはこれでおしまいだ。

「ちょっと待て」

 しかしぼくは草四郎を引き留めた。

「食後の余興だ。一曲吹いてくれ。笛、持ってるんだろう?」

「しかし……」

 草四郎は躊躇いをみせる。

「怖いのか?自分の不安を確かめるのが」

 笛を吹いても、もしミカさんが答えてくれなかったら……

 草四郎はそれを恐れていた。

「あの……」

 アリアがおずおずと手をあげた。

「先生の笛、わたしも聞きたい」

「……」

 草四郎は、ながいため息をついた。

「分かりました」

 覚悟をきめて、草四郎は笛を構えた。

 柔らかい音色が響く。

 一曲、二曲……

 まだ半人前である草四郎が覚えている、アガミの曲はそれだけだ。

 しかしそれを吹き終えても、ミカさんは姿をみせない。

 だが、それでも草四郎はぼくに助けを求めなかった。

 ぼくが踊れば、ミカさんがきてくれるかもしれない。

 でも自分ひとりの力で、ミカさんを呼ばなければ意味がない。

 草四郎は考えているようだった。


 草四郎は二巡目の演奏に入った。

 切々と草四郎は、笛を奏で続けた。

 しかしミカさんがそれに答えることはない。

 あと一分もかからず、曲が終わる。

 その時に歌声がそこに加わった。

 アリアだ。

「ーーーーー」

 笛の音に合わせて、いま覚えたばかりの旋律を歌う。

 高く、透き通った声だった。


 空気が揺らぐ。

 窓から差し込む夕日が、光が形を帯びた。

 銀のたてがみが、きらめく。

 草四郎の仔馬のミカさんだ。

 ”ーーーー”

 ミカさんは嬉しそうに、アリアにその鼻を擦り付けた。


「ありがとうございました。本当に……アリアさんのおかげです」

 礼をいう草四郎の目が潤んでいる。

「わたしは別に、何も……」

 照れて真っ赤になったアリアはうつむく。

 アリアはそう言うが、先ほどの歌は草四郎を助けたいという気持ちからでたものだろう。

 ミカさんはご機嫌だ。アリアにじゃれつき、離れようとしない。

 まるで何ごともなかったかのようだ。


 問題は解決。

 めでたしめでたし。

 しかし、残された疑問がある。

 谷さんはあの時、草四郎になにをしたんだろう。

 ミカさんの力に寄らず、草四郎が放った術。

 金色のつむじ風。

『これが、本来の君の力だ』

 谷さんは草四郎にそう言った。

「あんなこと……二度とできません。試したいとも思わない」

 草四郎は激しい嫌悪を浮かべる。


 力か……。

 生まれつき欠けた部分のあるぼくは、それを得ることを諦めている。

 あの場に招かれ、可能性を示されたのが草四郎ではなく、ぼくだったら。

 その希望に、すがりつきたくなってしまったかもしれない。

 そんな迷いが生まれるのも、ぼくが弱いせいだ。

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